Neetel Inside ニートノベル
表紙

あの世横丁ぎゃんぶる稀譚
01.あの世横丁

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 ハッと我に返るともう、門倉いづるはそこにいた。
 夕暮れだった。横殴りの斜光が、いづるの視界を真っ赤に染め上げている。むき出しの土の冷たさが靴下を通して伝わってきて、足元を見下ろすと靴を履いていなかった。トラックに跳ね飛ばされたときに、二度といづるの手の届かないところまで吹っ飛んでいってしまったのだろう。ブレザーの制服の下に着込んだ白いパーカーは、ありありと鮮血の跡を残したまま。あちこちに血や砂、擦り傷にまみれたその姿は喧嘩帰りのようでもあったが、そんな細かいことを気にするいづるでもない。
 いづるは、真っ白い仮面の裏で、眼を見開いて眼前の光景に見入っていた。
 まっすぐ伸びた道が果てしなく続いている。アスファルトで化粧されていない、風が吹けば土埃が舞い雨が降ればぬかるむ土の道。
 そこを闊歩するのは学生でもサラリーマンでも主婦でも教師でもない。
 着流しの和服に懐手した狸が爪楊枝をくわえながら二本足でのっしのっし歩き、一本足を生やした唐傘がぴょんぴょんと跳ね、薄い和紙が、その上に寝そべった天狗をすいすい運んで頭上を通り過ぎていった。
 道の左右は、残骸から作り直したような、木造のバラック小屋や古い民家。どこの電力会社のものかまったく不明の電信柱は残らずへし折れて瓦屋根の中に突っ込んでおり、電線がぶらりぶらりと垂れ下がる。遠くに見えるビルはどれもこれも焼け焦げて黒く煤けていた。
 青白い鬼火が無軌道に飛び回り、人面犬がくわえ煙草をしながらいづるをひょいと見上げ、女子高生が猫耳をぴょこぴょこさせながら手鏡を覗いて前髪を気にしている。
 どん、と背中を叩かれると、赤い戦装束の妖怪が、にかっと歯を見せていた。
「ようこそ」
 ぴっと頭上を示した親指に誘われ、顎に釣り針を喰らった魚のようにいづるは上向いた。
 商店街の入り口のように、そこにはアーチがかかっていた。掠れた文字で、そこには、
「あの世横丁」
 と刻まれている。
 永遠に変わらない彼岸の国。死者が闊歩し妖魔が嗤う。
 三途の川を渡った覚えは無いけれど、門倉いづるは確かに今、あの世の土を踏みしめているのだった。
「どうだい、あの世にやってきた感想は?」
 うきうきした表情で少女に尋ねられ、いづるはふむふむと辺りを見回した。どこかで誰かが読経している。どうにも辛気臭い。
「もうすぐ夜だねェ」
「おまえってヘンなことばっか言う死人だなァ。――ここに昼も夜もないよ」
 いづるは首を傾げた。
「ない――?」
「夕暮れでもあるし、夜明け前でもあるんだ。ここでは太陽は地平線からちょこっと浮いたり、沈んだりするだけ。だから朝も夜も来ない」
「試験も学校も朝も夜もないなんて――」
「なんて?」
「なんて、自由……」
 呆けたように呟くいづるに、少女は「おまえ面白いなァ」と言ってけらけら笑った。
「ま、あとたった七日間だけどよ。せいぜい未練少なく往生してくれよ」
 じゃな、と手を振って立ち去りかけた妖の首根っこをいづるは「ちょっと待った」ぐいと引き寄せた。がぼっと少女の息が詰まる。
「な、何しやがる!」
「それはこっちのセリフだ。右も左もわからない可哀想な僕を置いていくのか?」
「いや、七日目に魂だけになったらもらいに来ようと思って。ダメ?」
「ひどいな、少しはアフターケアしてくれてもいいだろ」
「うっせえ。どうせおまえ、メシもいらないし眠っても意味ないし放っておいたっていいんだ。だからあたしはトンズラぐえー」
「だから待ってったら」
 ぐいっと引き寄せまた少女は顔を青くする。
「僕はこう見えて――」いづるはどんどんと自分の胸を叩いた。
「怖いのはニガテなんだ。ひとりにしないでくれ」
「はあ? あのな、あたしが見てきた限りでも、特A級でふてぶてしい死人だぞ、おまえ」
「そりゃきみがガキで経験不足なせいだろ」
「がっ……」
 なぜか傷ついたように少女は髪をぐしぐしと手の平でかき回した。
「こう見えても、おまえよか年上だぞ」
「じゃあいくつなんだよ。言ってみなよ」
 いづるは悪びれもせずにそういうことを聞く。
「……十八」
「聞き間違いかな。バケモノにしてはケタが足りない気がするよ」
「うるさいなッ! あ、あたしは末っ子なんだよ」
「あー、うん、なんかそんな気がした。きみ甘やかされてる感じがするし」
