Neetel Inside ニートノベル
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 ですの妖精(仮)は、ゆっくりとした口調で何が起きたのかを教えてくれた。彼女の話をまとめると、僕が彼女が近づいたときに魔力が共鳴するような感じがして、光に包まれた僕が一瞬消えて服だけになったと思ったら、服の中に小さくなった裸の僕が埋もれていたので引きずり出して、彼女が服だけ脱いで代わりに着せてくれたらしい。……何だか分かったような分からないような。だから魔力って何さ。

 あまりに広大になった周囲の空間を見回すと、僕は三つの意味で胸の高鳴りが抑えられなかった。一つに、僕が少なくともサイズ上は妖精と思しきものになっていること。もう一つに、そういう趣味がない……とは言い切れないけど、さっきまで彼女が着ていた、まるでウェディングドレスのようなごてごてとした衣装を着せられていること。最後に、下着姿で僕にキスをした天使が、それでも全く羞恥を感じていないようで僕をまっすぐに見つめていること。特に三番目の理由によって、僕の頬は真っ赤に染まったままだ。
「ところで、僕の裸、見たんですよね……?」
「ええ、何か問題ありますの?」
「いや、問題というか、その、……じゃなくてっ!あ、アレ、とかも、見ちゃいました……?」
「そう!びっくりしましたの!私、初めて妖精を見たので分からなかったのですけど、あなたって女の子でしたのね!」
「――えっ?」
 僕は言葉に詰まった。冷静に考えればそうなるけど、僕の声は彼女とほとんど同じソプラノで、髪もたぶん同じ感じになっていて、それは彼女の姿をそのままコピーしたような感じで、背格好が妖精のものになっているという印象が先行して、勝手にドレスを着せられていることもあって、「女の子になっている」ことが頭になかった。そう思うと余計に気恥ずかしくなってきて、僕は股間の方に手を伸ばそうとしたけど、彼女の視線を感じて慌てて手を止め、首の後ろの辺りまで真っ赤になるのだった。そもそも裸の上にドレスを着ているのだから、下着を履いているわけもなく、ちょっと動くと敏感な部分に直接パニエの生地が触れて、そのことを意識するとおかしな気分になってしまった。

「――なぁんちゃって、冗談ですの。たぶん私の魔法とあなたの魔法が作用して、私の姿があなたの魔力軸に投影されましたのね。もっとも、私は妖精の世界に魔力は存在しないと教えられましたので、あなたの、妖精の魔法については分からないのですけれども。」
「は、はは……」
 彼女は小さく舌を出してはにかんだ。はっきり言ってものすごく可愛い。一方、言われている僕は、もはや乾いた笑いで答えるしかなかった。
 でも、頭が完全に真っ白になって、改めて一から考えてみると、「妖精」という概念が整合していないように思われた。たぶん夢の中で会った、モミジという紳士風の妖精も言っていた。僕の姿こそが妖精だと。やはりあれは夢ではなかったのかもしれない。
「さっきモミジさんという方も言っていました。僕のほうが妖精だって。でも、僕らから見ればあなたたちの姿が妖精で、僕もたった今妖精になったみたいなんですけど、どういうことなんでしょうか……?」
「まあ!爺やに会ったんですの!突然こんなところに来てしまったので心配で、連絡の取りようもありませんでしたの。元気にされていました?」
 後半部分は完全に無視された。
「やはり知り合いだったんですね。一応それなりにはお元気そうでしたよ。それで、そもそもなんで本屋にいるんですか?」
「爺やは私の爺やですの。いつものように私のお城で魔法を使っていたら、突然周りが真っ暗になって、気付いたらここにいたんですの。」
「はあ、魔法を……。だから魔法って何――って私のお城!?」
 軽く吹き出しそうになってしまった。モミジさんは街の奥に見えたお城の執事で、この子の執事で、つまりこの子って……
「あのー……、あなたって、ひょっとして……」
「あら、そういえば自己紹介してませんでしたのね。私、サウザンリーフ王国の第一王女、ナタネと申しますの。」
 今度こそ僕は盛大に吹き出した。ここにおはしますは王女、プリンセス、お姫様でした。ですの妖精(仮)改めナタネ姫。なるほど確かに威厳に満ちた(?)口調。そしてこの素晴らしい衣装。――今は僕が着ているんだけど。
「いえ、あの、汚くしてすみません……。僕は佐倉と言います。」
 お姫様と言われても、日本にいる限りそのような方には縁がないので、別段かしこまることもない。というか彼女の下着ばかりが印象に残ってしまう。僕は名前を名乗ると、いよいよ彼女を見るのにも耐えられなくなってそっぽを向いた。

