第12話『アズマの誓い』
ミルア・クリムケットの話は、現在から五年ほど前。
五真柱(ファイブス)が、アズマがいたことにより六真柱(シックス)だったまで遡る。
「……新しいターゲット?」
スナッチ号、五階の会議室。円卓に座ったアズマは、刀を和紙で拭きながら、天井に取り付けられたスピーカーを見た。
『そうだ。エボラ、って都市船なんだが、知ってるか』
グリードの声がスピーカーから響く。座っている幹部六人は、それぞれが円卓に座り勝手なことをしていた。カリンは針金でわけのわからない物を作っているし、相変わらずクーガはいない。アズマも、愛刀の『鬼道』を磨くことに忙しく、話半分で聞いていた。つい先日、『レオラ』という都市船を襲ったばかりということもあって、気分が乗らないのもある。
「エボラって、ほらあれ。空中庭園って呼ばれてる都市船じゃない」
アズマの隣に座るセリスは、ボールペンを慣れた手つきで回しながら、彼を眠たげな表情で見つめる。
『そうだ。さすがセリス。いまディライツの物資が足りなくなってきているんでな。ここらで美味い物でも、食いてえじゃねえか』
「なるほど。……では、いつそこに行くのだ、船長」
腕を組み、無言を貫いていたダスロットがスピーカーを睨みつける。血の気の多いヤツだな、とアズマは内心で呆れながら、グリードの言葉を待った。
『今、すぐにだ』
「ちょっと待ってくれ船長。まずは斥候を出すべきだ」
提案したのはアズマだ。何を行うにせよ、慎重に万全にしたい。
「私は斥候とか、面倒だからパス」
いの一番に否定の意を表明したのはセリスだった。彼女は動くということが大嫌いな質なのだ。
「我とクーガは目立ちすぎるし、ダメだな」
ダスロットは特になんの気もなし、という風な無表情で呟いた。ダスロットは大きすぎて目立つし、クーガはその言動がエキセントリックすぎるのだ。残るはアズマとカリンだけだが、その二人で普通に目立たなさそうなのは、アズマの方だ。カリンは根暗すぎる。
「……では、俺か」
「いいんじゃない? エボラは食材が美味しいらしいし」
自分が行かないとなると、セリスは途端に生き生きと目を輝かせ始めた。微妙な輝きすぎて、恐らくはアズマにしかわからないだろうが。
「美食の都市船はチャインだろう」
別に食事を美味いと感じたことがないアズマには、美食という言葉が酷く胡散臭い物だった。食事はあくまで生きる手段。栄養補給のために、ほとんどイヤイヤ食べている。
アズマは刀を鞘に納めて立ち上がり、会議室から出て行った。
廊下を歩いて自室に行く途中。後ろからカツカツと足音が聞こえ、振り向くとセリスが済ました顔でついてきていた。
「……なんだセリス」
「部屋の方向が一緒だからよ」
それだけ聞くと、アズマはまた部屋に向かって歩き始めた。セリスはその隣に並び、「あんたは、空賊を楽しんでやってるの?」
「楽しむ?」
その響きは、アズマの人生にない物だった。食事という点に置いても、仕事という点に置いても。
「これに楽しむも何もない。船長に言われたことを、ただこなすだけだ」
「ふーん。……ま、そういうのもある意味プロなのかもね。私には、一生理解できないけど」
「……キミはなぜ、空賊を?」
「あたしの出身船、パンクツムなんだけど」
「ああ。傭兵達が集う都市船だな」
「ウチは有名な軍人一家だけど、私そういうの面倒臭いの嫌いだから、やりたくないことはやらなくていい空賊を選んだのよ」
小さく鼻で笑い、アズマは自室のドアノブを掴む。
「選んで空賊に堕ちるなんて、お前は変わり者だな」
「私が堕ちたなんて、誰が決めたのよ? 堕ちたかどうかは自分にしかわからないじゃない」
アズマは、その言葉に返事をせず、自室に入った。しかし、頭ではセリスの言葉が巡っていた。自分は堕ちたのだろうか。空賊になったことを後悔しているのか、わからずにいた。
■
ばっちり睡眠が取れたとは言い難く、アズマは眠気を抑えながら、物資運搬用トラックででスナッチ号から飛び出した。
スナッチ号からおよそ一時間ほど飛べば、大樹を背負った船が見えてきた。それがエボラだ。
船の後部に着地すると、その場所には緑が広がっていた。どうやら畑のようで、トマトやピーマンなどの作物がある。遠く大樹の麓には、牛などが飼われているらしい小屋。そこはどうやら牧場のようだ。
トラックから降り、街を探す為に畑を抜けようと高く伸びた作物の茎を掻き分ける。
「ちょっとあんた! 私の作った野菜に触るんじゃないよ!」
甲高い声が辺りに響き、アズマの方が跳ねた。作物の先を見ると、黒いエプロンドレスに、白い三角巾。顔にはそばかすがある少女が立っていた。手にはじょうろを持っているため、おそらく彼女はこの牧場で働いているのだろうとアズマは推測する。
「あ、すいません……」
「いいから、触らないように出てきなさい」
素直に謝ってその言われ方は酷く癪に障ったが、アズマはできるだけ植物に触らないよう、畑から出てきた。少女はその様子を見て満足したのか、よしと笑った。
「あんた何者?」
「俺は旅人で、この都市船を見つけて――」
「へえ。旅人? いいわねそういうの。名前は?」
「アズマ・ムラサメです」
「私はミルア。ミルア・クリムケット」
よろしく、と手を差し出してきたので、アズマはその手を取り握手を交わす。
ミルアは美人とまでは行かないが、まさに植物のような生命力に溢れたしなやかな少女だった。彼女は握手を交わしたことで満足したらしく、作物に近寄って、じょうろの水をまき始めた。
「この都市船――エボラは、空中庭園と呼ばれているそうですね」
「そう。私がこのエボラを空中庭園と呼ばれるまでにしたのよ」
「え? この牧場は――あなたが主なんですか?」
「主っていうか、私しかいないのよね」
まるで我が子に向けるような笑顔を作物に向け、水をまくミルア。その様が酷く楽しそうに見え、アズマはその背に「大変じゃないですか?」と声をかける。
「大変よ? 当たり前じゃない。子育てにしろなんにしろ、命を育むのはね。――でも楽しいのよ。自分の魂が磨かれてる、みたいなさ」
それまでアズマに一瞥すらくれず、野菜に水をやっていたミルアは、アズマにじょうろを差し出した。
「ん」
「……なにか?」
「あんたもやんなよ。働いてくれたら、すんごく美味しい野菜、食べさせてあげる」
「いえ、俺は……」
「いいから。あんたは魂がくすんでるみたいに見えるよ」
