Neetel Inside 文芸新都
表紙

涙のバレンタイン

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 僕への容疑はすぐに晴れた。
 第一発見者を最初に疑え、というセオリーがあると何かの小説で読んだことがあるのだが、僕には適用されなかった。
 江崎のいた周辺にも、もちろん僕の身の回りにも凶器が見つからなかったことと、石田が依然行方不明であることが大きい理由だったようだ。
 あの時僕は、石田の尋常じゃない表情に釘付けになってしまって気づかなかったのだが、石田の身体には血液が付着していたらしい。
 後から聞いた話なのだが、僕とすれ違った後石田は、3年1組が使用している体育館に飛び込んで行ったらしい。しかし石田のただならぬ様子に驚いて悲鳴をあげた生徒がいて、その声にほとんどの生徒たちが集まってきた。石田はそいつらをはねのけるようにして土足のまま逃げていった…ということだった。
 卒業式を目前としているのに、また今日も学校が休みになってしまった。夕べの警察での取調べに疲れ果てていた僕にとってはありがたい休校ではあるのだが、脳裏に焼きついた江崎の苦悶の表情がフラッシュバックするのがたまらなく嫌だった。何か、気のまぎれることでもしようと漫画やゲームを引っ張り出してはみたものの、到底楽しめる気分にはなれなくてすぐにやめてしまった。

「大輔、行ってくるわね」
 ドアの向こうから母が声をかけてきた。そういえば、今日母の仕事は遅番だった。母は、独身時代にしていた看護師の仕事に数年前復帰して、今も頑張って働いてくれている。父が亡くなったことで大学受験を諦めていた僕を励まし、背中を押してくれた母に対して僕ができることは、母の代わりに家を守ることくらいしかないのが歯がゆい。受験は無事に推薦を取ることができたのでそれだけが救いだった。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
 そのままの場所から声だけで返したが、母が立ち去る気配がしない。しばらくの間をおいて、おずおずとノックをする音が鳴った。
「ちょっとだけ、お話したいんだけど。いい?」
「…どうぞ」
 何やら硬い表情の母が僕の部屋に入ってきた。親を部屋にいれるのなんて何年ぶりだろうか。ぐるりと僕の部屋を見渡した後、母は僕の正面に腰を落ち着けた。
「…大輔、どうして新井先生が亡くなったこと、教えてくれなかったの?」
「ああ… …………ごめん。言った方がよかった?」
「毎年14日に来てらしたのに、今年は来なかったから変だと思ってたのよ。ここのところテレビもろくに見てなかったから、昨日警察で話を聞いてびっくりしたのよ?」
 母はいつも穏やかで、今も語調は少しだけ荒いが決して怒っているわけではない。軽く眉毛をハの字に寄せ、まっすぐに僕の目を見つめている。
 
 実は亡くなった新井は、毎年2月14日に僕の家に来ていたのだ。僕の父の命日、父の教え子だった新井は欠かすことなくチョコレートを携えて、父の仏壇に手を合わせに来ていた。去年までは。
「ごめんね、母さん。…なんか……言い出しずらくって……」
「……そう…。 うん、じゃあこの話はまた今度しよう。…大輔、大丈夫? お母さん、仕事休んでもいいんだよ?」
 事件に巻き込まれた僕を心配してくれている。母の優しさがこそばゆい。
「僕のことは気にしなくて大丈夫だから。ほら、もう出る時間だよ」
「本当に? 不安だったり、理由がなくてもいつでも電話していいからね?」
 少し伸びすぎた僕の前髪をそっとつまみ上げ、困ったような表情で僕の顔を覗き込んでくる母を前に、僕は自分がまるで小学生に戻ってしまったような気がしていた。
 高校生にもなってと照れくさくてその手を払いのけたくなったが、いつになく過保護な母の様子に、かえって心が落ち着いたことに気づく。
「わかったよ母さん。困ったときは頼るから」
 か細い笑みで答えてくれた母を玄関先に出て見送った。母の後姿が見えなくなった頃に、ため息がひとつ僕の口から転がり落ちた。
 


 江崎が残した最期の言葉、
『俺が呼び出したのはアイツじゃないのに… なんで、小野じゃなくてアイツが……』
 アイツというのは誰のことだろう。石田だろうか。江崎はおそらく小野を呼び出していた。それは間違いない。
 確かに僕たちはあの時、体育館でレクリエーションを楽しんでいた。しかし授業とは異なり参加不参加も出入りも自由で、誰かがこっそり抜け出してもわからなかった。
 石田か、それともクラスメイトの誰かか…。

   
 小野に会いに行こう。
 きっと家に一人で悶々としているよりマシだ。
 机の引き出しから連絡網を取り出し、小野の家に電話をかけてみた。
 普段遊ぶことのない友達ではない同級生に電話をすることで少し緊張してしまい、僕の手のひらはじっとりと濡れてしまっていた。
 5回目のコールで、相手側が受話器を取った。
「…はい、小野でございます」
 気弱そうで上品そうな小さな声。多分小野の母親だろう。
「あ、僕は潮岬高校3年1組の河南と申します。あの…」
「美幸ですか? 少々お待ち下さい」
 僕の返事を待たずに保留音に切り替えられてしまった。どこかで聴いたことのある昔の曲が耳へと流れ込んでくる。何というタイトルだったか…
 記憶の引き出しを漁っていると、音楽がぴたりと止まってしまった。受話器の向こうでごそごそいう音が聞こえる。
「小野?」
「…河南君……。どうしたの? 珍しい」
 少し不機嫌そうな、鼻を詰まらせたような声だ。
「いや、あのさ、ちょっと聞きたいことがあって」
「………何?」
 僕は、一度深呼吸をして受話器を持ち替え、はっきりと告げた。
「江崎のことなんだ」
 小野が息を飲む音が伝わって来た。しばしの静寂。僕は辛抱強く小野の反応を待った。
「…どうして、そんなことを河南君が聞いてくるの」
 数分の沈黙を、声を一層落とした小野が破いた。
「江崎が死ぬ間際に言ってたんだよ。『小野を呼び出した』って」
 多少ニュアンスは異なるが、江崎の言葉から察するとそういうことだろう。小野は僕の投げた釣り餌に食いついてくるだろうか。
 小野がまた黙り込んでしまっている。荒く吐き出される息がすぐそばに感じられる。僕が考える以上に動揺してしまっているのかも知れない。
「公園でもファミレスでも僕の家でもいいんだけどさ、今から会えないかな。どういうことか気になっちゃって、何も手につかないんだよ」
 他意がないように明るく聞こえるように言ってはみたものの、小野からの返事はない。
 直球すぎたかな。気弱な小野のことだから、このまま電話を切られてしまうかと思った矢先だった。
 決心したように、小野がきっぱりと言った。

「うちに来て欲しい。河南君、一人で」
 教えてもらった住所を記したメモを手に、僕は小野の家へと向かった。
 外は雪がチラつき始めていた。




 

       

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