Neetel Inside ニートノベル
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 数日後、コウはヒバリに連れられて「命樹恩寵公園」に来ていた。メトロ・ブルーでも有数の大樹が枝をはり、その下には草花、泉や小川がある。
「私この場所が好きよ。来ると気持ちが静かになる」
 ヒバリはそう言って、この前ラジオで聴いたラブソングを口ずさんだ。
 コウは特別反応を示すこともなく彼女についていった。どれだけ断ろうとヒバリはコウをひっぱり出す。ひどい時など時限発火装置を投げ入れて「三分以内に出てきなさい」と言った。
 園内を漫然と歩きながら、コウはすれ違う老夫婦や家族連れを見ていた。ヒバリには思い入れがある場所でも、コウにとってはただの大きな公園だった。
「ナオトのレースっていつだっけ?」
 ひとしきり観察を終えたコウがぽつりと言った。
「二週間後よ。近隣の惑星から人が集まってくる大イベントなのに。さっぱり覚えてないのね、あんた」
「グラインドレースなんかに興味はない」
 コウがそう言うと、ヒバリは大げさに首を振り、
「信じられないわ。そんなのこの星系じゃ千人に一人もいないわよ、きっと」
「んじゃ僕はその稀有な一人なんだよ」
 ヒバリは頬を膨らませて「あっそ」と言った。ヒバリとコウの意見が割れるのは日常茶飯事だった。
「せっかくだし『命樹』も見ていくわよ」
「まだ歩くのかよ」
「そのために来たんだから。動かなきゃ人はダメになるの」
 コウは聞こえるようにため息をついた。しかしヒバリは無視した。ウェブのほうがよほどましな風景が見られると思いながら、コウはヒバリに付き従った。遊歩道は咲き乱れる花の中を曲がりながら続き、小川を渡り、少しずつ上り坂になる。
 メトロ・ブルーには局所的にしか植物がない。草花はみな「命脈」と呼ばれる、地面の底に堆肥がある場所にしか根を下ろせないからだ。それゆえ、命脈のない場所には人工物と海しかない。街はおおむね大きな命脈の近くにある。この恩寵公園の周囲もまた有数の大都市だった。
 大樹の周囲をらせん状に登りながら、コウは多くの人とすれ違った。そのほとんどが朗らかに笑っていることに、コウは心底うんざりした。おそらくここにいる人は「外の人」だろうと思った。ウェブに閉じこもる「中の人」に対し、普通に生活している「外の人」。そのような呼称が長い時間の中で生まれていた。
「いで」
 頬をつねられてコウは声をあげた。行きかう人が何人か振り向き、また通りすぎた。
 頬をつねっていたのはもちろんヒバリだった。
「何するんだ」
「そういう目をしないの。クサクサしたその目。別に、あんたが思ってるほど他の人とあんたは変わらないわよ」
 コウはヒバリを睨んでいた。ヒバリは真っ向から視線を受け止めた。
「別に、んなこと考えてない」
「嘘ね。あの時もそんな目をしていたもの。忘れないわ」
 あの時がいつを指すのか、コウにはすぐ分かった。フェードアウトを試みた日だ。
 コウはしばらくヒバリと睨みあっていたが、やがて自分から目を背けた。
「思い過ごしだ」
 そう言ってコウはヒバリより先にスロープを登りはじめた。ヒバリは立ち止まったまま、コウの背中を見つめていた。

