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第五部 第三話「全裸姫」

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 その夜、サエグール王国の衛兵であるイーソは夢を見た。とても現実じみていて、起きてからもそれが夢だったという事に気づくまで数分の時間を要した。しかもその内容は、とても人に言えるような物ではなく、イーソは自分を変態なのではないかと疑い、思わず戒めたくなったので、1人王城のある方角に向き両手をがっちりと組んで祈るように謝罪した。
 だが、その夢が夢ではなかった事を知ったのは、それから3日後の事だった。
 平和なサエグール王国において、城の衛兵という仕事は酷く退屈な物だ。決められた場所にずっと黙ったまま立ち、交代時間が来れば詰め所に戻って休息を取る。兵士として剣術の心得や僅かながらの魔法の知識はあるが、それが特に役に立つ事もない日常。とはいえ、大きな戦争に突入するよりはマシだとイーソはいつも考えていた。
 ある日の見張りは朝から酷く忙しい物になった。城内が騒がしく、何かトラブルが起こっている事は外にいてもすぐに分かったし、昼からは人の出入りが激しく、検問作業に追われた。医者、魔術師、考古学者、占い師、哲学者、その他国内でも有名な識者が入れ替わり立ち代り城を訪れ、しばらくすると顔面蒼白になりながら帰っていくというのを繰り返していた。
 何らかの異常事態が起きているという事は、一介の衛兵であるイーソにも分かったが、城を訪れた者達は一様に口を閉ざしており、情報は得られなかった。
 ようやく仕事がひと段落した頃、カシーハ衛兵隊長が城にいる兵士全てを呼び出して説明をした。
「今朝、城内に何者かが侵入して姫に呪いをかけた」
 ざわめく衛兵達に、カシーハは一喝する。
「侵入者を見つけられなかった事は我々衛兵隊の怠惰に他ならない。この件が片付き次第、俺は辞職する。だが今は国家の一大事。我々が一丸とならなければ、この国は滅ぶ」
「姫にかかった呪いとは、一体どのような物なのですか?」と、衛兵の1人が質問する。
「……詳しい事はまだ分からないが、『フヴドの呪い』という物らしい。上級魔女にしか使えない高等呪術だ。その呪いにかかった者は、その意思に関わらず触れた物を全て溶かしてしまう」
「全て、というと……」
「言葉の通り全てだ。膝から下だけは無事のようだが、今、姫は服も着れず、誰にも触られない状態にある」
 その言葉を聞いて衛兵の一部が鼻血を垂らしたが、それも無理の無い話だった。サエグール王国の姫ミズキは年頃の娘であり、その美しさは国内のみならず国外でも噂になっている。数々の国の王子から求婚されていたが、未だ処女であり、民からの信奉もあった。
「呪いを解く方法はないのですか!?」
 誰からともなく声があがったが、カシーハは首を横に振るだけだった。
「『フヴドの呪い』にはもう1つの特徴がある。それは周囲の人間をゆっくりと蝕むという性質だ。そしてその範囲は徐々に広がり、やがて国1つを飲み込む事になるだろう。事実、既に目付け役の年寄の1人が身体の調子を崩して寝込んでおられる」
 事件の深刻さに全員が気づいた時、その場を沈黙が支配した。


 姫に呪いがかけられてから3日、フヴドの呪いは誰にも解く事が出来ず、噂だけが国に広まっていた。時間を追う毎に体調不良を訴える者が増え、城の中には正体不明の病が蔓延し始めていた。また、衛兵達の昼夜を問わぬ捜索にも関わらず呪いをかけた犯人は見つからず、疲労と焦燥だけが積もり始めている。
「父上、どうか私を国外に追放してください」
 玉座にて、一糸纏わぬ姿の姫が王に向かって懇願していた。周囲にいる近衛兵達は皆目を背けている。
「ならん! 許さんぞ! ……ごほっごほっ」
 国王の顔色は青白く、普段の覇気がまるでない。無論、これこそがフヴドの呪いの影響である。
「このまま私が城にいれば、この国は滅亡してしまいます。解決するには私がこの国を出るしかありません!」
「ごほっ……駄目に決まっておるだろう! 今、お前は服どころか布切れ1枚も着る事が出来ない身体なのだぞ。馬も無ければ武器も持てぬ。お供をつけたとしてもその者が病に倒れてしまう」
「分かっています。ですが、ここにはいられません。どこか人里離れた場所に1人で暮らします」
 苦悶の表情を浮かべる王だったが、背に腹は変えられない現実があった。
 その時、1人の男が玉座に入ってきた。
