Neetel Inside 文芸新都
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文芸秋の三題噺企画
お題②/卵の村/Nuxx

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 卵の村――そう呼ばれる村があった。

 その村に、ある一人の旅人が立ち寄った。旅人は、この村が卵の村と呼ばれていることをその時初めて知ったが、旅支度さえ済ませればすぐに村を発つつもりだったし、卵の村と呼ばれる所以までは気にしなかった。
 旅人が宿屋のロビーに腰を落ち着けていると、二人の女の子が寄ってきた。
「お兄さんはどこからきたの?」一人の女の子が笑顔を向けて言った。旅人が、「ずっと西の方だよ」と答えると、女の子の表情はより一層明るくなって、「お話きかせて」とせがんだ。
 旅人は、旅立った理由や旅の途中で見てきたものを話してやった。二人の女の子は目を輝かせて聞き入っていた。この女の子達は宿屋の娘らしく、姉の方はアルマ、妹の方はイリヤと名乗った。姉妹は旅人の滞在中、何度も話を聞きに来た。

 アルマはよく喋る娘だった。「あのお話の続きをきかせて」「お客さんが多い日は、わたしが夕食をつくるの」「チョコレートって知ってる? すごく甘いの。わたし大好き」
 イリヤは無口だが、表情が豊かだった。例えば旅人が辛かった時の話をすれば、イリヤは顔を歪めて今にも泣き出しそうだったし、話が盛り上がる場面では、興奮した様子で目を大きく見開いて聞いていた。旅人は姉妹と話をすることが楽しくて、旅支度も忘れ、ついつい卵の村に長居した。

 そんなある日、旅人が目を覚ますと、宿屋の外が何やら騒がしかった。外に出ると、村人達が一箇所に集まっていた。
「何があったんです?」旅人が宿屋の主人に訊いた。
「ああ、あんたか……今からアルマに毒を飲ませるんだよ」
「え……」
 旅人は最初、冗談だと思ったが、宿屋の主人や、アルマを囲む大人達の真剣な表情を見て、血の気が引くのを感じた。

「毒を飲ませるって、正気ですか?」

 宿屋の主人が、怒りとやるせなさを含んだような表情で言った。
「アルマの父親として、アルマを守ってやるべきだって分かってるんだ。こんな時に何もできない父親は情けないって分かってる。でも、どうしようもないんだよ……」
「アルマが何をしたっていうんですか?」
「鳥を……殺したんだ」
 卵の村には独特の信仰が伝わっていた。この村では卵を産む生物は、より神に近しい存在だと信じられており、村人は上から飛んでくる鳥にぶつからぬよう、地面を跳ねる蛙を踏み潰さぬよう、細心の注意を払って生活してきた。
 幼いアルマもその信仰を尊重していた。だから尊重の証である好物のチョコレートを供えた。鳥にとってチョコレートは毒だ。アルマの信仰に陰りはなくとも、その結果は罪だった。

 旅人が宿屋の主人に食って掛かった。
「あんたそれでいいのか?! あんたにとってその信仰は、娘の命よりも大事なものなのか?!」

 宿屋の主人が涙をこらえて言った。
「仕方ないんだ……アルマは神に背いた……ここで罪を償わなければ、永遠に赦されないんだよ……その罪は一生だけじゃない、死んだ後もだ。だからここで死んだとしても、それはアルマの為なんだ……」

 旅人は人ごみを掻き分け、アルマに駆け寄った。そして、そっと耳打ちした。「アルマ、逃げよう」それを聞いて目を丸くしたアルマは少し間を置いて、笑顔で答えた。「いいの、わたしは罪をつぐなうだけだから」
 旅人は咆哮を上げ、アルマを連れ去ろうとしたが、瞬く間に村人に取り押さえられた。旅人は地面に顔を押し付けられながら、まるで儀式のような面持ちで毒を飲むアルマの顔を見た。「ジーザス……」遥か遠くに置いてきたはずの故郷の言葉が、旅人の口から漏れた。アルマの声にならない叫びを聴きながら、目を固く閉じた。

 アルマは命こそ取り留めたが、毒が乗った舌はもう使い物にならず、おしゃべりだったアルマの声を奪ってしまった。それでもアルマはあまり気に留めていない様子で、いつもと同じように、旅人の元へやってきた。旅人はどう声をかけていいか分からず、二人は宿のベッドに腰掛けたまま、ただ時間だけが過ぎていた。
 しばらく経って、アルマが旅人の肩を叩いた。アルマは満面の笑顔で、ゆっくりと口を開いた。口の動きで何か伝えようとしているようだった。一文字ずつ、確実に。口を開閉する度、くぱぁ、くぱぁ、と音がなった。
「お、は、な、し、き、か、せ、て」
 旅人は涙をこらえて話し始めた。辛かった時の話、楽しかった時の話を、日が暮れるまで話し続けた。その日の夜、旅人は村を発った。誰にも別れの挨拶をしなかった。旅人は、この村の信仰が理解できないわけでもなかったし、アルマやイリヤのことも変わらず好いていたが、ただ、いたたまれなかった。当てのない旅に逃避したかったのかもしれない。

