格闘少女さんじゅうななさい
鬱蒼としげった森をジープがもりもりと進んでいた。
ハゲはじめの頭皮に開いた隙間のごとき道に土ぼこりの航跡が長々と伸びている。
9mmパラベラムを弾き返す防弾ガラスの向こうで運転しているのは白垣真(無免許)、その横で蛇崎香介は腕を組んで寝たフリをしている。
ゴムバンドでくくりつけたアイマスクには『天誅』。
ここで蛇崎のために断っておくとこれはダッシュボードから引っ張りだした白垣の私物である。
100円ショップに並んでいたって自分は買わないと蛇崎は思う。
もうすぐつくよ、と白垣が肩を揺すってきたので蛇崎は身じろぎしてその手から逃れた。
「ちゃんと両手で運転しろ。おまえみたいなやつがわき見運転で女子高生を轢いたりするんだ。貴重な資源を可燃ごみにしてしまうんだ」
「轢殺死体を可燃ごみとのたまう人に説教されたくないね。きみ女の子って視姦するか膨らませるかのどっちかしかないの?」
『天誅』の上で蛇崎の眉間がしわを寄せた。
「おれはね、テレビに出なくたって歌って踊れなくたって美少女ってのは結構そこらへんにうろついてるんだって言いたいだけだよ。そういう事実がある以上ね、おまえらドライバーにはもっと紳士な運転を心がけてほしいわけ。ブスならいいよ轢いても。なんなら逃げちゃってもいい」
あはははきみって本当に最低だなあ死ねばいいのにと白垣の楽しそうな声を蛇崎は聞かなかったことにした。
「第一、こんな樹海に美少女がうろついてるわけないだろ。朝出発したのにもう昼過ぎだぜ。いかなる障害をもそのタフな両足で乗り越えてきた家出中の美少女なんて僕はご遠慮願いたいね」
「えーいいじゃん、格闘少女。こう、リュックサック背負ってさ、頭にバンダナ巻いて手にはもちろん指貫グローブよ」
アイマスクをつけたまま蛇崎が空中に弱パンチを見舞った。
「野戦服とか着ちゃってさ、敬礼とかすんの。閣下、言葉のケツにはサーをつけろ蛆虫ども、であります! とか言っちゃってさ。自分より上の階級には押し倒されても文句言えないわけ。上位指揮権を有するものには絶対服従で涙目になりながらも、『じ、自分はこ、光栄であります……』とか言っちゃうの。最高だね、ちみ、わかる? ミューズの芸術の極みだよ」
「わかる」アイマスク越しでも蛇崎には白垣が重々しく頷くのが見えるようだった。
「でもそれって、格闘少女っていうよりも軍人だよね」
「うん。うるせえないいんだよこまけえこたあ。きっとな、自分より階級下のやつには最初は優しく『軍隊の基本はほうれんそうである! どんな些細なことでも自分に報告するよーに!』とか言って部下の頭をなでたりするけどちょっとへましたらすぐ折檻よ。それはもうド修羅場よ。『悪いのはこの手か? この手か?』とか普段上官にいじめられてる分それはもーすげー折檻が待ってるわけよ。たまんないね、軍人少女。マジミューズ」
「きみの情熱は暑苦しいほど伝わってきたけどさ、結局きみってSなの? それともMなの?」
ふふん、と蛇崎は鼻で笑い、
「どっちだと思う?」
「どっちもだと思う」
ゆるやかにジープは減速し、最後にぶるるっと震えて止まった。蛇崎は結局眠れなかったので無為に終わったアイマスクを剥ぎ取り、ドアから出て森の風景に混じった。
「おい、白垣、なんにもないぞ」
あたりをきょろきょろ見回すが、木と草とリスしかない。
「ここから先は車じゃいけないんだよ。金網があってさ。でももうすぐだよ」
「そんな金網なんか突破しちゃえよ。男の子だろうが」
