第4話「欲情の理由」
待ち合わせ場所として有名な公園。そこに彼女はいた。
彼女はおおよそ女性には見えなかった。体のラインにぴったりな白いシャツ、緩めに締められたギンガムチェックのネクタイ、黒くぴっちりとしたパンツ、装飾のない黒い革靴。全体的なカラーは男性的な印象を与え、同時に彼女の膨らみのない胸部、細い腰、腕、脚を強調している。
肩で切り揃えられた黒髪、やや幼い顔つき。柔らかな頬と小さな唇。人形のように女性らしい顔のパーツも、切れ長の眼とメタルフレームの眼鏡がそれを打ち消している。そんな彼女の眼は分厚い文庫本に向けられ、上から下に、上から下に、ただ文字だけを追っている。
ちらり。彼女は時間を確認した。左手首の、重量感のある男物の腕時計は待ち合わせの5分前を示している。彼女はかれこれ1時間も前から待っていた。
まだか、あの人はまだか。彼女の心が焦げる。なるべくそわそわしないよう、カモフラージュのために読書に戻った、そのとき。
「由理(ゆり)ちゃん」
名前が呼ばれた。来た、あの人が。待ちわびて心が灰になる直前だった。
「ごめんね、待った?」
「いえ、今来たところです」
恋人同士にありがちなやりとりを交わす。文庫本を閉じ、ずっと腰かけていたベンチから立ち上がり、待ち人を迎える。
「おひさしぶりです、加悦さん」
由理の心は躍る。冷たい眼には陽だまりのような暖かさが差し込み、灰色だった心には鮮やかな色彩が生まれ、そして、思考は深く落ちた。
『今日も素敵。涼しげなフレアスカート、ピンクのキャミソール。低めのヒール。小さな腕時計にきらきらと光るネイル。そこらのモデルよりも、遥かに素敵です。
ふっくらとした胸、ほっそりとした腕。見たことはないけれど、すらりとしているだろう脚。綺麗な肌、可愛い手。愛らしい顔、豊かな表情。どこを見てもすごく女性的。
どうすればそんな薄いメイクで愛らしくなるんですか? そのふんわりとした笑顔、今まで何人も魅了してきたんでしょうね。雑味のない澄んだ声、いつまでも耳に残るように思えます。
素敵、ああ、素敵、加悦さん』
「ひさしぶりだねー」
「そうですね。お会いできて嬉しいです」
同じ目線で言葉が交わされる。由理と加悦は2歳差だったが、身長はほとんど同じだった。由理は平均よりやや高く、加悦は平均よりやや低い。
「今日は一段と男の子っぽい服装だね」。
加悦の知る限り、由理は初めて会ったときは女の子らしい服装をしていた。たしかスカートで、髪も背中を覆うぐらいの長さだった。けれど、それから会うたびに少しずつボーイッシュになり、いつしか髪も短くなっていた。
「そうですか? 私はこれが好きなんです」
由理は笑って答える。加悦は「もったいないな。由理ちゃん、可愛いのに」とつぶやく。
『加悦さん。私はあなたの隣にいるために、こんな格好をしているんです。男性らしい姿をしていれば、他の人にはこう見えないでしょうか。
恋人同士、って。
そう見えなくても、それは取るに足らない問題です。少なくとも私は、彼氏のような気分でいるのですから』
お昼時だったので、2人は加悦がかねてから気になっていたカフェに入った。おすすめのサンドイッチセットに味わい、談笑をする。由理には至福の時だった。
「そういえば、昴くんさ」
加悦のこの言葉に、由理は体中の血液が沸騰したような、心がざわめく感覚が全身に走った。が、コーヒーを一口飲み、どうにか抑えた。
「えと、あの……兄さん、今日は、すみませんでした……」
「ああ、いいよいいよ。たしか会社の研修だっけ? 社会人だもの。しかたないよ」
