第一話「黄金は命題に劣る」
AV女優の漏らすおしっこには、ほとんどと言って良い程価値が無い。自分はそう思います。
手を軽く握り口元に当てながら、カメラのレンズに映りやすいように腰を突き出し、内股にしつつも局部はきちんと見えるように、監督の指示通りに尿を出す。そこにあるのは、演出された恥じらい。もとい「ギャラの分だけ頑張ろう」というプロの計算。本物などでは決して無い、プライドを捨てる事に慣れてしまった、醜くも汚らしい、しかしこの世界にとって必要な行為その物。
無論、そんなAV女優達の中にも例外はあるはずです。デビューしたばかりだったり、本当の本当に、他人におしっこを見られるのが不得意で、赤面する程恥らう人間だったり、AV女優にしておくにはもったいない程の純で綺麗な心を持っていたり。ですが、それも回数をこなせば同じ事。いえ、自分の持つ「AV女優=SEXを売る仕事」という先入観が邪魔をしているのかもしれません。いやいやそれもあながち誤解で、もっと別の、自分を変態たらしめる何かがAV女優に対して嫌悪感を持っているのかも。……どうも上手く考えがまとまりません。おそらく、自分がオナニー中だからだと思われます。
このような、不遜で、おしっこに対し何のこだわりもプライドも無く、ただその場の雰囲気、「あ、監督、おしっこ出そうです」からカメラを回したような、本番やフェラに重点を置いたAVで抜く事は、自分自身全くもって本意では無いのですが、世の中には仕方のない事が多いのです。おしっこを漏らす女を愛でる変態は、言うまでもなく少なく、展開される市場規模も高が知れており、仕方なくこういった「そういうシーンも含む」AVをネットで探して、ネタに使っている訳です。
惨め。その一言に尽きます。
出来る事ならば、同じ趣味の(正確に言えば、『おしっこを漏らす女を見る趣味』ではなく、『自分がおしっこを漏らす所を見られる趣味』ですが)人間をこの現実世界の中から探し出し、彼氏彼女という名の主従関係を結び、この道を極めるという手段を取ってもみたいのですが、そう簡単には見つけられず、また、自分から「おしっこを漏らす所を見てくれ」と言って擦り寄ってくる女などは想像しただけでも空恐ろしく、仮に居たとしても、自分には手に負えない人間である事が容易に想像されます。
即ち、自分の願いは叶えられる事が無いのです。そう悟りながら、亀頭の先についた精液をティッシュで拭っていると、涙さえ零れ落ちてきました。
行為が終わっても、自分はネットの海を漂います。二次元、三次元、果ては官能小説に至るまで、「これこそは……」と思える作品を探し求め始めると、いくらスパイウェアを踏もうが、ウィンドウサイズを勝手に変えられようが、止める事など出来ないのです。上質の獲物を見つけ次第、右クリックから、名前を付けてファイルを保存する。ひたすらにこれの繰り返しですが、未だに「完璧」といえる作品に出会った事などありません。
おそらくきっと、世の中の偉大なる創作者達の原動力は、自らの持つエロスなのではないでしょうか。「そうじゃない。違うのだ。私はこうしたいのだ」と思う事をきっかけに、台詞が生まれ、キャラクターが生まれ、物語が生まれているのではないでしょうか。しかしそれはただの一時的慰みにしかならない事を自分はよく知っています。深き業は日の目を知らず、ただ心の奥底でたゆたっている。自分はリアルを求めています。目の前で、顔面にぶっかけられるそれこそを、心から黄金水と呼びたいのです。
一瞬、ブラウザが真っ白になりました。マウスを動かす手が止まり、「ウイルスか?」と疑問符を浮かべると、次に画面に表示されたのは、思いもよらない文章でした。
「ド変態の貴方へ、HVDOから大切なお知らせです」
ド変態。確かに自分を形容する言葉としてはこれ以上無い程に的確だと思えます。しかしHVDOとは一体何でしょうか、当然聞いた事はありません。困惑しながらも、ブラウザ下部に表示された「次へ」のリンクをクリックします。
「おめでとうございます。貴方の異常な性癖が世に認められる好機が訪れました」
確かにそれは好機と呼ぶに相応しい。それにしても、広告にしてはいくらなんでも回りくどく、あまりにも親切丁寧すぎる。次のページに進めます。
「これから貴方に、一つの超能力が贈られます。それは貴方が心の底から望む究極の超能力です」
超能力。辞書を引けば、人の領域を「超」えた「能力」。そのままです。
「強く念じ、誰かに触れてみて下さい。三度……良いですか? 三度触れた時点で、相手はおしっこを漏らします。あなたに与えられる超能力は、『相手の最大尿貯蔵量の三分の一を瞬時に溜める能力』です」
呆気に取られ、奇妙な笑いが零れました。非現実への接触。突拍子も無い、不躾な、しかし図星を一直線に貫くような誇大広告。口角は次第に広がり、浮かべた奇妙な笑いは不可思議な笑いへと、不可思議な笑いは摩訶不思議な笑いへと成長します。深夜なので、大きな声は出しませんが、これが昼ならば大爆笑の末に腹をよじり、バンバンと机を叩きながら小指で涙を拭っていた所かもしれません。
馬鹿な話もあったものだ。
