Neetel Inside ニートノベル
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 夕暮れの光は、とても優しくこの部屋を照らしている。僕は目を開けることなく覚醒した。
 僕のガリバー旅行記は突然終わってしまった。どう考えても夢だよね。うん。目が覚めたら妖精の暮らしている街があって、本物の妖精がいてさ、よく分からないけど会話なんかしちゃったり。――そりゃあ僕だってもう14だし内心気付いている。僕はどう見ても何の変哲もないただの人間だし、妖精なんて空想の「いたらいいなあ」が独り歩きしたものだってこと。

「はあ……夢、か。」

「どうしたんですの?」
「――夢を、すごく幸せな夢を見ていたんです。花に囲まれた妖精の国で、本物の妖精に会って、話したんです。」

 ――でも、僕は確かにここで会ったんだ。帰り道、本屋の二階で、純白の天使の翼を持った妖精に。真っ白なドレスを着ていて、髪は長くてブロンドで、本当に天使みたいだったんだ。僕は不思議と、お母さんの愛情に包まれているような、とても幸せな心地がしていた。普段の僕では決して味わうことのない、人肌が直接触れる温もり。首筋からそんな感触が伝わってくる。それは僕に欠乏していた全てを満たしてくれるみたいで、「人間」の優しさを思い出させてくれるみたいで、その感覚に全てをゆだねていたかったけど……

「夢じゃなかった……かも。確かに僕は会いました。みんな羽が生えていて、それで……」
「大丈夫ですの?――仕方ないですの。」
 瞳を閉じて温かい感触に浸っていた僕の頬に、何かがそっと触れる。と同時に顔全体をくすぐったい感覚が襲い、慌てて目を開けると、そこには真っ白い肌に縁取られ、細められたコバルトブルーの瞳があった。女の子の匂いがする。僕は、生まれて初めて異性に――キスを、された。
 彼女の唇は僕の頬から離れ、僕の顔にかかっていた髪もするすると離れていく。彼女の髪はあの妖精のようにブロンドで、僕の頭部に当たっているのは彼女の太ももで、彼女に膝枕されている形になっているのを完全に認識すると、僕の視線は彼女の胸の方に向かってしまった。
 同級生のそれと比較してもやや小ぶりに思えるそれは、しかしながら母性の芽生えを象徴するように存在を主張していて、なぜ僕がそこを注視してしまったかというと、彼女が上半身に身につけているのは純白のレース遣いのスリップで、胸部にはその繊細な薄布がかかるのみだったからだ。
「あっ、あのっ、すみません!」
 僕は慌てて起き上がろうとしたけど、とっさに出た謝罪の声は何だかとてもおかしかった。
「えっ……」
 再び出た僕の声はやはり僕の声ではなかった。甲高い、鈴の音のような声。透き通った女の子の声。それは明らかに目の前の女の子の声で、天使のような妖精の声で、僕の出した声だった。そして、それとは別に僕の下半身にも大きな違和感があった。僕の全身はサテンのすべすべした感触で覆われていて、ほんの少し体を起こすと「ツー」という生地のこすれる音がした。というよりも、両足の太ももが直に触れる、身に覚えのない感覚が奇妙に思えて、下半身に目をやると、そこにはパニエの内蔵された、こんもりと盛り上がった純白のドレスのスカートが、僕の下肢を覆っているのだった。
「これって、どういう……」
 上体を完全に起こすと、今度は頭部から新たな違和感が生まれた。僕の髪は短くはなくても決して肩にはかからないはずなのに、肩を超えて背中の中ほどまで伸びていた。髪先を手に取ってみると、ほんの少しウェーブのかかった、細く柔らかいさらさらとした栗色になっていて、さっき嗅いだかぐわしい女の子の匂いがして、今では僕の斜め後ろにいる彼女のものとそっくりだった。
 僕が後ろを振り向くと彼女はそこにいて、微笑みながら特徴的な口調で言った。
「おはようございますの。」

「先程は突然その姿に変わられてびっくりしましたの。裸でいらしたので、とりあえず私(わたくし)の服を着せて差し上げたのですけども……ご気分はいかがですの?」
「あ、ああ……ええ、その……」
 僕は狼狽するしかなかった。彼女の背中には大きな純白の翼が、沈みゆく夕日を受けて煌々と輝いている。それよりも僕をはずかしめたのは、彼女が身に纏っているのが、レースのスリップの他には、これまたレースを全面にあしらったショーツだけだったことだ。僕の顔が真っ赤になる。
「あのっ!僕は自分の服でいいです!これは返しますから着直してください!僕の服はどこに行ったんですか!」
「それは、あなたの後ろに。」
 そう言われて僕は再び後ろを振り向く。そこには、さっきは気付かなかったけど、大きな黒い布の山があった。僕の背よりも高く積まれたそれはとても服には見えない。けれども、その黒山はこれまでの違和感を清算するには十分で、改めて周囲を見回すと巨大な本棚が広がっていて、天井はどこまでも高く、仮に世界が巨大化したのでないとすれば、僕が脱ぎ捨てられた布の塊を認識できない程度に縮小したと考える他なかった。すなわち、目の前の巨大な布の山は、確かに僕の制服で、僕は天使のような妖精と同じような姿をしているに違いなかった。

       

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