僕にできること

 

 満員電車に乗り込んでから二十分後、大きな駅でほとんどの客が降り、やっと席が空いた。

 僕は、新聞を読んでいるサラリーマンと居眠りしている女性との間に座った。

 しばらく、流れる景色をぼーっと眺めていた。最近特に変わったこともないのに、なんだか今日はやけに疲れていた。まだ一日が始まったばかりだというのに。

 これから学校に行って、授業を受けて、仲間と喋る。毎日同じことの繰り返し。特別おもしろいことも嫌なこともない。ある意味では平和だが、ある意味では退屈だ。

 突然、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。見ると、同じ車両にマキがいた。女友達と楽しそうに話している。僕のところからは、簡単に声をかけられるほど近くもなく、気づいてもらえなそうなほど遠くもなかった。

 マキもあんな風に笑うんだな、と改めて思った。マキとは、一緒に弁当を食べたり、休み時間に喋ったりする仲だけれど、僕といる時はあまり笑わない気がする。僕は話題提供が下手だし、マキと全く趣味が合わないので共通することもない。つまらなくて当たり前かもしれない。

 マキは今、僕に気づいていないようだ。

 もし目が合ったら、声をかけてくれるだろうか。でも向こうには友達がいるから、軽く手を振るだけにしておくべきだろうな。マキのことだから無視するなんてことはないだろう。

 そんなことを考えていた自分がおかしかった。マキは、駅に着くと友達と喋りながらさっさと電車を降りていってしまったのだ。僕になど気づかずに。僕はマキにとって人混みの一部でしかなかった。

 僕も電車を降りて歩き出す。

 学校に着くまでがとても長く感じられた。

 少し前をマキが歩いている。彼女の歩くスピードは、普段の僕に比べるとひどく遅かった。それはマキが友達との話に夢中になっているからかもしれないし、男女の筋力の差かもしれない。

 今日の僕は、マキと同じペースで歩いた。マキに近づくことも、遠ざかることもなく。

 マキを追い抜く勇気がなかった。彼女と並んだその瞬間、挨拶をするべきか気づかないふりをするべきかわからなかったから。

 追い抜くその時、マキが僕に気づいてくれなかったら悲しいから。

 僕が歩み寄らなければ、きっと彼女との距離は縮まらないだろう。たった今、文字通りの意味でも、比喩的な意味でも。

 僕は普通の男より気が弱いと思う。それをわかっていてもそう簡単には強くなれない。なれるものなら強くなりたい。声をかけるかかけないかで悩みたくなんかない。 でもそれは難しい。

 きっと僕は、将来マキが誰かと結婚しても、ただ見守っている役目しかないのだろう。

 その結婚式に友達として呼ばれたとしても、僕はその日マキにとって大勢の中の一人でしかないのだろう。

 むしろ、その方が良いのかもしれない。

 僕はマキの幸せを願って、ただ彼女を見守っていよう。

 近くも遠くもない、この場所で。

 

<完>

 

 

 

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