トップに戻る

<< 前 次 >>

四ツ目の世界(前編)

単ページ   最大化   

 暖炉に薪をくべたらそれを絶やさず、火に映る自分と向き合う。
「私はね、楽に生きたいと思っているんだ」
「それは、どうして?」
「苦しい事が、嫌いだからね」
 パチパチと鳴る火から弾けた火の粉が、笑っているように見えた。
 夜。長い夜。凍える寒い夜。私はあぐらをかきながら、孤独の味を堪能していた。この世界には何も無く、しかし何もかもがある。つまり、食べ物はあるが、味気が無い。暖かさがあるが、分かち合う友がいないのだ。暖炉と会話している、頭のイカれた女の子。それが私で、私がそれだ。
「だから、ここでの暮らしは最高。わずらわしい事なんてせずに済む」
「本当にそう思ってる?」
「ええ、本当よ」
 嘘をつくのにももう慣れた。その嘘を信じてくれる人も、嫌悪してくれる人もいないのだから、仕方の無い事だ。
 四方、天井、床を鉄で囲まれた部屋。火の点る暖炉が一つ。小さな窓はいつも曇ったガラス。僅かに見えるのは暗い空とどこまでも続く轍。扉は、無い。私は口を尖がらせて、シャボン玉を飛ばすように愚痴を言う。
「こんな世界、壊れちゃえばいいのに」
 暖炉は瞬きをして、尋ねてきた。
「自分で壊せないの?」
 暖炉がしてきたにしては、やけに建設的な内容のある問いかけだった。いつもは適当に、その場でパッと思いつきで答える私も、少し考える。
「……壊せるかな?」
「壊せるんじゃない?」
「壊して大丈夫かな?」
 暖炉は答えない。私には次の言葉が思いつかない。
 例えばこの部屋が、この世界の全てだったとしたら。私は考える。この部屋を壊して出る事は、きっとそう容易い事ではない。危険で、未知で、そして美しい事だ。だけど、もしもこの部屋が、この世界のごくごく一部で、外には無限に広がる可能性があるとしたら……。
「それを知らないのは……損よね?」
 暖炉がまた、私を無視した。


 この部屋の壊し方。
 まずは壁を叩いてみる。無機質な音が部屋の中で反響するだけで、壊れる気配は無い。
 次に壁を押してみる。全身の力を込めてぐいぐいと押してみたが、何の手ごたえも無い。
「諦めてもいいかな?」
 何も答えない暖炉を私は見つめる。
 長い間、この部屋で共に過ごした相棒が、こんなに『冷たい』奴だったなんて。
「火を消しちゃうよ? いいの?」
 滑稽な脅しをちらつかせても、暖炉はうんともすんとも言わない。
「……本気だからね」
 怒りを露にしてみる。わざとらしい、演技くさい、つまらない怒り。
「お願い、答えてよ」
 今度は懇願。涙を目に浮かべて。自分が情けなくなってくる。
 本当の私は、ここにいる私ではないのかもしれない。暖炉が喋るなんて馬鹿げている。私の頭は本当の本当におかしくなったのかもしれない。元々、この世界自体がありえない物なんだ。現実逃避は止まらない。どこまでもどこまでも逃げ続ける。終わりの無い空想と嘲笑。
 私の中で、何かが切れた。おんぼろで壊れかけの思考回路を繋ぎとめていた、一縷の絹糸だ。
 気づくと私は半狂乱のまま、素手で暖炉に手を突っ込んだ。熱波がちりちりと皮膚を舐めて、瞳孔が全開になる。燃えている薪、既に炭になった物。燃えカス。炎それ自体をも手づかみにして、四方の壁に叩きつけた。熱が砕け散り、焦げた私を笑っていた。
「最初からこうすれば良かったんだ!」
 そう叫び、私も笑い返しながら、暖炉を殺す。
 後に残ったのは、以前よりも冷たく激しい孤独だけだった。
 だけど、その中にこそ発見があった。何もなくなった場所にこそ、活路はあったのだ。
 気づいた私は暖炉の中に、頭を滑り込ませ、上を見上げる。
 そうだ。暖炉があるという事はつまり、煙突がある。煙が逃げる為の道がそこにあるじゃないか。
 どうしてこんな簡単な事に今まで気づかなかったのだろう。この寒さの中で与えられた暖炉はいわば罠で、消す事が出来ないという思い込みこそ邪悪その物だったのだ。
 しかし、暗くて煙突の出口が見えない。私は備えの薪に燃え移った僅かな炎をかき集めて、一本の松明にした。そしてそれを口に銜えて、煤けた両手両足を使いながら、煙突を登って行った。


