第十五話 女神と女神と壊れゆく世界
おれたちチャリンコアドベンチャーズは、ある日、うつくしい噴水を見つけた。
大きな女性の裸像が掲げた『かめ』から綺麗な水がこんこんと湧き出てきている。
駅前広場はその噴水を中心にして、円形に広がっていた。
もちろんおれたち以外、人っ子ひとり歩いちゃいない。
そんな広場で。
バタン、と。
カツミの自転車が灼熱の道路に横倒しになり、跳ねた。
愛車の悲しげな慟哭もなんのその、アホのカツミは呆けたように、女子高生の着替えを目撃してしまったけれど性もくそも知らない小学生みたいに、ただただその女神像を見上げていた。
そのくびれた白磁の腰に、ふれれば肌のきめ細やかさが感じられそうなかめを掲げ持つ腕に、見とれていた。女神の笑い声は、流れる水のそよぎ。
リカがぼそっと呟いた。
「ヘンタイ」
実に的を得た発言だった。
おれたちのリーダー、壁叉カツミは、女神像に恋をした。
疲れてるんだと思います。
「ここを拠点にする」
「なるほど。閣下、当初の目的であったこの隣町探索はいかがなされます?」
「続ける。でもここを拠点にする」
「素晴らしい。では閣下、テントをお張りになりますか? それともいっそどこかの民家を徴収して……?」
「テントだ。この噴水の前に張る。水の音が聞けるくらい近くにだ」
「ええ、閣下。仰せのままにでございます。して、すでに荒ら……調査した民家からデジタルカメラなどを持ってまいりました。バッテリーも閣下の情熱のごとく満タンでございます。これで女神様を撮影なさってはいかがでしょう? いずれカツミ国の城を建てるときに、礎となった地を記録しておくのはよいことかと」
「うむ、気が利くな。感謝する」
ガキが首から鍵ぶらさげるみたいにして、デジタルカメラのスリングを首にひっかけたカツミは、嬉々として女神像の周囲を旋回し、女神の許可なき撮影会を始めた。
その目に一点の曇りもない。正義感という雲は芸術の炎の前に駆逐されたのだ!!!
おれはカツミをひっかける天才である参謀・エンの頭をなでなでした。
「偉いぞゥ。これでもう、毎日毎日、非経済的な宿営をしなくて済む」
「自分で言うのもなんだけど、ぼくって、人を手の平の上で転がす天才だと思うんだよねえ」
「おう、自信もっていいぞ。さすがはおれの妹分。ほら見ろ、カツミのやつ電信柱から撮ってやがる。バカだなぁ」
「日を追うごとに奇行が目立ってきたよね。暑さのせいかな?」
「そりゃあ毎朝一時間ジョギングしてこっちに戻ってチャリンコかっとばしてればおかしくもなるわなあ」
「世も末だねえ」
聡志がやめなよゥとオカマみたいな声を出してカツミを引き摺り下ろそうとするが、カツミは柱を足で挟んでデジカメのファインダーのなかの世界から出てこようとしない。心なしか鼻息も荒い。
いつからこんなに壊れてしまったのか。やっぱぶん殴ったのがよくなかったのかなぁ。
ま、反省なんて、これっぽちもしてないけどなァ。
愉快痛快大爆笑。人が壊れていくさまほどおもしろいショーはない。
おれはリカのヘッドフォンから漏れ聞こえるハードロックをBGMに、二人の男が夏の空を背景にして電信柱で争うシュールな絵を堪能した。
こてん、と隣にいたエンが肩を乗せてきたので、思い切り肩を上げて鈍い音をくれてやった。
「――――カレンダーがおかしい?」
「うん。見てよ、これ」
風鈴が鳴っている。
ここは知らない人のおうちの居間。畳と長テーブル、ブラウン管に扇風機。日本の夏を表現したような家だ。
柱に、日めくりカレンダーが吊ってあった。
いままでにも、<隣町>で日めくりカレンダーを見かけることはあった。しかし、それはいつ見ても、現実世界と同じ日を刻んでいるだけだった。
いまは、
「…………rignao4r56y6hnaua月、ngaw4oetau677lr8nhaa日、か」
「ね、クロ。変でしょ」
とエンが鼻から上を深刻そうに、口から下を楽しそうにして言った。
「夏なのは間違いなさそうだけどね」
「熱射病で倒れたヘンタイもいるしな」
炎天下、芸術に身も心も捧げた偉大なるカツミはいま、隣の座敷に敷いた布団で唸っている。