結局、アズマはじょうろを受け取り、野菜に水をまく。ふてくされたような表情でじょうろを振っていたアズマだったが、ミルアに尻を蹴られ、ふらつく腰を止め、ミルアを睨む。
「何をするんですか!」
「笑顔をしろ、とまでは言わないけど、明るい表情を心がけるくらいはしなさいよ。イヤイヤ育てられたんじゃ、野菜がマズくなる」
「……はぁ」
いろいろ言い返そうか迷ったのだが、アズマは結局、何も言わず無表情で水をまいた。この手のタイプは、一を言えば十返してくれタイプだとわかったから。
全体に水をまかされたアズマは、畑の横に置かれた樽に座って、休憩を取る。そんなアズマにミルアは、茎から取った真っ赤なトマトを取り出した。
「お疲れ様! 私の自信作食べてよ」
「いや、俺は別に。野菜の味もわからないし……」
「いいから。ほら」
ほとんど押し付けるように、トマトをアズマに渡す。仕方ないので、アズマはそのトマトを受け取り、かじった。
かりゅっと、瑞々しく弾力のある果肉が口で溶ける。甘酸っぱく、フルーティーと言ってもいい香りが鼻を抜けるが、青臭さはない。普通のトマトのよりも果肉が厚く、歯ごたえすら感じるほどだ。太陽の恵みを精一杯その身に受けた野菜は、確かに空中庭園と言われても過言ではないように思えた。
「……美味い」
グリードに肉を分け与えられてから、アズマは初めて食べ物を美味いと感じた。また一口頬張ると、その果肉を口いっぱいに広げて、甘酸っぱさを楽しむ。すると、また一口と止められなくなるのだ。野菜がこんなに美味いのかと驚きながらも、完食。
「ほらね。エボラの野菜は美味しいのよ」
腹の虫がもっと食わせろと鳴く。ミルアは笑顔で、今度はきゅうりを差し出してきた。
「ほら。これも食べていいよ」
今度は、奪い取るように受け取って、アズマはきゅうりにかぶりついた。こりこりとした歯ごたえに、しっかりとした旨味が口いっぱいに広がる。
「美味い。……こんなに美味い野菜があるなんて」
「それだけ言ってくれると、私もやりがいがあるわ」
「……正直、野菜なんて味はないと思ってた」
「あんたよっぽど出来の悪い野菜食べてきたのね」
するっとアズマから離れ、落ちていたカゴに野菜を収穫していく。アズマは彼女に近づいて、その様を観察する。額に汗して働く彼女は、アズマの周りにいなかった人間で、見ていると新鮮な気持ちになった。
アズマの周りにいたのは、働くより奪う。楽しようとする人間ばかりだったから。
「ねえ、ムラサメさん。ちょっとこれ持ってよ」
「は? ――っ!」
野菜が大量に入ったカゴをいきなり持たされ、アズマの頭ががくんと下がる。
「お、重たっ……!! なんだこりゃ……!?」
「ウチの野菜は中身が詰まってるからね。それをグリーングリーンって酒場に運びたいんだけど、お願い」
「な、なにぃ……?」
俺を誰だと思ってやがる、と怒鳴りそうになったが、そのエネルギーをぐっと飲み込む。ここで怒鳴っては、斥候の意味がなくなるからだ。
「いいじゃん。飯、奢るよー」
仕方ないので、ダンスステップでも踏むように歩く彼女についていき、アズマは大樹に彫り込まれた街を登っていく。その街は螺旋型に彫り込まれた窪みに建てられていて、神秘的な雰囲気の街だ。
その七分目ほどに、酒場グリーングリーンがある。額どころか全身に汗し、中に入っていくと、丸テーブルが規則性なく並ぶ奥に、バーカウンターがある。
「どうもミルアでーす! お野菜納品にあがりましたー」
店の奥から、ガタイのいい男が出てきた。茶髪の髪をバンダナでオールバックにしている。従業員らしくエプロンを巻いてはいるが、あまり似合っていない。男はミルアに頭を下げると、アズマを見て「……誰だ?」と呟く。
「この人は旅人で、私の牧場に落ちてきたアズマ・ムラサメさん」
頭を下げると、男も頭を下げる。
「アンクル・スプリント。ここの店主だ」
アズマからカゴを受け取ると、アンクルは店の奥に戻っていった。やっと野菜から解放されたアズマは、思わず深いため息をついた。
「お疲れ様ムラサメさん。奢るから、ご飯にしようか」
歯を見せて笑うミルアに、アズマは無言でカウンターに座ることで肯定したことを表す。ミルアもアズマの隣に座ると、二人の元に赤いリボンでポニーテールを作った少女が、大きめなメニューを持って歩いてきた。
「はい、メニューです」
少女はあどけない顔立ちとはアンバランスな、二つのナイフホルダーを太ももにぶら下げている。ミルアは、少女が抱えているメニューを受け取り、「ありがとうミーシャちゃん」と少女の頭を撫でる。嬉しそうに目を細めた。
「この子はミーシャ・スプリント。さっきの、アンクルさんの娘ね」
「はぁ……よろしく」
ミーシャに手を差し出すと、なぜかミーシャはアズマの腰に提げられた刀を見ている。
「……おじさん、強いの?」
「えっ」
「刀持ってるってことは、戦うんでしょ?」
「いや、まあ。護身用で……」
「ふーん……。護身用で刀なんて、鍛錬の必要な物持つんだ?」
このガキ。
内心でそう悪態吐くと同時に、感心してしまった。おそらくは十二~三歳程の年齢でありながら、そこまで観察するとは。アズマは気取られない様、「使えるだけだよ」と言っておいた。
「よっし決めた!」
アズマとミーシャがにらみ合いをしている間、ずっとメニューを睨んでいたミルアが声を張った。笑顔でミーシャに、「私野菜たっぷりポトフとパンね!」
「かしこまりました。……おじさんは?」
「俺は――」ちらっとメニューを見る。「肉じゃが定食で」
「はいはい。――おじさん、もしやる気になったら、私と戦ってね」
そう言って、ミーシャは店の奥に戻っていった。ガキと誰が戦うか。
背中にそうつぶやくと、店のカウベルが鳴り、来店を告げた。入ってきたのは、作業服姿の浅黒い肌をした男性と、その男性とは対照的に、白い肌の華奢な少年が入ってきた。男性はアズマの左隣に座ると、腰の刀を見る。
「……お前さん。刀なんてぶっそうなモンぶら下げて、何者だ?」
「旅人の、アズマ・ムラサメです。刀は、護身用に」
「そうか。俺はボルト・プライマリー。ここの整備士をやってるモンだ」
この男は整備士じゃない。アズマの経験がそう告げていた。目はアズマの顔を見ているが、意識は刀に向いている。それに、筋肉の付き方が、整備士のそれではないのだ。明らかに筋肉が殴ることに特化している。心も体も、相当な手練に仕上がっているのだ。この都市船、空中庭園と呼ばれるだけあって、ガードが意外と堅いのではないか? アズマの心には、そんな疑念が芽生えた。
