Neetel Inside ニートノベル
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 攻撃が効いていないことを誰よりも痛感していたのは、撃破必至と信じて乱打を放ったいづるを措いて他になかった。
 いづるの胸の内に、じぃんとした悲しみが広がる。
 無念。
 できることなら、今のでケリをつけたかった。自分で言うのもこそばゆいが、あれほどの連携は練習でも見せたことがない。本番では普段の三割も力を出せないとよく言うが、それは嘘だといづるは思う。むしろ退くに退けない本番だからこそ、普段は眠っている自分の本当の部分というのが曝け出されるのだ。そうでなければ永遠に本番なんてやらずに一生練習に明け暮れていればいい。
 だから、今のが、自分の限界だ。
 そして、それを相手は耐えた。耐えられた。
 勝てない。
 喜びよりも嬉しさよりも、馴染んだ気持ちを心で噛む。電信柱を木刀で切れるだろうか。切れない。切れたとしてもそれはきっと正体を探れば木刀が木刀でないか、電信柱が電信柱でないか、その両方か。全身全霊を賭すとか賭さないとかいう話ではなく、それはそれがそれであるがゆえの必然。
 それは確かに悲しかったが、同時にひどく懐かしい。
 勝てない、と思う時、いづるは玄関の土間に足をつけた時のような安堵を覚える。勝てない、勝てない、と口の中で何度も呟き、脳がもたれるまで頭蓋の中を反響させる。
 勝てない。
 だが、これほど愉快なことがあるだろうか。
 勝てないというのは、そんなに悪いことだろうか。
 いづるはそう思わない。
 大抵勝てない時というのは正道すぎるやり方に縛られているためだ。物事は裏表どころか三百六十度いろんな角度から口を開けているわけで、そのすべてを試した末に吐く勝てないなんて言葉はいづるは聞いたことがない。そもそも真剣勝負で十手も百手も打ってはいられない。その半分より遥か少ない手数でほとんどカタがつく。
 だから、自分が勝てるか勝てないか、なんていうのは、所詮永遠にわかりっこないのだ。自分が選ばなかった一手が勝ちへ続いていたかもしれず、自分が選んでしまった一手が唯一の負け目だったかもしれない。悩むだけ無駄だ。
 今、正面切って素手で叩き潰す目が消えた。だったら手口の格を落とすまで。
 いづるは何度も足を組み替えて、遥か射程の外にいる花村業斗を牽制する。
 少しだけ呵責をまだ感じる。
 よちよち歩きの馬鹿を始末するには、いくらか不意打ちのようなやり方になる。だが、仕方ない。仕方ないとしか言えない。今の自分は身ひとつというわけじゃない。返さなければならない貸しがあり、清算しなければならない負い目がある。
 それが、もうすぐ消える。
 もうあと数分で、ラクになれる。
 いづるはふと、自分と似たような素性の男を見やる。
 可哀想にな、と思う。
 野蛮人に生まれればよかったのだ。
 そうしたら、
 妾の子も糞もなかったというのに。








 頭上で披露されたドリンク屋が浮かべたニタニタ笑いの予測を裏切り、業斗は門倉いづるに対して自分の優位に少しも気づけないでいた。ただ身体から零れた魂貨を靴の裏で感じるたびにさっきの乱打を思い出し、次に喰らったら終わりかもしれない、そのことばかり考えていた。実際にその時の双方の残高を比べれば、業斗はさっきのような一方的な連撃を手の指の数ほど受けても立っていられたし、逆にいづるの残高はその時もはや火の車と化していた。だが、業斗は遮二無二突っ込もうとはしなかった。門倉いづるが双掌を掲げたまま動かないことにまだ意味を見出してもいなかった。
 業斗が見ていたのは、壁だ。
 やりあっているうちに、屠殺場を小回りに一周したらしく、業斗の正面には包丁の刺さった壁が迫っていた。そして、門倉いづるは気づいているのかいないのか、その壁のすぐ前にいた。三歩も後退できはしないだろう。壁にいづるを背中から叩きつけることができれば、それはまたとないチャンスになる。抜き放題だ。
 だが、
 誘っているのかもしれない。
 門倉いづるは足を小刻みに入れ替えてはいるが、その場からは動かない。業斗から突進すれば、自然といづるは受けに回る。何か待ち受けているのかもしれない。これまでの抜き合いと、そして積み重なってきた《餓鬼》の噂が、業斗に不安と心もとなさを与えていた。何をしてくるかわからないが、とにかく、相手は自分を上回るだろう――そう思わされたら出来ることなど何もなくなる。その時、人はただのサンドバッグに成り果てる。
(俺は、サンドバッグにはならねえ)
 それは、そのまま通りの意味だけではなかったろう。
 業斗は足に力を込め、自分か相手かどっちが落としたものとも知れない魂貨を踏みつけ、門倉いづるの目を見ようとし、失敗して視線を足元へ下ろし、そして気づいた。ようやく気づいた。門倉いづるがなぜその場を動かずに『待ち』に入っているか。
 いづるの足元に、魂貨が集められていた。
 足を組み替えているように見せていたのは、散らばった魂貨を一箇所に集めるためだったのだ。その目的は考えなくてもわかる。
 ブラックジャックだ。
 門倉いづるが決勝戦へ上がって来るまでに風呂敷や麻布に包んだブラックジャックを愛用していたというのは業斗の耳にも入っているし、実際に闇市通りのモノクロテレビで眺めもした。最初はただの布を闘牛士よろしく振り回しているだけなのだが、いつの間にか千両箱から銭をかっさらって、遠近中どの距離からでも敵の脳天を一撃の下に打ち砕く。
 もちろん、門倉が守銭でブラックジャックを使用して以降、にわか仕込みのフォロワーは雨後のたけのこのように殖えた。が、どの使い手も結局は慣れない武器に逆に翻弄されて敗退していった。
 ブラックジャックには三つのデメリットがある。ひとつは包む魂貨をケチると攻撃力が減退してしまうこと。二つ目は、投げたはいいものの受け止められれば相手の利を与えてしまうこと。そして三つ目は、そもそも投げてもなかなか当たらないこと。
 特に相手に利するかもしれない、というのが不評を買った。近距離でリーチを稼ぐために使おうとしても、そもそも低額では素手で魂貫した方が金額的に優位なのは間違いなかった。
 たったひとりの守銭奴を除いて、誰も、両箱からいつの間にか魂貨をごっそりかっぱらう技術も持たず、ましてや威力が足りないとあらば、自分の中の魂貨をも費やしてまで、その使いづらい武器に拘泥する者はいなかった。
 とうとうブラックジャック使いはたったひとりの守銭奴を残して絶滅し、そして今、花村業斗の前にいる。
 ブラックジャックだ。
 間違いなく、やつはブラックジャックを作ろうとしている。
 最後の勝負で、己の武器を頼ろうとするのは、想像するに難くない。
 そしてよくよく見れば、いづるの左手はいつの間にか構えを解き、制服のポケットの縁に指を添えている。そこに魂貨を包む風呂敷か何かが入っているに違いない。
 足元の小銭は緩やかな丘になっていた。
 ブラックジャックを作る時、門倉いづるはしゃがむ。
 いづるの思惑に気づけていなければ、一瞬対応が遅れていただろう。だが今は違う。今は、やつが何を考えているのか業斗にはわかる。
 業斗は身構え、次の一手を考える。――いづるがしゃがんだと同時に、その顔を蹴り上げることにしよう。魂貫はできないが、いづるは背中から壁に叩きつけられる。壁は婉曲していてボクシングのコーナーほど便利ではないが、絶対に逃がさない。
 次でカタをつける。

       

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