Neetel Inside 文芸新都
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涙のバレンタイン

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「小野は絶対に何か知ってると思うんだよな」
 箸先から転がり落ちたミートボールを串刺しにして、美味そうに頬張る植木に、僕はつぶやいた。
 あまり腹は減っていなかったが、僕も今朝登校時にいくつか買っておいた調理パンを鞄から取り出して、袋をビリビリと開けた。マヨネーズのゆるい酸味を持った匂いが鼻をつく。無難にジャムパンにしておけばよかったな。
 数回の咀嚼を終え、ごくんっと音を立てて飲み込んだ植木もうなずく。こいつの喉仏は随分小さいんだなと、妙な場所に目がいってしまった。
「俺もそう思う。あの顔色は異常だよな」
 迷い箸をして次のおかずを選ぶ植木の弁当は、僕たちの年代のものにしては珍しく、色とりどりに華やいでいた。同級生の大体の弁当は、鳥のカラアゲやフライ、もしくは冷凍食品などで茶色いものが圧倒的に多い。きっと植木の母親は料理好きなのだろう。植木は無造作に、ほうれん草とチーズが巻かれた卵焼きを自分の口に放り込んだ。
 一番廊下に近い列の、一番前。一人でのそのそと弁当を食らう小野の後姿を目で捉えた。黒板を背にして僕の向かいに座る植木も、ちらりと振り返り小野の様子を伺った。小野は小さく背中を丸め、誰とも目を合わせようとはしない。ガヤガヤと賑やかな教室のその一角だけが、世界と切り離されているかのようだった。
 対照的に、教室の真ん中では江崎が友人たちに囲まれ大笑いしている。特大の弁当箱とは別に持ってきているオニギリをぱくついているところを見ると、食中毒はすっかり良くなったようだな。

『俺、犯人見ちゃったかも知れない』
 
 江崎が無邪気に放った言葉が心にこびりついている。
 警察は事故だと発表したと、石田は言った。新井の死体が見つかったのは、今僕たちのいるこの3年1組の教室のすぐ隣の多目的教室だった。年々減り続ける生徒数の影響で学級の数が減少し、代わりに多目的教室と銘打った空き部屋が学校のあちこちに増えた。そして、そのうちの一つが現場になったのだ。
 小さな倉庫には収まりきらないので、かつて使用していた机や椅子はそのままにしてある。教室の最後尾の列の窓側の席、ちょうど今僕が座っているのと同じ位置の机の角に後頭部を打ち付けて、新井は亡くなったという話だった。柔道部顧問という役職以外に、3年生の化学を担当していた新井がいつもその教室で作業をしていたのは周知の事実だったので、警察もあっさり事故として片付けてしまったのだろう。
 江崎は、警察に目撃したことを話さないのだろうか。決して優等生ではないお調子者のアイツのことだから、得意になって警察に話すだろうと読んでいるのだが……
「コナン君、出番よ」
 妙な裏声で植木が僕のあだ名を呼んだ。河南と書いてかわなみと読む僕の苗字をふざけてアレンジして、『コナン』と呼ぶ輩がいたのだ。有名なアニメのキャラのその名前は、あっという間に学校中に広まって、以来、僕のあだ名はコナンに定着した。僕がいつもかけているレンズの大きな眼鏡がそのあだ名を支えていた。そういえば、入学して間もない頃に僕にそう名づけたのは江崎だったな。
「お前が美人の幼馴染なら喜んで推理してやるよ」
「残念ながら、俺は空手家ではないな」
 苦笑して首を横に振り、植木は紙パックに入った牛乳を付属のストローでズズズッと吸い上げた。



