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 次に会った時も、俺達は同じように行動した。午前中はクロッキー、午後からは彩色。大野は常に最初会った時のようなふんわりした空気を纏っていて、俺は心地よく絵を描くことができた。違うことと言えば、前回途中まで描いた絵を二人とも完成させたので、それを見せあって互いに思ったことを言ったくらいだった。大野の描いた絵は、信じられないくらい生き生きしていて吃驚した。不思議だったのは、あの美術館にあった絵とは全然魅力が違ったことだ。絵のタッチが変わったわけでもないのに、どうして受ける印象が全く違うんだろうか。あの薄ら寒い危うさが消え失せて、大野が持つような暖かさが滲んでいた。

 それはどこか安心することのようでもあり、そして少し残念なことでもあった。今まで一度も感じたことのなかったあの危うさは、大野の絵の大きな魅力の一つに違いなかったからだ。


 それからも俺は、大野を連れ出してはちょくちょく絵を描きにいった。二人で絵を描いてる時間は心地よく、何よりも楽しかった。

 俺達の関係は、四月になって俺が進級してからも変わることはなかった。月に二、三度は二人で絵を描いていた。一日中、病室で絵を描いている時もあれば、どこかへ描きにいくこともあった。遠くへの外出は認められていなかったが、幸いにも絵になりそうな場所には困らなかった。大野は季節の変化を敏感に感じ取って、それを見つけ出すのが得意だった。

 不思議と絵のレベルは上達していった。おかげで描くことは楽しくて、ずっと絵のことばかり考えていた俺の成績は悪くなる一方だった。この頃から大野に勧められて人を描くようになった。人を描くのは風景を描くのとは全く別の難しさがあって、俺はさらに絵の勉強にのめり込むことになった。

 夏休みはもうほとんど毎日描いていた。気が狂ったみたいに描いて、描いて、ひたすら描き続けた。

 この頃から大野は少しずつ絵を描く頻度が落ちていた。依然の大野の絵は俺のよりも上手かったが、あれほど遠いと思ったその差がいつの間にか、小さくなっていた。大野の絵は、その魅力の大部分を占めた繊細さと鮮やかさが少しずつ色褪せていった。一緒に描いている時、よく筆を落とすようになった。落ちた筆を拾ってやるたびに「ごめんね、ありがとう」とうれしそうな顔をする大野を見ていられなかった。

 秋を過ぎる頃になると、それはより鮮明になっていった。俺が初めてあの大野の絵を見てから、気付けば一年が過ぎていた。写真と見紛うばかりだったの大野の絵に、その面影はどこにも残っていなかった。大野がそのことに気がつかないはずはないのに、あいつは相変わらず笑顔で絵を描いていた。ずっと五十号の風景画を描いていたのに、いつかから二十五号を使うようになり、十号になって、その時は二号だった。

 俺達は横に並びながら、いつものように絵を描いていた。集中が切れたら大野の絵を見て、大野が休んでいたら配色を相談したりした。大野の答えは実に的確だった。けど指差す大野の手は微かに震えているように見えた。

 年が明けて年賀状が届いた。裏には干支の丑が色鉛筆で丁寧に描かれていた。

 病室から車椅子がなくなり、大野はいつもベッドの上にいるようになった。よく分からない医療器具も増えていた。横で並んで描けなくなったけど、大野は色鉛筆で、俺は筆で、あいもかわらず少ない言葉を交わしながら絵を描いた。大野は柔らかく笑っていて、変わらない心地良さの中で絵を描き続けていた。

 いつまでもこの心地良さが続いて欲しかった。

 俺が望むその永久との距離はどれくらいだろうか。どうすればたどり着けるだろうか。

 答えの出ないことを考える時間が、増えていた。
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