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ノドウェルの首斬

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「首斬領主の資格?」
「ええ、はい、そうなんです。もし、そういうものがあればお伺いしたいと……いえ、これは修道院とは関係なく、私個人の信仰から来る疑問、なのですが」
 裁判で判決を受けた罪人は、その土地の領主である首斬領主に首を落とされる。ここでもそうだし、どこでもそうだ。いまは、オルフェン領はノドウェルが治めているから、彼が首斬領主であり、この執務室で青白い顔をしたまま机に座っている男であり、愛用のマントのほつれをいつも気にしているのも彼だった。そんなノドウェルの前に、金髪でふっくらとした美人のシスターがにこやかな、それでいてどこか緊張した顔で座っている。無理もない、首斬領主の手は血まみれだ。たとえその手が清められているとしても、信仰心では恐怖はぬぐえない。それは狂信者のやりかただ。
 それがわかっているから、ノドウェルもできるだけ丁寧に、相手を怯えさせないように振る舞う。彼はあまり自分が領主であること、貴族であることを鼻にかけないほうだったし、なにより首斬領主の中に自分が貴族であることを誇りに思うものはほぼいない。いたら粛正対象になるが、それはこの稿とは関係がないので措いておく。
 ノドウェルは手を組み替えた。その手は剣を握り慣れていて、潰れた指皮でごつごつしている。
「資格ね。それは貴族に生まれること、という答えではだめなわけ?」
「できれば、ほかの答えが欲しいですね」
「なるほどあなたは俺になにか、おもしろいことを言ってほしいわけだ」
「え?」
「おもしろいだろ? 首斬人になるための資格、それを本人の口から聞こうとなれば、それは『物語』を求めてるってことだ。あたりさわりのない答え、たとえば剣の腕がいいとか、法務処理をしくじらない頭脳とか視力とか、そういうことじゃだめなわけだ?」
「……決して、娯楽のため、に聞くわけでは……」
「隠さなくていいよ。人間だもの、気になるよな? 同じ人間がどういう気分で罪人の首を落とすのか。俺があんただったら気になって、土産話にしたいもの」
 シスターは立ち上がりかけた。
「申し訳ありません、気分を害してしまったのなら、お暇します」
「ああ、いや、そうじゃないんだ。ごめんね。俺はどうもいつも喧嘩腰になっちゃってね。そんなつまりじゃないんだが……悪かった、座ってくれ。俺に言い訳をさせてくれ」
「……言い訳だなんて。べつに、そんな。無礼をしたのは私ですから」
「まじめだね。いや、本当にすまなかった。これは親父のせいなんだ。前領主ギグリオはご存じの通り首斬の腕はよかったが、……親父の話はやめようか。俺もいい加減、忘れたいんだ。あの人の首も俺が落としたわけだしね。
 で、首斬領主の資格だっけ? ……ああ、ごめん、忘れていたわけじゃない、当然だよな、だけどどうしても、俺はこういう話し方しかできない……」
 思春期の少年のように、身を縮こまらせてこちらをうかがう首斬領主を見るシスターの目に、ふっと柔らかな影が走った。微笑み、頷く。
「構いません。どうか、お気の向くまま、語って下さいませんか。知りたいのです、あなたのことを……」
「ああ……ありがとう。じゃ、簡単に答えさせてもらおうかな。
 首斬領主に必要なのは、友達の首を斬れることだと思うよ」
 シスターは絶句した。



「友達……の?」
「ああ」
「それは、罪人として友人が収監されても、動じず震えず、処刑することができる胆力……ということ、ですか?」
「いや。俺が落としたのは、無罪の友達だった。竹馬の友、っていうのかな。乳兄弟でね」
「それを……なぜ?」
「ああ、知らないのか。結構知られてると思ったんだけど。
 首斬領主は代々、十人近い乳兄弟と一緒に育てられて、親から刑剣を継承し首斬領主を世襲するときに、その中から一人、首を落とすんだ」
「首、を……」
「これはシスターのあなたにはつらいお話かな。だって、首を斬ってもいいのは有罪だから、って教わってるはずだから」
「…………ええ。ショック、ですね。確かに」
「でもべつに不思議なことじゃないよ」
 ノドウェルは指をくるくる回しながら、
「シスター。俺は首を斬る時に必要なのは、善悪を見る目でもなければ、何も考えずに首を落とせる責任感でもないと思う。少なくとも俺はいまでも首斬するときに罪悪感を覚えるし、いつまで経っても平気な顔ではいられない。……たぶんね、知らないやつの首斬だけしていると、そのうち慣れてしまうんだよ。どうだっていいからね、実際。領民とはいえ他人だもんな。
 いつかは慣れて、それどころか楽しむやつも出てくる。口先ではなんと言おうと殺しを楽しみ始めるんだ。殺しほど自分が優位に立ってるって思い込める動きはないからね。あなたも、そういう殺人者を悔悛させたことがあるんじゃないかな」
「ええ」
「首斬領主に、『楽しむ』ことは許されない。そして『見殺し』にすることも。俺たちの仕事は、首を差し出してきた人間の『悲しみ』を終わらせてやることだ。それに余計な濁りは混ぜられない――
 それを一番よく認識できるのが、十五歳で友達の首を落とす時なんだ」