「ボルトさん。アズマさんはいい人ですよ? 私の野菜を美味しそうに食べてくれましたもん」
まるでアズマを庇うようなタイミングで話に割って入るミルア。しかし、アズマに取っては余計な事。その庇われた理由も、彼に取っては笑うにも値しない事。ボルトは苦笑する。
「――っは。別に人格は疑っちゃいねえよ」
そこに、再びミーシャがやってきて、ボルトと、その隣に座る少年に注文を取り始めた。ボルトはいつもの、と応え、少年は「なあミーシャ。今日のハンバーグにはチーズたっぷり入れてよ。今日はガッツリ食べたい気分なんだ」そう言うと、ミーシャはサムズアップで「オーケー、ゼン。たっぷりね」とまた店の奥に引っ込んでいった。
この都市船は、意外と侮れない。
アズマの感想はそれだった。
五真柱(ファイブス)が、アズマがいたことにより六真柱(シックス)だったまで遡る。
「……新しいターゲット?」
スナッチ号、五階の会議室。円卓に座ったアズマは、刀を和紙で拭きながら、天井に取り付けられたスピーカーを見た。
『そうだ。エボラ、って都市船なんだが、知ってるか』
グリードの声がスピーカーから響く。座っている幹部六人は、それぞれが円卓に座り勝手なことをしていた。カリンは針金でわけのわからない物を作っているし、相変わらずクーガはいない。アズマも、愛刀の『鬼道』を磨くことに忙しく、話半分で聞いていた。つい先日、『レオラ』という都市船を襲ったばかりということもあって、気分が乗らないのもある。
「エボラって、ほらあれ。空中庭園って呼ばれてる都市船じゃない」
アズマの隣に座るセリスは、ボールペンを慣れた手つきで回しながら、彼を眠たげな表情で見つめる。
『そうだ。さすがセリス。いまディライツの物資が足りなくなってきているんでな。ここらで美味い物でも、食いてえじゃねえか』
「なるほど。……では、いつそこに行くのだ、船長」
腕を組み、無言を貫いていたダスロットがスピーカーを睨みつける。血の気の多いヤツだな、とアズマは内心で呆れながら、グリードの言葉を待った。
『今、すぐにだ』
「ちょっと待ってくれ船長。まずは斥候を出すべきだ」
提案したのはアズマだ。何を行うにせよ、慎重に万全にしたい。
「私は斥候とか、面倒だからパス」
いの一番に否定の意を表明したのはセリスだった。彼女は動くということが大嫌いな質なのだ。
「我とクーガは目立ちすぎるし、ダメだな」
ダスロットは特になんの気もなし、という風な無表情で呟いた。ダスロットは大きすぎて目立つし、クーガはその言動がエキセントリックすぎるのだ。残るはアズマとカリンだけだが、その二人で普通に目立たなさそうなのは、アズマの方だ。カリンは根暗すぎる。
「……では、俺か」
「いいんじゃない? エボラは食材が美味しいらしいし」
自分が行かないとなると、セリスは途端に生き生きと目を輝かせ始めた。微妙な輝きすぎて、恐らくはアズマにしかわからないだろうが。
「美食の都市船はチャインだろう」
別に食事を美味いと感じたことがないアズマには、美食という言葉が酷く胡散臭い物だった。食事はあくまで生きる手段。栄養補給のために、ほとんどイヤイヤ食べている。
アズマは刀を鞘に納めて立ち上がり、会議室から出て行った。
廊下を歩いて自室に行く途中。後ろからカツカツと足音が聞こえ、振り向くとセリスが済ました顔でついてきていた。
「……なんだセリス」
「部屋の方向が一緒だからよ」
それだけ聞くと、アズマはまた部屋に向かって歩き始めた。セリスはその隣に並び、「あんたは、空賊を楽しんでやってるの?」
「楽しむ?」
その響きは、アズマの人生にない物だった。食事という点に置いても、仕事という点に置いても。
「これに楽しむも何もない。船長に言われたことを、ただこなすだけだ」
「ふーん。……ま、そういうのもある意味プロなのかもね。私には、一生理解できないけど」
「……キミはなぜ、空賊を?」
「あたしの出身船、パンクツムなんだけど」
「ああ。傭兵達が集う都市船だな」
「ウチは有名な軍人一家だけど、私そういうの面倒臭いの嫌いだから、やりたくないことはやらなくていい空賊を選んだのよ」
小さく鼻で笑い、アズマは自室のドアノブを掴む。
「選んで空賊に堕ちるなんて、お前は変わり者だな」
「私が堕ちたなんて、誰が決めたのよ? 堕ちたかどうかは自分にしかわからないじゃない」
アズマは、その言葉に返事をせず、自室に入った。しかし、頭ではセリスの言葉が巡っていた。自分は堕ちたのだろうか。空賊になったことを後悔しているのか、わからずにいた。
■
ばっちり睡眠が取れたとは言い難く、アズマは眠気を抑えながら、物資運搬用トラックででスナッチ号から飛び出した。
スナッチ号からおよそ一時間ほど飛べば、大樹を背負った船が見えてきた。それがエボラだ。
船の後部に着地すると、その場所には緑が広がっていた。どうやら畑のようで、トマトやピーマンなどの作物がある。遠く大樹の麓には、牛などが飼われているらしい小屋。そこはどうやら牧場のようだ。
トラックから降り、街を探す為に畑を抜けようと高く伸びた作物の茎を掻き分ける。
「ちょっとあんた! 私の作った野菜に触るんじゃないよ!」
甲高い声が辺りに響き、アズマの方が跳ねた。作物の先を見ると、黒いエプロンドレスに、白い三角巾。顔にはそばかすがある少女が立っていた。手にはじょうろを持っているため、おそらく彼女はこの牧場で働いているのだろうとアズマは推測する。
「あ、すいません……」
「いいから、触らないように出てきなさい」
素直に謝ってその言われ方は酷く癪に障ったが、アズマはできるだけ植物に触らないよう、畑から出てきた。少女はその様子を見て満足したのか、よしと笑った。
「あんた何者?」
「俺は旅人で、この都市船を見つけて――」
「へえ。旅人? いいわねそういうの。名前は?」
「アズマ・ムラサメです」
「私はミルア。ミルア・クリムケット」
よろしく、と手を差し出してきたので、アズマはその手を取り握手を交わす。
ミルアは美人とまでは行かないが、まさに植物のような生命力に溢れたしなやかな少女だった。彼女は握手を交わしたことで満足したらしく、作物に近寄って、じょうろの水をまき始めた。
「この都市船――エボラは、空中庭園と呼ばれているそうですね」
「そう。私がこのエボラを空中庭園と呼ばれるまでにしたのよ」
「え? この牧場は――あなたが主なんですか?」