「なんなのおまえのその余裕は……?」
 がくっと肩を落とした少女を尻目にいづるがきょろきょろと百鬼夜行を眺めていると、
「――おい、飛縁魔《ひのえんま》」
 少女が仏頂面を上げたので、それが彼女への呼び声だったのだといづるは悟った。
 飛縁魔と呼ばれた少女が顔を上げて大儀そうに振り返ると、学生服の少年がにへらっと笑って立っていた。おかしなところはひとつだけ。その学生には目玉がひとつしかなかった。
 いづるは、顔面の中央に大きなひとつの目玉を埋め込まれた者が笑うところを今まで見たことがなかったので、それが笑顔なのか激怒なのかいくらか迷った。
 鼻がなく、ひとつきりの大切な目玉は唇の真上から額にまで及んでいる。ぬらぬらと輝く虹彩は、赤い夕闇のなかで泡のように揺らめいている。
「なんだよ、一つ目小僧」と飛縁魔がぶっきらぼうに言う。
「へへへ」
 一つ目小僧は見かけによらず明るい笑い声を立てた。
「見慣れねえのっぺらぼう連れてるからよ、気になったのさ」
「用もないのに?」
「用もないのに、さ」
 一つ目のずぶとい視線がいづるを捉えた。
「やあ、人間。これから七日間、あの世をせいぜい楽しんでおいきよ」
 いづるは押し黙ったまま、無遠慮に一つ目のなりを見ている。
「お化けのくせに学校があるのか?」
「へっ? ああ、これ」
 バシン、と自分の制服の胸を両手の平で叩き、一つ目はどこか嬉しそうにその太く長い舌でべろりと己の顔をなでた。それを見て、飛縁魔が嫌そうに眉をひそめる。
「前に俺が案内してやった死人が着ていたもんでね……くれたんだ。どうだい、似合うかな。お化けだって格好にゃあ気ィ遣うんだぜ」
「せっかくあの世までやってきたってのに、走れば疲れるし、服は選ばなきゃならないのか。なんだかガッカリだ」
「何、水が合わんでも清められちまえばたった七日間ぽっちの辛抱さ」
「そういうものか」
「そういうものだ。――なるほどね、飛縁魔とウマが合いそうな魂してやがら」
「さっきから気になってるんだけど、飛縁魔って……」といづるが言うと、
「あたしのことだよ」と少女が答えた。腕を組んで、なにやら意気投合しつつある死者と妖に仏頂面をさらしている。
「飛縁魔って……妖怪の名前? そういえば、どういう妖怪なんだ、きみ?」
「どうでもいいだろ、気にすんな」
「白黒はハッキリさせたいタチなんだ」
「ふん、おまえの性格なんぞ知るかハゲ」
「おかげさまでハゲる前に死ねたよ」
 先ほどから、どうも少女の機嫌が芳しくない。いづるが小首を傾げて斜に構えると、一つ目小僧が馴れ馴れしく首に腕を絡ませてきた。
「人間、こいつはね、自分のことが嫌いなのさ」
「へえ」
「おい、一つ目――」
 飛縁魔の三白眼を一つ目小僧は涼しい顔でかわす。
「いいじゃないか、どうせ七日後には消える――まァ人間、おまえが飛縁魔を知らんのも無理はない。マイナーなレアキャラだからな。簡単に言うと、えらい美人の女妖怪なんだが、それに惹かれてひょいひょい近づくと血やら精やらを吸われてしまう――つまり男の敵だな」
 ひゅんっ、と何かが閃いた。飛縁魔が腰の太刀を抜き放ったのだ。
 銀色の刀身に蓬髪が数本絡みついていたが、一つ目は軽く身を逸らせて話を続ける。
「昔ッから、優れた王様とかが見目麗しい女に惑わされて国をダメにしちまう話ってのは多いが、そんなときは飛縁魔が関わってるとされてるのさ。本当はそんな太刀なんぞ佩いてるような妖怪じゃねえんだがな」
「うるさい。あたしの勝手だろうが」
「――ってわけよ。ま、こいつは妖怪ん中でもとびっきりのはぐれ者だからな。刀は振り回す口は悪い可愛げはねえ――」
「ようしわかった一つ目。そんなに悪口が言いたきゃ目玉斬ッ飛ばして喋りやすくしてやらァ」
 袈裟切りに飛縁魔は太刀を振り下ろしたが、一つ目小僧は身を翻して跳躍し、電信柱のてっぺんにしゃがみ込んだ。それを見上げて飛縁魔はペッと唾を地面に吐き捨て、いづるは仮面のなかでふわふわとあくびした。
 一つ目小僧は大きな一つ目で二人を見下ろしてにやにやと笑う。
「おまえの太刀筋なんぞ、お見通しよ」
 飛縁魔《ひのえんま》がキッと睨んだときにはもう、学生服がはためく影さえ残さずに一つ目はどこかへ消えていた。いづるは一つ目小僧を飲み込んだ通りの雑踏に目を凝らした。退屈するには、目を引くものが多すぎた。

       

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