「我は預言者トドロック。噂を聞き、早馬を飛ばしてやってきた。ここより遥か西の地に伝説の泉がある。そこで身体を清めれば、たちまち姫にかかったフヴドの呪いは解けるだろう」
 一瞬の間の後、最初に近衛兵達が反応した。
「貴様、どこから侵入した!」「ただちに捕らえろ!」「怪しい! 逃がすな!」
「ま、待て、我は預言者……やめろ、服を引っ張るんじゃない。待て、押さえつけるな……ちょ……」
 一時は取り押さえられ、投獄までされた預言者ではあったが、その後の尋問によって本物の賢者である事が証明された。伝説の泉の話も事実だった。深く古い森の中にあるというその泉には女神が住み、かつてはそこを人間達利用していたが、いつからか森は閉ざされてしまったのだという。
 また、預言者はもう1つの事実を示した。
 それは、フヴドの呪いはかけるのに『新鮮な精液』が必要であるという事。そしてその精液の持ち主には、フヴドの呪いの効果が及ばない事。これを聞き、恐れながらと1人の衛兵が前に出た。
 イーソである。
 彼は覚悟したように3日前の夜に見た夢を王の御前、そして姫の前で話した。
「……突如寝床に入ってきた女に、手淫を受けました。その女は顔をフードで隠していましたが、得もいえぬ芳しい香りと、艶やかな唇だけが記憶に残っています。酷く淫らな夢でした」
 その後、周りの者が体調を崩す中、自分だけがいつもと変わらない事を付け加えると、王から姫の髪に触れる許しが出た。
 イーソがミズキの髪に触れる。櫛もティアラも溶かしてしまう呪われた髪が、モトの震える指だけを受け入れた。
「こうなれば選択肢は1つしかありません」
 ミズキの決心は堅く、最早誰にも止める事など出来なった。


 翌日の早朝、城門に全ての者が集まり、2人を見送る事になった。
「くれぐれも変な気は起こすなよ、イーソ」
 衛兵長のカシーハが、両肩を潰れるくらいに掴んで警告する。
「伝説の泉までの道のりは長く険しい。何かあったらすぐに戻ってくるのだぞ」
 王は姫を気遣うも、今は抱きしめる事すら出来ない。
 それはありがちな旅立ちの風景だった。姫が全裸である事を除けば。
 ミズキのした選択。それはイーソと2人で伝説の泉を求めて旅をする事だった。
「では、行って参ります。必ずやこの身に宿した呪いを解き、この国に戻ってくると誓います」
 高らかに宣言するミズキ。両胸と股間を手で隠してはいるが、所々からはみ出る恥部に、皆は目を逸らしつつも見守っていた。
「イーソよ、ミズキの事をくれぐれも頼む。道中の危険からその身を守り、役目を果たせ」
 役目という言葉には太い釘が刺さっていた。
「この身に代えても、姫様を救うと誓います」
 やがて出発の時間がきた。王の配慮で、出来るだけ国の者に見られぬようにと早朝の出発になり、日の出前のまだ薄暗い城下町の中を裸の姫と大荷物の男が共に歩いていく。
 ミズキの3歩先をイーソが先導する形で、なるべく裸が目に入らないようにという気遣いだったが、これから先の長い旅を思えば無駄な努力である。
「普段見慣れている景色も、こうして裸で歩いていると違って見えますわね」
「そ、そうですね」
 ミズキと2人で歩く事すら初めてであるというのに、この異常な状況ではイーソが緊張するのも仕方が無い。
「でも、私は胸を張って歩くわ。だって恥ずかしい事なんて何もないもの」
 それは精一杯の強がりでもあったが、そうして気を保たなければ挫けそうだったからでもある。
「流石は姫様です」
「ねえイーソ、その姫様っていうのやめない? これから長い旅になるのだし、堅苦しいのは御免よ」
「では、何とお呼びすれば?」困惑するイーソ。
「そうね、『ミズキ』で良いわ」
「そ、そんな、姫様の事を呼び捨てなど出来るはずが……!」
 思わず振り返ってしまったイーソの両目に、2つの膨らみが飛び込んでくる。慌てて前を向き直すが、もう遅い。
「こんな姿を見られてしまっているのだから、今更呼び捨てくらいどうって事ないでしょう」
 強引だが正論と言えなくもないその理屈に、イーソはせめてもの抵抗を見せた。
「では、間を取って『ミズキ様』で勘弁していただけないでしょうか……?」
「……まあ、それでもいいけど」
 と、渋々納得するミズキが小さく小さく「せっかく2人きりになれたのに」と呟いたが、それはイーソには聞こえていなかった。
 かくして旅に出た2人を待っていたのは、困難と羞恥の連続であった。
