「三居沢狐火事件」の版間の差分
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:大泉旅館亭主・大泉梅次郎は、闊達なアイディアマンであったと伝えられている。鉄道の利用価値にいち早く気づき、まだ建設前の段階で自分を担保に駅前の土地を確保し、大泉屋停車場支店を建てた。のちに洋風に改装して「仙台ホテル」と名を改めた。停車場支店は2009年まで「ホテル仙台プラザ」の名前で運営した。 | :大泉旅館亭主・大泉梅次郎は、闊達なアイディアマンであったと伝えられている。鉄道の利用価値にいち早く気づき、まだ建設前の段階で自分を担保に駅前の土地を確保し、大泉屋停車場支店を建てた。のちに洋風に改装して「仙台ホテル」と名を改めた。停車場支店は2009年まで「ホテル仙台プラザ」の名前で運営した。 | ||
− | + | :当時の風呂はちょうど現代風呂に近い形に転換し、とはいえまだまだ天井は低めで、中身は暗め。タイルという存在はまだなく、四方は全部木でできている。水を逃がすために、床はすのこ的な構造になっている。先に髪や体を洗ってから入るのがマナー。そのため佐藤や紺の髪はすっかり濡れている。湯加減的にはけっこうかなり熱い。脱衣所と湯殿の仕切りは特になく、そのまま繋がっている。本当は堀りの湯舟だとパーフェクトだったが、大泉屋は巨大なので、一の湯&二の湯は堀りで、たぶん佐藤たちが入っているのは後から作られた三の湯とかなのだという言い訳を用意している。 | |
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2022年7月3日 (日) 08:48時点における版
『三居沢狐火事件』(さんきょざわ きつねびじけん)とは28によるWeb漫画である。『別冊少女きぼん』にて2020年12月より連載。
三居沢狐火事件 | |
---|---|
作者名 | (28) |
掲載誌 | (別冊少女きぼん) |
概要 | (推理) |
掲載期間 | (2020/12/28)〜 |
サイトURL | [ ] |
目次
概要
- 明治21年の仙台を舞台にした推理物。
- 推理物の分類的には「社会派ミステリ」。
- 当時の仙台の文化や風習などを主人公・佐藤景臣と一緒に体験しつつ、佐藤が社会の暗部に首をつっこんで怖い思いをしたり、守護神使たちが佐藤の背中の何かと密かに戦ったり、最終的には佐藤が刺されて瀕死になる様子を眺めてお楽しみください。
注意事項
- かつて実在した地名・人名・固有名詞と、架空の個人名・団体名などが入り乱れているため、史実と異なる場合があります。
- 史実で名前がある人物はこの漫画の人物とは一切関係ありません。
- 作者の不勉強で明治時代の生活が上手く表現できていない部分も多々あります、ご了承ください。
あらすじ
第一幕
- 6/29
- 帝都ジャアナル記者の佐藤景臣は、東北線に乗って仙台へとやってくる。滞在予定の国見家の使用人・木常紺に案内され、軽く仙台の街をめぐる。
- 国見家の当主・国見重尚と会話し、観光がてら国見の仕事について助言を頼まれる佐藤。夜半、不思議な女性に接待を受ける。
- 6/30
- 佐藤は、出資に国見が関わっている宮城紡績工場を見学して社長から意味深な言葉をもらう。また、国見が経営するカッフェに寄り昼食をとる。
- 夕刻、大崎八幡宮にて夏越の大祓を取材。その後国見邸に戻ると、国見重尚・その妻千代・娼妓玉藻が佐藤を待っていた。
- 7/1
- 国見重尚との会話で、紡績工場の経営改善に電気を導入しようとしていたことを知る佐藤。昼に国見春之の案内で常盤銀華楼へ行くと、玉藻に唐突なお願いをされる
- 佐藤は遊郭の裏面を知り意気消沈する。純心な佐藤に紺は感銘を受け、友人同士となる。夜の夕食会には大勢の人間が集まった。
- 宴もたけなわといった頃、突然女中が駆け込んできて「狐火が出た」という。外に出ると烏崎山の頂上付近に光るものがあった。狐火の正体を知った佐藤は屋敷の人々に知らせて回る。その途中で首吊り死体を見つける。
- 国見重尚のあっさりとした態度等に悶々とし眠れない佐藤は、相澤の部屋にたどり着く。会話の中で様々なことを思い出し、玉藻は自殺ではなかったのかもと考える。