ただ自分は、この広大かつ茫漠としたインターネットの世界で、自らの性癖に合う性的コンテンツを探していたに過ぎない。それをどこかの誰か(仕事の無い凄腕ハッカーか、米国の所持するエシュロンあたりでしょうか)が目をつけ、何かタチの悪い遊び心からからかってやろうと思ったのでしょうか。いずれにせよ、とんでもなく暇な連中です。
息を殺した大笑いは段々とその火を散らし、渇いた沼のように静かに、自分の興を削いでいきました。疲れた。寝る。と、記号を並べ、パソコンの電源を落とし、誰にも聞こえないように「実にくだらない」と呟いて、ベッドにダイヴして五秒で深い眠りにつきました。
次の日の朝、自分を起こしたのは、幼馴染のいつもの酷い仕打ちでした。
手を軽く握り口元に当てながら、カメラのレンズに映りやすいように腰を突き出し、内股にしつつも局部はきちんと見えるように、監督の指示通りに尿を出す。そこにあるのは、演出された恥じらい。もとい「ギャラの分だけ頑張ろう」というプロの計算。本物などでは決して無い、プライドを捨てる事に慣れてしまった、醜くも汚らしい、しかしこの世界にとって必要な行為その物。
無論、そんなAV女優達の中にも例外はあるはずです。デビューしたばかりだったり、本当の本当に、他人におしっこを見られるのが不得意で、赤面する程恥らう人間だったり、AV女優にしておくにはもったいない程の純で綺麗な心を持っていたり。ですが、それも回数をこなせば同じ事。いえ、自分の持つ「AV女優=SEXを売る仕事」という先入観が邪魔をしているのかもしれません。いやいやそれもあながち誤解で、もっと別の、自分を変態たらしめる何かがAV女優に対して嫌悪感を持っているのかも。……どうも上手く考えがまとまりません。おそらく、自分がオナニー中だからだと思われます。
このような、不遜で、おしっこに対し何のこだわりもプライドも無く、ただその場の雰囲気、「あ、監督、おしっこ出そうです」からカメラを回したような、本番やフェラに重点を置いたAVで抜く事は、自分自身全くもって本意では無いのですが、世の中には仕方のない事が多いのです。おしっこを漏らす女を愛でる変態は、言うまでもなく少なく、展開される市場規模も高が知れており、仕方なくこういった「そういうシーンも含む」AVをネットで探して、ネタに使っている訳です。
惨め。その一言に尽きます。
出来る事ならば、同じ趣味の(正確に言えば、『おしっこを漏らす女を見る趣味』ではなく、『自分がおしっこを漏らす所を見られる趣味』ですが)人間をこの現実世界の中から探し出し、彼氏彼女という名の主従関係を結び、この道を極めるという手段を取ってもみたいのですが、そう簡単には見つけられず、また、自分から「おしっこを漏らす所を見てくれ」と言って擦り寄ってくる女などは想像しただけでも空恐ろしく、仮に居たとしても、自分には手に負えない人間である事が容易に想像されます。
即ち、自分の願いは叶えられる事が無いのです。そう悟りながら、亀頭の先についた精液をティッシュで拭っていると、涙さえ零れ落ちてきました。
行為が終わっても、自分はネットの海を漂います。二次元、三次元、果ては官能小説に至るまで、「これこそは……」と思える作品を探し求め始めると、いくらスパイウェアを踏もうが、ウィンドウサイズを勝手に変えられようが、止める事など出来ないのです。上質の獲物を見つけ次第、右クリックから、名前を付けてファイルを保存する。ひたすらにこれの繰り返しですが、未だに「完璧」といえる作品に出会った事などありません。
おそらくきっと、世の中の偉大なる創作者達の原動力は、自らの持つエロスなのではないでしょうか。「そうじゃない。違うのだ。私はこうしたいのだ」と思う事をきっかけに、台詞が生まれ、キャラクターが生まれ、物語が生まれているのではないでしょうか。しかしそれはただの一時的慰みにしかならない事を自分はよく知っています。深き業は日の目を知らず、ただ心の奥底でたゆたっている。自分はリアルを求めています。目の前で、顔面にぶっかけられるそれこそを、心から黄金水と呼びたいのです。
一瞬、ブラウザが真っ白になりました。マウスを動かす手が止まり、「ウイルスか?」と疑問符を浮かべると、次に画面に表示されたのは、思いもよらない文章でした。
「ド変態の貴方へ、HVDOから大切なお知らせです」
ド変態。確かに自分を形容する言葉としてはこれ以上無い程に的確だと思えます。しかしHVDOとは一体何でしょうか、当然聞いた事はありません。困惑しながらも、ブラウザ下部に表示された「次へ」のリンクをクリックします。
「おめでとうございます。貴方の異常な性癖が世に認められる好機が訪れました」
確かにそれは好機と呼ぶに相応しい。それにしても、広告にしてはいくらなんでも回りくどく、あまりにも親切丁寧すぎる。次のページに進めます。
「これから貴方に、一つの超能力が贈られます。それは貴方が心の底から望む究極の超能力です」
超能力。辞書を引けば、人の領域を「超」えた「能力」。そのままです。
「強く念じ、誰かに触れてみて下さい。三度……良いですか? 三度触れた時点で、相手はおしっこを漏らします。あなたに与えられる超能力は、『相手の最大尿貯蔵量の三分の一を瞬時に溜める能力』です」