 最初はなるべく人目を避け、夜に人通りの少ない道を選んで進んでいたが、野盗に襲われてからは考えを変える必要があった。徒党を組んで悪事を働く輩に対してイーソの力は余りにも弱く、剣を持って勇敢に立ち向かうも、すぐに簀巻きにされて敗北してしまう。その時たまたま殺されずに済んだのは、野盗達がミズキを犯す所をイーソに見せつけようとしたからに他ならず、ミズキが犯されずに済んだのはフヴドの呪いのおかげでしかない。野盗の手がミズキの身体に触れるや否やその指はどろりと溶け、野盗達は恐怖と共に激情した。
 だがナイフで切りかかろうとも刃が溶け、弓で射抜こうとも矢尻が溶ける。一切のダメージを与えられず、縛りあげる事さえ出来ない。ミズキが攻撃に転じれば野盗達は一目散に逃げ出した。与えるのが災厄だけではなく、呪いにかかった者の身の安全でもあるというのが、フヴドの呪いをますます厄介な物にしているのだった。
 ミズキの安全のみを考えるならば、このまま人目を避けて進む方が、多くの人に裸を晒さずに済む。しかしイーソが殺されずに済んだのはあくまでも偶然。ミズキに恥をかかせない為ならばそれでも構わないとイーソは主張したが、これをミズキはあっさりと却下した。
「今、私と共に旅を出来るのはお前だけなのですよ? それともこの私に1人で旅をせよと言うのですか?」
 この一言でイーソも折れた。ミズキの旅に対する覚悟は、裸を見られるくらいの事では揺るがなかった。
 しかし現実は強烈にミズキに突き刺さる。
 街道を歩いていると、行商人達からは怪訝な眼差しで見られ、さも当たり前の事のように「その奴隷の娘をいくらで売ってくれる?」と尋ねられる。事情を説明するのは祖国の威信に関わる事であり、そもそも身分を明かすのは危険な為、結局イーソが断固として拒否しなければならなかった。
 とはいえ善良な行商人ならばまだマシな方で、その美しさに見入られて力ずくでもミズキを手に入れようとする者も中にはいる。その場合、すぐにイーソは逃げると約束していた。もちろんイーソも本当は逃げたくなどなかったが、万が一にも死ぬ訳にはいかず、ミズキ1人ならばすぐにフヴドの呪いのおかげで退ける事が出来た。
 中には呪いを知ってもなお、ミズキの美しい肢体を見る為だけについてくる者もいた。触れる事が出来なくても、目に焼き付ける事や絵に残す事は出来る。もちろん、イーソは追い返したりミズキの身体を隠そうと努力するものの、そういった輩はいつまでもいつまでもついて来るのでキリが無かった。かといって武力を行使する訳にもいかず、ミズキはただただその肉体を下世話な連中に対して晒し続けなければならなかった。
 街の中に入ると、更にその状況は悪化した。まずは衛兵に止められ、イーソが用意した言い訳をする。
「我がサエグール王国は、友好と平和の象徴として姫に何も持たぬ旅をさせている。この旅を無事に終える事は、世界を救う事になる。どうか近隣諸国の皆様にはご協力をお願いしたい」
 そして王家の紋章を見せ、王からの認可証も見せる。やや無理のある言い訳であるし、これを聞けば大抵の人間が奇妙に思うが、それでも王の威厳は強く、逮捕したり街から追い出される事はなかった。
「どうぞ皆さん、生まれたままの私の身体を見てください。これが人間の本来あるべき姿です。一国の姫であろうと、皆さんと同じ人間です。世界平和の為、私はこのまま旅をしています」
 ミズキがそう主張すると、民からは拍手が起こった。だが男達は皆何故か前屈みだった。


「こんな事に巻き込んでしまって御免なさいね」
 夜、焚き火を2人で囲んでいると、ミズキがぽつりとそう漏らした。
「ミズキ姫が謝る事ではありません!」思わず声をあげるイーソ。「呪いをかけた犯人こそが元凶である事は間違いありません。ミズキ姫はあくまでも被害者です」
「そうね、だけれど、少しだけこの旅に喜んでいる私もいるの」
 イーソは耳を疑い、顔を覗き込むが、ミズキはいつもと変わらぬ表情で火を見つめ、澄ましている。
「贅沢な悩みかもしれないけれど、お城での生活なんて退屈なものよ。1人になれる時間も少ないし、自由だって全然ない。そうしていつかはどこかの国のつまらない王子様と結婚させられると思うと、気も滅入ってくるわ」
 物憂げなミズキに一瞬イーソは言葉を詰まらせたが、すぐに平伏した。
「自分にはミズキ姫の悩みは大きすぎますので何とも言えませんが……この状態が決して良いとは思えません。下賎の者にその御身を晒し、いつも危険と隣りあわせで、何より……じ、自分と一緒にいるといつか良くない事が起きる気がしてならないのです」
 考えてみれば当然の事だった。イーソも年頃の男である。四六時中祖国の美しい姫が、それも布一枚纏わず裸で一緒にいればもやもやとしてくるのはむしろ自然な事であり、また、忠義心溢れるイーソがその自らが持つ邪な心を不安に思わない訳がなかった。