第二幕
- 7/2
- 寝坊して早々、国見氏と巡査に呼び出され玉藻殺害の下手人として疑われる。玉藻に処分を依頼された巻紙が殺害動機かもしれないと思い当たる。
- 本日の宿に到着。
登場人物
【※印の人物は史実にも名前が挙がっている人物。史実本人と漫画の登場人物とは一切関係がない事をご了承ください】
帝都ジャアナル
- 佐藤 景臣(さとう・かげおみ)
- 甘党の帝都ジャアナル記者。編集長の無茶振りで仙台に旅することに。赤い髪に立涌柄の羽織。人に対する常識がなく、思ったことをすぐ口に出しがち。
- 岡倉 忠造
- 編集長。国見重尚とは旧知の仲。ヘビースモーカー。過去に佐藤を拾い、以降世話してあげている。
- 倉木
- 編集助手。佐藤にだけアタリが強い。毒舌でナチュラルに嘘つき。ちゃんとした名前は緑銀(リョクイン)倉木。
国見家
- 国見 重尚
- 国見家当主。せんべいが大好きな地主。常盤町総元締めの一人であり、一等店「銀華楼」を経営している。ほかに貸馬業・カッフェ経営・紡績会社に出資など、手広く行っている。
- 国見 春之
- 長男。二高生(現在の大学2年生程度)。思春期というか反抗期。玉藻に恋している。
- 国見 千代
- 本妻。重尚とは常盤の利権がからんだ政略結婚。今年3月に7人目の子供を産んだばかり。
国見家使用人
- 木常 紺
- 使用人。滞在中の佐藤の世話係として一緒に行動する。なにやら人ではないような不思議な雰囲気をかもし出している。
- 銀子
- 女中頭。紺とは幼馴染。
- ゆき江
- 女中。国見家に来て三年目、わりと天然なドジっ子。
- 相澤 惣之助
- 書生。国見家の帳簿管理やカッフェの運営、旦那様の夜の世話もする男色家。関西地方出身。
- こずえ
- 女中。主に別邸で千代の子育てサポートを行う。
宮城紡績会社
- 菅 克復(※)
- 社長。自分にも他人にも厳しい性格をしている。経営が傾いている会社をなんとかしようと、電灯器の導入を試みる。
- 武田 範義
- 職員。大柄で力持ち。豪快に笑う人柄。実は第一話で食い逃げの佐藤を取り押さえた中にいた。
- 山口 五郎
- 職員。猫に引っかかれたため、頬にガーゼをはっている。
八幡様
- 沼田 仲(※)
- 八幡様の社家である沼田の当主であり、社掌(現在の宮司にあたる役職)。結構なやり手。
- 矢白 鳩
- 白く長い髪、趣味で巫女の格好をしている男性。なにやら人ではないような不思議な雰囲気をかもし出している。
常盤町
- 玉藻
- 常盤町一等店・銀華楼の稼ぎ頭。おかしな言動をよくするため、狐憑きと噂されている。遊郭からの常時外出を特別に許可されている。
- 沙羅
- 銀華楼の二番手。クールビューティーな情報通とみせかけ、気苦労が多い玉藻のお守り役。
- 柚子橙
- 銀華楼の新人見習い。ピン子ちゃんと呼ばれて、配膳など小間使いの仕事をしている。
- なかまりさん
- 銀華楼の娼妓の世話を一手に引き受けるおばちゃん。元々は舞鶴楼の酌取女だったが旦那様にスカウトされ今に至る。
- 番頭さん
- 銀華楼の番頭。名前は熊谷玄六。外での呼び込みや客の下足の管理・売り上げの一時保管などを担う。
- 唐梨子
- 常盤町三等店・きち楼の娼妓。あまりに人気がなく、お茶ひき女郎と揶揄されている。
- 小野寺 三吉
- きち楼の楼主。国見のところの銀華楼とは良い関係を持っており、娼妓同士の交流もある。
- 石垣 鑄太郎(※)
- 常盤町総元締めの一人。昌二楼の楼主で、常盤の楼主たちの相談まとめ役。
- 針生 庄之助(※)
- 常盤町総元締めの一人。侠気(おとこぎ)あるヤクザ。仙台における遊郭の開祖。
仙台商人会
- 小西 利兵衛(※)
- 豪商で投資家。国見重尚とは十年来の友人。
- 桜井 伊之助(※)
- 老舗の薬屋。国見重尚とは十年来の友人。相澤に薬を処方している。
- 大泉 梅次郎(※)
- 国分町大泉旅館の亭主。紺を可愛いペットのように思っている。
警察署
- 津治 良作(※)
- 国分町・警察本署の二等巡査。国見家の面々とは知り合い。
秋津家
- 秋津 影隠(あきつ・かげおに)
