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手品師の夜

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 そもそもこの勝負には欠陥がある。
カウントすればするほど損をするという矛盾構造。
なにせ最初から動かなければゼロ段で十割勝利乃至引き分けに持ち込めるのだ。
そのために宝箱総取りでもケリがつくというルールがある。動かすためだ。
しかし、もう、動く必要はない。
蛇崎は考える。
この時点で蛇崎の勝利乃至引き分けは確定している。敗北はない。
仮に、このまま蛇崎が降りていったとする。
そこでうっかり疲れて(結構もう足にきている)転んだりしたら、その時点ですべてがご破算。
万歩計はプラスマイナス1なら上出来、ひどければ五段規模で実際の下降段数とすれ違う。
まだある。嶋あやめと言えば好戦的で血も凍るような残虐非道悪辣苛烈の勝負師。
お互いに手出しできないこのルールであってさえ、保護されないものがある。
万歩計だ。
蛇崎の万歩計にシマが気づき――もしくはあくまでひとつの可能性として――隣から襲撃してくる可能性はゼロではない。
万歩計を取られ、ないとは思うが、飲み込まれでもしたら一巻の終わりだ。
賭博残虐王ヘビザキ完! シマ先生の次回戦にご期待ください!
 くそくらえ。
自分は、絶対にただの敗者で終わったりはしない。
そう、簡単なこと。たったひとつの静かな結末。
降りない。
それだけでいい。
降りなければ、シマに万歩計を奪われることもない。
このゲーム、絶対に上昇するやつはいないからだ。あらゆる意味で無駄だからだ。
シマが先行した以上、蛇崎と邂逅することはもはや絶対にない。
もう蛇崎は宝箱をひとつ開けた。
シマがいくら開けようが、最下層まで辿り着こうが、蛇崎にダメージはない。
いくらでも金を稼げばいい。
この勝負は宝箱の数を競うものでもなければ、段数の多少を争うものでもない。
当てること。
ただの、それだけなのだ。
このままここで、じっとしていれば、悪くて引き分け。
しかし万歩計使いの自分よりも速く降りている以上シマの一段飛ばしは間違いない。いつかミスる。
もしシマが、間違いを犯すことなく正しい段数を自力でカウントしたなら……
自分はただ、帰るだけ。兜を脱いで、握手のひとつでもして、シマを褒め称え再会を約し、
無傷で家に帰るだけ。
留まる。
何度も何度も、ここまでの行程を振り返る。埋め尽くされた答案の傷を探す生徒のように。
答えは、変わらない。ミスは、ない。
それが蛇崎の最終決定。
万歩計を腰からそっと外し、コンクリートの上にやさしく、丁寧に置く。
カウントは増えない。これでいい。
踊り場を歩いた万歩計から引くべきカウントも済んでいる。
数字を二の腕に爪で刻み込んだ。
血が滲む。これで向こう一週間はかさぶたにはなっても消えはしない。
そしてゲームの時間は、二時間しかないのだ。
 これは賭けだ。なにもまじめに闘うだけが勝負じゃない。
手品師同士がやり合えば、勝負は観客が気づくよりももっと前にケリがつく。
これがおれの一撃だ。悪くて引き分け、よくて勝ち。一億と、新しい心の慰めを携えて。
完璧だ。華やかさな勝利も昼夜突貫営業のラスベガスもクソくらえだ。
おれは、負けられないのだ。自分だけは、最後まで守ってやらなきゃならない。
卑怯だとそしられてもいい。勝負なんかじゃないとののしられてもいい。
おれは生きる。生き抜いてやる。
が。
もし、この策が破れるようなことがあれば。
死んでもいい。
そう思える策だから、生き抜けると信じて身を委ねられる。
おれは、他人は信じない。
だから、この世界で、広い砂漠で、自分だけは信じてやりたい。
それだけのことよ。





時間が刻々と流れていく。その砂粒が落ちていく音が、蛇崎には聞こえるようだった。
不思議と恐怖はない。勝つと信じているからか。目を閉じ、呼吸も乱れてはいない。あぐらをかいて、滝にでも打たれているかのよう。
恐怖はない。だが、その血管には溶岩のように熱い血潮が怒涛のごとく流れ、首の裏に正体不明の電流が走り、蛇崎の心を煽っている。
恐れろ。怯えろ。死んでしまえ。
それは蛇崎自身の声。勝負とは、敵と、己と、天からなるもの。
真実の必勝法など存在しない。そう見たいと思っているだけだ。
生涯――誰一人として自分を調伏させられるやつなどいない。
もしいるなら、そいつはすでに、死んでいる。
蛇崎は目を開けた。ブザーが鳴った。二時間経った。
シマ。
怖いだろ?
おれもだぜ――

『蛇崎』スピーカーから白垣の声がする。
『カウントを言ってくれ』
間。
「3001」
「――わかった。プラス1だ、惜しかったね」
蛇崎、心臓、跳躍。
白垣の声が何千マイルも遠い。
「シマ、きみは?」
スピーカーは隣の通路の声も拾ってきた。




『ゼロ』




白垣の声はもう聞こえない。
蛇崎は思った。

それでも、おれは、
――謝らない。




9

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