ムチャクチャ言うなよ、だよなあ、と和気藹々と談笑しつつ蛇崎と白垣が草むらを掻き退けて進むと、金網が引き裂かれたように破れていた。
そこから先は草一本生えていない。地平線ぎりぎりのラインで森が復活している。荒野の池だ。
森の切れ端から五十メートルほどに黒い長方形の塊がある。
よく見れば扉が二つあるのが見えただろうが蛇崎の意識に入ってきたのは、その黒い塊に潰して殺した虫のように貼りついているバイクの残骸と、そのライダーと思しき人影。
少女だ。
その少女は白いワンピースを着て変わり果てた愛車の傍らにしゃがみこみ、頭を抱えていた。
燃料が引火したバイクは恨みがましく炎上し細い煙が天へと苦情を訴え、少女のワンピースは裾の部分が煤けていた。
蛇崎も白垣も一言も発することができずに頭上で原爆が炸裂したように呆然と立ち尽くした。
ムチャクチャだった。
勇気ある第一歩を踏み出し、その凍てついた光景に時間を取り戻したのは白垣だった。
なにが起こったのか、それは情報が出揃えば簡単にわかってしまうことなのだよワトスンくん。金網が破れていたって? それは破ったものがいるからさ。どうやって破ったかって? あの破れ目からしてバイクで突っ込んだと考えるのが自然だろう。誰が破ったかって? もうわかりきってることじゃないか。
いまきみの目の前で頭抱えてしゃがんでいる女の子が犯人だ。
QED。証明終了。
ものすごく不審そうな蛇崎の視線を背負い、白垣は、つんつんと少女の肩をつついた。
びくっとハリネズミのように全身を震わせて、少女がおそるおそる振り向く。
写真で見るよりも、実物は顔色がよかった。
嶋あやめだった。
「いやその」
シマはしどろもどろになって視線をぶんぶん左右に振り回した。
「えっと……白垣……さん? 今日のホストの?」
「うん」
そういえば、白垣はシマを知っているが、シマは白垣を知らないのだった。
思えば今年の春から始まった奇妙な騒動に不思議な感慨を抱きつつ、白垣は笑顔をつくって壁を指差した。
バイクで突っ込んだ箇所に、思い切りへこみができていた。
「弁償」
べんしょう、と声に出さずにシマの口が動き、にへらっと笑った。
笑ってもダメなのだった。
シマがふるふると首を振った。
なにが言いたいのかはわからないがなにを考えているのかはよくわかる。
白垣は設計され尽くした笑顔のまま首を振り返した。
壊れたおもちゃみたいに二人はふるふる首を振った。
蛇崎があくびした。
突如シマはキレた。
「だって! こんなところにこんなものが置いてあるのが悪いと思わない!?」
「思わない」
第一弾あえなく撃沈。しかし艦隊シマはなお攻撃を敢行する。
「バイク乗りなら誰だって『金網ぶち破ってみてーなー』って思いながら走るモンでしょ! それがロマンってやつでしょ! ブレーキなんていらないんだよ! 本郷猛だってきっと、」
「言わない」
連邦の白い悪魔はバケモノか。
自分以外の事故発生原因を指差し続けたシマの指が痙攣しはじめた。「だって……だって……」とうわごとを呟き、
「し、しろが」
「サーをつけろこの蛆虫!」
「ぐっ……さ、さー」
「発音がちがぁぁぁぁぁぁぁぁう!!」
「――――うるさいこのばかもー怒ったこーなったらせんそーだもんもうこーなったらせんそーなんだからね謝ったってもうぜっっっっっっっったいゆるさないから!!」
ワンピースの少女はファイティングポーズをとって軽快なステップを踏み始め、白垣は高々と四股を踏んだ。両者の間に火花が飛び散り空気が振動し風が吹き荒れた。
もう帰ろっかな、と蛇崎は思った。
こんな格闘少女は好みではないのだった。