 下校途中にある大型スーパーに立ち寄るのが僕の日課だ。
 母子家庭で、働く母を支えるために家事をこなす僕は、売り場の配置を熟知している。この店は、夕市という名目で時間限定で一部の商品が安くなるのでとても重宝しているのだ。
 僕は出入り口付近に並べられたカートに買い物カゴを乗せると、まっすぐにレジの脇の半額コーナーへ足を向けた。賞味期限間近の調味料や菓子に混ざって思いもよらないものが半額で置いてあったりするので、このコーナーのチェックは欠かせない。
 ワゴンの片隅に、この時期ならではの物がまばらに置かれていた。バレンタインのチョコレートだった。
 ちょうど一週間前に終わった行事の売れ残りだから、そんなに数はないようだった。この六日間で目ぼしい物は売れてしまったのだろう。半額になるのを待つ人もいたはずだ。
 焦げ茶色の少し地味な小箱を手にとって何となく見ていると、誰かが僕の隣に立って同じようにワゴンを覗き込んだ。
「やっぱりほとんど売れちゃったかー、仕方ねえなあ。コナン、お前もチョコ目当てに来たのか?」
「江崎」
 わき目も振らずに、江崎は次々とワゴン内のチョコレートを肘にぶら下げたカゴに投げ入れていった。みるみるうちに、僕が持っていたひとつを残して、ワゴンに残っていたチョコレートは全て江崎のカコに納められてしまった。
 残り少ないと言っても、店の備え付けの買い物カゴを半分は埋め尽くす量のチョコレートだ。江崎の勢いにあっけに取られていた僕に気づいたのか、江崎は照れ笑いをした。
「俺さ、昨日まで家で寝かしつけられてたじゃん? 母ちゃんに半額チョコ買って来てって頼んでも、『拾い食いして食中毒になったくせにまだチョコなんてぬかすのか!』って怒鳴られちゃってさあ。やっと買いに来れたんだよなー」
 何も言わない僕に、薄ら笑いを浮かべた江崎はつらつらと言い訳のように話して来た。
「少しでも売れ残っててよかったんじゃないか? でも結構な金額になるんじゃないの?」
「いいんだよ。臨時収入が入ることになったからな」
「臨時収入?」
 聞き返した僕に江崎は、あっと言う顔をして慌てて視線を逸らした。『臨時収入』という言葉に何か不味いことでもあったのだろうか?
「俺、他の店も寄るから! じゃあなコナン!」
 チョコレートしか入っていないカゴを持ち直すと、江崎はバタバタとレジに駆けて行った。江崎の挙動は不自然極まりなかったが、別段引き止める理由もないので、僕は予定通りに安売りしている食材コーナーへと向かった。




 その翌日のことだった。
 卒業前のレクリエーション、ということで、僕たちのクラスが体育館でミニゲームを楽しんでいた、その時間。
 熱気にあふれる体育館の換気のために開け放してあった外へ通じる扉から、使用していたボールが飛び出してしまったのだ。
 扉の一番近くにいた僕が必然的に取りに出ることになってしまった。ジャージだけで上着もないので、ひどく寒かった。体育館の外は小さな林があって、その先にグラウンドが広がっている。方向から考えるに、ボールは林のどこかに飛んでいってしまったようだった。
 両腕で自分を抱きしめるようにして、僕は足元の枯れ草をなぎ払いつつ林に足を踏み入れた。カサカサという足音と、遠くで鳴いている鳥の声だけが聞こえて来る。僕は、世界中から生物が消え失せて、たった一人取り残されてしまったような錯覚を覚えて身震いした。
 
 突然、林の中を半分ほど進んだ辺りで、木陰から誰かが飛び出してきた。
「河南…!」
「石田先生? どうしたんですか?」
 大柄な教師は、真っ青な顔をしていた。何だ? 何やら目つきがおかしい。石田は口を半開きにしたまま、ふるふると唇を震わせていた。
「あの、ボールを見ませんでしたか? 探してるんですけど」
 僕の声に、はっと顔を上げると、石田は僕を突き飛ばすようにしてどこかへ走って行ってしまった。
「何だ? アイツ…」
 石田の出てきた木陰を覗き込むと、なんとそこに捜し求めていたボールを見つけることが出来た。だが、見つけたのはボールだけではなかった。ボールのすぐ近くにあったもの。それは、上履きを履いた人間の足だった。
 ジャージの腹部の暗い赤が、ゆっくりと広がっていく。苦しそうに横たわっていたのは、江崎だった。

「江崎!? どうしたんだよ!!」
「刺された… 痛ぇよ、畜生…」
 江崎は顔中が脂汗にまみれていた。たくさんの刻み込まれた深い皺が、痛みの激しさを示していた。
「誰に? 誰がお前を刺したんだよ!」 
「何でだ… 何でだよ…… 何でアイツが… 痛え、いってえよぉ……!」
 こんな時どうすればいいのかわからなくて、僕は江崎に近づくことも出来ない。オロオロとその場に立ち尽くすことしか出来なかった。
「今、救急車呼んでくるから! 待ってろ!」
「俺が呼び出したのはアイツじゃないのに… なんで、小野じゃなくてアイツが…… ……クッソォ……………」
 江崎のつぶやくような声を背に受けて、僕は体育館に向かって走り出した。
 

 結局それが、江崎の最期の言葉になってしまった。
 江崎は病院に運ばれて、その数時間後に意識を取り戻すことなく、息を引き取ったのだった―――――。



       

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