一文字は銃撃を予期して、ぜんそくの薬を飲み銃に手をかける。
ところがやって来たのはキョロキョロと辺りをうかがっている緊張感のない男だった。
今までの犯行グループの手口から考えると、油断せずにすぐに確保する。
「ちょっと待って、話を聞いてくれ。逃げないから手錠を外してくれよ。」
「それはできない。他の奴らのように自殺でもされたら困るからね。」
「自殺?誰がそんなことを……。」
男はまったく抵抗せずにあっけないほど簡単に捕まった。
内藤に犯行グループの男を引き渡しにきた一文字は、驚くべき提案を具申している。
単独行動で主犯格を逮捕するというのだ。
「危険すぎる。犯人側に知れたら、ゲームが中断され人質に危害が及ぶ。」
「絶対にバレませんよ。確信があります。
犯人は佐野さんがかってに動いたときにゲームを中断しなかった。
さらに、この男は他のメンバーが捕まる前に自殺したことを知らなかった。」
一文字は連れてきた男を内藤に引き渡すと、話を続けた。
「導き出される結論はひとつ。
犯人グループは個人で行動していて、意志の疎通ができていない。」
「お前は憶測でものを言っている。そもそも主犯が誰でどこにいるかさえ分からないのに。」
「もう終わりにしましょう。
野口刑事も鉄ちゃんもこんなばかげたゲームで命を落とすことはなかった。」
それを言われてしまってはもう言い返すことができなかった。
自分の駒がとられ犯人グループから死んだと思われていて、
盤面を自由に動ける一文字にかけてみようと内藤は思った。
しかし単独行動は許さず、
同じく自分の駒がとられ犯人グループから死んだと思われている佐野を同行させた。
「大丈夫ですよ。俺がちゃんと援護します。」
「それが一番心配なんだが。」
主犯をまかせた以上、内藤も自分のすべきことをするしかない。
近くの交番ですぐさま一文字が連れてきた男の尋問を開始する。
男は最初に捕まったあの男とは正反対の人間のようで、
聞かれてもいないのに自分の名前を書いて見せた。
紙の上に小学生でも読めそうな漢字三文字が踊っている。
"小谷直"
「おたにただし?」
「"直"一字で"なお"と読みます。
両親が男の子が生まれても女の子が生まれても付けられる名前を用意していたみたいで、
まっすぐな人間になるようにって意味らしいですよ。」
小谷はいきなりなれなれしい。
「両親の願いもむなしく曲がってしまったわけだ。」
「いやいや、俺はまっすぐですよ。まっすぐな曲線です。」
曲がった者と書いてくせものと読む。
小谷は聞かれたことにはなんでも答えるが、やはり一癖あるようだ。
例えば住所を聞かれると引っ越したばかりだから覚えてないと言ってけむに巻き、
ならばと勤め先の住所を聞くと小谷はまだ学生でバイト先の住所まで知らないと言う.
唯一しゃべったのはバイト先まで行くのにかかる時間が一時間以内ということだけだった。
後で分かったことだが、実際にバイト先まで行くのにかかる時間は20分であり、
そのことを問いただすと20分だって一時間以内じゃないですかと屁理屈をこねた。
また、通帳を六つも所持している点が不審だと指摘したときはこんなことを言っていた。
「バイトを転々としているとバイトによって給料の振込先の銀行がまちまちなんですよ。
こんなことは今の世の中ではザラですよ。
俺の知り合いに郵便貯金を含めて、各銀行通帳をコンプリートした奴すらいます。」
こういった具合だったが、小谷は本当に何も知らないようで
知っていることはすべて話してくれた。
小谷直はT大学法学部の三回生で、
今巷をさわがしている総理大臣の孫の誘拐事件を卒業論文の題材にしようと思い
独自に調査を始めたそうだ。
小谷の行動を聞きつけて高校の時の先輩の柳川太一が接触をしてきた。
柳川太一は高知市の若手市議会議員で、
井上を銃撃し内藤に捕まりそうになって青酸カリを飲んで自殺したあの男である。
柳川は小谷を仲間に引き入れたが他のメンバーことについては話してくれなかった。
犯人達は誰かが捕まったとき芋づる式に全員が逮捕されるのを恐れて、
全メンバーの内二人の素性しか知らされていない。
ではどうやって連絡をとるかというと、
どこにもリンクしていない秘密の掲示板を使って連絡をとりあっているらしい。
その掲示板はかなり難解なクロスワードパズルを解かないとたどり着けない。
内藤はすぐに鉄ちゃんの解いたクロスワードを思い出した。
しかし、クロスワードを全部埋めても
その秘密の掲示板のサイトに飛ぶようなことはなかった。
「このクロスワードのことじゃないのか?」
その疑念を晴らすためにも、内藤は鉄ちゃんの解いたクロスワードを
印刷して小谷に見せてみることにした。
コピー機から三枚の紙が出てくる。
一枚は文字だけが書かれている。
もう一枚はクロスワードを埋めていくマス目。
最後の一枚は文字を書かない■の部分。
おそらく鉄ちゃんは三つのレイヤーに分けて書いていたのだろう。
内藤はそれをレイヤー結合せずに印刷してしまったのだ。
「俺はこんなこともできないのかよ。」
だんだん自分に腹がたってきた。
その時、■の部分の紙に見覚えがあることに気付く。
特に四隅の■が回の字なりに並んでいるところ。
「そうか、QRコードだ。」
ためしに携帯で読み取ってみるとどこかのサイトに飛んだ。
サイトの掲示板にはまさに今おこなわれているチェスの棋譜が書かれている。
ついにたどり着いた。
「ありがとう。」
誰に言うでもなく内藤はつぶやいた。
とっさに出たその言葉は誰に向けられたものなのか自分でも気が付かなかったが、
すぐに無意識に井上へ送ったことに気が付いた。
すでに送り先のない言葉が虚空を漂っていた。