「主っていうか、私しかいないのよね」
まるで我が子に向けるような笑顔を作物に向け、水をまくミルア。その様が酷く楽しそうに見え、アズマはその背に「大変じゃないですか?」と声をかける。
「大変よ? 当たり前じゃない。子育てにしろなんにしろ、命を育むのはね。――でも楽しいのよ。自分の魂が磨かれてる、みたいなさ」
それまでアズマに一瞥すらくれず、野菜に水をやっていたミルアは、アズマにじょうろを差し出した。
「ん」
「……なにか?」
「あんたもやんなよ。働いてくれたら、すんごく美味しい野菜、食べさせてあげる」
「いえ、俺は……」
「いいから。あんたは魂がくすんでるみたいに見えるよ」
結局、アズマはじょうろを受け取り、野菜に水をまく。ふてくされたような表情でじょうろを振っていたアズマだったが、ミルアに尻を蹴られ、ふらつく腰を止め、ミルアを睨む。
「何をするんですか!」
「笑顔をしろ、とまでは言わないけど、明るい表情を心がけるくらいはしなさいよ。イヤイヤ育てられたんじゃ、野菜がマズくなる」
「……はぁ」
いろいろ言い返そうか迷ったのだが、アズマは結局、何も言わず無表情で水をまいた。この手のタイプは、一を言えば十返してくれタイプだとわかったから。
全体に水をまかされたアズマは、畑の横に置かれた樽に座って、休憩を取る。そんなアズマにミルアは、茎から取った真っ赤なトマトを取り出した。
「お疲れ様! 私の自信作食べてよ」
「いや、俺は別に。野菜の味もわからないし……」
「いいから。ほら」
ほとんど押し付けるように、トマトをアズマに渡す。仕方ないので、アズマはそのトマトを受け取り、かじった。
かりゅっと、瑞々しく弾力のある果肉が口で溶ける。甘酸っぱく、フルーティーと言ってもいい香りが鼻を抜けるが、青臭さはない。普通のトマトのよりも果肉が厚く、歯ごたえすら感じるほどだ。太陽の恵みを精一杯その身に受けた野菜は、確かに空中庭園と言われても過言ではないように思えた。
「……美味い」
グリードに肉を分け与えられてから、アズマは初めて食べ物を美味いと感じた。また一口頬張ると、その果肉を口いっぱいに広げて、甘酸っぱさを楽しむ。すると、また一口と止められなくなるのだ。野菜がこんなに美味いのかと驚きながらも、完食。
「ほらね。エボラの野菜は美味しいのよ」
腹の虫がもっと食わせろと鳴く。ミルアは笑顔で、今度はきゅうりを差し出してきた。
「ほら。これも食べていいよ」
今度は、奪い取るように受け取って、アズマはきゅうりにかぶりついた。こりこりとした歯ごたえに、しっかりとした旨味が口いっぱいに広がる。
「美味い。……こんなに美味い野菜があるなんて」
「それだけ言ってくれると、私もやりがいがあるわ」
「……正直、野菜なんて味はないと思ってた」
「あんたよっぽど出来の悪い野菜食べてきたのね」
するっとアズマから離れ、落ちていたカゴに野菜を収穫していく。アズマは彼女に近づいて、その様を観察する。額に汗して働く彼女は、アズマの周りにいなかった人間で、見ていると新鮮な気持ちになった。
アズマの周りにいたのは、働くより奪う。楽しようとする人間ばかりだったから。
「ねえ、ムラサメさん。ちょっとこれ持ってよ」
「は? ――っ!」
野菜が大量に入ったカゴをいきなり持たされ、アズマの頭ががくんと下がる。
「お、重たっ……!! なんだこりゃ……!?」
「ウチの野菜は中身が詰まってるからね。それをグリーングリーンって酒場に運びたいんだけど、お願い」
「な、なにぃ……?」
俺を誰だと思ってやがる、と怒鳴りそうになったが、そのエネルギーをぐっと飲み込む。ここで怒鳴っては、斥候の意味がなくなるからだ。
「いいじゃん。飯、奢るよー」
仕方ないので、ダンスステップでも踏むように歩く彼女についていき、アズマは大樹に彫り込まれた街を登っていく。その街は螺旋型に彫り込まれた窪みに建てられていて、神秘的な雰囲気の街だ。
その七分目ほどに、酒場グリーングリーンがある。額どころか全身に汗し、中に入っていくと、丸テーブルが規則性なく並ぶ奥に、バーカウンターがある。
「どうもミルアでーす! お野菜納品にあがりましたー」
店の奥から、ガタイのいい男が出てきた。茶髪の髪をバンダナでオールバックにしている。従業員らしくエプロンを巻いてはいるが、あまり似合っていない。男はミルアに頭を下げると、アズマを見て「……誰だ?」と呟く。
「この人は旅人で、私の牧場に落ちてきたアズマ・ムラサメさん」
頭を下げると、男も頭を下げる。
「アンクル・スプリント。ここの店主だ」
アズマからカゴを受け取ると、アンクルは店の奥に戻っていった。やっと野菜から解放されたアズマは、思わず深いため息をついた。
「お疲れ様ムラサメさん。奢るから、ご飯にしようか」
歯を見せて笑うミルアに、アズマは無言でカウンターに座ることで肯定したことを表す。ミルアもアズマの隣に座ると、二人の元に赤いリボンでポニーテールを作った少女が、大きめなメニューを持って歩いてきた。
「はい、メニューです」
少女はあどけない顔立ちとはアンバランスな、二つのナイフホルダーを太ももにぶら下げている。ミルアは、少女が抱えているメニューを受け取り、「ありがとうミーシャちゃん」と少女の頭を撫でる。嬉しそうに目を細めた。
「この子はミーシャ・スプリント。さっきの、アンクルさんの娘ね」
「はぁ……よろしく」
ミーシャに手を差し出すと、なぜかミーシャはアズマの腰に提げられた刀を見ている。
「……おじさん、強いの?」
「えっ」
「刀持ってるってことは、戦うんでしょ?」
「いや、まあ。護身用で……」
「ふーん……。護身用で刀なんて、鍛錬の必要な物持つんだ?」
このガキ。
内心でそう悪態吐くと同時に、感心してしまった。おそらくは十二~三歳程の年齢でありながら、そこまで観察するとは。アズマは気取られない様、「使えるだけだよ」と言っておいた。
「よっし決めた!」
アズマとミーシャがにらみ合いをしている間、ずっとメニューを睨んでいたミルアが声を張った。笑顔でミーシャに、「私野菜たっぷりポトフとパンね!」
「かしこまりました。……おじさんは?」
「俺は――」ちらっとメニューを見る。「肉じゃが定食で」
「はいはい。――おじさん、もしやる気になったら、私と戦ってね」
そう言って、ミーシャは店の奥に戻っていった。ガキと誰が戦うか。
