Neetel Inside ニートノベル
表紙

作家先生と助手
そのろく 『先生、きゅうりの悪口はそこまでです』

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果たして、ピューくんは翌日の同じ時間にやってきた。
あたしが玄関を開けて出迎えると、なんだかすっきりした顔でピューくんは立っていた。
「いらっしゃいませ」
「あ、どうも」
ぺこりと頭を下げるピューくん。
お皿の水がちょっぴりかかったけど、あたしは黙っていてあげた。
「なかへどうぞ。鴨志田さんがお待ちです」
ちなみに先生は爆睡中だ。
『僕がいなくても問題ない』ですって。
もう、お仕事ですよ?
お・し・ご・と!
大人のクセに……
まあ、今回は頑張ってたモンね。
特別に許したげよう。
「おはようございます」
ぺたぺたと部屋に入ってきたピューくんを見て、鴨志田さんはソファから立ち上がり頭を下げた。
「改めまして、私、鴨志田と申します」
そう言って鴨志田さんは、さっと名刺を手渡した。
そうそう、これが大人よね。
「あ、よ、よろしくお願いいします」
ピューくんが頭を下げると、またお皿の水がちょっぴりこぼれたが、鴨志田さんはそれを華麗によけた。
うーん、さすが。
「それでは、料金についてですが」
ピューくんをソファに座らせながら、鴨志田さんが言う。
おおっ!
ついにお金の話ね。
いくらくらいかしら?
高いのかな?
そりゃ天才童話作家様(自称)ですもんね、それなりに高いんだろうな。
ピューくん払えるのかな?
だいじょぶかな……
「5千円になります」
……へ?
「え? 5千円ですか?」
「はい。税込みで5千円になります」
「たった、5千円ですか?」
「ええ、私ども独自のネットワークで、相場よりずっと安く印刷できるんですよ。ただ、ちょっと特殊な印刷になりますので、決して本一冊の値段としては安くありませんが」
いやいや、そういうことじゃなくってさ。
ええ?
ホントに5千円でいいの?
そんなんで今の生活がなりたっていけるの?
「もし、持ち合わせが無いようでしたら、振込みでもかまいませんが」
「あ、いえ、いえ、ありますあります」
ピューくんはあわてておさいふを取り出した。
「あの……お釣りはありますか?」
「ええ、もちろん」
鴨志田さんはピューくんから1万円札を受け取ると、いつの間に用意していたのか、手に持っていた5千円札をピューくんに渡した。
ホントに、5千円なんだ……
「では、こちらが領収書になります」
「……あの」
領収書を受け取りながら、ピューくんは不安そうな顔であたしたちをみた。
「本当に、5千円でいいのですか?」
「ええ、もちろん」
鴨志田さんはまばゆいばかりの笑顔で答えた。
美人だなぁ……って、
いかんいかん、つい見とれてしまった。
「あのね、ピューくん」
小さくウインクして、鴨志田さんはタバコに火をつけた。
へー、鴨志田さんってタバコ吸うんだ。
「別に、うちの先生はお金のために、あなたに本を書いたわけじゃないのよ」
「そう、なんですか」
「あったりまえじゃない!」
その言葉を聞いて、あたしはなんだかうれしくなった。
なんでだかは……わからないふりしとこう。
「サオサ……あ、いや、うちの先生、一般向けの童話で何冊もベストセラー出してるから、お金ならぜんぜん困ってないのよ。今は、ほとんど書いてないけどね」
そうなんだ。
しらなかった。
一般向けってことはつまり、特定の相手以外にも読めるもの、ってことね。
あとで読ませてもらおっと。
たのしみたのしみ。
「それに、後援会ってワケじゃないけど……ここだけの話、けっこうパトロンもいるの」
鴨志田さん、そんなことピューくんにはなしちゃっていいの?
ピューくん、こまった表情してるよぅ。
「だからね、サオサは、本当に困っている人に、自分が心から書いてあげたいと思える相手だけに、童話を書くの」
そうだったんだぁ……なんかそれって、すっっごいカッコいい!
先生見る目かわっちゃうなぁ。
いや、だからって、もっと仕事して欲しいけど。
困ってる人って、いっぱいいるはずじゃない。
書いてあげたいって思える人だって、いっぱいいるんじゃないかな。
「心から、書いてあげたいと思える相手……」
そうつぶやいてピューくんは、とつぜん眼をうるうるさせ始めた。
「ありがとうございました」
ピューくんが頭を下げる。
お皿の水が、涙と一緒に床に落ちた。
「あの、先生にお礼を……」
「あーいいのいいの」
立ち上がろうとしたピューくんを鴨志田さんが制した。
なんで?
こんなに喜んでくれてるんだもん。
先生に会わせてあげようよ。
「あの、あたし、先生起こしてきましょうか?」
「いいのよおジョちゃん」
そう言って鴨志田さんはあたしの耳に顔をよせた。
いわゆるナイショ話のポーズね。
「サオサ、こういうの照れるからって嫌がるのよ」
なるほど。
それは容易に想像がつく。
「ピューくん、お礼なら、先生に手紙を書いてあげて。そのほうが喜ぶから」
「あ、はい! 必ず書きます!」
そう言ってピューくんは勢いよく立ち上がった。

