Neetel Inside ニートノベル
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くすんだレモネードを手にとって
終わりが始まり

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十 終わりが始まり

一夜明けて、れもんは朝早く桃子の入院している病院に行ってしまった。
 家に残った柔斗は、昨日の一部始終を火羽に語ることにした。
 火羽は毎朝の日課という指一本の腕立て伏せをやりながら、その話を聞いている。
「ふむふむ……大変じゃったなぁ」
 最後まで聞き終えてから、彼は感慨深そうにそうつぶやいた。
 そして、残念そうな顔をする。
「すまんの~。もしかしたら、ワシが出向いたほうがよかったかもしれんな」
「いや、じいさんが来てたら多分殺人ざたになってたぞ」
 異常なまでにれもんへの愛着を持つ男が、いくら不死身だと分かっていても、彼女が銃に撃たれたところを見て平常心を保てるはずがない。
もし火羽があの場にいたら、恐らく明は今頃肉片になっていたかもしれない。
想像するだけで柔斗は身震いしてしまった。
「ふむ。その可能性は否定できんな」
「否定してほしかった……」
 そういえば、朝見た時には既にれもんのおでこの穴は完璧にふさがっていた。
 それを考えると、やはりこの男は只者でないのは確実だろう。
 柔斗はその後に言葉を続けることなく、しばらく黙ったまま火羽の指先を見つめていた。

 先に沈黙を破ったのは、火羽だった。
「時におぬし。これからどうするんじゃ」
 言われて柔斗はハッとする。
昨日はゴタゴタがあってその答えを出していなかった。
しかも、自分の家族はもうこの町にはいないという事実が目の前に転がっている。
 忘れかけていた絶望が、再び頭をもたげてきてしまいそうだった。

 一体、どうすればいいのか――
 
 答えに悩んでいる柔斗の表情を読んだのだろう。
 火羽は坐禅を組みながら、親指を自分に向けて言った。
「別に、ワシは困らんぞ。お前さんがここにいてもな」
「ほ、ほんとに?」
 思いもよらぬ助け舟に、柔斗はすっとんきょうな声を上げた。
 すると、地獄の閻魔様でも顔負けの、とんでもなく恐ろしい表情を浮かべて火羽はすごんだ。
「……ただし、れもんに手を出したら命は無いと思えよ」
「そこんとこは大丈夫だよ。俺には一応、相手がいるから」
 と、言ってはみたものの、実は柔斗自身複雑な気持ちがまだ心の中に残っていた。
(俺は、本当に亜里沙と付き合っていたのか……?)
 確かに記憶として、亜里沙と付き合っていたという事実は覚えている。
はずなのだが、それが未だにおぼろげなのだ。
柔斗にしてみれば、今すぐ自分の頭の中を開いて記憶のファイルを一つずつ調べたくてしょうがない――それほど自分の記憶が曖昧に感じるようになってしまったのである。
「それならよいが……しかしお前さん、本当にそれでよかったんかの?」
 火羽はいやに深く探ってくる。
 やっぱり柔斗がここにいるのが嫌なのか、それも何か別の理由があるのだろうか。
「俺は別に、これでいいよ。少なくとも、れもんに出会う前よりは全然いい」
「それはどういう意味じゃ……」
 火羽の視線が鋭くなったのを察知して、慌てて柔斗は首を振った。
「いやいや、れもんが好きになったとかそういうんじゃないんだよ。ただ、前よりも生活に色があるっていうか、楽しいっていうか……誰にも相手にされず、ただこの世をさまよってた時には、そんなこと無かったからさ」

 ほんの数日前の自分。
無感情に、無感動に、無気力にただふらついていた自分。
 そんな自分はもういない。
新しい自分を、柔斗は見つけたのである。
一年という時間は、長かったかもしれない。
死んで、天国に召すことすら出来ないというのは、あまりに不幸かもしれない。
 それでも、柔斗はこれからの生活が楽しみだと感じている。
 これからどうするのか、どうなるのかは分からない。
それでも、それでも柔斗は自分の行く先に光が灯っているのを、確信していた。

「……では決まりじゃな。だが、ワシがよしとしても、れもんが反対したらこの話は白紙じゃぞ」
「あぁ、わかってる」
柔斗は大きくうなずいた。
「本当に、わかっておるのか?」
「あぁ、よく分かってるさ」
 柔斗はもう一度、大きくうなずいた。
 と、その時玄関の方から引き戸を開ける音が聞こえてきた。
 れもんが帰ってきたのだろう。
 
 れもんは一体、なんて答えるのだろうか。
 いや、もうわかりきっている。
 きっと、きっとこう答えるに違いない――

 その答えを確信しながら、柔斗は意気揚々に玄関へと向かっていったのだった。

 これからの自分に、生活に期待をふくらませながら。

       

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