 ミズキはそんなイーソの葛藤を見透かしたように、ぐいっと顔を近づけて、こう尋ねる。
「良くない事って、なぁに?」
 今、フヴドの呪いにかかったミズキの身体に触れる事が出来るのは、イーソ以外にいない。現にこうして食事を取る時さえ、イーソが匙を持ってミズキの口まで運ばなければ、満足に食べる事さえ出来ないのである。
「じょ、冗談はやめてくださいミズキ姫」
 焦るイーソに対して更に近づくミズキ。夜の冷たい空気を、イーソの大きな鼓動音が振るわせる。
「誰も見てないし、誰も止めない。ねえ、あなたは裸の私をどうしたい?」
 イーソが無言で立ち上がる。そのままミズキを視界に入れないように努め、一言。
「少し周りを見てきます!」
 かろうじて本能に打ち勝ったイーソは、周囲を小走りでぐるぐると回りながら自分に言い聞かせた。姫がおかしくなっているのは状況のせいであると、いや、もしかするとこれも呪いの効果の一部であるのかもしれないと、何故なら姫様ともあろうお方が、自分のような者を誘惑する筈が無いからであると。
 そうして朝まで走り通し、ようやく邪念を振り払って寝床に戻ると、ミズキはそんなイーソの葛藤などまるで気にしていないようにぐっすりと寝ているのだった。


 旅に出てから約1ヶ月が過ぎた。この頃になるともうミズキも全裸でいる事に慣れ、買出しなどで街中を歩く時は、むしろ堂々と胸を張っていた方が見られずに済むという考えでわざわざ手で隠さずにいたが、住民から見てみれば無論それは異常な光景であり、奇異の目も不遜な輩もますます増えるばかりだった。イーソもそれに応じて忙しくなり、少しでもミズキに人目を避けるようにと何度も遠回しに注意したが、無駄だった。
 ミズキは自らの裸身を晒す事に快感を覚え始めている。
 イーソもそれを察しつつあったが、頭で否定していた。そしてそんなイーソを嘲笑うかのように、ミズキの誘惑は毎夜毎夜繰り返され、寝不足の日々が続いていた。一度、寝ている時にミズキが背後で自慰をしているのに気づいた時はいよいよ心が折れそうだったがどうにか堪え、衛兵として従者としてそして男として、イーソはその任務を全うしていたのである。
 そんな時、街に到着すると知った顔が2人を出迎えた。
「トモック! どうしてこんな所に?」
「姫様、ああ、なんとお労しい姿……。いや、今はそれ所ではありません。伝えておかなければならない事が出来たので、早馬を飛ばしてここまでやって来たのです」
 トモックはサエグール王国の近衛兵の1人であり、イーソと同い年ではあるがその剣術の腕と運もあって階級は上だった。イーソの姿を認めるや否や、素早く近寄り問い詰める。
「イーソ貴様、姫に手出しはしていないだろうな?」
「していません。神に誓って」
「……ふむ。ならいい。くれぐれもな」
 今にも剣を抜きそうな気迫に押し黙らされるイーソ。
「トモック、伝えたい事とは?」
「はい姫様。フヴドの呪いをかけた犯人が分かったのです」
「え!?」2人の声が揃い、ただでさえ浴びている注目が更に増す。トモックは声を潜め、路地まで2人を誘導し、こう話した。
「我々サエグール王国の衛兵隊が総力をあげて捜査した所、フヴドの呪いをかけるのに必要な材料の割り出しに成功しました。そして姫様が呪いにかかった前々日、近くの森の猟師の所にフードを被った女が訪れ、いくつかの薬草を買っていったそうなのです。その中に呪いをかけるのに必要な材料がいくつか含まれていました」
 フードを被った女、という所はイーソが見た夢のような現実の夜とも一致します。
「そして猟師の証言を元にその女の似顔絵を作成し、地道な聞き込み活動を続けた所、女の正体が分かりました」
 ごくり、と唾を飲み込む音。「誰だったの? もったいぶらずに言いなさい」ミズキが尋ねます。
「魔女クリーヌ。かつてその膨大な魔力で、ある国を破滅まで導いたという伝説の魔女です」
「魔女、クリーヌ……」
 と、ミズキが思いつめたような表情を見せる。
「恐ろしい割りに随分とかわいらしい名前に聞こえますね」
 わざとかそれとも天然なのか、イーソがそう呟いたが、見事に無視された。
「魔女クリーヌは姫様が呪いを解くのを阻止しようとしてくるはずです。もしかすると泉に先回りしているかもしれません。我々も既に何人かを派遣していますが、泉の場所を見つけられるかどうかは分かりません。どうか、お気をつけください」
「ええ、分かったわ。トモックありがとう」
「もったいないお言葉です。それでは、私も先を急ぎます」
