Neetel Inside ニートノベル
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 家からマルナミマートまで、20分。
 住宅街から、裏道を使って国道まで抜ける。国道は、この町で一番大きな道路なのに、車の通りは極端に少ない。一定間隔で置かれた街灯が照らす歩道を、私はとにかく走り続けた。
 水溜りも気にせず走っていたから。靴の中まで雨水が入って、既に靴下がずぶ濡れになっている。
 もし、繭歌がいなかったら。
 一人で、こんな時間に夜道を走っているせいだろうか?ついついそんな事を考えてしまう。 その時、私はどうすればいいだろう?
 落ち込んで、諦めて。また重い荷物を引きずって家に帰るのだろうか?
 それは……違う。
 何か、違う気がする。
 じゃあ、一人で。繭歌の後を追う?
 ……わからない。
 結局、なんだかすべてが中途半端で。自分からは何もできなくて。
 中身なんて、どこにも無い。
 自分の夢を真っ直ぐに話せたり。あるのかどうかもわからない場所を目指して、行動を起こせる繭歌がなんだか、とても羨ましくて……。
 いくら私がこの街を好きでも。家にいても、どこにいても。居心地悪い気持しかなくて。
 ここに居たいのに。なんだか、それが許されてないみたいで。
 毎日、少しずつ。ピリピリした苛立ちだけが雪みたいに積もって。
 本当は……本当は。私にだってたくさん嫌な事があるんだ。
 誰にも言ってないだけで、嫌な事なんてたくさんある。
 逃げ出したいって、思う瞬間が確かにある事も……。
 でも、そんなの。逃げ出したって意味なんてないじゃん。
 意味ないって、思うしかないじゃんか。
 逃げたって、私の現実なのは何も変わんないわけだしさ。
 どんなに息苦しくて。棘が一杯刺さっても、嫌な事ばっかり目に付いても。向き合っていくしかないじゃん。
 私は。
 私は……。
 珍しく、私の側を一台の車が走り抜けて行った。路肩に溜まっていた水を勢い良く跳ね、飛沫が太腿にかかった。全身の筋肉が縮むぐらいに冷たい。
 車は謝るでもなく、スピードを落とさずにそのまま走り去って行った。
 私は、ただ。車のテールランプを見送る。
 ああ……そっか。
「私……連れ出して欲しかったんだ」
 同じ場所で、身動きがとれなくなってる私の手を掴んで。誰かが連れ出してくれれるのを、待ってたんだ。
「ほんと臆病者だな、私」
  