- 死装束。体には複数の痣、手には縄の痕があり、生まれてこの方儀式の時以外は蔵に閉じ込められている。自我はほぼない。
- 女
- 影隠を連れて逃げ、桜の木の下で心中をはかる。
作中の注釈
第一話
- 「かつては馬車で三泊四日」のくだりは、五泊六日と書かれている書籍もある。これは、徐々に鉄道を延ばしていったためと思われる。
- 和菓子店「玉澤」は現在、のれん分けをした2店舗がある。この漫画内に描かれているほうの玉澤は「九重本舗玉澤」で、九重や霜柱が有名。
- 当時のずんだ餅は、餅の上にずんだ餡をぽってり乗せるタイプが主流であった。作者が直前にさいちのおはぎを食べたためにこうなってしまった。
- 仙台四郎については諸説あり、必ずしも作中の話と同一ではない。
- 和菓子店「賣茶翁」は、現代では珍しい電話番号非公開の店。明治時代と同じように、当日足で来て買ってくださいというコンセプトで今も営業している。
- 現在、仙台城大手門復元の話が浮上している。十年後くらいにはこの漫画と同じような大手門が登場するかも知れない。
- 百貨店「藤崎」の屋上には恵比寿さんをまつっている小さな神社がある。藤崎の前身の「得可主屋(えびすや)」からきているものと思われる。
- 松原街道はその名の通り、街道沿いに松の木が植えられていた。
- 国見家の場所は現在の仙台市青葉区国見二丁目。史実では全く開拓されておらず、森と大きめの沼だけがあった。
第二話
- 国見別邸の大きさや窓の参考は、現存する宮城県榴ヶ岡公園内・旧歩兵第四連隊兵舎。
- 当時の内閣府は黒田内閣、大日本帝国憲法を制定するために、様々な物事の是非が問われている時代であった。
- 時を同じくして婦人運動が盛り上がりをみせ、女性の社会進出の波は仙台にまで及んでいた。
- 旧制第二高等学校は、作中では説明を省いたが、史実では一高・三高・山口高等中学校に次ぐ第四番目の設立であった。
- 「若者組」とは現代でいう青年会と消防団を合わせたものであり、地域に住む40歳までの男衆で構成された。
- 閨中の接待については、身内の未婚女性が行うのが常識であった。また、基本的に常盤の女性は外出禁止で、玉藻だけが特殊な例。
- 当時は、童貞で結婚する事は珍しくなかった。性病に対する薬は乏しく、死に至る病でもあったことから「童貞=性病の危険がない」という事で安心して子供を作ることができたため。
第三話
- 夏越しの大祓は1年の半分が過ぎた6月30日に、年越しの大祓は12月31日に行う。現代では年越しの方しか知らない人が多いが、実は現代でも6月30日に祓をやっている神社は多い。
- 菅克復は常に紋付袴の格好で、古武士のような風貌であったと伝えられる。紋が確定できなかったため「管」姓で一般的な梅の紋にした。
- ミュール紡績機は非常に高価であった。作者が計算したところ、現在の価値でいうと1台1億五千万円くらい。計算違いじゃないかなと目を疑った。計算違いかも知れない。
- 宮城紡績会社建設にあたって出資した地主についての名簿資料はないが、数十名にのぼったとみられる。
- 牛越橋は当時木組みで高さのある橋であった。現代ではそんなに高さはない。橋の下の牛越緑地は毎年芋煮やバーベキューをする人々で賑わっている。
- 宮城紡績会社の建物は外観が一枚絵で残されている。左側には地下から広瀬川に排水するための堀があった。
- 宮城紡績会社の跡地は現在、バスの営業所となっている。柵の所にある松が、一本だけ現在でも残されている。
- ミュール紡績機は当時千錘が稼働していた。本当は当初2千錘までそろえたが、故障が相次ぎどんどん少なくなっていた。修理できる技術者がいなかったためである。
- 当時はまだ、現代のカフェと同じようなシステムや概念はなかった。現代で言うネットカフェに似たシステムの可否茶館は、料金の高さなども相まって5年もたたずに潰れてしまった。
- 書生という言葉は、寄宿の貧乏学生のほか、住み込みで働きつつ独立の勉強をしている人間も指した。
- コッペパンは明治時代に唯一パンを製造販売していた鍛冶町の「蛸屋」から仕入れているという設定。
- こンてほ語り野郎が!おだづなよっ(仙台弁)→(標準語)この嘘つき野郎が!調子こくなよ!