 去っていくトモックを見送り、2人は旅を再開した。
146, 145

  

「もしかして、ミズキ姫は既に『恥』をお忘れになっているのですか?」
 半ば恐る恐る、半ば戒めるように、イーソがそう尋ねた。公衆の面前においてその素肌、乳房、局部を晒しているにも関わらず、至って涼しげなミズキに見かねての問いかけだった。
 これに対し、髪をかきあげて耳にかけたミズキは答える。
「そうね、恥ずかしいけれど、恥ずかしい事はしていないと思っている。というのが正しいかしら」
「……どういう意味ですか?」
 真っ当な疑問。ミズキは続ける。
「当たり前の事だけど、普段誰にも見せなかった自分の肢体を、誰とも知れない赤の他人に見せるのはとてつもなく恥ずかしい事よ。余り表には出さなかったけれど、最初は顔から火が出るかと思ったくらいだったんだから。でも、こうなってしまった事は変えようがないし、むしろ試練だとさえ思っている。間違いなくこの旅は、かつてない程に私を試しているのを感じるのよ。こんな感覚、分からないかもしれないけれど」
「分かります」
 ほとんど反射的にイーソが答えた。「自分も、試されているのを感じています」
「そう? なら私達は一緒ね。だから恥ずかしいけれど、恥ずかしい事はしていない。誇りさえ持っていれば、最初から服なんていらない。そう思うの」
 街中でも胸を張って歩くミズキの姿を見て、イーソもこの旅を誇りに思うようになった。
 ミズキが呪いを受けてから、3ヶ月という時間が経過していた。幾つもの山を越え、街道を歩き、川を渡り、そして人々のいやらしい視線に晒されながらも、悪意を乗り越え、目的を果たす為、2人の旅は続いていた。しかし未だ2人は男女の関係にはなっておらず、悶々としながらもその貞操は守られていた。
 そんなある時、山中を歩いていると2人の目の前に背の高い美人が現れた。氷のように冷たい目をしており、肌は絹のように白く透き通っている。そしてその耳は尖っており、その人物が純粋の人間ではない事を予感させた。
「失礼します。私はエルフ族のユノーという者です」
 もう随分と前に絶滅したと言われていたエルフの突然の出現に、驚きを隠せない2人だったが、ユノーというエルフは構わず続ける。
「フヴドの呪いにかかった姫とはあなたの事ですね?」
 警戒するミズキに、剣を抜こうかと身構えるイーソ。
「心配はご無用です。人間には呪いの事は話していませんし、私の双子の妹が得意の占いで突き止めた事です。私は決してあなた方の旅を邪魔しに来たのではありません。伝説の泉への道案内をする為にあなた達を探していたのです」
 事実、伝説の泉に行く為にはエルフの案内が必要だという一説が言い伝えにはあった。だがいない者は仕方が無いので諦めていたが、このユノーの提案は、2人にとって願ってもいない物となった。しかし物事には裏の事情があり、世の中とはそう都合の良い事ばかりではない。
「ただし、人間がエルフの隠れ里に入る為には、受けなければならない試練があります」


 イーソ、ミズキ、そしてユノーの3人は、近くの街に宿を取った。ユノーはエルフである事がバレないように変装していたが、街の者が皆注目するのはミズキの肉体の方であり、もしかするとその必要は無かったかもしれない。
「フヴドの呪いは、もしもそのまま放置すればやがて世界を滅ぼす災厄となるでしょう。なので私達エルフとしても、すぐにでも伝説の泉に案内したい所なのですが、エルフの隠れ里にはどんな時でも破ってはならない掟があるのです」
「掟、ですか?」
「はい。エルフの隠れ里に入る人間は、『純粋な心』を持っていなくてはなりません」
 純粋な心、という言葉に疑問符を浮かべる2人。
「仮に私達がその『純粋な心』を持っていたとして、どうやってそれを証明すれば良いのですか?」
 ミズキのもっともな質問に、ユノーは行動で答える。小さな鞄から取り出したのはこれまた小さな薬瓶で、中には七色に煌く液体が入っていた。
「これはエルフの隠れ里に伝わる秘薬で、一時的に人間の自制心を消失させ、本能を引き出す事が出来ます」
「薬というより、それは毒では?」
 イーソの質問を無視して、ユノーは続ける。
「これをどちらかに飲んでいただき、その様子を私は観察します。2人に『間違い』が起こらなければ、純粋な人間であると判断し、隠れ里へ招待いたします」
 しばらく2人は言葉を探していたが、決断はミズキの方が早かった。
「つまり、面接のような物ですね。分かりました、受けましょう。秘薬とやらは私が飲みます」