背中にそうつぶやくと、店のカウベルが鳴り、来店を告げた。入ってきたのは、作業服姿の浅黒い肌をした男性と、その男性とは対照的に、白い肌の華奢な少年が入ってきた。男性はアズマの左隣に座ると、腰の刀を見る。
「……お前さん。刀なんてぶっそうなモンぶら下げて、何者だ?」
「旅人の、アズマ・ムラサメです。刀は、護身用に」
「そうか。俺はボルト・プライマリー。ここの整備士をやってるモンだ」
この男は整備士じゃない。アズマの経験がそう告げていた。目はアズマの顔を見ているが、意識は刀に向いている。それに、筋肉の付き方が、整備士のそれではないのだ。明らかに筋肉が殴ることに特化している。心も体も、相当な手練に仕上がっているのだ。この都市船、空中庭園と呼ばれるだけあって、ガードが意外と堅いのではないか? アズマの心には、そんな疑念が芽生えた。
「ボルトさん。アズマさんはいい人ですよ? 私の野菜を美味しそうに食べてくれましたもん」
まるでアズマを庇うようなタイミングで話に割って入るミルア。しかし、アズマに取っては余計な事。その庇われた理由も、彼に取っては笑うにも値しない事。ボルトは苦笑する。
「――っは。別に人格は疑っちゃいねえよ」
そこに、再びミーシャがやってきて、ボルトと、その隣に座る少年に注文を取り始めた。ボルトはいつもの、と応え、少年は「なあミーシャ。今日のハンバーグにはチーズたっぷり入れてよ。今日はガッツリ食べたい気分なんだ」そう言うと、ミーシャはサムズアップで「オーケー、ゼン。たっぷりね」とまた店の奥に引っ込んでいった。
この都市船は、意外と侮れない。
アズマの感想はそれだった。
しばらく待って、ミルアとアズマが注文したメニューがミーシャによって運ばれてきた。肉じゃがは、肉だけでなくじゃがいもも肉厚で、濃厚な味わいが舌に残り酷く美味く感じられた。この都市船にやってきてから、食事がやたらと美味い。アズマは自分の調子がちょっとずつ狂っていくのを感じた。時計の針が、正確な時刻からちょっとずつ遅れていくような、致命的な違和感。
食事を終えたアズマは、さてどうしようかと迷いながら、コーヒーを飲み一服していると、突然ミルアが口を開いた。
「ねえ、ムラサメさん。今日どうすんの?」
「とりあえず、宿屋を探します」
「だったら、ウチ来なよ」
「……へ?」
うら若き女性の家に男が泊まる、というのは、慎みという言葉が重みを持つサンライズ出身のアズマでは考えられないことだった。おそらく、人生で一番間抜けな顔をしているのだろうと思いながら、「いや、それは……」と言葉を濁す。
「旅人ってことは、ちょっとでも節約したいでしょ? 今日働いてくれたし、お金とかいらないから」
「しかし、そういうのは倫理的に……」
空賊の自分が何を言っているんだろう。アズマは頭を抱えたい衝動に駆られる。
「いいじゃんおじさん」
その時、先ほどミーシャにゼンと呼ばれていた少年が、アズマの後ろに立っていた。
「ミリア姉ちゃん家に泊まっちゃえよ。厚意は受け取れって、じいちゃんいつも言ってるぞ」
「……あのね、えーと、ゼンくん。大人にはいろいろあって」
「いろいろ? なんだよそれ」
説明できない。説明することはつまり、人類がどうやって繁栄してきたかを語る壮大で下世話な話をすることになってしまう。それを子どもにしていいものか、アズマは悩んでいるのだ。
「ゼン。そのおじさんはな、ミリア姉ちゃんと恋人になっちまうかもしれないという不安を抱えてるんだ」
ボルトの言葉に、ゼンが眉を眉間に寄せた。
「なんで家に泊まるだけで、恋人になるか心配するんだ? それだったら、俺とミーシャなんて結婚してるんじゃないか?」
その瞬間、カウンターから飛び出してきたミーシャが、ゼンの顔面にドロップキックを放ち、彼を思い切り弾き飛ばした。意外と基礎の出来た受身を取り、ゼンは起き上がると、ミーシャを睨み「なにすんだよ!」と怒鳴った。
「なにを言い出してんのよアンタは!」
「だってさミーシャ、みんな変なこと言ってんだもんよ!」
「……ったく。大人にはいろいろあるの、それくらい察しなさいよアホゼン」
なるほど、ミーシャはちょっとマセていて、ゼンという少年は歳相応の知識しか持ち合わせていないようだ。それがわかったからといって、どうということはないが。
まあ、よく考えて見れば、自分がミルアに惚れるということはありえない。今まで自分は、女性を魅力的だと考えたことはないのだ。生きるのに精一杯で、そういうことを感じる余裕がなかったから。その自分が、今更意識することの方がおかしいのだ。
「……わかりました。では、お言葉に甘えて」
そうして、結局アズマはミルアの家に泊まることが決定した。
よく考えれば、ミルアは一人暮らしではないだろうという予想もあったからだ。
ミルアの家は、牧場の片隅にある小屋だった。ベットと、台所。部屋の中心にコーヒーテーブルが備え付けられた、簡素な部屋。
「……ご家族の方は?」
「ああ、私家族いないから」
アズマは脳内で転げまわった。家族がいないのに、今日会ったばかりの俺をなぜ信用するんだ、と理解に苦しんでいるのだ。
「私の家族はみんな、つい最近、空賊に殺されたのよ。他の都市船に野菜の栽培法を伝えに行ってるところを、運悪くね」
「……その都市船、どこですか?」
「レオラって所。行ったことある?」
その都市船は、ディライツが襲った都市船だった。
アズマもそこで、記憶から漏れるほどの人間を殺している。金も奪った、食料も奪った。一番多く奪ったのは命だ。その中に、もしかしたら目の前の少女の肉親もいたのかもしれない。血の気の引く音が聞こえた気がした。
「どしたのムラサメさん?」
露骨に顔に出ていたらしく、ミルアはアズマの顔を覗き込む。その視線を避けるようにして、アズマは視線を逸らした。
今まではなんの取りこぼしもなく、都市船を跡形もなく滅ぼしてきたから感じたこともなかったが、自分のしてきた行為には、もちろん被害者がいるのだ。今までの自分は、多くの屍の上に成り立っている。グリードに教えられた生き方とは、そういうモノなのだと、今初めて理解した。
「……なんでも、ないです」
「そう? もしかして、行ったことあった?」
黙って首を振る。胸がどんどん苦しくなっていく。彼女の前に居ると、自分が生きていることすら罪に感じて。
「まあ、そんなだからさ。一人だと寂しくて。ちょっと無理してでもムラサメさんに来て欲しかったっていうか」
アズマはふらふらと、玄関に向かって歩いて行く。
「え、あれ、どしたのムラサメさん?」
