Neetel Inside ニートノベル
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 地下のブースにはもう下りられなかった。エターナルが復旧した以上、もう閉め切って立入禁止にしてしまうらしい。コウが少しだけさみしく思っていると、
「ああ、いたいた。コウくん」
 ガヴェインだった。食堂の外でコウは呼びとめられた。
「ガヴェインさん。すいません。探したんだけどなかなか見つけられなくて」
「いや構わないよ。何にせよ私のほうから連絡したいところだったんだ。コウくん、ものは相談だが、君はこれからの予定がもう決まっているのかい?」
 コウは何の話だろうと思いながら、
「いいえ。とりあえず仕事を探さなければと思ってますが」
 ヒバリも不思議そうにガヴェインとコウを見ていた。ガヴェインは顔をほころばせ、
「それでは私の弟の事務所で働かないかい? 二級資格があれば最低限の仕事はできるからね。君は自覚がないかもしれないが、仕事の飲みこみがずいぶん早かった。弟がどうもアシスタントを募集しているようなんだ」
「ほんとですか?」
 コウより先にヒバリが言った。コウは何となくタイミングをずらされて、
「あの、いいんですか?」
 ガヴェインはうなすいて、
「はじめは契約職員という形になるがね。続けていれば正式に雇ってもらえるはずだ。私としては一級資格にまた挑戦してほしいと思っている」
 コウはガヴェインを見た。しばらく考えていたが、
「よろしくお願いします」
 コウは片手をさし出した。二人は握手した。互いの連絡先を交換すると、その場はひとまず別れることにした。
「やったじゃない、コウ」
 ヒバリがコウをつっついた。コウは、
「まだうまくいくか分からないだろ。でもまあ、頑張るよ」
 照れくさそうに笑った。
 その後、二人は復旧したエレベータで今度は上がって、クローディア局長に胸証を返しに行った。
「ご苦労だったね。いや、本当に。誰の力がなくてもここまで来ることはできなかっただろう。予定より時間こそかかったが、それ以外の結果は申し分ない」
「局長もお疲れ様でした」
 クローディアは首を振り、
「もう局長ではないよ。もともとここのタワーの情報室長だったんだ」
 そう言うと窓際にあるデスクから立って外を眺め、
「ひとまず、元通りになってよかった。ここからの景色から人の活気が消えるのはさみしいからね」
 眼下の街から世界鉄道が走り出した。遠くには試運転中の旅客飛行船が見える。
「君たちはこの一カ月どうだった?」
「とても大事な期間でした」
「私もです」
 コウとヒバリは言った。
「そうか。それはよかった。君たちには未来があるからね、どうかそれを重荷と思わず、胸を張って歩いていってほしい」
 クローディアは席に戻ると両手を組んで、
「そういえばコウくん。君はウェブに長い間浸っていたらしいが」
 コウはぎくっとした。不意に言われると、やはりまだ後ろめたさがある。
「ええ。この一年くらいは」
「そのウェブのことなんだがね……実はまだ復旧させていないんだ」
「そうなんですか?」
 クローディアはうなずいた。気晶モニタを立ち上げると、
「それを通じて、さきほどのガウスのテープを流そうかどうか、政府が決めかねていてね。やるとすれば復旧時がベストだ。何せ内外の人口分離は放っておけない問題だ。私としては君の意見を聞きたい」
「あのテープ、残ってるんですか?」
 クローディアはまたうなずき、
「そうだ。ガウスの性格からして抹消するのかと思っていたんだがね。ごていねいにログ抹消の選択肢まで残して保持してあった」
 コウは考えた。さほど迷わずに結論が出た。
「流すべきだと思います。でなければ人々は簡単に今回のことを忘れてしまうかもしれません」
 自分が忘れないためにも、とコウは思った。クローディアは手を叩くと、
「そうか。それでは私は賛成票を投じることにするよ。ありがとう」
 クローディアはコウとヒバリのそれぞれと握手して、
「また会おう。私は別れの挨拶は好きじゃないからね」
 そう言うとウィンクをした。コウとヒバリは大きくうなずいた。