「それでは、ありがとうございました」
「あ、ちょっと待って」
玄関を出て、廊下を歩き出したピューくんをあたしは呼び止めた。
「はい、なにか?」
「うん、あのさ……」
いいのかな、聞いても。
いや、聞こう。
気になって寝れなくなっちゃう。
「ピューくん、いじめはなくなった?」
「ああ、いえ、昨日の今日ですから、なんとも……」
それもそっか。
あーやっぱよけいなこと聞いちゃったかな。
「でも、昨日は1日、いじめられるような事はありませんでしたよ」
「ほんと?」
「ええ、先生のおかげです」
やった!
よかったねピューくん!
「ねえ、じゃあさじゃあさ」
あたしは調子にノッて聞いた。
何事もいきおいが大事よね。
「もう、ムリしてきゅうりを食べないことにしたの?」
「いいえ」
やっぱりね……って、え?
「きゅうり嫌い、なおったの?」
まさかあの本にそんな効果が?
それなら先生が真っ先に読むべきじゃない!
「いえ、でもムリして食べる事はやめようと思います」
「それって……?」
どゆこと?
「好き嫌いを、克服しようと思います。穏やかに、ひとりでひっそりと、暮らすのも良いですけど、僕はみんなと仲良くしたいですから」
「えっと……」
わかったような、わからないような。
「実は昨日あの後、僕をいじめてる奴のところに行ったんです」
ええっ、スゴイ!
ピューくん頑張ったんだね。
「それでそれで」
「はい、それで、聞いたんです。『どうしていじめるの』って」
「うんうんそれで」
あたし、ちょっと熱くなりすぎかな?
でもぉ、だって気になるんだもん!
「そうしたら、そいつは言いました『お前が、いやいやきゅうりを食べる顔が、おもしろいからだ』って」
え?
それって……
「それは、童話にあった台詞そのものでした」
だよね!
え? じゃあ先生には未来が見えてたってこと?
それじゃあまるで預言者じゃない。
「だから、僕はきゅうりを、いっそ好きになってやろうと思ったんです」
ピューくん、強いなぁ。
うん、カッコいいぞ!
緑も鮮やかだ!
「それで僕は、そいつに聞いたんです『どうしたらきゅうり嫌いを克服できるか』って。そいつ、最初は迷惑そうにしてましたけど、僕が真剣な顔で聞くもんだから、色んなきゅうり料理を教えてくれました。『これなら食えるんじゃないか』って」
そっかそっか。
「よかったね!」
「はい」
あたしの言葉に、ピューくんはまぶしい笑顔で答えてくれた。
「あ、ねぇねぇ、それでさ、そのきゅうり料理、作ってみたの?」
もーこうなったらあたしの気になるは止まらない。
ごめんピューくん、覚悟して!
「ええ、昨日さっそく」
「どうだった?」
「いや、正直微妙でした」
ピューくんが笑いながら言ったので、私も思わず笑ってしまった。
「あの青臭さと食感がね、どうにも……」
「まあ、最初っからそんなに上手くはいかないよ。色々ためしてみなね。おいしいんだから、きゅうり」
「はい」
「あたしも何かきゅうり料理考えて教えてあげるね」
「ありがとうございます」
レシピを送る約束をして、住所を聞くと、あたしはピューくんと別れた。
ピューくんは最後まで笑顔だった。
(また、あえるかな)
なんて考えながら部屋に戻ると、先生がソファに座ってテレビを見ていた。
あれ? 鴨志田さんの姿が無い。
「センセ、おはようございます」
「ん」
「あの、鴨志田さんは?」
「帰った」
いつの間に……
「おい」
「あ、はい」
「ごはん」
……ガマンガマン。
ここはピューくんの笑顔に免じてあげよう。
「何が食べたいですか?」
「なっとう。ネギ抜き」
はいはい。
「わかりました」

「おい」
「はい?」
「これはなんだ?」
先生は、あたしが手際よく用意した遅めの朝食を指差して言った。
ちなみにごはんは、鴨志田さんが炊いてくれていたようだ。
さすがだなぁ。
「なにって……」
「僕が、きゅうりが、嫌いなのは知っているだろう?」
「ええ」
だから出したんですもん。
「なら、何で出したんだ」
「先生にはですね」
あたしはコホンとセキばらいをしてから言った。
「これから、少しずつ好き嫌いを克服してってもらいます」
「ふざけるな!」
言葉のいきおいとは裏腹に、先生はきゅうりの和え物が入った小鉢を、ずずっとあたしの方へよせた。
うーん、いきなり和え物はハードル高すぎたか。
「せっかく作ったんですから、一口ぐらい食べてくださいよぅ」
「やだ」
「そういわず……ほら、あーん」
「いーやー、らっ!?」
よし入った!
あたしは先生の『いやだ』の『だ』にタイミングを合わせて、口の中にきゅうりを放り込んだ。
ふふっ、なんという策士!
さすがに口から出したりはしないだろう。
あっ、ほらほら、食べてる食べてる。
恨めしそうな視線は無視するとして、作戦成功ね。
「……もういい、あっちいけ」
口の中のきゅうりを飲み込むと、そう言って先生は『しっしっ』という感じで手を振った。
あれ、思ったより怒ってない?
「わかりました」
とりあえずここは、おとなしく引くことにしよう。
あたしは洗濯機を回すために部屋を出た。
とちゅうで何となく振り向く。
「あっ」
「なんだ」
「いえ……洗濯してきまーす」
あたしは小走りで部屋を出た。

(今日はっ、きゅうり記念日ぃ)
ぐるぐるまわる洗濯機の中をのぞきながら、あたしは思わずこぼれそうになった笑みを両手で受け止めた。
(次はネギに挑戦ね)
そうして、あたしは次なる闘志を心の中で燃やしたのだった。

       

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