聡志と入れ替わったマナ(久々のデイ・ウォークを楽しんできたらしく機嫌がいい)が、パタパタとウチワで扇いでいるが温風がかえって気持ち悪そうだった。それでもしっかりカメラは掴んだままなのが怪談よりも怖い。
リカとマナに聞こえないことを確かめてから、エンがおれの耳に口を寄せてきた。滅多にない、暗い表情を浮かべて。
「これ、まずいと思う」
「そりゃそうだ。カレンダーさんガチで気が狂ったっぽいからな。問題は、どのぐらいやばいかってことだな」
「この世界が、作り物だったら、管理者がいるだろうから、心配いらないんだけどね」
「ああ、カツミが言ってた<電脳世界説>か。どうだろうなァ。そんな感じはしないぜ、実世界は元いたおれたちの世界のままだしよ。ここが電脳世界だとしたら、ちょっと実世界と密接にくっつきすぎだ」
「うん、ぼくも同意見」
エンはちょっと嬉しそうにえくぼを作って、
「ここがどんな世界にせよ……このカレンダーのバグが、<崩壊>を意味しているとぼくは思うんだ」
「……ま、そう考えるのが自然な流れかもな」
「ね。ここが、聡志の言ったような<死後の世界>だろうと、マナの言ったような<政府の洗脳>だろうと、いままで守られてきた秩序とルールが壊れ始めてる。そのうち、朝起きたらヒートアイランドがブーストして摂氏五百度の地獄になっちゃってたりして」
「そうなったら、そんときに実世界にいるやつが生き残るんだろうな」
「でも、その生き残りも<六時間で鼻血ブーの法則>が残ってたら、頭痛と出血多量で死んじゃうけどね」
「争わずしてみな息絶える。美しい終わり方ですこと。ねえエンさん?」
「よくってよ、クロさん」
エンがしなを作って白衣に包まれた細い身体をすり寄せてくる。
おれは急に萎えた。
「やめろい」
「きみが始めたのに……」
口をすぼめて文句を垂れるエン。眼鏡のつるを押し上げて、
「このことは、まあ遅かれ早かれみんな気づくかもしれないけど、ぼくとクロの秘密ってことにしよう」
「やれやれ、結局まじめちゃんはダウン、おれたちアナーキー組が仕切ることになったな。おれは、ハナからこうなると思ってたんだ」
「そうだねぇ。でも、まだこれが最終形とは限らないけどね」
言葉の不吉さと裏腹に、エンはけらけらと笑った。
その夜。
おれは久々に<寝番>で、自分の部屋のベッドで、佐々木希ちゃんのポスターを見上げていた。
マジで天使だと思う。超然とした顔立ちは、ほんの少しだけ蒼葉に似ている。
こうしてみると、自分が巻き込まれているヘンテコ状況が嘘みたいに思えてくる。
これは<寝番>の宿命なのだ。
なにもかもが昼寝ぶっこいた自分のアホな夢だったんじゃないかって気がしてくる。
だから、せっかく自分の部屋にいられるというのに、<寝番>は人気のあるポジションではなかった。
佐々木希ちゃんの茶色い二つの宝石を見つめて、思う。
おれたちに、明日はあるのだろうか。
明日が、ちゃんと来るんだろうか。
明けない夜が、昇らない太陽が、あるんじゃないだろうか。
きっと、ほかの五人は、そんなことを考えているのだろう。
ふふん、ばかどもめ。
おれは、やつらとは違う。おれは、迷わない。
おれのいるところだけが、おれの居場所だ。
異世界だろうと佐々木希ちゃんの前だろうと。
おれは、おれだ。おれ以外にはなれない。
瞼を閉じる。
ぶるるっと携帯が震えた。開くと、四角い緑の光がおれの顔を照らす。
『返事遅れてごめんなさい! クロくんに教わったこと、ちゃんと復習してます。ちょっと強くなった気分……!?』
「……なにこれ。キャラ違っ」
おれはぽすっと携帯を投げ捨てた。
変にキャラ作った媚び媚びメールも気色悪かったが、このおれ相手にメールをすぐ返さかったのも気に入らない。
おれが前の番だったときに送ってからいままでだから、半日ぐらいほったらかしにされたわけだ。
「ふん」
おれは人のメールは無視したり忘れたりするが、自分がそうされるのはムカツクのだ。
風止め、次に会ったときは、どんな風にいじめてやろう。ひィひィ言わせてやるぜ。
でも、死なないぐらいには手加減してやらないこともない。