 と言って薬を受け取ろうとするこの豪胆な姫に、すかさずイーソが止めに入る。
「お待ちください。ミズキ姫に得体の知れない物を飲ます訳にはいきません。どちらかで良いというのなら、自分が飲みます」
「それこそ言語道断です。あなたが自制心を失えば、すぐに間違いが起こるのは目に見えています」
「なっ……」
「いつもちらちらと私の乳首や性器を見ている事に、私が気づいていないとでも思っていたのですか?」
 絶句するイーソに、更に追い討ちがかかる。
「ましてやあなたは男であり戦士でもある。もしもその気になれば、私の事など簡単に組み伏せてしまうでしょう。それともそれが望みなのですか? 伝説の泉の事などもうどうでもいいのですか?」
 弁論においてイーソに一部の勝機もある訳がなかった。トドメとばかりに、ミズキは2人に向かって堂々とこう宣言する。
「私には自制心など最初から必要ありません。何故なら、私の人生に恥などは無く、隠し事も無いからです。例え秘薬を飲んだとしてもそれは変わらず、この試練はいとも簡単に乗り越えられるでしょう。私の本能が純真無垢である事が、これから証明される事を誇りに思います」
 数分後、街の噴水広場の大観衆の前にて露出自慰に興じるミズキの姿があった。


「みんなもっと見てぇ! 私のいやらしい姿見てぇ!!」
 狂ったように叫びながら、よがり狂うミズキ。どうやら秘薬の効果は本物だったようで、口にした瞬間に目の色が変わり、動揺するイーソを殴り倒して外に出ていった挙句、エビ反りになりながら性器を弄り、とんでもなく淫らな姿を晒す事になった。イーソは打ちひしがれたようにその様子を見つめ、独り言のように言う。
「馬鹿な……ミズキ姫がこんなに乱れるなどありえない……何かの間違いだ」
 そこにユノーが冷静に述べる。
「秘薬はあくまでもその人間が持つ本来の欲望を引き出す事しかしない。よって、元々彼女の中には公衆の面前でオナニーがしたいという欲望があったという事になる」
「嘘をつくな! ずる賢いエルフめ! ミズキ姫に一体何を飲ませたんだ!」
 目の前の現実を否定するには、とにかく怒る事しか出来なかったといえる。
「ですがご安心ください。まだ『間違い』は起きていません。これだけなら隠れ里に入る資格はあります」
 一瞬、イーソはユノーの言っている言葉の意味が分からない。
「え、セーフなんですか?」
「セーフです。露出オナニーはギリギリセーフです」
 全く基準が分からないながらも、助かったとはいえる。しかしこれ以上姫に恥を晒す訳にもいかず、イーソは急いで近づき、多少強引ながらもミズキの両手の動きを止め、立たせる。
「あ、イーソだ。ねえ、セックスしようよ。疼いて疼いて仕方が無いの。イーソもそうでしょう?」
 普段ならあり得ないミズキの台詞に、イーソは断固として首を横に振る。
「姫様、なりません。どうかお気を確かに。さあ、宿に戻りましょう」
「やだ! セックスしてくれなきゃ宿には戻らない!」
 じたばたと子供のようにもがくミズキ。流石に乱暴を振るう訳にもいかず、困り果てるイーソ。そうしている内に、ミズキはその攻撃の矛先を近くでその様子を見ていたユノーに向けた。
「じゃあいいもんね。イーソが私としないって言うなら、私はユノーちゃんとしちゃうもんね」
「ふぇ?」一瞬ユノーがそのキリッとした表情を崩し、動揺を覗かせたが、すぐに仏頂面に戻る。
「うふふ、ユノーちゃんかわいい。ほら、脱いで脱いで。一緒に気持ち良い事しましょう?」
 言っている間にもするするとユノーの服を脱がしていくミズキ。ユノーはますますと表情を強張らせるが、頬はどんどん紅潮していく。
「イーソも参加したくなったらすぐ言いなさいね。ほら、ユノーちゃんのかわいい乳首。ぺろぺろ舐めちゃう」
 めくるめくくんずほぐれつちんちんかもかもに、イーソの一部分が完成する。せめてその昂ぶりを振り払おうと、ミズキにどんどん飲み込まれていくユノーに問いかける。
「ユノーさん抵抗してください! どうしてされるがままなんですか!?」
「わ、私はあくまでも……あふぁっ! ……監視者に、ううっ、しゅぎないぃ。彼女が本能のまま行動するのに私を使うというのであれば……ふぁああ! 私は何も……ああっ!」
「ていうかこの状況ってセーフなんですか? 自分にはどう見てもアウトにしか」
「セ、セーフ……! 露出公開百合セックスはギリギリセーフっ」
 どんな基準だとひとりごちつつ、イーソは2人の痴態を眺めていた。
