藤原諸現象編
私の持論として、小説を書く行為には、まず何よりも環境が第一だと考えております。いかなる文豪も創作に集中できる空間が無ければ、素晴らしい作品を生み出すのは困難だったでしょう。
高名な作家達には及ばないと自覚しつつも、私にはどうしても形から入ってしまう傾向があります。あるいは素人ゆえの浅はかさでしょうか。
とりわけ執筆に必要な道具の準備には、時間と費用を惜しみません。
具体的に申し上げますと、何よりも大切なのは「紙」と「墨」と「筆」でしょう。これら三つが無ければ小説を書くのは不可能ですからね。しかも私の場合、市販の物では飽き足らず、一から自作することによって作品完成への気概を高めている次第です。
<1> 紙を作る
素人とは云え一介の文士ですから、当然、文章を書き連ねる為の紙は、原料から徹底して選別します。最高級和紙の原料と云えば、もはや文藝作家の皆様にとっては常識でしょうが、栃木県那須烏山市原産の那須楮(なすこうぞ)ですね。最近は栽培も多い楮ですが、私は野生の物に強いこだわりがあるので、鎌と籠を用意して、現地まで泊まり込みで採取に向かいます。持ち帰った楮は丁寧に一本一本皮を向き、煮込んで繊維をほぐす等した後、流し漉きで紙の形に整えて行きます。ちなみにこの漉きの技術を完全に習得するまでには五年近くを費やしました。
<2>墨を作る
これも又、常識中の常識でしょうが、日本の二大高級練墨と云えば奈良墨と鈴鹿墨ですね。紀伊半島から取り寄せた松の木を燃して煤を生成する所から作業は始まるのですが、私の場合、菜種油よりも椿油のほうを好んで使用します。滲みと伸びが断然違いますから。次に墨の原料となる膠(にかわ)ですが、やはりここは上質な鹿の骨から抽出した物を使用したい心情です。幸いなことに、猟銃所持許可と狩猟免許証の取得はそれほど難しくありません。試験に合格し、地方自治体への申請が下りれば、鹿一匹程度なら容易に手に入ります。
<3>筆を作る
厳別された国産の狸毫(たぬきの毛)は、近年ではやや入手困難ですが、細い線を書くには非常に適していますから重宝もします。実際の創作現場では単純に書きやすい天尾(馬の尻尾の毛)を愛用する機会が多いでしょうか。軸先や筆管の錦糸細工もなかなか難しいですが、筆の命となる穂首を整えるのは本当に毎回、神経を擦り減らします。ご存知、川尻筆の産地である広島県呉市の匠に十年余り師事しましたが、まだまだ私の腕では一人前になるのは程遠いようです。
<4>文章を書く
拵えた和紙を大理石の文鎮で抑え、筆を象牙製の筆置きに寝かせ、墨を那智黒石の天然硯で擦り続け、やがて小一時間ほど心を無にします。手を休め、目を閉じ、背筋を伸ばし、呼吸を深くして行きます。
そして精神統一が終了すると、PCの電源を入れてWordを起動しキーボードを打ち始めるのです。