呆気に取られ、奇妙な笑いが零れました。非現実への接触。突拍子も無い、不躾な、しかし図星を一直線に貫くような誇大広告。口角は次第に広がり、浮かべた奇妙な笑いは不可思議な笑いへと、不可思議な笑いは摩訶不思議な笑いへと成長します。深夜なので、大きな声は出しませんが、これが昼ならば大爆笑の末に腹をよじり、バンバンと机を叩きながら小指で涙を拭っていた所かもしれません。
馬鹿な話もあったものだ。
ただ自分は、この広大かつ茫漠としたインターネットの世界で、自らの性癖に合う性的コンテンツを探していたに過ぎない。それをどこかの誰か(仕事の無い凄腕ハッカーか、米国の所持するエシュロンあたりでしょうか)が目をつけ、何かタチの悪い遊び心からからかってやろうと思ったのでしょうか。いずれにせよ、とんでもなく暇な連中です。
息を殺した大笑いは段々とその火を散らし、渇いた沼のように静かに、自分の興を削いでいきました。疲れた。寝る。と、記号を並べ、パソコンの電源を落とし、誰にも聞こえないように「実にくだらない」と呟いて、ベッドにダイヴして五秒で深い眠りにつきました。
次の日の朝、自分を起こしたのは、幼馴染のいつもの酷い仕打ちでした。
時に、効率的な物事の進め方というのは、傍目から見ると残酷な事のように見える時があります。例えば、病気にかかった子供を置いていくヌーの群れであるとか、例えば、血抜きをする為に鶏の首をちょん切る行為ですとか、それを「かわいそうだ」と感じる人間の心自体が、ある意味「かわいそう」に出来ているのかもしれないと思う事も、時々あります。
先程、自分は朝、幼馴染に起こされていると自慢めいた事を口にしました。文章にすると、いよいよ胡散臭く、絵にしてもこれは、まあ長くは見ていられないような、妄想じみた環境とも取れるでしょうが、その実態はやや違います。
なんと説明したら良いのか、自分は寝起きが悪く、というよりも、寝起きが「無く」、放っておくと、延々と寝てしまう体質なのです。目覚ましをいくつセットしようが、どんなに大事な用がその日控えていようが、その前の日に何時間も寝ていても関係無く、自分の睡眠は廃線になった田舎の線路のように、暗がりに向かってひたすらまっすぐに続きます。最長での睡眠時間は、四十九時間と五十六分。丸二日程度を睡眠に費やした計算で、これは最早、医学的に言えば、「昏睡状態」に分類されるのではないかとの疑いも持っているのですが、その時も健康状態に異常は見られませんでした。なぜそんなに眠る事が出来るのか? と尋ねられても、答えに困ります。眠っている間は、つまり意識が無いのですから、自分で止める事が出来ない。むしろ、きっかり毎日同じ時間だけ眠れ、目覚ましもなしに起きられる人間の方が、よくよく考えてみると異常なのではないでしょうか。
尋常ならざる睡眠時間の話は一旦置いておくとして、問題は、その貪り喰らうような惰眠にいかにして終止符を打つか、です。この難問に対し、最も的確な答えを導きだしてくれたのが、他の誰でもない、今から自分を起こしてくれる幼馴染だったという訳です。
瞼を通した光、それだけでも朝は感じられる物です。そして髪の毛を湿らせる、汲みたての冷たい水が、脳の一番深い所に沈んだ自分の意識を強制的に引き上げました。
「おい、馬鹿。起きろ」
そんな台詞が聞こえました。声というよりもむしろ、そのストレートな罵倒語のチョイスに、自分は馴染みを感じました。
「起きました」
と、自分は呟きました。それは即ち、出来るだけ早くに、この頭からかけられているじょうろの水を、どうか止めてくださいませんか、という意味の訴えなのですが、一度で聞き届けられる物ではありません。
「ああ、動くな動くな。そのまま、そのまま」
幼馴染はそう言って、じょうろの水を使い切るまで、自分の頭に水をかけ続けました。これが美少女の尿ならばなんと心地よい事かとうなだれながらも、黙ってその酷い仕打ちを受け続けました。
自分の部屋は二階の庭側に位置しており、窓から顔を出して見下ろすと、母の花壇があります。母は多忙で、世界中を飛び回り、ほとんど家を留守にしている癖に趣味が園芸という手に負えない性質を持った女性なのですが、その花壇の世話と、息子の世話を焼いてくれているのが、この幼馴染である彼女という訳です。
こんな寒い冬の朝に、自分は首ねっこを掴まれ、窓から頭を突き出しながら、キンキンに冷えた水道水をぶっかけられており、その光景はある種の拷問にしか見えません。髪の毛から首筋、下顎を伝って二階から落ちる水が花壇にちょうど入り、「水やり」プラス「目覚まし」という二つの行動を一挙に出来る効率を持っています。これが、この節の冒頭に述べた話に繋がります。
ようやく水をやり終わった幼馴染(自分も協力しました)は、首をぐいと引っ張って自分を立たせ、ぴしゃりと頬を叩きました。
「目が覚めたか?」
「目が覚めました」
その瞳はまるで赤くないルビイのようで、瞳孔は真円にして深淵に近く、例えば何か異論を唱えよう物ならば、薄い唇の下に潜めた鋭い牙が、瞬時に噛みついてくるに違いないように思え、実際の背丈は20cm以上も自分の方が高いはずなのですが、威圧感を基にした心理的背比べにおいては、自分が圧倒的敗北を喫している事実はあながち否定出来ず、一方で、そんな距離感に甘えている節さえ自分にはあり、いよいよもって救いようのない己の心の臓腑に染み入る、嗜虐的雰囲気をぷんぷんと漂わせるその幼馴染のS的行為に、魅力を感じる事も時としてあるのです。