「す、すいません。ちょっと夜の風に当たってきます」
特に風に当たりたいわけではなかった。しかし、彼女の前にいると、自分の人生が否定されているかのような、責められているような感情が湧きでてくるのだ。今まで考えない様に、気づかない振りをしていた罪悪感が、胸の奥から湧き出してくる様な。
アズマは、まだ人がまばらにいる街をふらふらと当てもなく歩いていると、頂上にやってきてしまった。そこは大きな広場で、何かしらのスポーツでもできそうなほどだ。
「今更何を考えているんだ、俺は……」
「何を考えてるんだ?」
その声に驚き、振り返ると、そこにはボルトが立っていた。居たことよりも、その気配を感じ無かったことに驚いたのだ。
「……アンタ、本当に何者なんだ?」
「はん。そのセリフ、そっくりそのままお返しするぜ。怪しすぎんだよお前」
「僕のどこが?」
「気配と、その刀だ。立ち振る舞いが素人じゃねえと思ってな」
「旅人ですから。修羅場の一つや二つはこなしてますよ」
「人の一人や二人、殺してるってか?」
二人の間に沈黙が流れる。おそらくボルトは、アズマが空賊だということに、確信とまでは行かないまでも、予想まではしているかもしれない。ボルトにはそう考えさせる何かがあるのだ。
口を封じるしかないと、アズマは刀に手を伸ばした。
「やるか? 俺は強いぞ」
指の骨を鳴らし、構えるボルト。
アズマの構えは、抜刀術の構え。アズマの実家である村雨流古武術は、居合いをメインに組み立てる格闘術。幼い時に両親を無くしたアズマは、それを免許皆伝することはできなかったが、そこにグリードから教わった戦い方をミックスすることにより、言わば我流の村雨流を作ることに成功している。その実力は、ディライツ内でトップに近い。
アズマはスニーカーを足だけで無理矢理脱いで、靴下だけになる。
二人の間合いはおおよそ三メートル。ボルトはぎりぎり刀の間合いに入っていない。実力者と戦う場合、間合いは勝利への重要なファクターになる。だからこそ、アズマはスニーカーを脱いだ。
ゆっくりと、足の指で地面を掴み、ボルトに近づいていく。剣道のふくみ足。気づかれずに近寄る事は、アズマ必勝への条件だ。
刀の間合いに入れば、一瞬でボルトはこの世から消える。
「……っ」
一瞬喉に力を込め、思い切り刀を引き抜いた。グリード以外に躱された事がない。目の前に立った命は、すべて切り伏せて来た必殺の刃。
刀が抜かれる。次の瞬間には、アズマの腕は振り抜かれていた。ボルトの胴体はまっぷたつになり、血を噴水みたいに吹き出して、上半身が転がるはずだった。
「……ほー。早いもんだな」
しかし、ボルトの上半身はしっかりと繋がり、余裕の表情でアズマの切っ先を見送っていた。何故だ、ボルトの足元を見ると、自分の目測よりもだいぶズレた位置にボルトはいた。
「今のが必殺だったか? ……まあ、俺以外だったら躱せなかったかもな」
「っちぃ!」
一太刀、また一太刀と斬りつけていくが、ボルトは楽勝と笑いながら刃を躱していく。アズマの斬撃も相当早いにも関わらず、ボルトはそれを難なく躱しているのだ。思い通りに命を奪えない苛立ちに、思わず大振りしてしまい、ボルトの拳が胸に突き刺さった。
「ぐうぅっ!!」
骨が軋み、その奥にある心臓が大きく跳ねた。ついでに、アズマの体も遠く吹っ飛ぶ。刀が地面に突き刺さり、地に背中をつける。
「……お前、なんか悩んでんじゃねえか?」
ゆっくりと、地に膝をつけ、ボルトに膝まづいた様な状態で、アズマは首を振る。俺は悩みなどない、そう示したつもりだったのだが、ボルトはそんな事など知らないとばかりに言葉を続ける。
「わかるんだよ。全部急所狙ってきたくせに、致命傷を与えるべきか悩んでるような太刀筋。……ミルアと接して、命を奪うことに罪悪感でも出てきたか?」
「……そんなことは、ない。俺が生きるためには、命を奪うしかないんだ。それを躊躇うということは、俺は生きられないということだ!」
「ほう? それがお前の人生論か」
「そうだ。……小さな頃から、俺が教えられてきたことだ。人は奪うことでしか生きられないんだよ!! アンタだってそうだろう? 他の生き物から奪って、そこまで大きくなったんじゃねえか」
「ミルアは?」
「……なに?」
「ミルアは違うだろ。あいつは他の生命を育んで、それを分けてもらって生きてる。そういう生き方もあるんだ」
アズマは、昼間のミルアを思い出した。野菜を育て、笑顔を見せる彼女を。自分は笑った事があっただろうか? 空賊をやって、他の生命を奪ってきた。その成果を見て、食べて、味を感じたこともなく。なのに、野菜に水をやっただけなのに、ここに来てからは食べるものすべてが美味しく感じる。今までの自分とは正反対の生き方だ。
「……俺は、間違ってたのか?」
「間違ってたか知らねえよ。俺はお前の生き方なんざ知らねえし。……ま、一つだけ言えることは、だ」
ボルトは、胸のポケットから煙草を取り出し、マッチで火を点けた。紫煙を夜空に向かって吐き出すと、アズマを見下ろし一言。
「仮に間違えていても、自分が満足できる道を歩け」
それだけ言うと、ボルトは広場から出て行った。アズマは、その背中を見えなくなるまで見送って、自分が満足出来る道とはどれか、考えた。美味しく食べ物を食べられる道か、今まで通り誰かから奪って生きていく道か。
地面に刺さった刀を引きぬいて、鞘に収める。
「あ、やっぱりここにいた」
広場の入口から、ミルアがアズマの隣に駆け寄ってきた。
「探したよムラサメさん」
「……どうも」
軽く会釈をすると、ミルアはにっこりと笑って月を見上げる。
「ここ、綺麗だよねー。隠れスポットなの」
「そうなんですか?」
「ここの広場、お祭りとかでしか使わないんだけどね。月が綺麗に見えるんだよ」
「確かに、そうですね……」
アズマは隣に立つミルアの顔を見る。出会って間もないが、笑顔を絶やさない彼女は、本当に人生を謳歌しているように見えた。
「……ミルアさん」
「ん?」
「ミルアさん。人生楽しいですか?」
「それ、ついこの間両親無くした私に対する皮肉?」
「あ、いえ。そんなことは――すいません」
「いいよ。言ってみただけだから。……まあ、辛いこともあるけど、概ね楽しいよ。ただ野菜作ってるだけ、とか思われるかもだけど、生き甲斐が一つでもあると、楽しいんだよねえ」
生き甲斐なんて、アズマにはなかった。
「……羨ましいです」