 五年の歳月が流れた。旅人は、まだ旅を続けていた。そして、また卵の村に立ち寄った。ここを訪ねてきたわけではなく、当てのない旅がもたらした偶然だった。
 旅人が宿屋に入ると、一人の女性と目が合った。もう少女と呼べる年齢ではない、だが、あの頃の面影をわずかに残した女性が立っていた。女性は驚いた表情で一瞬固まったが、すぐに笑顔を取り戻し、旅人に向かって歩き出した。
「お久しぶりです」
 女性が言った。その一言で、旅人は女性の名前を確信した。
「久しぶり、イリヤ」

 二人は再会の喜びを分かち合い、旅人はイリヤに五年分の話を語った。イリヤはあの頃と同じ、悲しそうな表情や、興奮したような表情を巧みに使い分け、話を聞いていた。
 その話も尽きかけた頃、旅人がずっと気になっていたことを訊いた。
「あの、アルマはどうしてる?」
 イリヤの顔が強張った。イリヤは視線を落とし、答えた。「お姉ちゃんは去年、――自殺しました」
 五年前、命こそ取り留めたアルマだったが、神に背いたアルマに対する村人の視線は冷たく、声が出ないことも相まって、アルマは次第にふさぎ込んでいった。そして去年、以前旅人が泊まっていたこの部屋で、首を吊ったという。
 旅人の目から、五年前にこらえたはずの涙がこぼれた。
 旅人はまた旅に出た。それから何年かに一度、卵の村を立ち寄ることがあっても、イリヤを遠目に見るだけで、声はかけなかった。イリヤが自分を見れば、あの時の出来事を思い出させてしまうような気がして、声をかけることができなかった。それでも遠目に見るイリヤの表情は、以前と同じく、目まぐるしく移り変わっていた。旅の途中でそのイリヤの豊かな表情を遠目に見ることが、旅人の密かな楽しみになっていた。
 ある時、旅人が卵の村を立ち寄ると、イリヤのお腹が膨れていた。旅人は顔を綻ばせ、ああ、もう子供を産む歳なのだな、と思った。
 そして数年が経ち、久しぶりに卵の村で見たイリヤのお腹は、また膨れていた。旅人は一言「おめでとう」と言いたかったが、じっとこらえた。

 更に歳月が流れた。旅人はまだ旅を続けていた。旅人もいい歳だったし、そろそろ旅を終えようと思い、最後にイリヤの宿屋を訪れた。イリヤは宿屋の女将になっていた。
「イリヤ、元気かい」
 旅人の顔を見たイリヤは、笑顔で答えた。
「ええ。あなたも元気そうで」
「ん、イリヤ、またお腹が膨れているけど、何人目だい?」
 その言葉で、イリヤの表情が曇った。
「夜になるまで待ってください。あの部屋で話をしましょう」
 イリヤはそれだけ言って、いそいそと仕事に戻った。

 その夜、旅人はイリヤの話を聞いて、昼間の自分の言葉が、どれだけ無神経であったかを思い知らされた。
 ――ある日、イリヤは崖から落ちそうになっている卵を見つけた。その卵を安全な場所に移そうと思い、卵を手に取った。その時、風が吹いた。卵はイリヤの手を離れ、崖下に消えていった。
「その時の卵、産まれる直前だったんです」
 それ以来イリヤは、定期的に子供を孕まされ、産まれた赤ん坊は崖下に落とされているという。あまりに惨い、旅人は話を聞きながら、心の奥底からこみ上げてくる悲しみを感じた。ただ一つ、救いがあるとすれば、イリヤの豊かな表情が失われていないことだった。
「ジーザス……」それだけ呟いた旅人は、それ以上何と言っていいか分からず、イリヤの手を握り続けた。イリヤはずっと微笑んでいた。
 しばらく沈黙が続いた。沈黙を破ったのは、イリヤだった。
「あの……お願いがあるんです」真剣な表情で言った。
「私なんかに出来ることなら、なんでも」
「あなただからこそ頼むんです。お願いです、私の子供を連れて、この村から出てもらえませんか」
 イリヤは、もうすぐ次の出産を控えているという。今までイリヤは卵の村の信仰を守り続けてきた。その信仰を破ることがどういうことか、イリヤは何もかも理解している。もうイリヤはあの頃の少女ではない、自分で考え、自分で決めたのだ。
 旅人は、力強く頷いた。

 それから一ヵ月後、ついに出産を迎えた。村人が抱きかかえた赤ん坊を、旅人は素早く奪い取り、駆け出した。がむしゃらに走った。イリヤの方を振り返らずに走った。他にもっといい方法があったかもしれない。だが、イリヤはこの方法を選んだ。それは信仰に背く自らへの罰だったのかもしれない。
 そして、旅人は故郷にも帰らず、見知らぬ土地で、生活を始めた。イリヤの赤ん坊は女の子だった。旅人は残り少ない余生を、この娘の為に使うつもりだ。
「お話を聞かせてやるぞ」
 旅人はいつもそう言って話し始める。まだこの娘は言葉を理解していないだろう。だが、旅人は何度も旅の話をしてやった。それを聞く娘の表情は実に豊かで、ただ一つ、真っ先に覚えた言葉を、何度も繰り返していた。「おあなち、おあなち」

 (了)

       

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