Neetel Inside ニートノベル
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 ウメの言葉は見事に的中した。
 地中にある電気エネルギー発生装置、「永久機関(エターナル)」が停電を起こした。グラインダーが全員リタイアしたのは停電によるものだった。
 その日から、メトロ・ブルーの都市群は主要な機能のほとんどを失うことになった。
 まず交通機関。移動手段のうち、電気エネルギーによる動力を必要とするもの(グラインダー、鉄道、水上船、小型飛行船など)は、ほとんどが使用不能になった。
 代替手段として、帆船(といっても、大型のものではなく、グラインダーに即席でマストを張った簡素なもの)や、自転車(骨董品のうち、まだ動いたもの)が使われた。しかし当然のことながら、今まで動力による交通に頼ってきた社会がそれだけでまかなえるはずもなかった。
 惑星全土に及ぶ空前絶後の大停電に対し、ただちに近隣惑星による保護政策が施行された。
 メトロ・ブルー外の惑星から派遣された大型飛行機械が、当面の臨時移送手段となった。大混乱の中、観戦に来ていた他の惑星に住む人々は、一週間のうちにおおむね帰省をはたした。
 しかし、大型飛行機械を私用で使うことは困難だった。メトロ・ブルーに住む、移動手段を持たぬ人々は、数日の間必然的に自宅近所に閉じ込められるような形となった。
 メディアも機能しなくなった。ほぼすべてが電子化されていたので、唯一にして絶対のエネルギー源だった永久機関(エターナル)が、原因不明の停止をした「運命の日」から数日は、何一つ情報が入ってこなかった。

「停電ね」
 ナオトはつぶやいた。街で配っていた号外をテーブルに投げだして。
 前代未聞の中止となったグラインドレースワールドグランプリから、一週間が経っていた。
 ウメとナオトの家にヒバリとコウは来ていた。この一週間、補給物資の運搬やらで、ほとんど四人は一緒に暮らしていた。
 あの日。一万人近い選手全員を救出するのに、日暮れを過ぎてもまだ時間が足りなかった。レースの中止にすっかり落胆しているナオトが、コウたちと合流したのは夜になってからだった。大型帆船に乗って家に着いたのは翌朝に近づいてからだ。
 以来、今度はナオトが機嫌を悪くしていた。なにせ電気がなければグラインダーは一切空を飛べないのだ。それは鳥が翼を奪われたようなものだった。
 ナオトは大仰な仕草で顔を覆って、
「何たることだ! レース中止? こんなこと今まで一度もなかったぞ。ただの一度も!」
 テーブルを両手で叩き、
「おまけにグラインダーが動かないときた。俺に死ねとでも言ってるのか! ああもう、ちくしょう!」
「ナオト、落ち着いてよ」
 ヒバリが言った。一週間、ナオトはずっとこの調子だった。
「永久機関(エターナル)が落ちたんだ。何が起きても不思議はないよ」
 ウメが普段と変わらぬ調子で言った。この一週間、これだけ落ち着いている人をヒバリは他に見たことがなかった。
「落ちるって、そんなこと本当にありうるのか?」
 コウが言った。ウメほどではないが、彼もまたこの一週間を冷静に過ごしていた。彼自身、そのことが不思議だった。
 ウメは「ああそうさ」と言って、
「ぼうや、いくら文明が進んだって、『永遠』なんてものは存在しないんだよ。あたしらはどこかにそういうものがあるような気がしてるがね。ほんとうはそんなものどこにもないんだ。分かるかい?」
「まあ、こうして起こったからには認めないわけにはいかない」
 コウはテーブルに頬杖をついた。
 エターナルの停止にともない、メトロ・ブルーにおける仮想世界(ウェブ)は完全に消滅した。この数日、そちらに浸りきっていた人たちが亡霊のようにこちらへ帰ってきている。そんな話をコウは耳にしていた。彼らはまともに話もできないらしい。
「ウェブに行っちまってた連中は抜け殻のようさ。ぼうや、その意味じゃあんたはだいぶマシだ。こうやって普通にしているからね」
「そりゃ光栄だ」
