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三章

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「その様子ですと、ロキは負けたようですね」
 図書館にもどったネルを、司書官が出迎えました。
 あはは、と力なく笑って、ネルは答えます。
「あー。うん。ロキね。食べられちゃった」
「それはまた……ずいぶんと悪食な竜ですね」
「つぎ、どうしよう」
 おおげさに溜め息をつくネル。
 でも、その瞳は好奇心たっぷりの子猫みたいに輝いています。

「とりあえず言えるのは、力でねじふせるのは不可能ということですね」
 司書官は、とても現実的な判断をくだしました。
「じゃあ、どうすればいいかなぁ」
「そうですね……。あれから、私も竜退治に役立ちそうな絵本をさがしてみたのですけれど。これ以外の策を思いつきませんでした」
 そう言って、司書官は一冊の本をカウンターに置きました。
『ねじまき人形』というタイトル。ネルは読んだことがありません。

「どういう話なの?」
「生きている人形が主人公なのですが、物語がはじまった時点で彼を作った職人は死んでいます。その職人を生きかえらせようとするのがテーマですね」
「竜をやっつけるのに関係なさそうな気がするけど」
「この物語には、魔法の時計が出てきます。どういう時計かというと、針を巻きもどしたぶんだけ現実の時間が巻きもどるという……」
「それ、すごくない?」
 すごいどころか、ルール無用の無茶苦茶な道具でした。でも、絵本の世界なら何でもアリです。

 司書官が言います。
「これを使うことができるなら、竜を呼び出すまえの時刻まで、すべてを巻きもどせるでしょう。竜によって引き起こされた悲劇の何もかもが、なかったことになります」
「ロキも生きかえる?」
「生きかえるのではなく、そもそも呼び出されなかったことになるでしょう」
「竜に殺された人たちは?」
「それも全員生きかえります。というより、死ななかったことになります」
「すごいすごい! それで全部解決だよ!」
 大喜びするネルですが、すぐに気付きました。
「あっ。でも、ちょっとまって。時間を巻きもどしても、おなじこと繰りかえしちゃうかもしれないよ、わたし」
「その心配は無用です。この時計を持っている者だけは、記憶を引きついだまま過去にもどることができますから」
「え。そうなの? それならだいじょうぶかも」
「ただ、ひとつだけ問題があります」
「問題?」
「あなたが、この記憶を持ったまま、退屈な日常にもどらなければならないという問題です」
 司書官の言葉が、ネルの胸に突き刺さりました。
 それは、かなりの大問題です。
「あ! でもでも!」
 頭をひねったすえ、ネルは名案を思いつきました。
「その時計って、何回でも使えるよね? だったら、退屈しないように何回でも世界をやりなおせばいいんじゃない? この世界がおもしろくなるようにさ」
「この絵本の中で、人形もおなじようなことを考えました。しかし、最後に待っていたのは悲劇です」
「悲劇? どうなったの?」
「人形は、時計をつかって『完璧な世界』を作ろうとしました。どんなに小さなミスも許さず、すべてがうまくいくまで何百回、何千回と同じ日々をやりなおしたのです」
「……それで?」
「最後には時計が壊れ、同時に人形の心も壊れてしまいました」
「死んじゃったの?」
「はい」
「うーん」
 ネルは悩みました。自分は人形みたいにはならないと思うけれど、最悪のタイミングで時計が壊れてしまったらと考えると、うかつなことはできません。

 しかし、そのときです。ネルは、今度こそ、正真正銘、掛け値なしに、ものすごいアイデアを考えつきました。どれぐらいすごいかといったら、それはもうあまりにすごすぎるアイデアなんです。おもわず飛び上がって喜んでしまうぐらい。
「ねえねえねえ! その時計って、何時間でも巻きもどせる?」
「物語の中では、一年以上巻きもどしていますね」
「じゃあさ! 五年ぐらい巻きもどせるかな」
「ためしてみなければわかりませんが、できないとは書かれていませんね。しかし、そんなに巻きもどして何を……」
「パパを生きかえらせるの!」
 これこそ、一発大逆転の超名案でした。大好きなパパさえいれば、もう竜なんかいりません。退屈な世界とも、さようならです。

「そういえば、亡くなられていたと聞きましたね」
「うん。五年前に、病気でね」
「しかし、巻きもどしたところで、おなじ結果になってしまう可能性は高いですよ? 事故でなく病気が原因なのですから」
「病気になる前まで巻きもどすもん!」
「少々危険なように思いますが……、ひきとめる理由は見つかりませんね」
「ひきとめたってムダだよ! わたしはパパを生きかえらせるんだ!」

 決心するように大声をあげると、ネルはもう止まりませんでした。
 目的に向かってつきすすむ女の子は、いつだって無敵です。
 ネルは絵本をめくり、魔法の時計が描かれているページをひらきました。こまかく描きこまれた懐中時計のイラストは、いかにも魔法の道具といった感じ。とても期待できそうです。
 これさえあれば全部うまくいくんだ、とネルは信じました。
 しかし、人間というものは、あわてているとロクなことをしません。
 ネルは本を裏返すと、表紙をたたいて魔法の時計を呼び出しました。
 司書官の口から、「あっ」という声。
 たいていの世界とおなじで、この世界でも、ものは下に落ちます。
 そうして、ごく当然の結果がおとずれました。
 ガシャンという音をたてて、魔法の時計はバラバラになってしまったのです。

 あまりにあんまりな結末をつきつけられて、ネルは泣きそうになりました。
 けれど、泣いてるヒマなんかありません。それに、魔法はもう一回分だけ残っています。
「あー、もう! 失敗失敗。大失敗だね! ……うん。でもだいじょうぶ。ほかのページから呼び出せばいいんだよ。つぎは慎重にやるんだから!」
 腕まくりして意気込むネルでしたが、その勢いをくじくように司書官が告げました。
「残念ながら、魔法の時計が描かれているのは、そのページだけです」
「……ウソでしょ?」
「ほんとうです」
 司書官は、どこまでも冷静でした。ほんとうに魔女みたいな落ち着きっぷりです。ある意味、図書館員の鑑みたいな人でした。

「じゃあいいよ。これとおなじ本、もう一冊もってきて!」
「残念ながら、ここにあるのはその一冊きりです」
「こんなに大きい図書館なのに、これしかないの!?」
「はい。それどころか、国中をさがしても見つかるかどうか……」
「なんで? これって、そんなに貴重な本だったの?」
「ええ。たいへん貴重ですね。その本は、子供への悪影響が強すぎるということで発行直後に焚書処分されたものですから。ここに所蔵されているのは、奇跡的に難を逃れた一冊です」
「ええっ? そんなんだったら、最初に言ってよ! そしたら、もっと慎重にやったのに!」
 ヒステリーを起こすネルですが、ぜんぶ自業自得でした。
9, 8

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