「さっさと準備」
命令にさえ出来損なった言葉を残して、幼馴染は自分の部屋を出ていきました。自分はタオルで水浸しになった髪と顔を拭い、制服に着替え終わる頃には、例の起こし方について文句を言う時間的猶予など無くなり(言い訳にしている、と指摘されればそれまでですが)、自分は黙って、ただ従者の如く幼馴染についていき、学校へと向かうのでした。
朝食はありません。誤解を招かぬようあえて強く言い切りますが、幼馴染は自分に奉仕してくれる都合の良い存在ではありません(ここまでの流れを見ていれば分かりきった事ではありますが)。むしろ、自分を毎朝起こす事も、家族の夕飯を作るついでに隣人の分も作る事も煩わしいとさえ思っているはずで、ましてや数日前に起きた「あの事件」があってからというもの、夕飯さえ作らなくなりました。今や松屋とマクドナルドとジョナサンとすき屋を交代交代に行き来する、およそ人ならざる者の食生活を余儀なくされる原因となった「あの事件」については、後に語る事になるでしょう。
とにかくここで自分が言いたいのは、世の中はそんなに甘くはないという事と、しかしながら、この幼馴染は嫌々ながらも自分の世話をしてくれている訳だから、そこそこ気があるのではないか、好きなんじゃないか、精子が欲しいんじゃないか、というそこはかとない恋の予感に自分は煌いているという事です。
それともう一つ、なぜ先ほどから繰り返し、「幼馴染」という代名詞を使用しているのかという事について説明しなければなりません。これに関しては、上記のような回りくどい言い方をつらつらと連ねなくとも、一挙手一投足、わずかなやりとりで簡単に済ませる事が出来ます。
「一つ、尋ねたい事があるんだけれど……ねえ、くりちゃん」
「……その名前で呼ぶなと何度も」
くりちゃんの片手鉤突きを左腕で防御し、すかさず入った左のハイを右腕で受け止めました。続く頭突きをモロに喰らい、ずっしり重めの脳震盪にくらくらとしながら、急激な震動でバラバラになったニューロンの所以か、昨日の出来事をふと思い出しました。
『相手の最大尿貯蔵量の三分の一を瞬時に溜める能力』
と、書かれてあったあのページの事です。確か、触れれば発動するとも書いてありました。あの時は一笑に伏せた戯言でしたが、何かの気まぐれか、あるいは頭蓋骨にヒビが入ったのか、ほんの一瞬、本当の事のように思えたのです。
くりちゃんは掴まれた左足を振りほどき、自分の胸倉を掴んで脅しました。
「いいか、2度と呼ぶなよ」
説明がまだでした。幼馴染こと、木下くり。本名です。まだ小さかった頃は、「くりちゃん」と呼ばれると笑顔で答えるかわいらしい少女だったのですが、成長につれてその言葉の真意を知り、数十年来の付き合いになる人間に対しても遠慮無くCOMBOを決めるやさぐれ天女へと成長してしまいました。「くり」という名前を馬鹿にされまいと、イジメられまいと、ナメられまいと(いやらしい意味ではありません)頑張ったのかどうかは判断つきませんが、クラスの中では良くも悪くも、いえ、どちらかというと悪い意味で一目置かれる存在となっているのです。
孤高。
これ以上無く、くりちゃんを表すのにぴったりの言葉だと思われます。
先程、自分は朝、幼馴染に起こされていると自慢めいた事を口にしました。文章にすると、いよいよ胡散臭く、絵にしてもこれは、まあ長くは見ていられないような、妄想じみた環境とも取れるでしょうが、その実態はやや違います。
なんと説明したら良いのか、自分は寝起きが悪く、というよりも、寝起きが「無く」、放っておくと、延々と寝てしまう体質なのです。目覚ましをいくつセットしようが、どんなに大事な用がその日控えていようが、その前の日に何時間も寝ていても関係無く、自分の睡眠は廃線になった田舎の線路のように、暗がりに向かってひたすらまっすぐに続きます。最長での睡眠時間は、四十九時間と五十六分。丸二日程度を睡眠に費やした計算で、これは最早、医学的に言えば、「昏睡状態」に分類されるのではないかとの疑いも持っているのですが、その時も健康状態に異常は見られませんでした。なぜそんなに眠る事が出来るのか? と尋ねられても、答えに困ります。眠っている間は、つまり意識が無いのですから、自分で止める事が出来ない。むしろ、きっかり毎日同じ時間だけ眠れ、目覚ましもなしに起きられる人間の方が、よくよく考えてみると異常なのではないでしょうか。
尋常ならざる睡眠時間の話は一旦置いておくとして、問題は、その貪り喰らうような惰眠にいかにして終止符を打つか、です。この難問に対し、最も的確な答えを導きだしてくれたのが、他の誰でもない、今から自分を起こしてくれる幼馴染だったという訳です。
瞼を通した光、それだけでも朝は感じられる物です。そして髪の毛を湿らせる、汲みたての冷たい水が、脳の一番深い所に沈んだ自分の意識を強制的に引き上げました。
「おい、馬鹿。起きろ」
そんな台詞が聞こえました。声というよりもむしろ、そのストレートな罵倒語のチョイスに、自分は馴染みを感じました。
「起きました」