 つっぱねたコウにヒバリは、
「ちょっとはその減らず口も直るといいんだけどね、この機会に」
 コウは、
「感謝してる。ヒバリも、ばあさんも、あとナオト。本当にありがとう」
 ヒバリの意外なことにコウは礼を言った。この一週間、コウはことあるごとに三人に対して礼を言っていた。言葉だけじゃなく、態度にも変化が表れた。物資の運搬に家事に、三人のためにできることならコウは何でもしていた。
「ねえコウ、あんた頭でも打ったの?」
 戸惑うヒバリにコウは首を振り、
「ずっと礼を言おうと思ってたんだ。でも難しかった。時間が経てば経つほど、止められないくらい僕はねじ曲がっていった。でも、ほんとのどん詰まりに行った時に、ウェブでナオトの飛行を見た」
 思い出しながらコウは宙を見つめ、
「すごいと思った。今まで僕はナオトの飛行を何も見ていなかったんだって。こんなに素晴らしい飛び手が身近にいたんだって」
 コウは手の平を見つめ、
「その時、不思議な感じがした。つながってないと思い込んでた世界に、僕もちゃんと存在しているんだと思った。そして、こんな自分でも生きていられるのは、他じゃないヒバリや、ナオトや、ばあさんやトウジや、色んな人のおかげたと感じたんだ。うまく言えないけど。頭でじゃない、身体でそれが分かった。僕が今までどれだけみんなを心配させていたか。それでウェブをやめて、僕は会場に向かった。そしたら途中で電車が止まった。海の上で停止したから、乗ってた人たちはみんな混乱した。でも僕はとにかく会場までいかないといけなかったから。電車を降りて、歩き続けた」
 窓辺で空を睨んでいたナオトの後ろ姿に、コウは、
「お前のおかげだ、ナオト。ありがとう」
「年上にくらい敬語を使え。あほ」
 ナオトは頭をかいた。それを聞いていたウメが、
「さてね、世の中にはプラスとマイナスがある。何が正で、何が負か。ほんとうに見極めるのは難しいが、それは全体で釣り合ってるもんだとあたしは思う」
 言いつつ、ウメはラジオの周波数を合わせた。ノイズに混じって聴きなれた声がする。ウメは、
「ラジオってないいもんだね。こういうあわただしい時だって、ちゃんとあたしたちに聞こえる音を届けてくれる」
『はーいみんな。私、エラ・マリンスノウの氷河(フィヨルド)漂流記(ダイアリ)。まさかこんなことになるなんて思いもしなかったわ。電気がなくなる? それで私たちはどれだけ小さな存在か知ったのかもしれません。さあ、それではまた古い曲です。ゴールデンオールディーズ』
 ノスタルジックな曲がかかる。それは秋の陽だまりのように、やさしくコウたちを包みこんだ。
 テレビすらつかない未来都市の時間は、とてもゆっくりと過ぎていく。ウメがとっておいた紅茶とわずかなクッキーを食べながら、四人は思い思いの時間を過ごす。
「いいもんだね。普段からうるさいのを遠ざけて暮らしてるが、今のこの時間はいっとういいよ」
 ウメが言った。
 古い曲が流れるあいだ、四人はそれぞれに懐かしい話をした。機嫌のあまりよくないナオトや、まだ素直になりきれないコウも、小さかった頃を思い出して、楽しい時を過ごした。
 やがて日が西に傾き、夕闇が海の端を染める頃。ウメは、
「あたしが若い頃の話をしよう」
 そう言って、ふるいランプと燃料で明かりをつけた。
 薄闇にぼうっと浮かぶ四人の顔は、ウメだけが静かに笑みをたたえていた。あとの三人は、まるで不思議を求める子供のような様子だった。
「あたしが今のぼうややヒバリと同じ歳の頃だ」
 ウメは長年開けていない引き出しから宝物を探しだすように、慎重に、
「ぼうやと同じように、そのころのあたしもまたウェブにはまっていた。見ての通り、この星にはなんにもないだろう? いや、当時のあたしはそう思ってたのさ。あたしの頃はまだ没入者――いまは中の人と呼ぶんだったね――がそれほどいない時代だったから、余計にあたしみたいなのは非難の的になったし、それがあたしをますますねじ曲げさせた。