「私は、ムラサメさんも羨ましいけどなあ。旅とかさ」
その嘘が申し訳なくなり、アズマは踵を返して、ミルアの肩を叩く。
「冷えてきたんで、帰りましょう」
「ん」
短い返事で、二人は広場から降りる。アズマの心には、一つの考えが芽吹いていた。
翌日。アズマはミルアが目を覚ます前に、ミルアの家から出て、飛行船でエボラを出た。ディライツにエボラを襲う指令を止める為にだ。理由はなんでもいい。強い兵士がいるでも、襲う価値がないでも。
スナッチ号に戻ると、アズマは一目散に船長室に向かった。消化器を捻って現れる隠しエレベーターから船長室に入ると、その中心の玉座に座るグリードが振り向く前に、用意してあった言い訳を口にする。
「エボラは予想以上に手ごわい兵士がいます。それに、大したものはない。割りに合わない仕事だと」
「……ほー」
振り返ったグリードは、赤ワインの入ったワイングラスを傾けながら、アズマを舐めるように見る。
「空中庭園の名は伊達だったと、お前はそう言うんだな?」
「はい」
「なら、信用しよう。他の都市船を探しておけ」
「……それと、もう一つ、お話が」
アズマは、床に正座すると、地に手を付けて、頭を下げた。
「そいつは、土下座か?」
怪訝そうなグリードの声。頭を下げているアズマには見えないが、彼の表情は疑問に満ち溢れ、酷く間抜けなものになっている。
「俺は今日限りで、ディライツを辞めさせていただきます」
嫌悪感に満ちた、乾いた音。床に液体が垂れるびちゃびちゃという音。頭を上げると、グリードが持っていたグラスが割れていたのだ。彼の表情も、眉間にシワが寄って明らかに機嫌を害していた。
「……お前が、俺の元を離れるって?」
「はい」
「独立でもする気になったか?」
「……いえ」
その時、エレベーターのベルが鳴り、二人入ってきた。感じたことのある気配、アズマが振り向いた先には、セリスと、セリスに腕を拘束されたミルアがいた。
「……み、ミルアさん、なんで」
「む、ムラサメさんについて、旅してみようかな、と思って……飛行船に隠れてたんだけど……。ムラサメさんこそ、どういうこと!? ムラサメさん、空賊だったの!?」
アズマは目を伏せ、ゆっくりと頷く。
「でも……俺は、今からやり直そうと」
「うるさい! ……エボラに来たのも、襲うのが目的だったなんて」
弁解は出来なかった。反省しているなどと言っても、それは許されたいが為に繕った言葉。
「はああああああああん……!」
突然、グリードが大きく嬉しそうな声を上げた。
「なるほどなるほど。アズマは、その女が好きになったか」
「え?」
グリードの言葉に驚いたミルアは、地面に座るアズマをまじまじと見た。
「おい、セリス。その女、殺せ」
「了解」ポケットからボールペンを取り出したセリスは、そのペンを振りかぶる。
正座していたアズマは、立ち上がるのが遅れ、ミルアの背中にボールペンが刺さるのを、防げなかった。
「あ……」
小さな声が、その傷の痛々しさを強調する。その瞬間、アズマの耳に、今まで殺してきた人間たちの最後がフラッシュバックする。
「あああぁぁぁあああっ!!」
倒れるミルアを支え、アズマは彼女の顔を覗き込む。
「ミルアさん、ミルアさんっ!!」
口から一筋の血を流したミルアは、潤んだ目でアズマを見る。命を奪ってきた自分なのに、ここでミルアを失いたくないと思う事に、酷い違和感
を覚えた。
「……ムラサメ、さん。反省、して」
「……え?」
自分の目から涙が流れるのを感じて、アズマはその事実を認めたくないと、顔に力を込める。
「今まで命を奪ってきたんだから……もう、奪わないで。反省してよ……。そしたら、一応、許してあげるから……」
最後に笑って、ミルアはゆっくりと目を閉じた。命が失くなるのを感じ、アズマは思い切り叫んだ。ボルトは間違っているかは知らないと言ったが、アズマにははっきりと、間違っていたと断言できる。でなくば、こんなに悲しいわけがないのだ、と。
アズマはミルアの遺体を担ぎ上げると、セリスと向きあう。
「……何?」
怪訝そうな表情をするセリス。その横を通り抜け、エレベーターを呼ぶ。箱が口を開け、その中に入ると、セリスとグリードを見据え、一言。
「俺は、もう二度とここには戻らない……」
アズマは、トラックの助手席にミルアを乗せ、スナッチ号から飛び出した。振り返りはしない。未練などないから。
牧場の片隅にミルアの遺体を埋め、街を登り、頂上の広場へとやってきた。ここを去る前に、この景色を見ておきたかったのだ。吹き抜ける風が妙に寂しげで、耳元では、未だに悲鳴が聞こえる。
「お前……どうした?」
隣には、また気配も感じさせずボルトが立っていた。アズマは、ミルアの死を伝えて置かなければと、口を開いた。
「……俺の所為で、ミルアさんが死にました」
「なに?」
「俺は空賊で、ここには斥候に来ていました。俺は空賊を辞めたかった。それを許さなかった船長に、ミルアさんが……」
「それで、お前は空賊辞めれたのか?」
頷くアズマ。そして、腰から鞘ごと刀を抜いて、それを見つめる。
「俺は二度と、刀を使わない。――人を救って、そして死んで、ミルアさんに向こうでしっかり謝りたい」
そう言うと、ボルトは舌打ちをした。
「……っち。半殺しにでもしようかと思ったけど、そんだけ言われちゃあな」
「――でも、人を救うなんて、どうすればいいか」
今まで命を奪ってきた自分には、どうすれば人が救われるのかわからない。
するとボルトは、「だったら、戦士団を作らねえか」とアズマの顔を見た。その顔を見上げ、アズマは眉をひそめた。
「お前、この都市船を守る戦士団の隊長になれよ。人を救って生きてみろ。そうすりゃいい」
「……そうすれば、俺は許してもらえるんですか?」
ゆっくりと首を振ったボルトは、アズマを睨む様な強い目付きをする。
「許してもらう、とか考えちゃいけねえ。償いってのは、許してもらえなくてもするもんだ」
自然、アズマの頬に、また涙が流れた。
自分はもう、二度とミルアに顔向け出来なくなるようなことはしない。
今はもうまぶたの裏にしかないミルアの笑顔に、そう誓った。
「はあああああああッ!!」
ミーシャの叫びが、廊下に響く。白く輝く刃――キャスターが空を裂き、もう片方のストラトスでクーガの頭を狙う。それを、クーガはプラスドライバーで受ける。
「っかー! あんた早いなあ!!」