 今日もよく晴れていた。「命樹」の頂上付近は展望台になっていて、公園と市街が見渡せる。商業地区や居住区で、豆粒のように小さい人が行き来する姿や、グラインダーが悠然と飛ぶのが見えた。街の外は青一色の海で、唯一の公共交通機関である世界(ワールド・)鉄道(レールウェイ)のモノレールが白い道のように走っていた。この鉄道を使うと、メトロ・ブルーの主要都市間を高速で移動できる。
 ふてくされていたコウだったが。この場所に来ると心が落ちつく気がした。
「いい景色ねー」
 ヒバリが言った。コウは少しためらって、
「ウェブでも似たような風景がいくらでもある。そっちの方がよほどマシだ」
 減らず口にもヒバリは腹を立てず、
「そうね。でも私はここから見える景色がそのどれよりも素敵だと思うわ。たとえ海ばっかりでもね」
 そう言うとヒバリは、
「何か飲みもの買ってくる」
 展望台の休憩所まで駆けていった。コウはぼんやりと街の景色を見ていた。ところどころで、命脈から栄養を得た木々が鮮やかな緑色の葉を茂らせている。呼吸をしていると、生命力に満ちた匂いが身体を満たしていく。
「いい風景ですな」
 しわがれた声がした。コウが隣を見ると、腰の曲がった老人が街を眺めていた。
「こんにちは」
 老人は言った。コウは頭を下げ、
「どうも」
「ときに若い方。この惑星が昔はもっと多くの草花や生物で満たされていたことをご存知か?」
 老人はコウの方を向いた。薄い色の瞳には、たしかな意思の力が宿っていた。
「ええ。まあ。知ってます」
 コウはうなずいた。教育プログラムで知識として覚えた事柄だ。
 老人もうなずいて、
「そうか。じゃがな、知っているだけではいかん。昔の民は同じように、気温の上昇や陸地の減少について知っておった。それなのにくい止めることができなかったのじゃ。世界の人口もずいぶん減った。多くの生物が絶滅した。さてなぜじゃろう?」
 コウは真剣に考えるふりをして、
「人は甘えがちです。問題があると分かっていても、簡単には今を変えることができない。だからじゃないですか」
 コウが言うと、
「ほう。若い方。ならばなぜ変えようとしないのじゃろう?」
 老人は街を見下ろして、
「人間は長いあいだ、よりよい世界を作ることに専念しつづけてきた。多くの犠牲を伴ったが、結果的に文明はめざましい進化をとげた。しかし、発達すればするほど失うものもまた大きい。わしはそう思う。この星はそれを物語っておる。かつてあった陸地や、太古の遺産、昔の暮らし、それらはみな永遠に失われてしまったのじゃ。わしらは記録をもとにそれらを空想することしかできぬ。悲しいことじゃ」
「コウ!」
 ヒバリが帰ってきた。リサイクルカップ入りのコーヒーと紅茶を手に持っている。
「あれ。そのおじいさんは?」
 老人は表情をわずかに緩め、
「っほ。ただの通りすがりじゃよ。さて、ばあさんを探すかの」
 背を向けると静かに歩きだした。コウが老人を見ていると、
「コウ? どしたの。ぼけっとして」
「何でもない」
 コウは老人の言ったことがしばらく胸に残っていた。

 ヒバリとコウはあたたかいお茶を飲みながら、ベンチに座って街を眺めていた。遠くの空には、星間飛行用の宙航旅船(フライヤ)がおぼろな影のように見えた。
「平和ね」
「そうだな」
 会話になるほど言葉が続かなかった。断りようがないため、コウはヒバリの誘いにいつも応じていたが、だからといって話すことがあるわけでもない。学生時代ならまだしも、今となっては。
「知ってる? 昔は七十億以上の人がメトロ・ブルーに住んでいたのよ。人種も今よりずっといっぱいいて」
「知ってる。僕もお前も途中までほとんど同じプログラムを受けてたんだから」
「あ、そか。そうよね」
 ヒバリは自分の頭をつついた。近くを小さな子どもが走っていった。
「それだけたくさんの人がいたら楽しいんだろうなぁ。今のこの星はグラインドレースの時しか賑わわないし」
 コウは幾分イライラしながら、
「でも問題は山積だった。貧富の差なり食糧問題なり環境問題なり。結果ほとんどが海の底だ。それでも文明だけ進歩したけどな。僕には何が一番いいのか分からない」
 ヒバリはうつむいて、
「それでも……やっぱり私は人のいる世界がいい。そうでなければダメになっちゃうもの」
 コウは空を見ていた。今はもう人間しか空を飛ばない。ずっと昔、翼を持っていた生きものたちは、もうそこにいない。

       

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