「ひゃっほう! 二人とも迎えにきたぜ!」
 セントラルタワーの外に出ると、間もなくナオトが飛んできた。まさしく飛んできた。ツバメに乗って踊りながら。
「二人とも、この一カ月俺の飛行が見られなくてもどかしかっただろう! 物足りなかっただろう!」
 コウとヒバリは半眼になってナオトを見た。
「ええ、まあ」
「そりゃそうだけどさ」
「そうだろうそうだろう!」
 ナオトは横向きに8の字を描いた。タワーから出てくる技師がいったい何事かとナオトを見た。それが疾風のナオトだと分かった者は、よせばいいのに歓声を上げた。
 ナオトは両手を突き上げて、
「ありがとう! ありがとう! グラインダーは俺の嫁だぜ! 俺は空と生きていく! たとえこの命尽きようともっ!」
 ナオトはやたらとレベルの高いアクロバットをいくつも決めた。コウとヒバリはすっかりあきれて、
「先行きましょうか、コウ」
「そうだな」
 二人でタワーを後にした。ナオトが気づいたのはその三十分後だった。

 それから一カ月。コウたちはそれぞれの生活を続けている。
 ナオトは以前にも増してグラインドの技に磨きをかけ、ヒバリは学業とボランティアの両立を続けている。コウはというと、ガヴェインの弟が経営する小さな事務所で、奮闘しながらアシスタントをしている。地下で復旧作業をしていた時以上に分からないことが多く、毎日のように失敗しているが、コウは簡単にめげたりしなかった。それはひとえに、あの空疎だったウェブでの日々や、その間のヒバリたちの励まし、そして何より、地下でのエターナル復旧作業に従事した期間のおかげだった。
 ウェブはコウたちが家に帰った次の日に復旧した。今や遅しと待っている「中の人」たちの前で、例のガウスのテープが流された。おそらく、メトロ・ブルーに住む人なら全員が目にしたことだろう。天才の独白は、現代に住む人々に警鐘を打ち鳴らした。ある者はウェブで「目を覚まそう、外に行こう」キャンペーンを展開し、ある者は労働に対する意欲を刺激された。もちろん何も変化しない者もいたが、コウはこんな風に考える。
「それぞれに人生があって。たとえそれがどんな道になっても、きっとどこかで光が射すようになっている。たぶん、チャンスは一度じゃないんだ。大事なのは、ふてくされて救いの手を払いのけないことだと思う。絶対に助けてくれる人はいるんだから」

 運命の日から半年がたったある日。
 メトロ・ブルーがほこる青い青い海洋は、どこまでも晴れ渡っていた。ニジトビウオの群れが、今日という日を祝うかのようにリズムよく跳ねていく。
 人々の歓声が聞こえた。メトロ・ブルーの次年度代表を決めるグラインドレースが開かれるところだった。
「さあBB! 急転直下のワールドグランプリ中止から半年が経ちました。エターナルが停止するという前代未聞の事態に、一時はどうなる事かと思いましたね」
「だがしかあし! 俺たちはここにこうしてふたたび集まった! 見ろ野郎ども! 今日のお天道さんはあの時よりよっぽど見事じゃねえか!」
「その通りであります! まるでこの場に集う私たちを讃えているような空! さあそれでは盛り上がってまいりましょう! 来年の代表は誰か! チャンピオンへの一歩を踏みしめ、大空へ羽ばたけ! ガウス・ブルー記念杯、メトロ・ブルーグラインドグランプリ、開幕です! 選手入場!」
 無限大の歓声が海の星を包み込む。

 その間、氷河(フィヨルド)・漂流記(ダイアリ)は数少ないリスナーに今日もメッセージを伝えている。
『今ごろグラインドレースの大会が行われている頃ね。そんな時にこのラジオを聴いているあなたとの出会いに、私エラ・マリンスノウは感謝します。それでは今日の音楽。命の喜びに笑うすべての人々へ。サザンカリブ・ボッサ』
 南国を思わせる幸福なリズムが、風のそよぐ室内に鳴り響く。
「さて、あの子たちが自由に飛ぶのを、あたしはここから見させてもらおうかね」
 ラジオのついた部屋で、ウメは一人そうつぶやいた。
 窓の外に、青く美しい惑星の風景がどこまでも続いていた。

 〈了〉

       

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