 紆余曲折あったものの、かろうじてエルフの隠れ里へ入る事を許可された2人だったが、以前よりも明らかに会話は減っていた。原因は考えるまでもなく明らかで、言い逃れの出来ない本性を晒してしまったミズキと、それに対して恐ろしささえ覚え始めているイーソの広がってしまった距離だ。
 四方を背の高い木に囲まれたその里は、人に知覚出来ない結界によって守られており、ここ100年で全くエルフの目撃情報が無かったのも頷ける程に満たされた場所だった。空のように透き通る水の流れる川と、色とりどりの果物が実る木々。畜産も盛んなようで、確かにここにいればわざわざ人間界に降りてくる必要など無いように思えた。
 ユノーを先頭にし、その後ろをイーソ、ミズキと続いていたが、皆が注目するのはやはり最後尾の全裸姫だった。エルフに勝るとも劣らないミズキの美しさと、丸出しにされた卑猥な部分は、種族の垣根を越えてエルフ達を魅了していた。
 ここまで来ると、イーソはさっさとこの旅を終わらせて故郷に戻り、早く日常を取り戻したい一心だった。すぐに伝説の泉に案内して欲しいとユノーに求めたが、そうはいかない。エルフの隠れ里にはこれまた厄介な決まりがあり、初めて訪れた者は伝説の泉に行く前に長老に会わなければならなかった。
 長老は名をハルルと言い、「長老」という響きとは想像も出来ないような若々しい少女のような見た目をしていた。ユノーによれば、エルフ族はある一定の年齢を超えると実際の老いと見た目が逆行し始め、やがて長老のような少女の姿に固定されるのだという。なんとも不思議な種族ではあるが、そういった価値観の違いが迫害を生んだとも考えられる。
「ハルル長老。例の『全裸姫』を連れてまいりました」
 思わずユノーと同様に跪いて挨拶をしたイーソだったが、その呼び方には機を見て一言申し上げなければと思った。
「そうか、よくやったユノー。これで世界は救われるはずじゃ」
 長老の似合わない言葉遣いに違和感を覚えつつも、イーソの願いは一刻も早くフヴドの呪いを解きたいという事だけだった。
「では、早速案内しよう……と言いたい所じゃが、伝説の泉へは『1人』で行かなければならぬ。森は多勢を嫌うのでな。泉までの地図と、許可の証を与えるから、1人で行ってはくれないだろうか」
「1人で……」
 2人は顔を見合わせた。こればっかりはいつものように、イーソが前に出て「自分が」という訳にも行かず、逆にミズキもイーソを頼る訳にはいかない。
「分かりました。1人で参ります」
「うむ。だが今日はもう遅い。空き部屋があるからここで一晩休み、早朝になったら改めて森に入るのが良かろう」
「お気遣い感謝します」
 こうして、エルフの隠れ里にてイーソとミズキは一宿を共にする事になったが、フヴドの呪いのせいでベッドでは寝られない為、外の馬小屋を借りて、いつものようにイーソの腕枕で寝る事になった。半年間の旅において、ずっと使い慣れてきた枕だったが、その日ばかりは互いに眠れなかった。


「明日、旅が終わるのね」
 目を瞑ったままミズキがそう呟くと、イーソは「喜ばしい限りです」と素直に答える。
「本当に嬉しいの?」
「……はい。城の皆も姫様の帰りを心待ちにしております」
「そうね……」
 ミズキは呟くように答えると身体を起こし、立ち上がったかと思うと、何も言わずに小屋から出て行く。イーソが慌てて後を追いかけると、外では素肌で月明かりを浴びて照らされながら、空を見ているミズキの姿があった。余りにも幻想的なその光景に、一瞬言葉を失いながらもどうにか声をかける。
「ミズキ姫、どうされたのですか? 明日は早いですし、すぐに眠りに就かれた方が……」
 イーソの心配を他所に、ミズキの声色は妙に明るい。
「ねえ、覚えてる? あなたとキトラが私の部屋に忍び込んで来た時の事」
 ぎょっとするイーソ。幼い頃の大冒険、覚えていないはずがなかった。
 10年前、当然イーソが衛兵になる前で、学校に通っていた頃の事。悪友のキトラは頭のキレる男で、大人達から見れば爽やかな少年だったが、仲間達の間では悪戯王のあだ名で呼ばれる程に悪さをする事で有名だった。そんなキトラがある日こう提案したのである。
「なあイーソ。この国の姫は僕たちと同い年だというのに1度も一緒に遊んだ事がない。これはゆゆしき事態だと思わないか?」
 イーソの答えなど待たずとも、結論は既にキトラの中で出ていた。これは後に、サエグール衛兵隊最大の屈辱とされ、その後の警備体制の改善に大いに貢献した王女誘拐事件のきっかけである。
「……その際は大変な失礼をしました」
 片膝をついて謝罪するイーソだったが、ミズキの表情は和やかで、少しも怒っている様子などなかった。
