◆にっちもさっちもブルーバード
気がついたら、朝になっていた。
どうも僕は寝てしまっていたらしい。
となりのJの盛大ないびきと、つけっぱなしのテレビから流れ出る朝のニュースがモーニングセレモニーを奏でている。
高かったソファーにすっかり沈み込んだ僕の体は、泥のように重かった。酒を飲んだわけでもないのに、不思議だ。
「夢じゃなかったか」
もう一度、となりのけむくじゃらを確認して僕は小さく言った。
いまさらの告白を神が許してくださるならば、どんなに気持ちが晴れ晴れとするだろうか。
正直、昨日の出来事は八割がた夢だと僕は決めつけていた。
最高の夢だろう、夢なら最高だろう、そう思っていた。Jに言ったら、怒るだろうか。
僕は昨日、Jとの夜を楽しんだつもりだ。けれど、こうして夜が明けてみたらこの始末。
くすぶる快楽の余興さえ、朝のすきま風で吹き飛んでしまった。
その代わりに心を満たす、空白の朝日。
僕はカーテンを透けて差し込む細い光線に手をかざした。
それから起き上がって、よたよたと頼りない歩いて窓辺にたどりつく。
新鮮な空気が、窓の隙間からあふれんばかりに吹き出していた。
僕は窓を開け放ち、町へ「おはよう」のあいさつをする。
いつもやっていることだ。
そう、こうやって窓を両手で思い切り押し開けて、そして――――
「おはよう」
あいさつだ。
僕の頭に、鉄の塊が押し付けられた。
「おはよう」
銃口におでこのキッスをされたまま、いつもように僕はそう言った。
◇
「おまえ、オレのことかくまってくれねーかな」
銃の持ち主はまずそう言った。
「あ、おまえこいつがオモチャだとか思ってるだろ。臭いかいでみ。火薬の臭いがすんだろ」
僕はすんすんと鼻をかいだ。確かに、火薬の臭いがする気がする。
「まぁ、おまえを撃つつもりはねーよ。だって、おまえはオレをかくまうしかねーからな」
銃の持ち主のすがたかたちはよくわからない。ただ、声は若かった。なんだか、作り物の声のような気がしなくもない。
僕は彼の言った台詞の意味もよくわからなかった。
わからない尽くしで、もう朝から嫌になりそうだ。
少し間を置いてから、そいつは笑った。顔はさっきから笑っているのかもしれないが。
「おまえ、そこのサルが何したか知ってるだろ? 知らねーとは言わせねーぞ」
後ろのテレビから「動物園で起きた飼育員殺害事件の犯人のサルは、依然逃亡中です」と聞こえてきた。
冷や汗が出てくる気がした。そいつはもう一度声をあげて笑う。
同時にぐりぐりと押し込まれる鉄の塊が痛い。撃たなくても頭に穴が開いてしまいそうだ。
すごく、やめてほしい。
「これは全部オレの妄想なんだけどな、おまえそのサルかくまってるだろ?」
僕は黙っていた。
妄想に答える必要はない。そう思ったからだ。
だが、僕のその反応を完全に予想していたようで、そいつは銃口を少し振った。
「あはは。図星っていうわけか。沈黙は銀とか言った人間はホント罪だよな。それが相手に路銀を渡す行為に等しいっていうのにさ」
西部劇に出てくるガンマンのように、そいつは無駄にくるくると銃を回す。
そして、小さな茶色のボストンバックを持っていたらしく、すばやくジッパーを引いて開けて放り込んだ。
全身がものすごい虚脱感に襲われて、僕はその場にへたりこんでしまった。
そいつは「じゃまするぜ」と言いながら窓から土足で侵入してきた。僕はそいつをちらりと横目で確認した。
侵入者はピエロのお面をつけていて、服装は全身白のジャージだった。見るからに怪しい。
右手には銃が入ったボストンバックを持っている。銃以外に何が入っているかは知らない。
生首が入っていたらどうしよう。僕はすこし不安になった。
「はは。最高だ。今からここがオレのとりで、本拠地、秘密基地ってわけだな」
快活に笑って、侵入者は僕の方を向いた。Jはまだソファーで眠りこけている。
「おい、おまえ。名前はなんていうんだ」
バッグをロングテーブルの上に乱暴に投げ捨てながら、侵入者が言った。
「あずま」
僕は一言そう言った。それしか言えなかった。
朝からこんなことになってしまって、僕は本当に神をうらんだ。侵入者もうらめしい。
僕が一体何をしたというんだ。
多分そんな気持ちが顔に出ていたのだろう。侵入者はさらに笑った。
「なんで怒ってるんだ? 面白いなおまえ。おまえがいけないんだぜ。オレみたいな人間を家に入れたおまえがいけないんだ」
僕は今度は具体的な敵意を持ってそいつを見た。
頭の中でそいつは操り人形のようにバラバラになる。
僕の心もバラバラになりそうだ。こんなやつのせいで、僕の生活がめちゃくちゃになるなんて。
「俺はユーマって言うんだ。おっと、これは具体的な名前じゃねーんだぜ。通名だ通名。UMA(未確認動物)とかけた通り名って意味」
「へぇ」
窓際の壁に背中をあずけたまま、僕は力無く相づちをうった。
なんでこんなやつに相づちを打たなければいけないのか分からないけれど、とりあえず打った。
すると、ユーマは満足したように笑って僕に近づいてきた。よく笑うやつだ。
「ささ。立ち上がってくれよ。オレは別にお前の敵じゃないんだ。同居人になろうっていうんだ。それは悪いことじゃないだろ? むしろいいことだ。オレにとっても、おまえにとっても」
伸ばしてきた手にかみつてやろうかと思った。けれど、僕はJの方をちらと見てから心を落ち着かせてそれをやめた。
彼が故郷のクレープタウンに帰れないほうが、よっぽど心が落ち着かないからだ。
優先事項を頭の中で整理して、今の状況の把握をいささか後回しにして、僕はユーマの手を取った。
「仲良くしようぜ、あずま」
口が耳まで裂けたピエロのお面に、僕は言ってやる。
「あぁ、よろしくユーマ君」
その時
「げふ」
Jがとんでもなく大きなげっぷをした。
僕とユーマは手を握り合ったまま笑った。