Neetel Inside ニートノベル
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「いやあ、お強い! あれじゃあどう頑張っても勝てませんわな」
 内壁に身を乗り出して突き刺さっていた仮面を取ろうとやっきになっているキャス子の尻にドリンク屋が言った。
「門倉兄ィはあれがあるから怖い。人が意識せずについ見逃す一手を平気で打ってくる。常識の埒外とか自分の苦痛などは度外視する。効けばいい。それだけで腕も落とすし立ち上がろうとする相手を平気で突っ転ばす。いやいや、本当にあっし、守銭奴にならないと決めてよかったと思いまさァ」
「うるさい馬鹿」
「うるさかろうと喋りますわ。どうやらあっしの解説に耳を傾けてくれている皆様もいるようですし」
 自分を見上げて来るあやかしたちをちらっと見やり、
「今の連打も見事も見事。今ので花村の気合は朝起きて小便漏らしてるのに気づいた餓鬼ぐらいに萎え果てたと見えます。ですがね、それじゃあ駄目でさ。今ので決めないと」
 いづるの仮面を壁から抜き取ったキャス子が畳んでいた身体を起こして、ドリンク屋に冷たい白面を向けるがドリンク屋はどこ吹く風だ。
「お嬢、いまので一体何発門倉兄ィが入れたと思います? 十三発でさ。それもほとんどが致命傷になっていておかしくないクリティカルな一撃ばかり。なのに花村は立っていて、よろけちゃいるがピンピンしてる。――いま戦意を殺がれているのは果たしてどちらですかね」
「…………」
「あっしは弱い。だから弱いものいじめが好きでね、お嬢、今は調度よくここにいるあんたをいじめさせてもらいます。チャンスだったんですよ、今のが。それも唯一無二の。あれで決めなければならなかったんだ、兄ィは」
「まだ勝負はついていない」
「お嬢ほどの方が勝負のイロハがわからんわけじゃないでしょう。もう勝負は着いたんですよ。花村がまだ立っていることがその証明なんです。やつはなぜ倒れない? 胸を何度も突かれたはずです。頭にだって何発も喰らった。なのに今、やつは恐怖に駆られているだけで済んでいる。直にそれも落ち着くでしょう。そして思う。――はて自分は後何発喰らえば負ける? いや、何発喰らっていられるんだ? ……とね」
「…………」
「そして思うはずです。これほどの乱撃は二度と受けない。受けてはならない。なら――残った自分の魂の残高を感じて、気づくはずです。門倉いづるに花村業斗を倒す力は最初から無かったんだと」
「それは……」
「もちろんここにやってきた時の門倉兄ィの残高で魂貫すれば今の花村なら倒せるでしょう。しかしここに来るまでに、門倉兄ィも敵と同じくらい消耗してきたんです」
「わかってる! そんなこと……でも、」
「落ちてる魂貨を拾えばいいとでも言いますか? 甘いですなァ実に甘い。なぜ落ちてるのを守銭奴が拾わないかって拾ってる間に攻撃を受けるからですよ。しかも闘技場内に落ちた魂貨はバラバラに散らばりすぎていて一箇所で集めたってタカが知れてる。そんなこと金色夜叉と歌われた元魔王のお嬢にはおわかりのはずだ」
 ドリンク屋は満面の笑みを浮かべて、言った。
「門倉兄ィは、負けます。彼には何もない。夢も、力も、武器も、奇跡も。そして花村には少なくとも断固突撃を敢行し続ける動力源がある。燃え盛る炉が胸ン中にね」
 噛み締めるような沈黙を置いて。
 キャス子は、ヒビが入ったままの仮面をよく喋る死人に向けた。
「――で、ずいぶん色々とくっちゃべってくれたけど――結局あんた、何が言いたいの?」
「と言いますと?」
「あんたやっぱりあたしのことバカだと思ってんでしょ。確かにそう見えるだろうし実際そうかもしれないけど、でもあんたがただ日頃のストレス解消にあたしを嬲ってると思うほどもうろくしちゃいないんだよ」
 キャス子は、相手の口と自分の額がぶつかるほどに顔を近づけて、
「あたしにどうして欲しいわけ?」
 ドリンク屋は満足そうに頷いた。
「それでこそ金色夜叉、堂島アンナ様ですよ。何、簡単です。門倉兄ィがあと何分で負けるかあっしと一番勝負といきましょう」
 キャス子は何も言わない。
「残念ながらお嬢がその手に握っておられる白仮面も、大魂張った大事な券も、無駄になってしまうことは確実です。しかしだからと言って泣き寝入りするのは博打打ちの恥というもの。せめて負けた元ぐらい取り返さなければ泣くに泣けませんでしょ?」
「……まあね」
「だったら迷うこたァありますまい」
 ドリンク屋は背を折って、コツンと自分の仮面をキャス子のそれにぶつけた。
「門倉兄ィへの義理で丸損したって面白くないでしょ? さ、何分で負けると思います? 五分ですか? 十分ですか? あっしはそれより早く負ける方に賭けますから。今にもやられておかしくないんでね」
「あんた、もう少しいいやつかと思ってた」
「おふざけはよろしくない。賭場で会った人間同士が、仲良くしようなんてのがそもそもキチガイ沙汰なんでさ」
「そうみたいだね。――いいよ、賭けよう。ただし勝負の条件は変えさせてもらう。賭ける額も」
「は――内容次第ですが、考えてみましょう。何、あっしも生前死後共にノミ業でたあんと喰ってきた人間です。お嬢はお得意さんでしたし、ひとつふたつの譲歩は多めに見ますよ」
 ありがとう、と呟いて、キャス子はその条件を口にした。




「門倉いづるが花村業斗に――



          十分以内で『勝つ』、に全部賭ける」




 最初はひきつけでも起こしたようだった。
 ドリンク屋は喉を押さえて、くつくつと呻き、終いには仮面をぺしんと叩いて大声で笑い始めた。
「ははははははは!! 勝つ? 勝つですって? あんな手ぶらのチンピラに何が出来るというんです! 持っているのは己の身のみ! 陰陽師が使うような式神も、対あやかし用の武具も、なあんにも持っちゃいないじゃありませんか! 後悔しても知りませんよ? あっしはもう受けましたからね。いいですか、もう駄目ですよ、絶対駄目ですよ、はい受けました!」
 くどいなあ、とキャス子はぼやき、
「あとさ君、あたしと勝負する時は受けたじゃなくてはっきり言って欲しいな」
 キャス子は客席にどっかと腰かけて足を組み、笑う死人を見上げた。
「花村業斗が門倉いづるにどうしても、何をやっても、とうとう最後まで勝てなかったら――ぼくは潔く薄汚れた小銭にならせて頂きます、って」
 笑いが止んだ。
 代わりに今度はキャス子がくすくす笑う。
「それに、門倉に打つ手がないかどうかなんて、まだわかんないじゃん?」
 言われて。
 ドリンク屋は、内心ひやっとするのを抑えられなかった。
 ――何か秘策でも持ってんのか、こいつら?
 いいや、そんなわけない。どんなイカサマが出来るっていうんだ? あんな闘技場のど真ん中で、誰の助けも得られずに?
 ありえない。
 くすくす笑い続けるキャス子を見て、自分が間違っていない理屈を頭の中でかき集めながら、ドリンク屋は最後の防壁を組み上げて己の心の安寧を守った。
 惚れた男にすべてを捧げるというのは、いかにも馬鹿な女の考えそうなことではあった。

       

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