敗者復活
籠城
五月病
籠城のきっかけになったのは、高校一年の春に出会った一冊の本だった。
贔屓にしているレーベルの新人賞で銀賞をとった作品だったので、読んで失敗ということもないだろうと、中身も見ずに買ったその本。よくあるラブコメディで、主人公と、幾人かの女の子が事件に巻き込まれたり、好きだの嫌いだの言ったり、無難な感じのストーリー。適度にハラハラしそうに書かれているし、お色気要素もある。最後はちょっぴりイイ話風に締めていて、大きな矛盾も整合性の取れていない箇所も見当たらない。ただ「ふぅん、で?」と聞きたくなるような、薄っぺらい印象しかしない作品だった。
今思えば高校に上がったばかりの不安感、五月病からくる苛立を、たまたま自分の感性に合わなかった小説にぶつけただけ、八つ当たりに近いものだったのだが、当時の私はこんな銀賞があってはいけないと怒り狂い、これで銀賞なら私だって入賞する、と憤った。
憤って――それで終りにしておけば良かったものの、私は何をとち狂ったか高校をやめ、家に引きこもって小説を書き始めた。
それから私は六年、家から一歩も出ていない。自室から出るのさえ、親が部屋の前に置いた食事を取るときと食べ終わった食器を出すとき、それとトイレ、風呂のときだけだ。
部屋にいる間ずっと小説を書いている、わけでもない。もっぱらネットサーフィンで暇を潰して、目が疲れてチカチカしだしたら寝ている。小説はいつ書いてるのかって? 調子が出てて、機嫌の良い時、気が向いたらだよ。
もちろん、初めからこんな調子だった訳ではない。あの薄っぺら銀賞の銀箔野郎、突き破ってやる! と怒りに任せてキーボードを叩いていた時期もあった。ただ、私はそのときまで一度も小説を書いたことがない身だ。怒りの勢いオンリーでどうにかなる訳がなかった。 一週間ほどで、ふと指が止まり、こんな具合の書き方でいいのかと疑問に思った。これはあの銀賞より面白いのか? 私は少し考え、部屋にあったノートパソコンで小説指南サイトを検索した。そこで初めて、三点リーダーは偶数やら「!」「?」の後ろは一マス空けるやらの、基本的なルールを知った。そして冒頭で読者を引き込め、世界観に合わない描写は避けろ、その他諸々の知識を一通り頭に取り込んだ。
その次の日、初めの勢いは嘘のように引っ込んだが、ゆっくりと、前よりも小説になっている文章が書けるようになっていた。少なくとも、昨日まで書いていたのが小説ですら無かったことに気づく程度には成長していた。だがそれも長くは続かない。今度は不安になる回数が格段に上がった。これでいいのか。一章としては長くないか。初めはやはり、掌編から慣らしていったほうがいいのではないか。長編なんて生意気じゃないか。しかしあの銀賞は長編だった。自分の読んだ作品の、9割は長編だった……。
気がつくと、一文字も進まなくなっている。仕方ないから違う作品を書き始めても、また同じ。掌編を書いてみても、どうにも締め方が分からない。
一年たつ頃にはもう、あの銀賞が、どれだけ凄いものかも理解していた。きっとこんな物じゃない、ものすごい努力の末、諦めなかったからこその栄誉だったのだろう。去年の私は、とんでもない大馬鹿者だった。こうなったら小説家になるまで努力し続けないと、銀賞に失礼極まりない。
そうして二年目からは、銀賞への罪悪感と、ムダに高いプライドで引きこもりを続行することになった。
そして一作も書き上げず、二年、三年、私をあざ笑うかのように時が過ぎ。籠る理由も、今更世間に出ていけないというネガティブの強まったものに変わっていった。もう今更外に出て何も言われないには、小説家になるしかなかった。
しかし、勘の良い人は自室から出る行為のくだりで気がついたかも知れないが――私はこの六年で、まだ一度も小説を投稿していない。そもそも作品を書ききるのにはものすごい精神力と、ある種の才能がいるし、書ききった作品も、もし落ちたらとの不安から、出せずに居る。もはや何処にも進めない、根性の腐った人生の敗者。それが今の私だ。それでもいつか投稿し、輝かしい銀賞の栄光を受けて復活する事を夢想しながら、私はまたキーボードを叩き始める。
しばらく順調に筆が進んでいると、母か父が、部屋のドアをノックした気がした。が、無視する。いつものごとく食事だろう。なら気が向いたときに取れば良い。
……いや、それでいいのか? いつもは小説の内容に対しての疑問が、今日は自分の行動に向いた。家族に小説を見せてみるのはどうだろう。もしかして世辞でも褒められたら、投稿する勇気が出るのではないか。
冷静に考えれば六年引きこもってる自分の子供が急にさし出してきた小説に世辞を言う親も居ないと思うが(むしろ面白くても嫌味を言うか、そもそも読まないかだろう)、あいにく私は六年前から冷静さを欠いている。
恐る恐る、自室のドアを半分ほど開いてみる。薄暗い廊下には、もう誰も居なかった。
足元においてあった食事を部屋の中に引き寄せて、ドアを閉める。思わずため息が漏れた。そりゃそうだ。居ないに違いないと解っているからこそ、ドアを開ける勇気も出た。まぁ、明日また誰かが食事を運んできたときに試そう。覚えていたら、だけど。
覚えていても途中でくじけて、忘れてたふりするんだろうなぁと、自己嫌悪しながらベッドにダイブ。小説? 今はもう、書く気分じゃないから……
(終わり)