 じっさいほとんどの者は仕事をしていた。まだ生活のために仕事が必要な時代だった。あたしは竹細工の最後の職人のところでささやかな身銭を得ていたが、ちっとも乗り気じゃなかった。誰も継ぐ者がいないから誰でも雇ってくれるんだがね、どうして誰も必要としない細工物なんかせっせと作らなきゃいけないんだい? あたしはそう思っていた。
 師匠ははじめの数日であたしにやる気がないことを見抜いていた。そりゃああれだけ卑屈だったんだ。無理もない。でも簡単なことからひとつひとつ教えてくれた。決してむやみに押しつけるようなこともない。たまにあたしがほんの少し機嫌がいいと、その時は外に散歩に出ようと言って連れていってくれた。そのあとで製作するとずいぶんとはかどった。でも当時のあたしはそれをちっとも嬉しがったりしなかったのさ。
 その頃、あたしはウェブの見知らぬ相手に恋をしていた。自分の迷いを全部聞いてくれたし、当時のあたしがほしがっていたような言葉をかけてくれたからね。ウェブで話を聞いてもらったり聞いたりしているとほっとしたものさ。虚構のモンスターハントやらゲームに熱中してるものもいたが、そういうのには興味が向かなかった。
 あたしはウェブの彼に次第に惹かれていった。今にして思えばその相手も何か問題を抱えて逃避していたに違いないんだが、あの時のあたしにはそんなもの見えやしなかった。聞き役になってもらううち、あたしは彼に会いたくなってしまった。若気の至りとでも言えばいいかね。ウェブの相手には他の惑星の住人もいるわけだから、仮に打ち明けたところで叶わぬ願いかもしれない。それでもあたしは気持ちを伝えたかった。……この話は退屈かい?」
 ウメが三人を見て言った。三人とも首を振った。熱心に耳を傾けている。
「そうかい。そりゃよかった。ばばあの昔話なんてつまらないかと思ったもんでね。それじゃ続きだ。
 あたしが彼に思いを打ち明けると、彼は喜んでくれた。できることなら力になりたいとも言ってくれた。
 彼はどうやら三つ向こうの星に住んでいるらしかった。仕事が忙しくて向こうから来ることはできないって話だった。でも、来てくれれば面倒を見てくれるとも言っていた。今思えばあやしいもんだが、愚かなあたしは全部を投げ捨てて彼のもとへ行こうと思ったのさ。そうすれば嫌なことがすべて吹っ切れそうだった。そんなこと起こらないのにね。
 決心を固めたあたしは、師匠に仕事を辞めることを伝えた。あたしは唯一の弟子だったから、それはこの星における竹細工の伝承が途絶えることを意味していた。それでも師匠は了解してくれたのさ。それどころか旅立つ資金までくれた。最後の日に、師匠はあたしにとっておきの細工品を渡してこう言った。
『これは私が生まれて初めて満足できた作品です。今見れば稚拙さは残りますが、それでも今までのどんなものより情熱がこもっています』
 たしかに見事な作品だった。竹のしなやかな曲線が繊細に絡みあい、優美な螺旋を描いていた。『自由の橋』という名前だった。たくさん作って市販するにはあまりにも手が込んでいた。
 何十年も前に作ったものが、いまでもその魅力を失わずにいることにあたしは感動した。その時だけ、自分はここに残るべきじゃないかと思ったよ。しかしそんな気持ちを表にはできなかった。師匠はあたしにこう言った。
『あなたがつらい状況に追いこまれた時、きっとこれがあなたを守ってくれます。私がそうだったように』
 あたしは師匠に礼を言って、準備していた道具とともに家を出た。そのときは二度とこの星に帰るまいと思っていた。
 ところがその日。あたしがこれから出立しようっていうその時に、三つ向こうの星に渡航禁止令が出された。原因は内乱の勃発。貧富の差が大きい星で、貧困層にはお金が、富裕層には時間が足りないという格差が広がっていたらしい。人々の反乱が起きて、それで政府が潰れた。
 あたしは行く場所を失っちまった。むこうに渡ることも、師匠のところへ帰ることもできなかった。放心したまま、あたしはメトロ・ブルーの別の町に移り住んだ。その後ウェブを探し
 たが、意中の彼には二度と会えなかった」
