Neetel Inside ニートノベル
表紙

あの世横丁ぎゃんぶる稀譚
05.ささやく遠雷

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 どこにも繋がらないテレビが消えずに砂嵐を映しているように、雨の音がいつまでもやまない。




 暗闇の中、声が聞こえる。
「おや、こいつこんなところでなにしてるんだ? 行き倒れか?」
 別の声が答える。
「バカ、死人の腹が減るかよ? どうせやる気がなくなって消えるまでのんびりするつもりなんだろ。そんななら『死人窟』にいきゃあいいのにな。あそこなら遊び相手もいるだろうに」
「案内人が放任主義だったんだろ。かわいそうにこんなところに置き去りにされて……」
「あんまりこの世に未練を残したまま過ごしてほしくないねえ。鬼になられちゃめんどうくせえや」
「じゃ、おまえ声かけてやれば?」
「やだよ、なんかこいつ、不気味だもんな」
 心配されなくてももうすぐ綺麗に消えてやるさ。いづるは胸の中でつぶやいた。




 また声が聞こえる。
「……から言ったんですよ、もっときつく言っておかないとあの手合いはすぐにもめ事を起こすと。私は常々御大に申し上げてたんですよ。なのにね、誰も私の話を聞かな」
「で、土御門は?」
「は? いや、そりゃあ逃げ回ってますよ。決まってるじゃないですか、妖怪連中の博打に手を貸したんですからね、まあ陰陽連からは追放でしょうし、今後一切の陰陽術の行使は認められないでしょうね。まあ当然でしょう。私は常々、」
「誰が土御門を追ってるんです?」
「あいつは反抗的で気に食わないと、え、なんですって? もう一度お願いします」
「だから、誰がつちみか」
「ああ! そういうこと、わかりましたよ、葉吹さんと天墨さんと御堂さんと、あとだれだっけ、あの、七、七」
「七爪」
「そうそうあの人。その四人組で追いかけてますよ。じきに捕まるはずです、そしたらね、そのときはね、私、がつんと言ってやりますよ。掟を破ったらいけませんって」
「ふむ、あの四人なら土御門のせがれも逃げ切れはしないでしょう。安心しました」
「ええ、本当にそうですよ。それにラッキーでもありますよね氷滝(ひだき)さん」
「なにがです? 心林さんはいつも主語が抜けているのが赤点ですね」
「はい。はい?」
「で、なにがラッキーなんです?」
「あ、はい、ええ、そう、競神(せりがみ)ですよ。土御門がいなければ、ちょっと有利になるじゃないですか。さすがに追っ手に狙われながら現れはしないでしょうから」
「ふむ。確かに。ふむ。心林さん」
「なんです?」
「他人の不幸ってやつは、本当に、一石二鳥で素晴らしいことですなあ」
「まったくまったく」
 あっはっはっは、と笑って男たちは会話を締めくくった。
 ゴミだめに埋もれた門倉いづるが目を開けたときには、声の主たちは立ち去ってしまったあとだった。
「……競、神?」
 それでも身を起こす気にはなれず、いづるはまた目をつむる。




 みたび声がする。
「……ったら本当なんだよ。おれは見たし、この手で捕まえもしたんだ、あの森で。本当だってば」
「おまえさあ、そういう嘘ぜんぶバレてるのまだわかんないわけ? 痛々しいぞ」
「確かに廃ビルに雪女郎の三姉妹が住み着いたってのは嘘ついたし一緒に麻雀打ったってのもガチで嘘。でも今回のはホント。おれのこの一つ目玉に誓ってもいいぜ!」
 一方の声がしなくなった。もう一方が沈黙をおそれるようにまくし立てる。
「いいか、ありゃあ猫だ。絵巻に描いてあるイタチみてえな姿はみな嘘さ。おれがさわるとビリビリってしてな、毛に電流が混じってるんだ。くそ、びっくりして離さなかったらなあ、おれはノーベルなんちゃら賞かファーブルがんばったで賞あたりをゲットしてたろうに……聞いてる? ねえ聞いてる? おれの話の真偽はともかくちゃんと構ってくれな……」
 どこか間抜けな声は遠ざかっていった。ゴミ袋の上に置かれたいづるの手のひらがぴくりと動く。
 が、それっきり。






 肩をゆさゆさ揺さぶられて、いづるはとうとう目を開けた。しかし仮面をかぶっているので、相手からはわからなかったろう。
 何度か烈しく目をしばたいて、いづるは雨を落としている赤い雲を背負った相手が誰だかわかった。
「ネコミミ……ああ、きみか。やあ。どうしたの。傘差さないの?」
「そんなこと言ってる場合じゃないって、起きなよ!」と猫娘はいづるの袖をぐいぐい引っ張った。
「なぜ」
「牛頭天王の秘密警察があんたを探してるよ。飛縁魔と一緒にいたんでしょ? まずいよ!」
「ああ……」
 いづるの素っ気ない態度を見て、猫娘はガリガリと茶髪をかきむしる。
「あーもうこの人は、ぬけてんのかな、状況がわかんないの? あんただって踊り喰いなんてされたくないでしょ? 逃げなきゃ……っていってもあたしにはなにもできないけど……」
 袖を掴んでくる手をいづるは乱暴に振り払って言う。
「応援しかできないなら放っておいてくれ。どうせ怖くて匿ってくれさえしないんだろ」
 猫娘の、金色の瞳孔が収縮し、そうなってしまうと一切の感情が読み取れなくなる。
「……あたし怒ってもいい? それとも謝るべき?」
「どっちでもいいんじゃないか。あんたに任せるよ」
 猫娘はぱちぱちと瞬きした。
「変なやつだね、あんた」と言って笑って、
「あたしほんとになにもできない。それは確かにあんたのおっしゃるとーり。でも、応援するのはあたしの勝手だよね? これ、餞別」
 猫娘は紺色のスクールバッグに手を突っ込んでごそごそ漁る。そのたびにキーホルダーとストラップの一個師団ががちゃがちゃ揺れる。そしてペン立てサイズの箱を取り出して、雨に塗れた路面に置く。
「いいにおいがするよ」
 そう言って猫娘は去っていった。去り際にぶるっと身を振るわせ、身体を抱く。猫は水が苦手らしいから、ひょっとすると無理をしてくれていたのだろう。
 いづるは小箱を引き寄せて、ふたを開けてみた。
 いいにおいのする粉がぎっしりと詰まっている。白と青と黄の粒がミクロな砂漠をなしている。
 いづるは箱を裏面にひっくり返した。
 家庭用洗剤。いづるの家にもあるやつだ。
 そういえば、いづるが子供の頃に遊びにいったイトコの家の猫が洗剤のにおいが好きで、よく箱をひっくり返してはおばさんを激怒させていた。猫は何度箒で追いかけ回されてもあきらめずに箱をひっくり返していいにおいをあたりにぶちまけ続けたものだ。
 猫にとってはすてきな贈り物かお守りなのかもしれない。
 が、門倉いづるは猫ではない。
「あるんだよなあ、せっかく気をつかったっていうのに、結局なんの意味もないってこと……」
 いづるはひとりごち、洗剤の詰まった箱を投げ捨てようと掴んだ。が、思い直して手を放した。もはやそんな偽悪的行動をする気にもなれない。
 ぱす、とビニール袋の枕に後頭部を押しつけ、もう何も見まいとする。
 だが、自分の脳裏を駆け巡る記憶だけは、消えてくれない。
 生きていた頃の記憶がいづるの中でよみがえる。


       

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