熱過ぎ去りて、シマ
「蛇崎はね」
白垣の手の中で、ナイフに削がれたリンゴの皮がベルトのように伸びていくのを、シマはベッドの中からぼんやり眺めていた。
シーツの下には、ぐるぐる巻きにされた腕がすやすや休んでいる。
「中学のころ、天馬と一緒にいじめられていた面子のひとりだったんだ。雨宮とかにね。それで蛇崎たちは学校に来なくなった。雨宮も家まで追い込みかけたりしなかったから。そこが天馬と違うところかな」
「天馬……? ぜんぜん似てないじゃん」
「そうかな? 僕はよく似てると思うよ、あの二人は。なんていうのかな、同じ条件で、ひとつだけ違った選択を選んだ結果、みたいな?」
「わたしは、そんな風に人を見たりしたくない」
「そりゃ失礼。じゃ、後学のために聞かせてくれよ。なにが違うんだ、あの二人は」
「天馬は」
病室の窓から、冷たい町並みをシマは俯瞰する。
「女の子に、下ネタ言う度胸なんてない」
「えと………………………………………………ほかは?」
「んー」シマは白いのどをさらして考え込む。
「なんだろ。香介ってなんか天馬より意外とコミュ力ある感じ。たぶんねー変態だけどなんだかんだでモテ期がちゃんと来る感じ」
「あー」白垣はしきりに頷く。シマは布団からはみ出した足の指をすり合わせている。
「あと天馬はすぐ涙目になるけど香介はそんなことなかったし。そこポイント高い。なんか、純情系? 一途っぽい。天馬って浮気するじゃん? 死ねばいいのに」
「ははは、ベタ褒めだね、蛇崎きっと喜ぶよ。求愛されたらどうする? 太ってみる?」
おえっとシマは気持ち悪そうにベロを出した。
「やだよ。手とか蹄みたいになるんでしょ? 絶対やだ。パイ握れないし。あ、でも風船にはなってみたい。ぷかぁって。よくない? 風船」
「もう風船みたいな暮らしだろ?」
「ちょっと前に、糸、切れたからね」
「ふうん……」白垣はリンゴの皮の長さに急に興味が湧いたので深く聞くひまがないという態度を装った。
「わたしもねー」
開いた窓から弱く吹き込んでくる風に前髪をもてあそばれながら、シマは、めったにない表情を浮かべていた。
「浮気しちゃおっかなー。ていうか、だれに義理立てする必要もないし、もう。香介かあ……変態じゃなければなー変態なのがなーちょっとなー変態だからなーもうわたしの私物だけど変態属性も仕様でくっついてきたのがちょっとなー」
「……うるせえな」
丸椅子に座った白垣の背後で、のそのそと蛇崎が起き上がった。柳の葉のように吊りあがった目でシマと白垣を睨む。
弾丸はすべて貫通していたため、命に別状はない。すぐに元気になるだろう、とは主治医の慰め。しかし本当になりつつある。
「変態変態言いやがって、おまえだって変態じゃねえか、勝負勝負ってうるせえんだよ、覚えた言葉すぐ使いたがるガキかてめーは」
シマのじとーっとした視線と、蛇崎のびりっとした眼光が白垣の数センチ横で激突した。
「このサド」
「売れ残りニート」
ぐぐっとシマが言葉に詰まる。蛇崎はため息をついた。
「だいたいな、そういう浮気するつもりもないくせに、期待もたせるようなこと言うのって卑怯だ」
は? とシマがぽかんと口を開け、なにか言おうと息を吸い込み、蛇崎がそれにかぶせた。
「おまえが、ぼろくそに言うのって馬場だけじゃねえか。気づいてないのか? 中学生日記か?
それって、すきってことじゃん」
「…………」
ぼふっ。
シマが布団のなかに閉じこもった。ふちから白い指先だけがのぞいている。
くぐもった声が布団を通過する。
「……あのね、すきとか、そういうのじゃないから。あいつは、あたしにとって……」
「とって?」にやにやしながら蛇崎が布団にたずねる。布団は苦しそうに答えた。
「……生意気な弟みたいなもんで、たぶん、最初で最後の……あたしのそばにいてくれたやつ。それだけ! これでもうこの話はおしまい!」
「いや」と蛇崎が首を振った。
「もう少し続けようぜ。時間はたっぷりあるし、おれはおまえのものになったし、話し相手ぐらいにならお互いなれるしよ。そんでもって、おれのために死にたくなったらいつでも言ってくれよシマ。可愛がって殺してやるから」
「…………懲りないやつ」
ふかふかの布団はそれきり沈黙し、嵐の去った海のように、静かに凪いでいた。
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