 柱時計がしつこくしつこく針を進めている。ノドウェルはそれを鬱陶しそうに眺めながら、続けた。
「俺たちは、罪人が『悪』だから首を落とすわけじゃない。裁判なんか、間違ってたりすることもあるし、罪人が誰かにハメられて俺の前に引きずり出されたことなんて、たぶん数えきれないほどあると思うよ。残念ながら、他人の運命なんかどうだっていいと隣人を蹴落としてしまう虫ケラのほうが、なぜか神はお好みらしいからね。
 でも、だからといって、俺たちは刑剣を捨てたりはしない。俺たちの仕事は『悲しみ』を終わらせること。騙され、迫害され、独りぼっちで俺の前に引きずり出されてきた哀れな者たちの首を落としてラクにする。刑の執行なんて建前さ、そんなもの、俺は考えたことがないよ」
「…………」
「俺はあいつの首を落とした時にそれが分かった」
 ノドウェルの瞳は、黒い牛乳に似ている。撹拌され、対流を作り、どこかへと落ち込んでいく、そんな瞳だ。それがいまは、机の上に反射している過去をじいっと見据えてしまって動かない。
「頭のまわるやつでね。教えてないのに算術なんか、習ってる俺よりできるんだ。あれには参ったな、親父には冷やかされるし。ただちょっと臆病なやつだった。一度、みんなで森にでかけた時も、あいつだけは途中で帰っちまってさ。散々みんなで笑ってやったんだが、まさに笑い話で、あいつはべつに生き延びたって、それから五年で死んじゃうんだから、逃げたって意味なんてなかったんだな」
「…………」
「口癖は『俺が領主だったら』だった。俺の身分が羨ましかったんだろうな、こどもって、いやこどもだけじゃないけど、やっぱり権力とか位とか、イヤとはいえないんだよ、みんな。ああ、よく覚えてる。『俺が領主だったらもっとうまくやるし、罪人だったら大人しく死んでやる』――そうそう、こういう言い回しをするやつだった」
「……あなたはそれを、どう思いましたか?」
「俺? べつに。どうだったかな、どうでもいいと思ってたかな。だってそいつは貴族じゃないし、罪人になるようなこともないだろうと思ってたから。その考えは甘かったんだけどね」
「なぜ、その彼が選ばれたのですか?」
「親父が決めた。理由は知らない。全部墓の中だ」
 ノドウェルはそれきり父親の話を打ち切った。見えない首筋に、父親に斬りかかられた傷が残っていることをシスターは知らない。
「十五歳の誕生日――俺は剣を継いで刑場へいった。緊張したし、怖かったよ。何度も振り返ってこのままどっかへ逃げちまおうと思った。できなかったけどね。で、広場にいったら、そいつがいたんだ。乳兄弟のそいつが。
 泣いててね」
 そこでノドウェルはくっと笑い、
「ひどい号泣だったな。鼻水もよだれも垂らしてさ、死にたくない、死にたくない、の一点張りだ。一生懸命『だいじょうぶだ、楽に死なせてやる』って声かけたんだけど、全然俺の話なんか聞いちゃいねぇんだ。あたま振って身もだえして、死にたくない、死にたくない――いま、領主になった俺からすれば、俺の『声』に耳を貸さないから、苦しんで死ぬ羽目になったんだって、わかるけどね――」
「…………」
「俺が親父から継いだ剣は古びてて、どう考えたって、一撃で殺してやれるような剣じゃなかった」
「…………」
「でも案外、首を落としてる最中の記憶って残ってないんだ。一生懸命だった気はするんだけどね。気がついたときには、足元にそいつの首が転がってた。表情は見えなかった、桶にすぐ転がり込んだから。で、刑吏がそれをすぐに持っていった。俺はそのあと、親父から正式に領地と爵位を継承した。それからずっと、俺は民の首を狩って暮らしてる」
「……ほかの乳兄弟たちは?」
「知らない。次の日にはみんないなかった。逃げたんじゃないかな。親父が殺したのかもしれないが、そうする意味を感じない。俺があいつらなら、自分たちが気のいい友達だと思ってたやつが、首斬領主だったらすぐに逃げるね。自然なことだと思うよ。
 おかげで俺は、いまでもひとりぼっちだ」
 ノドウェルの両手は、時々しわがよって老人のように衰えて見える。
「俺はいまでもあいつの首を落としたことを思い出すと嫌な気分になる。べつにそれほど好きじゃなかった。時々は嫌いだったかもしれない。でも、首を落としたいほど憎んだことはなかった。
 だからね、俺、思うんだ。首斬って、首斬が嫌いじゃないとやれないんじゃないかって。首斬ができないほど身勝手な――俺はそう思う――やつはやっぱりどれだけ剣握らせたってできっこないし、やれるやつはいつか殺しを楽しむ。
 殺しが嫌いなままで殺しができて、それでもやっぱり殺しを好きになれない――
 少なくとも俺は、そんなやつに首を落として欲しいね」
 ノドウェルは少し頭をさげた。
「話を聞いてくれてありがとう。こんなにしゃべったのはあなたが生まれてはじめてだ。……たいくつだったかな?」
 シスターはふるふると首を振った。そしてじっとまっすぐに、首斬領主を見た。
「あなたは……間違っていない、と思います。……でも」
 シスターは伏せ気味だった顔を持ち上げた。ろうそくの光が、彼女の美しい顔を照らし出す。
「とても悲しい人だと、思います」
「税で喰ってるからね」ノドウェルは皮肉っぽく笑った。
「これぐらいは、しかたないのさ」
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