 雨音が少し弱まりはじめた頃、ぼんやりと光る、マルナミマートの古ぼけた看板が見えてきた。
 ガレージに入ると、すぐに辺りを確認して繭歌の姿を探す。
 ……いない。
 お店の前には、人影どころか。車一台停まっていない。
 レジの近くにある掛け時計で、時間を確かめる。
 8時05分。
 繭歌が言っていた時刻は過ぎていた。
 今となっては。あの約束が意味を持っているかといえば。多分……ない。
 繭歌は私が来る事なんて、もう期待してなかっただろうな。だから、電話であんな風に拒絶したのだと思うし。
 わかってた事だけど。それでも、私は繭歌に会いたかった。
 私がもっと早く行動していれば。そうすれば、私は繭歌に会えただろうか。
 つまらない強がりなんてしなければ。間に合っていただろうか。
 今となっては、すべて後悔でしかない。
「なによ……こんなの……」
 やっぱり、私は馬鹿だな。
 なんとか堪えようとしたけれど。我慢できずに涙が溢れ出す。
「繭歌、ごめん」
 私は、しばらくその場に立ち尽くし。雨音を聞きながら、涙の流れるままに泣いていた。
「あ…七海ちゃんだ……」
 雨音に溶け込んで、聞き漏らしてしまいそうな小さな声が聞こえた。
「繭……歌?」
 振り向くと、小柄な体には不釣合いな、大きなリュックを背負った繭歌が傘をさして立っていた。
 きっと智子が言っていた、買い込んだ食糧なんかが入っているのだろう。
「よかった……まだ町にいたんだ」
「ほんとは、少し先まで歩いてたんだけど。もしかしたら七海ちゃんが来てるかもって思って……それで、引き返してきちゃった」
「そっか……」
 良かった。
 安心すると、また涙が溢れそうになる。
「あれ? 七海ちゃん泣いてる?」
「泣いてない。ありえない」
 服の袖で、乱暴に涙を拭う。
「あのね。私、七海ちゃんが来てくれてすっごく嬉しいよ」
「繭歌に一言文句を言ってやろうかなって」 
「う……文句ぅ?」
 怯えたように、繭歌は一歩下がった。 
「……って、思ってたんだけどね」
 今なら、素直に自分の気持を言える気がする。
「本当は、私も繭歌と一緒に行きたいなって思ったの」
「そかそか。うん、七海ちゃんが決めた事なら。私は全然、大歓迎だよ」
 理由も聞かず、繭歌は私の手を握って、上下に激しく振った。
「それに、繭歌一人じゃ心配で、毎日ゆっくり眠れそうにないし」
「七海ちゃんは心配性だなぁ。子供じゃないんだから、大丈夫だよー」
 多分、根拠はないんだろうけど。繭歌は凄い自信で言い切った。
「あ」 
 傘の外に腕を伸ばして、繭歌は手をひらひらと動かす。
「雨、あがったねぇ」
「ほんとだ。傘、邪魔になるかな?」
 お気に入りの傘だから、できれば持っていきたいけど。できれば、手荷物は増やしたくない。
「大丈夫だよ。私のリュックに傘を入れるところも付いてるから」
「繭歌も自分のがあるでしょ?」
「二本ぐらい余裕だよ」
 そう言って、繭歌は私の傘をリュックのベルト部分に傘を挿し込んだ。もともとは二本も収納するようにはできてないのか、ベルトは今にも弾き飛びそうなぐらいぱんぱんに突っ張っている。
「なんか、見た目凄い事になってるよ……」
「避難用の一番大きなリュックを買ったからね。これぐらい、だいじょぶだいじょぶ」
 ぽんぽんと、繭歌はリュックを強く叩く。
 何でも入るのは良い事だけど。入れすぎて、凄く重くなってるんじゃ……繭歌の足元は、どことなくふらついている。
「途中で重いって言っても、私知らないからね」
 私は笑いながら、なんとなく空を見上げた。
 雨上がりの雲間に、ほんの少しだけ小さく光る星が顔を出している。
 明日は晴れかな。
 明日も今日と変わらず、この町の景色は続いていくんだろうな。
 明日からは、私と繭歌はその中にはいないけど。それでも、そんなに大きな変化もなく、この町は続いていくんだ。
 世界の終わりのその日まで。
「それじゃ、行こっか。繭歌」
「うん。世界の果てを目指してがんばろう」
 二人同時に、一歩を踏み出す。
 歩き始めると、繭歌がいきなり私の腕にひっついてきた。結構な勢いがあったので、危うく体勢を崩しそうになる。
「ちょ、ちょっと。繭歌どうしたのさ」
「えへへ。なんか、嬉しいんだもん。七海ちゃんといっしょー、七海ちゃんといっしょー」
 変なメロディをつけて口ずさみ、私の腕をぐいぐいと引っ張りながら繭歌は歩きだす。 荷物の重さで、繭歌の足元が安定していないものだから、私もつられて、左右にふらふらとよろけてしまう。
「もう。私、さっきまで走ってたんだからさ。疲れさせないでよね」
「ね、ね。七海ちゃん、七海ちゃん」
「そんなに何回も呼ばなくても聞こえてるってば……」
「大好き」
「何それ」
 ほんと、繭歌の言葉はいきなりで唐突で訳わかんない。
「七海ちゃん大好き」
「うわ。二回も言ったし。恥ずかしいからやめてよね」
 でも、まぁ。なんだろう。
 困った事にそんな繭歌の事が、私はわりかし嫌いじゃないみたいだ。
 繭歌とこんな風に、取り留めのない会話をするのが心地良くて、安心する。  
「私も、好きかもね」
 なんてね。繭歌に聞かれるとうるさくなりそうなので、こっそりと呟く。
「え?七海ちゃん。今、何か言った?」
「べっつに。何にも言ってないけど?」
 誤魔化して、私は繭歌を追い越して歩く。
「嘘だぁ。絶対なにか言ったよー」
「言ってないって。空耳とかわけわかんないからやめてよね」 
「いぢめだ。七海ちゃんの新しいいぢめだよ」
「ちょっと、人聞き悪いなぁ」
 繭歌が笑う。
 私も釣られて笑う。
 少しの不安と、少しの期待で。胸の鼓動が早くなっているのを感じる。
 この街しか知らない私達の、外の世界に向けての旅が始まった。

       

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