由理の兄、つまり加悦の彼氏である昴は、加悦とのデートの日に会社の研修が入り、そちらを優先した。それを知った由理が『代役』ということで加悦を誘ったのだ。
「でも、由理ちゃんとはひさしぶりに会えたから。嬉しいよ」
「そ、そうですかっ?」
「うん。私、一人っ子だからさ。由理ちゃんを見るたびに、昴くんのことが羨ましいなぁと思う」
その言葉で自分が彼氏の妹としか見られていないことがわかった。心に墨がぽつぽつとこぼれるように、じわじわと毒が広がっていくように、苛立ちが蓄積されていく。
「……私と兄さん、仲いいですからね」
「そうだね。ほんと、仲いいよね」
『兄さんなんて大嫌いだ。加悦さんの隣にいて、手を繋いで、キスをして、体を貪って。私が願ってもできないことを簡単にやってのける。求めれば加悦さんは応じて、あるいは、加悦さんから求められて応じるんでしょうね』
『悔しい』
『手。柔らかなそうな手。その手に触れたい。
体。ふにふにと柔らかそう。
脚。すらりとして綺麗。
唇。ぷっくりとしていて食べてしまいたい』
『この近くにラブホテルがありましたね。加悦さんと兄さんは何度もそこでセックスをしたのでしょうか。
もしもラブホテルに行ったのなら、いっしょにお風呂に入りましょう。ボディソープをもこもこに泡立てて、加悦さんの体、隅々まで洗ってあげますね。ちゃんと手で、念入りに。そうしたら加悦さん、可愛い声を出すんでしょうね。前にわき腹に手が当ったときも「んっ……」ってくすぐったそうでしたし。
「あん、手つき、やらしいよぉ……」
「ふふ、そんなことないですよ。さぁ、続けますよ」
兎にも角にも、その豊満な胸を重点的に洗いますからね。手の平で揉んで、泡を流したら顔を埋めて、舌を這わせて、口で乳首をついばんで。
「う、うう……気持ち、いいよぉ……」
なんて甘い声でしょうか。
「もっとぉ、もっと、舌で、舐めてぇ」
そんな表情でおねだりされたら困ってしまいます。
ベッドに移動してからも主導権に渡しませんよ。タオルで両手を縛って、ああそうだ、もう一枚使って目隠しもしてしまいましょう。
「怖いよ……由理ちゃん」
ふるふると震える加悦さん。不安そうな様子、とても可愛いですよ。そんな加悦さんのおまんこに顔を寄せ、濃厚なフェロモンの味わいます。溢れ出る愛液をすすり、クリトリスをぐりぐりと舌でこね回します。
「あっ、だめ、そん、な、とこっ」
いくら拒んでも、体はとても正直ですよ? ほら、イきたいんでしょう?
「イ、イっちゃう……由理ちゃん、イっちゃうよ……!」
びくびくと。私に、イかされてしまいましたね。私はそこで売っているバイブを購入して、加悦さんの口に突きつけます。無言の圧力で擬似フェラチオを強制します。
「ん、んむっ」
あらあら、そんなに唾液をだらだらと垂らして下品に咥え込むなんて。兄さんにもそんなことをしているのでしょうか。
許せない。
「あぐ、ああああぁっ!」
犬のように貪るバイブを取り上げ、おまんこに突っ込みます。誰が誰を独占しているのかを理解させるために。
「ほら、加悦。どうしてほしいですか?」
ついに呼び捨てにしてしまいました。そのことに興奮して、私のおまんこもぐしゃぐしゃになってしまいます。
「動かして……突いてっ……私を、どうにか、してぇ!」
敬語でないところが気に入りませんが、まあいいでしょう。振動は最高、前後に動かし、最奥で左右に捻ってグリグリと弄りましょうか。
我慢できますか? できませんよね?