と、自分は呟きました。それは即ち、出来るだけ早くに、この頭からかけられているじょうろの水を、どうか止めてくださいませんか、という意味の訴えなのですが、一度で聞き届けられる物ではありません。
「ああ、動くな動くな。そのまま、そのまま」
幼馴染はそう言って、じょうろの水を使い切るまで、自分の頭に水をかけ続けました。これが美少女の尿ならばなんと心地よい事かとうなだれながらも、黙ってその酷い仕打ちを受け続けました。
自分の部屋は二階の庭側に位置しており、窓から顔を出して見下ろすと、母の花壇があります。母は多忙で、世界中を飛び回り、ほとんど家を留守にしている癖に趣味が園芸という手に負えない性質を持った女性なのですが、その花壇の世話と、息子の世話を焼いてくれているのが、この幼馴染である彼女という訳です。
こんな寒い冬の朝に、自分は首ねっこを掴まれ、窓から頭を突き出しながら、キンキンに冷えた水道水をぶっかけられており、その光景はある種の拷問にしか見えません。髪の毛から首筋、下顎を伝って二階から落ちる水が花壇にちょうど入り、「水やり」プラス「目覚まし」という二つの行動を一挙に出来る効率を持っています。これが、この節の冒頭に述べた話に繋がります。
ようやく水をやり終わった幼馴染(自分も協力しました)は、首をぐいと引っ張って自分を立たせ、ぴしゃりと頬を叩きました。
「目が覚めたか?」
「目が覚めました」
その瞳はまるで赤くないルビイのようで、瞳孔は真円にして深淵に近く、例えば何か異論を唱えよう物ならば、薄い唇の下に潜めた鋭い牙が、瞬時に噛みついてくるに違いないように思え、実際の背丈は20cm以上も自分の方が高いはずなのですが、威圧感を基にした心理的背比べにおいては、自分が圧倒的敗北を喫している事実はあながち否定出来ず、一方で、そんな距離感に甘えている節さえ自分にはあり、いよいよもって救いようのない己の心の臓腑に染み入る、嗜虐的雰囲気をぷんぷんと漂わせるその幼馴染のS的行為に、魅力を感じる事も時としてあるのです。
「さっさと準備」
命令にさえ出来損なった言葉を残して、幼馴染は自分の部屋を出ていきました。自分はタオルで水浸しになった髪と顔を拭い、制服に着替え終わる頃には、例の起こし方について文句を言う時間的猶予など無くなり(言い訳にしている、と指摘されればそれまでですが)、自分は黙って、ただ従者の如く幼馴染についていき、学校へと向かうのでした。
朝食はありません。誤解を招かぬようあえて強く言い切りますが、幼馴染は自分に奉仕してくれる都合の良い存在ではありません(ここまでの流れを見ていれば分かりきった事ではありますが)。むしろ、自分を毎朝起こす事も、家族の夕飯を作るついでに隣人の分も作る事も煩わしいとさえ思っているはずで、ましてや数日前に起きた「あの事件」があってからというもの、夕飯さえ作らなくなりました。今や松屋とマクドナルドとジョナサンとすき屋を交代交代に行き来する、およそ人ならざる者の食生活を余儀なくされる原因となった「あの事件」については、後に語る事になるでしょう。
とにかくここで自分が言いたいのは、世の中はそんなに甘くはないという事と、しかしながら、この幼馴染は嫌々ながらも自分の世話をしてくれている訳だから、そこそこ気があるのではないか、好きなんじゃないか、精子が欲しいんじゃないか、というそこはかとない恋の予感に自分は煌いているという事です。
それともう一つ、なぜ先ほどから繰り返し、「幼馴染」という代名詞を使用しているのかという事について説明しなければなりません。これに関しては、上記のような回りくどい言い方をつらつらと連ねなくとも、一挙手一投足、わずかなやりとりで簡単に済ませる事が出来ます。
「一つ、尋ねたい事があるんだけれど……ねえ、くりちゃん」
「……その名前で呼ぶなと何度も」
くりちゃんの片手鉤突きを左腕で防御し、すかさず入った左のハイを右腕で受け止めました。続く頭突きをモロに喰らい、ずっしり重めの脳震盪にくらくらとしながら、急激な震動でバラバラになったニューロンの所以か、昨日の出来事をふと思い出しました。
『相手の最大尿貯蔵量の三分の一を瞬時に溜める能力』
と、書かれてあったあのページの事です。確か、触れれば発動するとも書いてありました。あの時は一笑に伏せた戯言でしたが、何かの気まぐれか、あるいは頭蓋骨にヒビが入ったのか、ほんの一瞬、本当の事のように思えたのです。
くりちゃんは掴まれた左足を振りほどき、自分の胸倉を掴んで脅しました。
「いいか、2度と呼ぶなよ」
説明がまだでした。幼馴染こと、木下くり。本名です。まだ小さかった頃は、「くりちゃん」と呼ばれると笑顔で答えるかわいらしい少女だったのですが、成長につれてその言葉の真意を知り、数十年来の付き合いになる人間に対しても遠慮無くCOMBOを決めるやさぐれ天女へと成長してしまいました。「くり」という名前を馬鹿にされまいと、イジメられまいと、ナメられまいと(いやらしい意味ではありません)頑張ったのかどうかは判断つきませんが、クラスの中では良くも悪くも、いえ、どちらかというと悪い意味で一目置かれる存在となっているのです。
孤高。
これ以上無く、くりちゃんを表すのにぴったりの言葉だと思われます。