「あの時ね、あなた言ったじゃない。『世界はこの部屋よりも、この国よりも、誰かの夢の中よりもずっと広い。どうして冒険しないんだ?』って。それを聞いた時ね、私はいつかこの人と旅に出る事になるんじゃないかって思ったの」
 イーソにとっては自身すらもはっきりとは覚えていない子供の戯言だったが、ミズキにとってのそれは退屈な日々を誤魔化す為の金科玉条だった。それを知った時、イーソは無性にミズキを後ろから抱きしめたくなったが、子供の頃から経過してしまった年月と、立場と使命感がその衝動を止めた。
 だが、明日になって呪いが解ければ、ミズキは正式な王女としてサエグール王国の最高地位を継ぐ事になる。そうなれば、当然イーソの腕がミズキの枕になる事もなくなり、言葉を交わす事すら出来なくなる。
 旅の終わりは、2人の関係の終わりを意味する。
 振り向いたミズキの瞳は、そこに月の光を蓄えているかのように潤み、深く、そして遠くに見えた。
「呪いが解けなければいいのにね」
「ミズキ姫……」
 名前を呼ぶも、それ以上の言葉が出ない。たった一言、「一緒に逃げよう」と口に出せば済む話が少しも進もうとしない。
「嘘よ。冗談。そんな顔しないで。フヴドの呪いは解かないと、いつか世界が滅んでしまうわ。それに、一生裸でいるのなんて、やっぱり恥ずかしいしね」
 笑顔を見せるミズキに、イーソは安心する。それが男らしくないと分かっていても、思わず胸をなで下ろさずにはいられなかった。
「さあ、もうそろそろ寝ましょう。明日は早いわ」
 そうして、旅の最後の夜は更けていった。


 翌日、イーソは森の中へと出発するミズキを見送った。地図によればそこまで遠くはなく、泉までは往復しても昼前に帰ってこれそうな距離だった。エルフの庇護があれば動物達に襲われる心配もない。最後にしてはあっけない幕切れになるが、イーソとしては気が楽だった。
 見送った後、帰り支度を整えようと小屋に戻ると、そこに明らかにエルフではない何かがいた。フードを深く被った、背の低い女だ。その身に纏う異様な空気に、イーソはすぐに身構える。
「貴様、何者だ!」
 腰に差した剣の握りに手を置き、返答を待つ。
「私の名はクリーヌ。ミズキに呪いをかけた魔女といえば分かるかしら?」


 ここで自分の視界はぐるりと周り、長らく続いたファンタジー世界での生活は終焉を告げました。
 戻ってきたのは例のラブホテル。時間は入った時から3時間が経過しており、どうやら延長料金を支払わなければならないようですが、帰ってきてみたら現実世界においては半年どころか何十年も経過してたというウラシマ的結末よりは比較的マシと言えるのではないでしょうか。
 さて、自分が体験した物がHVDO能力「ヨンゴーダイバー」による三枝委員長の「死後の世界」であったという事は今更言うまでもありませんが、りすちゃんの時と明らかに違っていたのは、三枝委員長の世界観が余りにも圧倒的すぎて、自分自身でさえ飲み込まれてしまったという点でしょう。自分、五十妻元樹はサエグール王国という謎の国の一衛兵として、三枝委員長自身はそこの姫として存在し、最初から何の違和感も覚えませんでした。何せあちらにはあちらの生活があり、与えられた設定がその物人生として深く刷り込まれ、それに疑問を抱く事さえ不可能だったのです。多少話が脱線しますが、もしもこれから技術が発達して物凄くリアルな体感型のRPGが出来たとしたら、果たしてそれをプレイする人は現実での自分を忘れずにいられるのでしょうか? 自分がたった今体験した事は、つまりその答えの1つだったように思われます。
 しばらくして、三枝委員長もあちらの世界から帰ってきました。自分の顔を見た瞬間に、同じく悟ったようでした。現実と空想。現世と来世。現と夢。しかし三枝委員長の裸体だけは、変わらないくらいの美しさで実在し、そしてそれは一層魅力的に自分の目には映るのでした。
「生まれ変わっても、あなたは私とは結ばれないのね」
 残念そうな三枝委員長に、自分は真面目に答えます。
「結末はまだ分かりません」
「ええ、そうね。でもとにかく、楽しいデートになったわ」
「はい。自分もそう思います」
 例えそれが現実でなかったとしても、半年間も昼夜を共にすれば、相手が考えている事は大体分かっています。
 自分は疑いを胸の内に秘めたまま頷きました。
『フヴドの呪いをかけたのは、三枝委員長、いや、ミズキ姫自身であったのではないか?』
 その問題を解決するのは、悩み多き青年イーソに任せておきましょう。
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