 ウメはランプをゆすった。かすかにはぜる音がして、炎がゆらめいた。
「師匠のところにどうして帰らなかったんだ?」
 コウが言った。ウメは頭を振って、
「戻れなかったよ。どの面下げて会えるってんだい? でもね、それから何年か経って、あたしは師匠の葬式に行った。そして『自由の橋』をそっと棺に入れた。こんなできそこないにはもったいない品だったからね」
 心地のいい沈黙がウメの家を満たしていた。
 夜の明かりは小さなランプひとつ。何百年も前、電気がなかった時代のように。
「その後、あたしはとにかく誰かの役に立とうと思ってまじめに働いた。ほんとうに人に喜ばれていたかはちょっとあやしいもんだがね。自己満足もあったかもしれない。でも、あの時の出来事があたしをほんの少し変えたのさ」
 コウは真剣にウメの話を聞いていた。自分と重なる部分があったのかもしれない。
 ウメはぽんと両手を叩いて、
「さ、夕食の準備をしよう。お前さんたち、昼間は街まで行ってくれてありがとうね。混んでいただろう」
 ウメが言うと、ヒバリとコウは立ちあがって、キッチンに向かった。コウはまだウメの話について考えていた。

 翌日も、コウとヒバリとナオトは物資の調達に街まで出かけた。
「よーし行くぞっ。つかまれ乗組員」
 ナオトのグラインダーとヒバリの小型船を連結させ、マストを張った簡易帆船で、三人は一路ウェストサイド・シティを目指す。
「帆を張れーっ」
 ナオトの声にコウが
「張ってます」
「面舵いっぱーい!」
「いやまっすぐだ。舵はいらない」
「それじゃ錨を上げろーっ、出発だ!」
「ロープならほどいた。さっさと行ってくれ」
 ナオトは半眼でコウを見て、
「あのなコウ。もうちょっと何かないわけ? 気分を盛り上げて行こう的なさ。ただでさえ飛べないお兄さんは、もうすごく気が滅入りそうなんだけど」
「大丈夫だ。このくらいの船なら僕とヒバリだけでも操舵できる。気分が悪くなったら休んでて構わない。けど街に着いたら荷物持ちよろしく」
「準備いい?」
 ヒバリが最後部から声をかけた。コウは親指を立てて、
「大丈夫だ」
 まもなく船が動き出した。連結しているうえに、帆も簡素なものだったので、思いのほかゆっくりとした進行だった。
「はあーっ」
 ナオトががっくりと肩を落としてグラインダーのアームにうなだれた。
「よもや俺のツバメがこんな運搬船になっちまうとはな」
 海は今日もよく晴れていた。スコールを別にすれば、メトロ・ブルーは悪天候になることがほとんどないのも特徴だった。
「あんまり落ちこむな。僕たちには荷物持ちという崇高な使命がある」
 ナオトは恨めしそうな目でコウを見て、
「本当なら今頃ワールドチャンピオンになって時の人扱いされてたはずなんだけどなぁ。何がどうしてこんなことになったんだ」
 動力が使えればものの十分で着くところを、まる一時間かけて、途中でコウとナオトが船酔いになりかけながら、何とか三人はウェストサイド・シティに到着した。
「役所に行きましょう。隣の市民会館に物資が来てるはずよ」
 ヒバリが案内した。コウとナオトはよろめきながら後に続く。
「あいつ三半規管強いな。やっと陸にたどりついた」
 ナオトが言うと、
「吐かなかっただけ偉いじゃないか。僕はもうダメかもしれない」
「空ではなんともないのに、海はダメだ俺も」
 ナオトは天を仰いだ。コウは地面にくずおれて
「すまないナオト、僕のぶんまでしっかり……」
「おいしっかりしろ、コウ! 死ぬなぁ!」
「バカやってないでさっさと来なさいよ」
 ヒバリが呆れた顔でコウとナオトを見た。しかしどこか楽しそうでもあった。
「何か嬉しそうじゃねえかヒバリさん」
 ナオトが酔拳を使うような足どりで歩いていると、
「別にっ。ただ、こういうの久しぶりだなあって思っただけよ」
 ヒバリはそう言ってくすくす笑った。コウはヒバリがそんな風に笑うのが新鮮に思えた。

       

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