 茫漠とした世界。初めて見る、部屋以外の世界。
 煙突の上に立って、360度見回す。広すぎて眩暈がする。私は手に持った炎を揺らしながら、一つ一つ確かめる。
 あそこに見えるのは山だ。大きくて、頂上付近が白く染まった一つ峰。その隣が森になっていて、灯りは無く、人間の気配がまるで無い。反対側が街のようになっている。微かにだが、光が灯っているのが分かる。
 世界の広さはともかくとして、まずはこの高さが問題だ。登っている時は気づかなかったが、私は今随分と高い位置にいるらしい。下を見ると、小さなキャラメル箱のような家から棒が延々と伸びている。その棒の上に乗った足が、恐怖からか寒さからか、小刻みに震えている。部屋に戻ろうか。そんな気にさえなってくる。
 すると、下の方から声が聞こえた。
「おーい! お前さん、そこで何してるんだー?」
 若い男の声だ。どこか聞き覚えがあるようで、だけど思い出せない。
「あの、降りられないんです……」
「なんだってー? 聞こえないよー!」
「降りられないんですー!」
 男の姿は小さすぎて、それに暗くて良く見えない。仕方なく、耳を澄まして男の返事を待っていると、あろう事か男はこう言ったのだ。
「飛び降りろ! 俺が受け止めてやる!」
 無茶苦茶だ。こんな高さから飛び降りたら、死んでしまう。暖炉に手を突っ込んだ時は、頭がどうにかなっていたから出来たんだ。この寒さで冷えた頭では、到底出来そうにない。
「駄目です! 無理です!」
「いいから早く飛び降りろ!」
 しばらくの間、そんな押し問答が続いた。ここから飛び降りるくらいなら、部屋に戻って寒さに震えていた方がマシだ。何が孤独だ。何が暖炉だ。何が罠だ。生死に関わらないだけまだいい。
「ああもう! 仕方ねえな!」
 男がそう叫んだかと思うと、続けて車のエンジン音が鳴り響いた。下品で荒々しい大音量だ。
「一体何を……」
 私の無垢な疑問への解答は、より酷い騒音によってもたらされた。


 鉄が破裂したような音。爆発音。振動。揺。
 私が咄嗟にしがみついた煙突がゆっくりと、自転のような速度で倒れていく。押し寄せるのはただならぬ後悔。あの部屋から、出るんじゃなかった。出てしまったからこんな目にあうのだ。
 私の体は宙に放り出され、重力という豪腕によって、勢い良く地面に叩きつけられ、バラバラになる。
 そんな予感は的中しなかった。私を受け止めたのは、冷たい地面ではなく、暖かい両腕だった。
「荒っぽいやり方ですまんね。これしか知らないもんで」
 恐る恐る目を開くと、ベレー帽を被った男の顔が視界に入った。片目が無い。銜えタバコをしている。緑色の軍服。見た目は恐ろしくて強そうなのに、顔はやけに幼い。子供のように見える。
 私は男に抱えられて、車に乗っていた。戦闘向きの、無骨なジープだ。男は私を片腕で抱きなおし、空いた手でハンドルを握った。
「私をどうするんですか?」
「どうもしないさ。どうかして欲しいなら別だけど」
 男が冗談の色を混ぜて言う。私は男の手を無理やりに振りほどいて、車から落っこちそうになる。
「なんとも危なっかしいお嬢さんだ。お前さん、仕事は?」
 首根っこを捕まえられた私は尋ねる。
「仕事?」
「そうだよ、仕事だ。この世界では仕事を持たない奴は生きてちゃ駄目なんだ。ちなみに俺は、これ」
 男は私を無理やり助手席に座らせたのち、後部座席からロケットランチャーを取り出した。なるほどこれならあの煙突を壊せたのも納得する。
「俺はしがない戦争屋さ」
「物騒な人ですね」
「お前さんに言われると思わなかった。あんな高い所で何していたんだい? ひょっとして、煙突の掃除屋?」
「いいえ……」
「じゃあ何?」
 仕事……。私は何もしていない。だけどそう言うのは気が引ける。得意の嘘を言おうとしても、あいにく何も浮かばない。思ってもいない事は嘘には出来ないらしい。
「なんだ、何も無いのか」
 他人に失望される恐怖。戦争屋は、私の中で膨らみつつあるそれを豪快に笑い飛ばした。
「俺も一緒さ。最近はどこも平和でねえ。これから戦争を売りに行く所って訳。そうだ、お前ついてこいよ。どこかでお前の仕事も見つかるかもしれない」
 私はすがるように頷く。今は誰かと一緒にいないと、押しつぶされてしまうような気がする。
「戦争屋さんは、名前は無いんですか?」
「名前? そういえば、無いな。生まれた時から戦争屋で、死ぬまで戦争屋だから名前なんていらねえんだろう。お前さんにはあるのかい?」
「いえ……」
 正確に言えば、あったような気はするのだが思い出せない。だけどそんな事を伝えるのもマヌケで、私はただ俯く。
「そうだ、ならこの旅に名前をつけようか。何がいいかな……」
 戦争屋は遠くを見つめて、呟くように言った。
「十月の旅、これでいこう」
12

和田 駄々 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る