くりちゃんの後ろにすごすごと付いて行く自分は、湿って弛んだひもか何かのようで、「何を考えているのか分からない」と誰かに指摘される事も良くありますが、全くその通りだな、と他人事のように思います。
くれぐれも申し上げておきたい事、「何を考えているのか分からない」のは、「何も考えていない」のとは違うのです。 どんなに「ぬぼっ」とした人間でも、頭の中ではディラックのデルタ関数による確率分布上に存在する内在的経済活動というようなソフィスティケイテッドな物事を考えているかもしれませんし、逆に、スーツを着て難しい顔をしながら国会の席に座っている人間の頭の中には、マンモスケイブのような大空洞が広がっているかもしれません。
自分の場合は、そのように極端な例ではありませんが、端的に言えば、目の前を歩く女子を常に視姦する事に脳容量のほとんどを割いています。とはいえ、何度も繰り返しますが自分は変態の端くれなので、ただ単に挿入したりですとか、乳首の形を想像したりする訳ではありません。その人物が、どのようにして尿を漏らすか。漏らすとしたら、どのようなシチュエーションで漏らすのか。どんなリアクションを取るのか。想像力という人間の持つ最強の武器を存分に使い、目の前の女子のおもらしシーンを脳内で正確に、魅力的に構築します。
くりちゃんもその標的の例外ではなく、わざわざ歩幅を合わせてくりちゃんの後ろを歩くのは、ふとももから尻、腰にかけてのラインを観察出来るからに他ならないのです。
先ほど一度だけ、くりちゃんに触れました。例の能力の事です。
説明では、三度触れれば尿を漏らすと書いてありました。とりあえず今の所、目の前のくりちゃんにはこれといった変化は認められません。能力の真偽は未だ不明ですが、自分は少しずつ信じ始めていました。というよりは、「本当だったらどれだけ素敵だろうか」とポジティブな思考回路が生まれていたのです。
「く……木下さん」
と、呼び止めました。くりちゃんは、冷ややかな目線を自分によこし、「何?」とぶっきらぼうに、「うざいんだけど」とごく自然に罵倒語を添えて返しました。
「朝、ちゃんとおしっこしました?」
無視されました。これもいつもの事なので、大して気には止めません。
「しました? おしっこ」
繰り返し尋ねますが、無視は続きます。
いよいよ自分は片手を伸ばして、くりちゃんの右肩に触れました。
その時、「びくっ」とくりちゃんが体を震わせたのです。こと女子の尿関係について人間の限界を超える性能を発揮する自分の動体視力は、くりちゃんの微細な動きを決して見逃しませんでした。高速後ろ回し蹴りが飛んでくるくらいは覚悟して体に触れた自分でしたが、くりちゃんは後ろを振り向いてじろりと睨むだけで、質問に答えもしなければ、暴力を振るう事もしませんでした。
これは、ひょっとしたらひょっとするのではないでしょうか。
自分はそう思いました。もしも例の能力の件が真実ならば、自分はこれで二回触れた事になるので、くりちゃんの最大尿貯蔵量の三分の二が貯まっている計算になります。三分の二、が正確にどの程度かは分かりませんが、気温もそこそこ寒いですし、尿意を感じるには十分なように思えます。三回目に触れた時、くりちゃんは果たして決壊するのでしょうか。
これまでにない胸のときめきを禁じえません。あの、いつもはつんつん尖っていて、他人には決して心の扉を開けないくりちゃんが、大衆の面前で下の扉を開いてしまうという羞恥。これをエロチシズムと呼ばずしてなんと呼ぶのでしょうか。
脳内でめくるめく繰り広げられるユートピアはさておいて、問題はそれが現実となり心を満たすか、それとも度を越えた変態が見た白昼夢として終わるかどうかです。
つばを飲み込み、くりちゃんの背中を見つめ、未来へと、ゆっくりと手を伸ばしました。
が、触れられません。指先が、くりちゃんの肩へとまさに偉大なる第一歩を踏みこもうとしたその瞬間、彼女は急に足早になり、自分の事などそっちのけで先へ先へと進み始めたのです。
その行動によって、自分の中では、触れられなかった失望よりもむしろ、期待に満ち満ちていく感覚が優先されました。くりちゃんは何かを「我慢」しており、それは自分の希望する物であるという可能性が非常に高いという予感。
くりちゃんは早足から、明らかなダッシュへと変わりました。自分もそれを追いかけて走り始めましたが、くりちゃんは更に加速しました。
「くりちゃん! どこに行くんですか? そっちは学校じゃないですよ」
「ちょっとコンビニに寄っていくだけだから、ついてくんな!」
全力疾走状態のまま、通学路から少し外れたコンビニに、自分とくりちゃんは駆け込みました。店員さんが「何事か」と見て驚いていましたが、くりちゃんは吐き捨てるように「トイレ借ります!」と叫んで、まさに必死の表情で、狩りの時のチーターのような瞬発力でトイレを見つけると、周りの視線などまるで気にも止めない様子で、店の奥、酒類コーナーの更に先へと進みました。
ここでむざむざと見逃す訳がありません。自分は変態です。その名誉を守る為、今、自分が出来る行動はたった一つでした。
捕まえた左手は、冬の冷たさを握り締め、小さく震える細い指が、自分の手を僅かな力で握り返しました。