「あ、イく、イク……! ……!」
何度でもイけばいいですよ。快楽の海に沈んで、溺れてしまいなさい。
兄さん、どうですか? 加悦さんにここまでしたことはありますか? ふふふ、ふふ。
ああ、加悦さん、加悦さん。好きです、大好きです。加悦さん加悦さん加悦さん加悦さん』
「……由理ちゃん?」
名前を呼ばれ、由理は我に返った。不思議そうにしている加悦を前に、冷静に状況を整理した。
サンドイッチを食べたあと、ウィンドウショッピング、カラオケ、ゲームセンターを経て、小休憩でカフェに入った。そして兄の話しが始まり、それに嫉妬したところまでは覚えている。いつ自分の世界に閉じこもったのかは覚えていない。
「体調悪い?」
「いえ、そんなことはっ」
「なら、聞いてた?」
じぃっと加悦が睨む。もちろん由理の耳には入っていなかった。妄想の中では好き勝手に犯していたが、現実ではまるで頭が上がらない。
「……ごめんなさい。聞いていませんでした」
由理は素直に謝った。しょうがないなぁ、といった表情を浮かべる。しかし、どこか満更でもなさそうだった。
「ハンバーグかオムライス、どっちがいい?」
加悦が何を言っているのか、由理にはわからなかった。
「えっと、何のお話しですか?」
「今日は晩ご飯をご馳走するね、という話しだよ」
晩ご飯、ご馳走。つまり。
「オムライスが食べたいです」
家に招待してもらえるということ。加悦からすれば、彼氏の妹に夕食をご馳走するだけのことだった。が、由理の思考は健全なものではなかった。
由理はずっとそわそわとしていた。ここは加悦の部屋。ひたすらに想い続ける相手の部屋、しかも2人っきり。鼓動は高鳴り、今にもパンクしてしまいそうだった。
『ここは加悦さんの香りに満ちていますね。呼吸をするたびに、加悦さんが私の中に入ってくるようです』
『台所。今日は私のためですが、普段は兄さんに作っているのでしょうね。
カーペット。ここに押し倒されることもあるでしょうか。
ベッド。兄さんと加悦さんがセックスしているところ。加悦さんが喘いだり奉仕したりするところ』
ベッドに顔を乗せる。とてもいい香りがした。加悦が愛用しているリラクゼーション効果のある香りだったが、由理にとっては催淫効果しかもたらさなかった。
由理は想像する。このベッドで加悦が喘いでいる姿を。普段の清楚で柔らかな雰囲気は微塵もなく、雄を貪欲に求める雌の姿を。
『私もここで加悦さんと1つになりたい。
自宅ということもあって加悦さんは積極的でしょうね。私はサドですが、加悦さんにすべてを委ねてみるというのもいいかもしれません。
「ほら、目を閉じて」
言われるがままに目を閉じると、キスをされました。最初は唇を触れ合うだけ。何度も何度も触れ合って、次第に貪るように舌を求め合い、絡ませ、唾液を交換しあって飲み干しましょう。
「んぅ、おいしぃ」
とろりと垂れた唾液を絡めとる指がとてもエロティック。思考が沸騰しているうちに脱がされてしまいました。あっという間に下着だけにされ、私は恥ずかしくなって自分を抱き締めるように胸を隠しました。
「ほら、ちゃんと見せて」
「明かり、消してください……」
「私は由理ちゃんのすべてを見たいの」
あう、そんな、両手を万歳させて拘束だなんて。
「私、胸、小さくて……」
「可愛いよ。好き」
ブラが剥ぎ取られ、私のぺったんこな胸が晒されました。撫でるように加悦さんの手が胸を駆け回り、ピンと張った乳首をちゅうちゅうと吸われます。
「くぅ、ぅ、ぅ」
私は恥ずかしくて声を噛み殺します。でも、加悦さんの指と舌が、次第に私の理性を溶かしていきます。
「加悦、さん、加悦さん、私、もう……」
「うふふ。ほら、もうここがこんなになっているよ」
指が、私のおまんこに当てられました。くちゅりと、いやらしい水音が鳴りました。そしてずぷずぷと私の中に加悦さんが』
「由理ちゃんっ」
「は、はいっ」
ベッドから顔を上げ、慌てて平静を装う。加悦は由理の様子を不思議そうに見つめていたが、それもすぐになくなった。
「オムライスの玉子は、半熟か固いの、どっちがいい?」
「固いのが」
由理は加悦の姿に見入っていた。濃紺のエプロン。腰でしっかりと結ばれているので、胸の膨らみ、腰の細さが強調されている。
『まるで新婚のようですね。私が旦那様で、加悦さんがお嫁さん。ここは当然、裸エプロンですね。スタイルのいい加悦さんの裸エプロン。横から眺めたいです。
「こら、ちらちら見ないでっ」
顔を赤くしながら怒る加悦さん。胸元を抑える姿は余計にエッチに見えますよ?
