真菜香(1)
冬の朝。
窓から差し込む光を布団で遮り、暗がりの中で携帯の画面を確認する。まだ大丈夫だ。寝過ごさなかったことに安堵を覚える。二度寝するにも起きるにも中途半端な時間で、下腹部に若干嫌な感じがあったことも一瞬迷った要因だったが、起きるという健康的な選択肢はこの温もりを手放したくない気持ちに押されて頭の片隅に追いやられた。このわずか一畳ほどの空間から脱出することが相当な困難であることは、いちいち説明する必要もないだろう。外に顔を出すのも面倒なのでそのまま携帯でいつものニュースサイトを開く。別に政治や経済に興味があるわけでなく、ただ無料だからというだけでどうでもいい芸能ニュースの垂れ流しを見ながら時間をつぶしている。興味のない情報をただ流し読みするくらいならプチプチでも潰していたほうがよっぽど有意義なのかもしれない。テーブルの上にあるノートパソコンを起動させれば、もっと幅広い時間つぶしの方法を選択することができるのはわかっているのにそれさえも億劫で、惰性のまま携帯をポチポチと操作する。しばらくすると残念なことに下腹部の違和感が限界に近づいて来たため、脱出せざるを得なくなってしまった。布団から外に出たとたんに肌に突き刺さるような冷気が襲い、頭の中が少し鮮明になるが、だからといってすぐそのまま活動するためには準備不足で、事を済ませ部屋のエアコンを動かし、導かれるように先ほどまで居た場所へ戻っていく。若干冷えた肌に布団が温かく、有り難みを感じるが、よく考えたらその温もりは元々私のものであり、有り難がるのもなにか違うような気がする。ともかく、エアコン様が部屋を暖めてくれるまで私は布団から脱出できないのだ。
何とか外に出ることができたところで、行き先は部屋の真ん中におかれたテーブルの前。目の前にはノートパソコン、テーブルの上どころか床の上まで散乱したペットボトルとか化粧品とかは見なかったことにしたい。これは散乱しているように見えるけれども、自分はどこに何を置いてあるかきちんと把握しているので大丈夫、不便を感じているわけではないのだ。絶対に人には見せられないけど。パソコンを起動したらいつものサイトを巡回する。といっても結局ヤフーでくだらないニュースを再確認したり、あとは趣味系のブログ巡りとか。「ツイッターとかミクシィとかやってないの?」ってたまに聞かれるけど、ツイッターもアレだがミクシィはもうこりごりだ。誘われて始めた当初は毎日書いていたけど、基本的に私はメンドクサガリなのだ。ネットで日記を書くと言うことはつまり他人に見せるということで、何を書いていいか悪いかの判断をしながら書かなくてはいけないし、それに現実のつきあいの延長線上にあるようなものはただ煩わしいだけで、一人になりたいこともあるのにログインしないだけで携帯に「大丈夫?」って。なぜネット上での行動を監視されなきゃいけないのか。こんなことだったら最初から携帯メールで十分だ。ネットなんてもっと軽い関係で十分。そういう意味ではネットゲームが一番いい。ゲームなら個人情報を出さなくてもコミュニケーションを取るのに困らないし、何より暇つぶしになる。ログインしてゲームを起動すれば、知っている人たちがそこにいる。知っているといっても名前すら知らない人たちだけど。でもドラクエの村人と違って、彼らは私が話しかけた言葉にプログラミングされていない言葉を返してくれる。ただ、パソコンを閉じた後に虚しさは残ってしまう。人肌恋しいときは尚更だ。パソコンは人の代わりにはならないんだ、当たり前だけど。でもチャットに連動して温まるマウスがあったら、画面の向こう側の人の言葉から温もりを感じることができるかもしれないな。
くだらない事を考えて時間を潰していたら、何だかんだ動き出さなければいけない時間になっていた。そろそろ顔を書かないと、そのままではコンビニにも行けない。といっても夜中に帽子を深めに被ってコンビニ行ったことはあるけれども、日があるうちはさすがにまずい。というか仕事だし最低限書かないと出かけられない。マスカラがもう無いことに気付いたけれど、どうせ落ちるし仕事の時にそこまで気合いを入れる必要はなく、今のところは手帳を取り出して買い物メモをしておけばいい。使い始めたばかりの新しい手帳には、新しい予定は何も埋まっていなかった。出勤休み出勤休みの繰り返し。そういえば昨日の日記、まだ書いて無かったなと思い出す。手帳に日記を書くことは、中学生からずっと続けていることだ。唯一継続している日課で、もう今年で何冊目だったっけ。計算するのが面倒だ。ちなみに去年の手帳に綴った内容は、6割が他人の悪口、3割はその日起こったどうでも良いこと。1割くらいは眠気の中で書いたので、紙の上を這いずり回るなにか別のものになってしまっていた。まあ、どうせ他人に見せることはないし、特に問題があるわけではない。しかし、何度見てもため息しか出ない勤務表だ。夜勤が多すぎる。昨日の朝帰宅して今夜また出勤、徹夜耐性は10代の頃に比べてガタ落ちで、体力的にも正直かなり厳しい。これというのも勝ち組が好き勝手に勤務希望を入れたせいだ。あいつらもあいつらだけど、それを「荻田さんなら大丈夫だよね」と全部飲んで負け組に負担を押しつけるようなふざけた勤務を組んだ主任は死んだ方がいい、と後で日記に書いておこう。こんなことばかり書いているから日記を他人に見せられないのだ。
勝ち組というのは彼氏持ちの独身組のこと、負け組は私と同じような日照り組のこと。日照りというか日陰というか。といっても私が周りの人間を勝手にカテゴライズしただけで、当の日照り組たちには危機感が全くない。30代後半独身組はお金だけは持っているから、贅沢をして欲しい物を買い、ペットの犬と戯れ、「私この子(犬)がいれば一生フリーでいいし、超癒されるし何も不自由無いし」なんて言っちゃって。確かに一見して彼女たちの生活は優雅で自由で気ままなものに見えるが、それはやはり違うと思う。人間の心のよりどころはあくまで人間であるべきで、犬でも亀でもなく、ましてや鞄や靴、お金なんかであるはずがない。それに気付かないからずるずると日照りのままひからびていくのだ。私は彼女たちに対して優越感に似たものを抱いているが、私が勝っているのは若さだけ。このまま時が流れれば、私も彼女の位置まで落ちていくことになる。10年の時が流れた後、私は井戸の底から脱出できているのだろうか?そんなことを考え、恐ろしくなる。決して安心してはいられないのだ。10代の頃は山谷ありつつも毎日が楽しかったような気がする。勢いよく流れる時の流れにうまく乗っかって対応できていた。でも今は違う。10代が激流の中なら今は池の上に浮いているような感じ。ベルトコンベアの上で出荷されるのをただボーっと待っている製品のような。いや出荷されればマシか、このままだとゴールは出荷じゃなくて出棺か。うまいこと言ったような気になったけどカゲロウじゃあるまいし。どうせ仕事で落ちるからといって化粧を手抜きするようなことでは出荷までたどり着けないのだろうか。そういえば勝ち組たちは仕事休日関係無くバッチリ塗っているような気がする。そういうところから意識を変えていかなければいけないのかもしれない、今年こそがんばってみるか。と思ったが、そういえば去年の1月も同じようなことを考え、途中で投げ出した事を思い出してしまった。