コンビニの天井の、あの過剰なライトアップ、酒類コーナーの未成年飲酒防止を訴える注意書き、突如として怒涛の勢いで突っ込んできた中学生二人に注目する店員さんと、良く磨かれた床、品揃えの悪いパンの棚。そういった周りの景色が、瞬く間に視界から消え去りました。今、自分の目に映るのは、目の前の、まだ処女の癖にやたらと偉そうな女ただ1人。背中は雄弁に事象を語りました。
「ぁ……ぅ……」
唇からわずかに漏れた声は不可解な程いやらしく、艶かしく、艶やかで、耽美で、蠱惑的で、素晴らしく、マーヴェラスで、濃厚で、とてもエッチでした。
「どうしたんですか?」
分かりきっている事を、そう尋ねた自分は果たしてSだったのでしょうか。自分では分かりません。
「うぅ……ぅ……」
自分はゆっくりと目線を下げます。首筋から背中、形の良いお尻、そしてふともも、ふくらはぎ。そこである事に気づきます。
「漏れちゃったの? もしかして、漏れちゃったの?」
くりちゃんは答えず、こちらに振り向きました。そして黙ったまま、頷きました。その表情はまるで母親の愛を乞う三歳児のようで、地上の事など何も知らない深海魚のようで、一度だけ見た事のある夢のようで、神に身も心も捧げる乙女のようで、そして何に喩えたとしてもしっくり来ない程に、無限のオリジナルでした。
自分はくりちゃんの、いや、くりタンのこの顔を一生忘れない事でしょう。これから先どんな大事故にあって記憶を失ったとしても、これだけは忘れないという確固たる自信があります。
床に出来た水溜りに視線をやった後、自分は驚いたふりをしました。そして平静を装っている風に、くりタンに微笑みかけてこう言うのです。
「トイレ行って残りも出しちゃった方がいい。片付けは、しておくから」
くりちゃんは相変わらず何も言えず、こくこくと首肯してトイレへ向かいました。当然、靴も彼女の尿で汚れていたので、足跡がくっきりと付きました。コンビニの床を舐めたい衝動に駆られたのは、生まれて初めての事でした。
その後、自分は店員さんに事情を説明して、モップを貸してもらい、くりちゃんの「後片付け」をしました。それは至福の労働でした。こんなバイトがあるのなら、時給八百円こっちが払っても良いと思えたのです。
レジで女性物のパンツを買い(コンビニは驚く程何でも売っています)、とてつもなく陰鬱な、まるで世界の終わりでも見てきたような表情でトイレから出てきたくりタンにそれを無言で渡すと、彼女はトイレに引き戻って、自分が選んで渡した黒いそれを文句も言わずに履いたようです。自分の学校の女子制服は白スカートなので、黒い下着を履くと若干ですが透けて見えます。そういった計算も入れての采配でしたが、当然の事ながらその下着も、後でじっくりこの能力を使って駄目にするつもりです。
くれぐれも申し上げておきたい事、「何を考えているのか分からない」のは、「何も考えていない」のとは違うのです。 どんなに「ぬぼっ」とした人間でも、頭の中ではディラックのデルタ関数による確率分布上に存在する内在的経済活動というようなソフィスティケイテッドな物事を考えているかもしれませんし、逆に、スーツを着て難しい顔をしながら国会の席に座っている人間の頭の中には、マンモスケイブのような大空洞が広がっているかもしれません。
自分の場合は、そのように極端な例ではありませんが、端的に言えば、目の前を歩く女子を常に視姦する事に脳容量のほとんどを割いています。とはいえ、何度も繰り返しますが自分は変態の端くれなので、ただ単に挿入したりですとか、乳首の形を想像したりする訳ではありません。その人物が、どのようにして尿を漏らすか。漏らすとしたら、どのようなシチュエーションで漏らすのか。どんなリアクションを取るのか。想像力という人間の持つ最強の武器を存分に使い、目の前の女子のおもらしシーンを脳内で正確に、魅力的に構築します。
くりちゃんもその標的の例外ではなく、わざわざ歩幅を合わせてくりちゃんの後ろを歩くのは、ふとももから尻、腰にかけてのラインを観察出来るからに他ならないのです。
先ほど一度だけ、くりちゃんに触れました。例の能力の事です。
説明では、三度触れれば尿を漏らすと書いてありました。とりあえず今の所、目の前のくりちゃんにはこれといった変化は認められません。能力の真偽は未だ不明ですが、自分は少しずつ信じ始めていました。というよりは、「本当だったらどれだけ素敵だろうか」とポジティブな思考回路が生まれていたのです。
「く……木下さん」
と、呼び止めました。くりちゃんは、冷ややかな目線を自分によこし、「何?」とぶっきらぼうに、「うざいんだけど」とごく自然に罵倒語を添えて返しました。
「朝、ちゃんとおしっこしました?」
無視されました。これもいつもの事なので、大して気には止めません。
「しました? おしっこ」
繰り返し尋ねますが、無視は続きます。
いよいよ自分は片手を伸ばして、くりちゃんの右肩に触れました。
その時、「びくっ」とくりちゃんが体を震わせたのです。こと女子の尿関係について人間の限界を超える性能を発揮する自分の動体視力は、くりちゃんの微細な動きを決して見逃しませんでした。高速後ろ回し蹴りが飛んでくるくらいは覚悟して体に触れた自分でしたが、くりちゃんは後ろを振り向いてじろりと睨むだけで、質問に答えもしなければ、暴力を振るう事もしませんでした。