 日もすっかり落ち、辺りが暗くなってきた。ここの照明はあまり管理されていないので、正直こうなるとあまり用をなさない。
「そろそろ明かりをつけますの。」
 彼女はそう言うと、翼を軽く広げて目をつぶる。とたんに彼女の背中から淡い光が漏れ出し、全身に広がる。腕を上げ、指先で宙をなぞると、そこに輝く光球が生まれた。
「それが魔法――ですか?」
「ええ、そうですの。光の魔法はあまり得意ではないのですけれども、この世界でも使えるみたいですの。」
 白熱電球のような暖かい光。それにより、白いスリップをスクリーンに、彼女の体のラインがはっきりと映し出されていたけど、僕はなるべく気にしないように努める。
「ところで、サクラさんはこれからどうするおつもりですの?」
「そうですね……」
 僕は何がしたいのだろう。いつも妖精になりたいと願っていて、よく分からないけど妖精っぽい存在になっている。でも、周りの世界は何も変わっていない。例えばこのまま生活するとしてどうなるんだろうか。帰ってお母さんに説明する。理解してもらえるかは分からない。まず、僕は社会的にどうなっているのか。とても今の体が人間のサイズには思えないし、研究施設に送られてしまうかもしれない。第一、ここからどうやったら帰っていいか分からない。このままでは階段だって下りられないと思う。それこそ本物の妖精みたいに飛んで――飛ぶ?
 このとき僕は重大な事実に気付いた。ですの妖精改めナタネ姫には純白の鳥の翼がある。しかし僕はどうだろう。背中には何の感触もなく、彼女を鏡写しにしたようであるのに、手を伸ばしても何にも触れることはなかった。僕の背中には何もない。これでは身長20cmのただの小人だ。
「たぶん、このままでは帰れないと思います……。」
 落胆する僕とは裏腹に、姫の表情は明るくなる。
「それならちょうどいいですの!」
「えっ、何がです……?」
「あなたは確かに願いました。ならば、私の代わりに王女になってほしいですの!」

 それはドメスティックでエッセンシャルなお願いだった。単語の意味はあまり分かっていないけど。とにかく僕は妖精のお姫様になれるらしい。それこそ僕がずっと望んでいたものに違いない。
「あの、それはすごく嬉しいんですけど――どうやって?」
「さっきは勝手に反応してしまいましたけれども、もう一度あなたに私の魔法を使ってみますの。同じ反応が起こればきっと、あなたを送り返すことができますの!」
「本当ですか……?」
 怪しい。さっきのだって夢だか何だかわからないし、魔法がどうとか言われても……。
「私はここでしばらく帰る方法を探してみますの。だめならあなたも一緒に探せば済むことですの。」
「まあ、それはそうですね。失敗して変な場所に飛ぶことがなければ。」
「きっと大丈夫ですの!さっきと同じことをすればいいんですもの。」
「――他に帰るあてもないですし、やるしかなさそうですね。それで、王女って何をすればいいんですか?」
「今はもうお父様もお母様もいなくなってしまったので、私が国を治めていますの。ほとんど爺やに任せきりですけれども……。それでも、爺やや妹やみんなもきっと心配していると思いますの。サクラさんには、私の代わりになって、みんなを安心させてほしいんですの。」
「つまり、どうすれば……。」
「爺やに私が無事であることを伝えてくださいませ。爺やなら事情を話せばきっと分かってくれるはずですの!」
 大丈夫かなこの人……。モミジさんをすごく信頼しているみたいだけど、僕からしたら行き当たりばったりすぎて答えになっていない。
「私も帰り方が分かったらすぐ追いますの。それと、これをお渡ししますの。困ったらこれを見せれば大丈夫ですの。」
 姫は首に手を回すと、ネックレスのようなものを取って僕に手渡した。白銀の小鳥をかたどった飾りが付けられている。僕がネックレスを手に乗せたままで困っていると、彼女はそれをそっと持ち、僕の首に回して付けてくれた。彼女の翼が腕に触れて、少しくすぐったかった。

「それと、このドレスは返さなくていいんですか?」
 ナタネ姫は何やら集中しているようで、これ以上の質問はためらわれたけど、僕は最後に一番大事なことを聞く。
「それなら大丈夫だと思いますの。」
 そう言って彼女は床に置かれた一冊の本を指さす。それには「ネクロノミコン写本」と書かれていた。
「どうやら私はこの世界の因果律には干渉できないようですの。その証拠に、あそこに同じ本がありますでしょう?」
 今度は本棚の高い位置を指した。確かに全く同じ本がある。
「ですから、あなたが私の世界に帰られてもその服はここに残るはずですの。」
「はあ、なるほど。」
 ――全く意味が分からない。僕は今後に一抹の不安を覚える。
「それでは、サクラさん。私もなるべく早く戻りますから、それまでよろしくお願いしますの。」
「僕、何とか頑張ってみます。」
「あなたなら大丈夫!だって、私にそっくりなんですもの!」


 彼女の翼が光を帯び、僕たちは真っ白い光に包まれる。それが、僕の幻想世界への旅立ちだった。最後にお母さんの顔が思い浮かんで、ほんの少しだけ申し訳なさを感じた。

       

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