ストラトスをミーシャの体ごと弾き飛ばすと、クーガは一歩踏み出し、マイナスドライバーを突き出した。しかし、一瞬でミーシャはクーガの後ろに回って、彼の背中を蹴り飛ばした。今のミーシャは、確実に通常時よりスピードが上がっている。
「おわっとと……!」
バランスを崩したクーガの背中に、ミーシャはナイフを突き出した。しかし、わざとさらにバランスを崩し、後ろ蹴りでナイフを突き上げ、そのままバク転でバランスを整えた。
「はっはっは! 最高に危なかった!」
「まだまだ」
目の前にミーシャが現れる。しかし、クーガはプラスの方を捨て、ミーシャの顔面を掴んで押し倒した。
「ぬぐッ!?」
「せー、のッ!!」
叫び声と同時に、拳が降ってくる。なんとか首をよじって躱すが、クーガにマウントポジションを取られてしまった。
「女のマウント取るの、どんな気分かしら?」
「取られたことしかねえから、新鮮だよ!!」
また拳が振り下ろされる。ミーシャはそれを額で受け、クーガの拳を砕いた。
「ぐむああぁッ!!」
苦悶の表情を浮かべ、拳を押さえるクーガを、ミーシャはブリッジで持ち上げることによって、マウントから下ろした。急いで立ち上がろうとするも、ミーシャの足腰に力が入らず、腰が落ちる。足腰を酷使しすぎて、力が入らなくなったのだろう。
クーガは傍らに落ちたプラスを拾い、それをミーシャの顔面に向かって突き出した。しかし、ミーシャと切っ先の間にレンチが割って入り、プラスの突きを防いだ。
レンチが伸びている方向を見れば、そこにはゼンが居た。
「あっぶねえ……」
額に汗し、ミーシャとクーガを交互に見つめるゼン。
「助けたの、これで二度目だな」
その瞬間、ゼンの後ろから雷でも落ちた様な轟音と稲光がし、クーガが跳ぶ。クーガがいた位置に弾丸が突き刺さり、ゼンの隣に、赤いボンテージ姿の女――キャシーが立った。
「クーガ・マイティ。懸賞金五千万ね」女は、頭のリストからその情報を引き出すかのように眉間に指を当てる。そして、ゼンの肩を叩き、「この子連れて、先に行きな。私はちょっと、お仕事するから」と、今度はゼンを押した。
「りょ、了解」
ゼンはキャシーに気圧されながらも、素早くレンチを腰に収めて、ミーシャをお姫様だっこの要領で抱えてその場から走り去った。
「……さーて。クーガちゃ~ん。あっそび、ましょ~」
クーガは、走り去るゼンを追おうともせず、キャシーと向きあう。
「……カシーナ・ガンレッグ。一度俺に負けてるくせに、いい度胸だな」
「負けた? ……あの時はほとんど多勢に無勢だったじゃない。タイマンなら、負けないわ」
■
クーガとキャシーが見えなくなると、ゼンは走るのをやめた。
「……よっし。歩けるか?」
「もうちょっと……」
ため息をついて、ゼンは歩みをゆっくりな物へと変えた。ミーシャに揺れを感じさせない、彼の気遣いだ。
「さっきの女、だれ?」
「ああ、あれな。あれはここに捕まってた、カシーナ・ガンレッグさん」
「……ああいうのが好みなわけ」
「なんでそういう話になるかな」
ミーシャの、やたらとすわった目付きが怖くなり、ゼンは思わず立ち止まりそうになってしまう。
ミーシャの叫びが、廊下に響く。白く輝く刃――キャスターが空を裂き、もう片方のストラトスでクーガの頭を狙う。それを、クーガはプラスドライバーで受ける。
「っかー! あんた早いなあ!!」
ストラトスをミーシャの体ごと弾き飛ばすと、クーガは一歩踏み出し、マイナスドライバーを突き出した。しかし、一瞬でミーシャはクーガの後ろに回って、彼の背中を蹴り飛ばした。今のミーシャは、確実に通常時よりスピードが上がっている。
「おわっとと……!」
バランスを崩したクーガの背中に、ミーシャはナイフを突き出した。しかし、わざとさらにバランスを崩し、後ろ蹴りでナイフを突き上げ、そのままバク転でバランスを整えた。
「はっはっは! 最高に危なかった!」
「まだまだ」
目の前にミーシャが現れる。しかし、クーガはプラスの方を捨て、ミーシャの顔面を掴んで押し倒した。
「ぬぐッ!?」
「せー、のッ!!」
叫び声と同時に、拳が降ってくる。なんとか首をよじって躱すが、クーガにマウントポジションを取られてしまった。
「女のマウント取るの、どんな気分かしら?」
「取られたことしかねえから、新鮮だよ!!」
また拳が振り下ろされる。ミーシャはそれを額で受け、クーガの拳を砕いた。
「ぐむああぁッ!!」
苦悶の表情を浮かべ、拳を押さえるクーガを、ミーシャはブリッジで持ち上げることによって、マウントから下ろした。急いで立ち上がろうとするも、ミーシャの足腰に力が入らず、腰が落ちる。足腰を酷使しすぎて、力が入らなくなったのだろう。
クーガは傍らに落ちたプラスを拾い、それをミーシャの顔面に向かって突き出した。しかし、ミーシャと切っ先の間にレンチが割って入り、プラスの突きを防いだ。
レンチが伸びている方向を見れば、そこにはゼンが居た。
「あっぶねえ……」
額に汗し、ミーシャとクーガを交互に見つめるゼン。
「助けたの、これで二度目だな」
その瞬間、ゼンの後ろから雷でも落ちた様な轟音と稲光がし、クーガが跳ぶ。クーガがいた位置に弾丸が突き刺さり、ゼンの隣に、赤いボンテージ姿の女――キャシーが立った。
「クーガ・マイティ。懸賞金五千万ね」女は、頭のリストからその情報を引き出すかのように眉間に指を当てる。そして、ゼンの肩を叩き、「この子連れて、先に行きな。私はちょっと、お仕事するから」と、今度はゼンを押した。
「りょ、了解」
ゼンはキャシーに気圧されながらも、素早くレンチを腰に収めて、ミーシャをお姫様だっこの要領で抱えてその場から走り去った。
「……さーて。クーガちゃ~ん。あっそび、ましょ~」
クーガは、走り去るゼンを追おうともせず、キャシーと向きあう。
「……カシーナ・ガンレッグ。一度俺に負けてるくせに、いい度胸だな」
「負けた? ……あの時はほとんど多勢に無勢だったじゃない。タイマンなら、負けないわ」
■
クーガとキャシーが見えなくなると、ゼンは走るのをやめた。
「……よっし。歩けるか?」
「もうちょっと……」
ため息をついて、ゼンは歩みをゆっくりな物へと変えた。ミーシャに揺れを感じさせない、彼の気遣いだ。
「さっきの女、だれ?」
「ああ、あれな。あれはここに捕まってた、カシーナ・ガンレッグさん」
「……ああいうのが好みなわけ」
「なんでそういう話になるかな」
ミーシャの、やたらとすわった目付きが怖くなり、ゼンは思わず立ち止まりそうになってしまう。