Neetel Inside ニートノベル
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 じりじりとした睨み合いの果てに、先に痺れを切らしたのは、
 いづる。
 ポケットから愛用してきた藍染の風呂敷を抜き出し、その場にしゃがんで魂貨をかき集めようとしたが、機会到来を業斗が見逃すはずもなく足元に散らばっていた魂貨を数枚いづる目がけて蹴飛ばした。即席の散弾と化した魂貨がいづるの全身を打ち耳障りな金属音を立て続けに響かせる。魂貨が身体から弾け飛ぶ。それが地面に落ちる時はまだ遠く、詰め寄った業斗の横薙ぎの平手がいづるの横顔へと打ち込まれる。
 外した。
 業斗の読みでは、いづるはもう少し集めた足元の魂貨の山に拘泥するはずだった。が、いづるはブラックジャックの材料たりえるどちらのものとも知れなくなった赤金の薄い盛り上がりにあっさり見切りをつけて真上に跳んでいた。
 主を失った風呂敷が風に乗る。
 時が止まる。
 いづるが下りてこない。ああ、と業斗は思う。これがかの有名なアドレナリンの過剰分泌による時間感覚の遅滞というやつか。死んだぐらいじゃ肉体の経験から人間は逃れられないらしい。
 いづるは両膝を屈めて、まるで襲い掛かる山猫のような体勢で、中段に腰を落とした業斗の斜め上から見下ろして来る。気に喰わない。
 おまえの悪運もここまでだ。
 時が止まっていようが動いていようが回避不能の一撃を、アッパー気味の掌底をいづるの胸へと放つ。絶対に、空中にいるいづるは、あとは落ちるしかないいづるは、なすすべもなく胸を貫かれる。
 が、
 いづるは再度、空中で跳んだ。いづるがいなくなって初めて業斗の目にはそれが映る。業斗はそれがあったことを思い出す。
 壁に刺さった出刃包丁。
 ご丁寧に、峰がきちんと上にされている。
 背後でざっ、と霜を被った土を踏む音。
 完全に、
 背中を取られていた。
 振り向かなくても脳裏に映る。渾身の捻りを加えて、拙いけれども害意だけは満載した貫手が来る。
 喧嘩のご法度は二つある。
 背中を見せること。
 しゃがみこむこと。
 業斗は不良時代に培った無意識に従って、一も二もなく振り返ろうとした。
 どうしてそれを途中で止められたのか、最後の最後まで自分でもわからなかった。
 振り返らず、向けたままの背に、どんと突き立つ敵の指。



 ○



 反応に賭けた。
 そして、不慣れさにも賭けた。
 いづるの左貫手が、業斗の背中を貫くことなく、静止している。
 こと守銭奴としての経験に置いて、《餓鬼》と《破天公》なら餓鬼にまだ軍配が上がる。それは『ぎゃんぶる宝典』編集部の手によるコラムにもはっきりとそう書かれていたし、地下街をうろつく誰に聞いてもそりゃそうだという返事が戻ってきたはずだ。だが、彼らはきっとそのすぐ後に付け足すだろう。だからなんだ、と。そんなことで引っくり返る差じゃあない、と。
 いや違う、といづるは思っていた。そこはちゃんと付け入る隙になる。業斗は実力はどうあれまだ守銭奴ではない。その心はまだ人間らしさを留めている。この、対戦相手を削り潰して自分の時間へ鋳造せしめる地獄の底において、やつはまだその真底を舐めてはいない。自分は舐めた。舐めてきた。
 だから、完全に不意を突いて背後を取れば、業斗は必ず振り返るに違いない。防御しようとするはずなのだ。敵に背中を向けたままが、少なくとも正面を向いているよりは安全なのだという守銭奴の基本通念をやつは頭でわかっていても魂にまで刻めてはいない。
 そこが隙だ。
 自分が相手より上回っている箇所はたとえ針先ほどの差異だろうと利用する。
 花村業斗は自分から飛び込んでくることになる。
 倒してくださいと言わんばかりに、自分の貫手の目の前に。
 そうなるはず、だった。
 自分が間違っていたとは思わない。
 ただ、いろいろ細かなことが積み重なっただけだ。
 そして、
 細かいことが、すべてだった。
 上下双方からの力強い掌底が、牙よろしくいづるの左腕を噛み千切った。
 根元から鉄血を振りまきながら回転する自分の腕をどこか遠く焦点のぼけた瞳が映す。
 視線がずれ、迫って来る双掌とその奥にいる少年の熱っぽい双眸。
 魔の手が迫る。

(――捌けるかな)

 わからなかった。
 マントが音もなく外れ落ち、二人の靴に踏み潰される。

       

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