第四話
- 十符(とふ)というのは細長い葉で、乾くと独特のまだら模様が浮き出る(らしい)。これを編んで様々な工芸品を売っていた。現在では生産されていない。
- 矢白鳩については、当初性別不明で「神官の格好→勾当台鳩男」「巫女の格好→矢白鳩子」と名乗るという設定だったが、蛇足だと感じて「女装神官・矢白鳩」という設定に変更した。
- いぎなりがおるわ(仙台弁)→(標準語)マジでテンションだだ下がり
- ~~ちゃや!(仙台弁)→(標準語)~~だろうが!
- 初代藩主伊達政宗公が指揮をとり建造された神社と城6か所は、直線をひくと仙台を囲むように六芒星の形となる。八幡様も主要神社のひとつ。
- まれびと(客人)とはもともと来訪神のこと。旅人も神と同じように歓待するようになったことから、異邦の旅人を指す言葉として定着した。
- 赤ちゃんを斜めに切った樽に入れるのは、明治時代の風習ではなく作者の実家の習慣。なぜ実家でそうしていたのかは今をもってして謎である。
- ファイブ・ウェイ・ポジショニング戦略は、星野リゾートで有名な星野佳路社長が実践している商売戦略。
第五話
- 時期の旬はカレイやイワシ。カレイについては、宮城は365日なにかの種類のカレイがあがるため、よく食卓にのぼる。
- 西口の「仙台朝市」は戦後の闇市から始まった。こちらの明治時代の市は、基本的に日曜日に行われる所謂持ち寄りの青空市。
- 仙台常盤型染めは、模様が描かれた型を使って、まるで絞りのような模様に染めることができる。現在では廃れた技術。
- 工場の駆動部である特注のタービンは、工場建設時、運んでいる最中に牛越橋から落としてしまったことがある。なかなか引き上げられず、しばらく広瀬川で寝ていた。
- 「電灯器設創予算」の発起人は、菅克復(紡績会社社長)・遠藤作兵衛(副社長)・佐藤助五郎(のちの仙台銀行創設者)・山崎勇馬(元宮城郡主席書記)・鈴木太郎(株主総代)。
- 提示された電灯器の予算には、渋澤栄一の叔父である第一銀行尾高惇忠仙台支店長が関わっている。ちなみに仙台にある七十七銀行も渋澤栄一と関りがあったりする。
- この時の日本銀行総裁・富田鉄之助は、仙台出身。
- 東京では明治19年に、現在の東京電力にあたる電気事業会社ができ、明治20年に各戸への送電を開始したばかりであったため、いわば試験中。「前途いかなる障害の生ずるかまだ分からない」と富田は時期尚早だと断言した。
- 常盤町は明治11年9月に完成した。それまでは国分町に貸座敷が点在していたが、このような店が市街地の真ん中にあるのは不当であるという声が高まり、一か所に集めて廓とした。移転当時は西側に大店6軒、東側に小店9軒の計15軒が一廓を成した。
- 銀華楼の建物のモデルは南幸楼。3階建てで、3階部分には橋がかけられており、豪華絢爛な吉原風の店であった。
- なぬすた(仙台弁)→(標準語)何した
- 史料によると花代は1円十銭であった。(現在の貨幣価値で約3万円)作中では分割して基本料金1円&指名料十銭からとした。
- 楼の中には「まわし部屋」と「本部屋」がある。まわし部屋は純粋にお客専用の部屋で、掃除して何度も使う。本部屋は娼妓の自室。常連になり情夫となると、本部屋に通して泊めることもあった。
第六話
- Parce que tu es mon œuf d'or(フランス語)→(日本語)お前は俺の金の卵だからな
