お隣の神無月さんと僕はいわゆる幼なじみという間柄で、隣の家に住んでいる彼女とは小さな頃からよく行動を共にしている。
彼女と僕は同じ公立高校の生徒で、クラスメートでもある。
そんな僕らの朝の登校時間が被る事も今では日常的な光景の一つだ。
「瀬戸さん、おはようございます」
今日もまた、僕達の家を出るタイミングが重なった。門を出てきた神無月さんは澄んだ声で僕に挨拶をしてくれる。
後ろに執事の三枝(さえぐさ)さんを連れて。
「三枝、瀬戸さんの鞄を持って差し上げて」
「承知いたしましたお嬢様」
神無月さんが命じると三枝さんは「失礼いたします」と僕からスッと鞄を奪った。
人に鞄を持たせるなどあまりいい気はしなかったが、主人の命令に絶対服従の三枝さんは土下座してでも荷物を持とうとしてくるので厄介だ。
神無月さんは僕のお隣さんであると同時に、超ド級のお嬢様でもあった。
彼女の家と僕の家の敷地の広さを比べてはいけないのである。
「瀬戸さん、英語の宿題はしまして?」
「ああ、一応自分の当たる部分はやったよ。後は授業で皆の翻訳を聞いて完成させるつもり」
「それはいけないわ。先生にばれたら怒られるかも。三枝、私の完璧なノートを複写してあげて」
「かしこまりましたお嬢様。こんな事もあろうかと、既に教科書を全訳したノートを作っていたんです」
三枝さんはどこからともなくノートを取り出すと、僕の鞄にスッと入れる。そして入れ違いに鞄から僕の英語のノートを取り出すと、道端にあるゴミ箱へ突っ込んだ。
「……」
いくら僕が勉強に疎いとは言え、自分なりに一生懸命作ってきたノートが捨てられると物悲しいものがあった。
「ところで瀬戸さん、先日の件、考えてくださりました?」
「えっ、断ったと思うんだけど」思わず顔が強張る。すると神無月さんは表情を一変させた。
「駄目よ、瀬戸さん、あなたは将来有望な若者なのよ? あんな豚小屋で日々を過ごしてたら体に悪いわ」
「父さんが三十年ローンで買った家なのに……」
僕は豚小屋呼ばわりされたマイホームを大切にしている父を不憫に思った。
神無月さんが僕の家を大きな物に建て替えると言い出したのは一ヶ月ほど前の事だった。冗談だと思っていたが、こうして度々尋ねてくる辺りどうやら冗談ではないらしい。
「我が家の財力ならあなたの家を広すぎて逆に眠れなくなるくらいには出来るのよ?」
「いや、結構です。ほんとに」
彼女は小さな頃からこうして度々僕に規模の違うおせっかいを焼いてくれる。気持ちは嬉しいのだが、ありがた迷惑でもあった。
「瀬戸さんがそう言うなら今日の所は引き下がりますけど……。私は諦めませんわよ」
「ははっ、お気持ちだけ受け取るよ」僕は苦笑した。
僕たちの登校時間と言うのはそれほど長くない。と言うのも、学校がすぐそこにあるからだ。
さすがに三枝さんまで校内に入るわけにはいかないので、彼とは校門で別れる事になる。
「ではお嬢様、もし何かあったら声をかけて下さい。いつも通り私はそこの草むらで待機してますので」三枝さんが僕たちに鞄を渡しながら言う。
「いつも悪いわね」神無月さんが言うと、三枝さんはいえ、と顔をほころばせた。
「これも全て金……いえ、お嬢様の為ですので。では瀬戸様、お嬢様をよろしく」
「ああ、はい」
本音と建前が見え隠れしてるぞと指摘したいのを何とかこらえ、僕らは彼と別れた。
校内を神無月さんと歩くと言うのは僕にとって結構な修行であった。
何故なら彼女は容姿端麗、才色兼備、おまけに社長令嬢と言うこともあり、校内では知らぬ者がいないほどの有名人だからである。道行く生徒は彼女とすれ違うと思わず振り返る。
そんな彼女の隣は酷く居心地の悪いものだった。
昔から不思議に思っていたことがある。
それは彼女の様な人間が、どうしてこんな貧相な公立高校に通っているのか。
そして、どうして僕の様な一般的な男子生徒と一緒にいてくれるのか、と言うことだ。
僕はいまだに彼女にそれを尋ねられないでいた。
「瀬戸さん、私の顔に何か付いていまして?」
いつの間にか凝視してしまっていたらしく、僕の視線に気付いた彼女は不思議そうな表情で尋ねてくる。僕は「別に」とだけ言ってお茶を濁した。
昇降口で靴を履き替え、階段を上った。
教室が近づいてきた辺りで、妙にクラスが騒がしいことに気付いた。思わず神無月さんと顔を見合す。室内を見ると、人だかりが出来ていた。
「おはよう、どうしたの? この騒ぎ」
クラスの女子に声をかけると「ああ、おはよう」と冴えない表情で返事が帰ってくる。
「それがね、葛本さんの私物が何者かに盗まれたみたいなの?」
「なんだって?」僕は思わず眉をひそめた。
人ごみを通り、どうにか騒ぎの中心である葛本さんの席へと足を運ぶ事が出来た。彼女の席は窓際の一番後ろだ。
現場では葛本さんが机の上で泣いており、それを他の女子が励ますように取り囲んでいた。
「葛本さん、何か盗まれたって?」
葛本さんは泣きはらした目で僕に視線をやる。
「ああ、瀬戸君……。おはよう」
「あ、うん。おはよう」律儀に返事が帰ってくるとは思っていなかった。
「麻子のブルマが盗まれたのよ」
葛本さんと親しい宮下さんが葛本さんの代わりに答える。
「ブルマ?」彼女の言葉に僕は疑問を抱いた。
「ブルマって、うちの高校の体操服は男女共に短パンだったと思うけど」
「私の私物なの……」
涙声で葛本さんが言う。僕は秘かにこの人は頭がおかしいのだと思った。
酷いよね、麻子の私物のブルマを盗むなんてさ、本当、なんて残酷なのかしら葛本さんの私物のブルマを盗むなんて、葛本さんの私物のブルマが可哀想だよ、クラスの皆は口々に葛本さんに対する同情の声を寄せた。誰も何故葛本さんがブルマを持っているのかと言う疑問を抱いていなかった。皆、頭がおかしいのである。
「神無月さん、どう思う?」
僕は葛本さんが何故ブルマを持ってきているのかと言う見解を彼女に尋ねたつもりだったが、話を振られた神無月さんは勘違いして「とても酷い事件だと思いますわ」と答えた。そもそも彼女もブルマの件に関して疑問を抱いていないようだった。お前もか。
「瀬戸さん」
「うん?」
「これは私達の出番だと思いますの。私達で犯人を捕まえませんこと?」
「えっ」僕は思わず顔を歪めた。そんな僕を差し置いて、周囲がワッと盛り上がる。
「神無月さんが動いてくれるの? それなら安心だわ!」
葛本さんが先ほどとはうってかわって希望に満ち溢れた目をした。他の皆も、それに釣られたようにして声を上げる。クラスの盛り上がりは拡大し、もう後戻りは出来ない様に感じられた。
「神無月さん、本当に良いの? そんなこと言って」
僕が尋ねると神無月さんは自信ありげに頷いた。
「大丈夫ですわ。だって」
「だって?」
「瀬戸さんがいるんですもの」
「そんな馬鹿な」
こうして僕らは調査を開始することになった。