「なら見ないようにしましょうか?」
ニヤニヤ笑いながら答える私。もちろんわざと意地悪をしています。
「……もう」
私のそばに来て、中腰になって、見上げて。あうう、胸、胸の谷間がっ。
「見るなら、もっと、ちゃんと見て?」
そんなことを言われたら、狂ったように揉むしかないじゃないですか。加悦さんの胸、エプロン越しの胸、柔らかくって気持ち』
「いいです」
「ん、固いのがいい?」
「やわらかいのが、いいんです」
そうして出てきたのが半熟玉子のオムライスだった。由理は自分の注文通りにならなかったことに違和感があったが、加悦の手料理ということで特に問題としなかった。
台所からがちゃがちゃと食器と水の音が聞こえてくる。洗い物ぐらいは、と言ったものの、「お客さんだから」と加悦に押し切られてしまい、ぼんやりと食後の紅茶を飲んでいた。
『ああ、どうすれば』
ほっこりと気持ちが落ち着いたところで、由理は物思いにふける。
『加悦さんとセックスできるのでしょうか』
『どうして私には、加悦さんを喘がせるための器官がないのでしょうか』
『何度妄想したことでしょう。
「加悦さん、好きです」
勇気を振り絞って、告白しました。あなたは驚いた表情。目をぱちくりとさせ、固まってしまいます。
私は返事を待ちます。期待と不安で手足が震えています。時間よ止まれ、こんなことさえ思ってしまいます。
「……ありがとう。私も、由理ちゃんのこと、好きだよ」
笑顔で、でも少し泣き顔で、加悦さんは答えました。私はあまりの嬉しさに理性が壊れてしまいました。シャワーも浴びず、ベッドにも移動せず、その場で押し倒しました。
「我慢できません。加悦さん、ヤらせてください」
「がっついちゃ、やっ」
人差し指が、私の唇を押さえます。優しい制止。私はお預けされた犬のように……いえ、もう犬ですね。ハアハアと息荒く、加悦さんを抱きしめます。
「優しく、してほしい」
「ごめんなさい、無理です」
「ああ、もう」
獣になった私を、加悦さんは優しく撫でてくれました。
「いいよ。めちゃくちゃにして」
この言葉で理性がぷつりと切れました。加悦さんを脱がし、私も裸になって、キスして、体中を舐めまわしました。最初は年上の余裕を見せていた加悦さんも、我慢できないのか目はうつろになり、快楽に飢える女になっていました。
「ほしい……由理ちゃん、ほしい」
でも、私はこの言葉で我に返ってしまいました。私には加悦さんを感じさせるためのパーツがありません。
「ねぇ、これ」
加悦さんはベッドの下を探って……そこから出てきたのは、男性器を模した、ペニスバンド。
「これを、つけてほしいの」
もしかして、今日はこれで攻めてもらうために招いたのですか? その笑顔、きっと、そうなのでしょうね。
私はそれを装着し、偽りの男性になって加悦さんのおまんこに突きつけます。
「ん、んんっ」
加悦さんが甘い、甘い声。誰かに異物を挿入する、初めての体験。ゆっくりとペニスを加悦さんに挿入していきます。
入り、ました。
「あ、あぁ、入って、入ったぁ」
何て淫らで、いやらしい加悦さんの顔。その表情だけで私のおまんこもぐちゃぐちゃです。
「ねぇ、動いて、動いてぇ」
「動きますよ。おねだりなんて下品ですねっ」
私の中のサディズムも表に出てきました。どうしようもなく加悦さんを苛めたい。胸を鷲掴みし、がすがすと動き始めます。
「あぅ、ああ、あ゛あ゛あ゛、あ゛あ゛っ」
涎をだらだらと垂らす加悦さん。もっと、もっと私で感じてほしい。
壊れてほしい。
「私と兄さん、どちらがいいですか?」
もちろん私ですよね? ねぇ、加悦さん、加悦、さん』
その後、加悦に最寄りの駅まで見送られ、由理は帰路に着いていた。
「……はぁ」
重い溜息が1つ。由理はちゃんと想像と現実の区別をつけているため、自分の望んでいることは起こりえないことぐらい、ちゃんと理解できていた。
遠い遠い加悦との距離、永遠の片想い。けれど、由理はそれを問題にはしていなかった。
『この距離感がいいんですよね。決して結ばれることのない相手。性別による壁。兄さんの彼女。この絶望的な距離の相手を、自分の妄想の中で好き勝手する……ああ、良い、とても良いです。うう、下着がぐちょぐちょで気持ち悪い。
兄さん、応援していますよ。そして、加悦さん。いつまでも、手の届かない人でいてくださいね』