- 仙台七夕祭りの始まりは、常盤遊郭の夏祭り。吹き流しの飾りは、娼妓たちが昼の暇な時に手作りして様々な願いを込めたといわれている。
- ばくされ(仙台弁)→(標準語)婆腐れ、女を罵倒するときの言葉
- はだぎづげっと(仙台弁)→(標準語)叩きつけるぞ
- 南町の髙新餅屋は、明治2年の創業から百年続いたという記録はあるが、その後の記録はなし。作者の調べた範囲では現在経営が確認できていない。名物の御汁粉をもとめて門前市ができるほどの超人気店だった。作中では器はお椀だが、価格からしておそらくどんぶりだったと思う。
- 身請けは年期にもよるが基本的には10~30円。現在の貨幣価値で約30万~100万円。現在の価値感覚ではだいたい100万円~300万円といったところ。
- 廃娼論については、仙台でも度々新聞に言論が掲載されていた。
- 上善若水(じょんぜんはみずのごとし)……理想の生き方とは水のようなものであるという「老子」の一節。
- この時代、現代風ネクタイはあまり普及しておらず、洋装のタイは基本的に蝶ネクタイだった。でも直すのが面倒くさいので、笑って許してください。
- 五つ紋とは、着物に五か所家紋を染め出した第一公式の礼服。ちなみに国見家の家紋は八幡様に所縁のある「三つ巴」の設定。
第七話
- こんやろっこ→この野郎っ子(仙台弁)→(標準語)このお子ちゃまくん。宮城以北では小さくて可愛らしいものに対して語尾に「こ」をつける。
- 遊郭の1店舗に努める女全員を貸し切って遊ぶ「総揚げ」は、そこそこの頻度であった。軍人らが大勢で来て店を貸切るのも一応「総揚げ」だが、1人ないし2・3人でパーっと金を使って遊ぶ事こそ「総揚げ」――男のロマンであった。文献によると、とある男2人組が総揚げして遊んだ時の金額は40円(現在の約130万円)ほどであった。
- キセルの吸い殻は、陶器製の巨大な灰皿、もしくは煙管一式が入った灰箱のフタの、鉄で囲んだ凹みに落とす。本当は、キセルで吸う時点で灰箱ごと隣にあるハズなのだが、演出上やむなく紺に持って来させた。
- お客全員に酌をして、お客が帰る際には(当主のかわりに)玄関まで見送る、というのは本家長男の絶対的な仕事。これは作者の実家がそうだったから、明治時代もたぶん同じだろうと考えて描いた。
- 予告なしの試験点灯に、八幡近辺の住人たちが狐火だと騒ぎ巡査が出る事態となったことは史実。不慣れな水力発電だったため、水の勢いが一定ではなく、まるで狐火のように揺らめいた。これが、日本国内で一番最初の水力発電であった。
第八話
- 祓へ給ひ清め給へとは、祓詞の中の一節。祭儀の最初に読まれる基本的な言葉。
- 柏手は打つときに手の平を少しだけずらす。しっかり打ったときは、ポーンポーンと高くて大きい音が響く。
- つけすごとして→突っ返ぇす事して(仙台弁)→(標準語)言い返すようなことをして。鳩が佐藤について再三注意していたにもかかわらず、紺がろくに取り合わなかったため出た言葉。
- 使用人・書生用別館は二階建ての洋風建築。ただし中身は、廊下までが洋風の板張りで、部屋の中は畳。一階が男部屋・二階が女部屋と別かれている。
- ベッドは相澤のみが使用している。他の使用人らは布団を使っているという設定。ベッドの参考は陸軍で使われていた実際の物。
- 相澤が佐藤に盛った薬は「抱水クロラール」。水にすぐ溶けるため湿気をさけて保管する。不眠症の薬として使われていた。鼻をつく刺激臭と飲んだ時の苦みをコーヒーで誤魔化しているが、本来はカフェイン含有のコーヒーと一緒に飲むのはNG。