これは、ひょっとしたらひょっとするのではないでしょうか。
自分はそう思いました。もしも例の能力の件が真実ならば、自分はこれで二回触れた事になるので、くりちゃんの最大尿貯蔵量の三分の二が貯まっている計算になります。三分の二、が正確にどの程度かは分かりませんが、気温もそこそこ寒いですし、尿意を感じるには十分なように思えます。三回目に触れた時、くりちゃんは果たして決壊するのでしょうか。
これまでにない胸のときめきを禁じえません。あの、いつもはつんつん尖っていて、他人には決して心の扉を開けないくりちゃんが、大衆の面前で下の扉を開いてしまうという羞恥。これをエロチシズムと呼ばずしてなんと呼ぶのでしょうか。
脳内でめくるめく繰り広げられるユートピアはさておいて、問題はそれが現実となり心を満たすか、それとも度を越えた変態が見た白昼夢として終わるかどうかです。
つばを飲み込み、くりちゃんの背中を見つめ、未来へと、ゆっくりと手を伸ばしました。
が、触れられません。指先が、くりちゃんの肩へとまさに偉大なる第一歩を踏みこもうとしたその瞬間、彼女は急に足早になり、自分の事などそっちのけで先へ先へと進み始めたのです。
その行動によって、自分の中では、触れられなかった失望よりもむしろ、期待に満ち満ちていく感覚が優先されました。くりちゃんは何かを「我慢」しており、それは自分の希望する物であるという可能性が非常に高いという予感。
くりちゃんは早足から、明らかなダッシュへと変わりました。自分もそれを追いかけて走り始めましたが、くりちゃんは更に加速しました。
「くりちゃん! どこに行くんですか? そっちは学校じゃないですよ」
「ちょっとコンビニに寄っていくだけだから、ついてくんな!」
全力疾走状態のまま、通学路から少し外れたコンビニに、自分とくりちゃんは駆け込みました。店員さんが「何事か」と見て驚いていましたが、くりちゃんは吐き捨てるように「トイレ借ります!」と叫んで、まさに必死の表情で、狩りの時のチーターのような瞬発力でトイレを見つけると、周りの視線などまるで気にも止めない様子で、店の奥、酒類コーナーの更に先へと進みました。
ここでむざむざと見逃す訳がありません。自分は変態です。その名誉を守る為、今、自分が出来る行動はたった一つでした。
捕まえた左手は、冬の冷たさを握り締め、小さく震える細い指が、自分の手を僅かな力で握り返しました。
コンビニの天井の、あの過剰なライトアップ、酒類コーナーの未成年飲酒防止を訴える注意書き、突如として怒涛の勢いで突っ込んできた中学生二人に注目する店員さんと、良く磨かれた床、品揃えの悪いパンの棚。そういった周りの景色が、瞬く間に視界から消え去りました。今、自分の目に映るのは、目の前の、まだ処女の癖にやたらと偉そうな女ただ1人。背中は雄弁に事象を語りました。
「ぁ……ぅ……」
唇からわずかに漏れた声は不可解な程いやらしく、艶かしく、艶やかで、耽美で、蠱惑的で、素晴らしく、マーヴェラスで、濃厚で、とてもエッチでした。
「どうしたんですか?」
分かりきっている事を、そう尋ねた自分は果たしてSだったのでしょうか。自分では分かりません。
「うぅ……ぅ……」
自分はゆっくりと目線を下げます。首筋から背中、形の良いお尻、そしてふともも、ふくらはぎ。そこである事に気づきます。
「漏れちゃったの? もしかして、漏れちゃったの?」
くりちゃんは答えず、こちらに振り向きました。そして黙ったまま、頷きました。その表情はまるで母親の愛を乞う三歳児のようで、地上の事など何も知らない深海魚のようで、一度だけ見た事のある夢のようで、神に身も心も捧げる乙女のようで、そして何に喩えたとしてもしっくり来ない程に、無限のオリジナルでした。
自分はくりちゃんの、いや、くりタンのこの顔を一生忘れない事でしょう。これから先どんな大事故にあって記憶を失ったとしても、これだけは忘れないという確固たる自信があります。
床に出来た水溜りに視線をやった後、自分は驚いたふりをしました。そして平静を装っている風に、くりタンに微笑みかけてこう言うのです。
「トイレ行って残りも出しちゃった方がいい。片付けは、しておくから」
くりちゃんは相変わらず何も言えず、こくこくと首肯してトイレへ向かいました。当然、靴も彼女の尿で汚れていたので、足跡がくっきりと付きました。コンビニの床を舐めたい衝動に駆られたのは、生まれて初めての事でした。
その後、自分は店員さんに事情を説明して、モップを貸してもらい、くりちゃんの「後片付け」をしました。それは至福の労働でした。こんなバイトがあるのなら、時給八百円こっちが払っても良いと思えたのです。
レジで女性物のパンツを買い(コンビニは驚く程何でも売っています)、とてつもなく陰鬱な、まるで世界の終わりでも見てきたような表情でトイレから出てきたくりタンにそれを無言で渡すと、彼女はトイレに引き戻って、自分が選んで渡した黒いそれを文句も言わずに履いたようです。自分の学校の女子制服は白スカートなので、黒い下着を履くと若干ですが透けて見えます。そういった計算も入れての采配でしたが、当然の事ながらその下着も、後でじっくりこの能力を使って駄目にするつもりです。