第九話
- 扉絵は国分町警察署。明治17年の絵地図には門柱表札「宮城懸警察署」と描かれてるが、この時期の宮城県はまだまだ伊達藩「城下町仙台+その他の宮城郡」といった意識が強かったと推測されるため、作中での名称は県警察本部ではなく「国分本署」としている。
- 巡査の津治良作は史実の人物。国分町時代から遊郭門前警備をしているのも史実で、娼妓が逃げ出さないように顔を覚える必要があった。勤勉で優秀な警官に贈られる賞を授与された記録もある。
- 戸籍がない娼妓についての火葬の手続きは当時の書籍に記事があったため参考にした。戸籍の制度は明治8年に施行されたが、十数年の年月を経ても戸籍申請しない人間は多かった。面倒・文字が書けない・役所の場所が遠い・申請を頼める伝手がない、などの理由からである。
- 娼妓の価格設定は基本的には一律だが、玉藻の価格設定だけはかなり跳ね上がっているという設定。
- 剣徳流は、愛宕赤星(古上武徳)が創始した捕手術を表芸とする総合武術の流派である。「剣術・捕手(体術)・槍術・薙刀術・鎌・棒術・捕縄術」の7つがあり、それぞれの修行が厳しすぎることで有名。例をだすと、例えば体術では後ろに倒れた際の受け身を頭でとる(頭の固さと首の強固な筋肉が必要)とかそういうレベル。
- 仙台箪笥はもともと男(野郎)の刀入れ箪笥という意味で「野郎箪笥」と呼ばれていた。現時点(明治21年時点)では飾りは控えめで、ここからゴテゴテと豪華になっていく。
- 鏡面仕上げは手触りをツルツルに仕上げること。木地呂塗りは、木の木目が見えるような透明感ある塗りで、漆塗りの中でも工程が大変。
- 見知らぬ仙台箪笥を順序良く閉めきるには、順序の理解に15~30分の時間を要する。
第廿話
- 大泉旅館亭主・大泉梅次郎は、闊達なアイディアマンであったと伝えられている。鉄道の利用価値にいち早く気づき、まだ建設前の段階で自分を担保に駅前の土地を確保し、大泉屋停車場支店を建てた。のちに洋風に改装して「仙台ホテル」と名を改めた。停車場支店は2009年まで「ホテル仙台プラザ」の名前で運営した。
- 当時の風呂はちょうど現代風呂に近い形に転換し、とはいえまだまだ天井は低めで、中身は暗め。タイルという存在はまだなく、四方は全部木でできている。水を逃がすために、床はすのこ的な構造になっている。先に髪や体を洗ってから入るのがマナー。そのため佐藤や紺の髪はすっかり濡れている。湯加減的にはけっこうかなり熱い。脱衣所と湯殿の仕切りは特になく、そのまま繋がっている。本当は堀りの湯舟だとパーフェクトだったが、大泉屋は巨大なので、一の湯&二の湯は堀りで、たぶん佐藤たちが入っているのは後から作られた三の湯とかなのだという言い訳を用意している。
外部リンク
主要参考文献・協力
- 「電狸翁夜話 : 仙台昔話(伊藤清次郎 述 ; 小西利兵衛 編)」「仙台花街繁昌記(田村昭 編)」「みちのく仙台常盤町 小田原遊廓随想録(千葉由香)」「
続・東北開発夜話(岡田益吉)」「水力発電は仙台から始まった(逸見英夫)」「はじめての男着物(木下 勝博)」「仙台の珍談奇談(田村昭 編)」「仙台はじめて物語(逸見英夫)」
- 大崎八幡宮 庶務課 N様 ご協力ありがとうございました。
- 仙台市 建設局百年の杜推進部河川課 広瀬川創生室 室長 I様 ご協力ありがとうございました。
- メディアテーク仙台市図書館 郷土資料 U様 ご協力ありがとうございました。