Neetel Inside 文芸新都
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文芸秋の三題噺企画
お題③/田舎とマシュマロ/坂

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お題③ 
「ボルトフライング」
「雲」
「彼女の心のえんがわは、誰もむしゃぶりつけはしない」


 東京からどこぞの田舎に引っ越すと父親に言われた時、俺の青春は終わったと思った。
 パソコン、スマホ、ウォークマンにPSP。
 どうしようもないくらい都会っ子の俺が田舎に? ホワイ? 何故? どうして? 同じような意味の言葉を重ねて俺は父親に尋ね続けた。結果的に待っていたのは無言のビンタだった。
 叩いた? ホワイ? 何故? どうして? そしてまたビンタ。疑問とビンタの押収を続け、明け方俺の鼻から血が垂れだした頃に父親は不思議そうな顔で首をひねった。
「なんで叩いたんだろう……」
 ノリで人の顔面叩いてんじゃねぇよ。たまったもんじゃありませんよ。

 そんな訳で俺に抵抗の余地はなく、聞いたこともないような地名の田舎に我が家は引っ越した。東京と違って見上げるビルもなく、視界は広がり、ひたすら草原と稲穂が広がっている。家と家の間隔は広く、徒歩での移動はさぞかし骨が折れるだろうと思えた。
 新しい家はすごく広くて綺麗だった。木造で家の色々な場所に赤黒い漆が塗られている。中に入ると真新しい畳の匂いが心地よい。
「どうだ卓也、広いだろう」
「よくこんな家買えたね」
「ああ、死んだ母さんと付き合っていた黒人のジョンが立てた家だからな。安かったよ」
「へぇ……」
 死んだ母親が黒人と浮気していたことも驚きだが、それ以前にそのジョンと言う黒人はどこにいるのか、とか、どうして血が滲むほど父親が拳を握り締めているのか、とか追求しだすととんでもないことになりそうな気がした。都会っ子は何事も無関心でいなければいけない。
 運ばれた荷物を一通り片付けるともうすっかり空が茜色に染まっていた。稲穂が陽の光に染められ、風になびき波を作る。俺は疲れていたので裏庭に生えている小さな木の根元で横になった。
 晴れ渡った空に、一つだけぽっかり雲が浮かんでいる。まるでウンコみたいだなぁと何気なく眺めているとぬっと誰かが視界に割り込んできた。
「君が引っ越してきたえんがわ君?」
 俺と同じ年くらいの女の子だった。オーバーオールを着ており、田舎っ子の癖に何だかお洒落だ、と思うのは俺の偏見だろうか。それにしても訛りが酷い。
「えんがわじゃない。江川だよ。江川卓也」
「えんがわたくや君ね、覚えたよ。私は山里麻美。よろしくね。うち、えんがわ君とは今日からご近所さんなんだ。だから母さんとご挨拶に来たの。君と同じ高校二年生。生徒数が少ないからたぶん同じクラスになんね」
 聞いてもいないのによく喋るやつだ。玄関の方に視線をやると、父親が誰かと会話しているのが分かる。恐らく山里の母親だろう。
「今日からよろしくね、えんがわ君」
 にっこり笑う山里に「よろしく」とだけ返した。

 新しい学校には比較的すぐ馴染む事が出来た。このド田舎では都会っ子と言うのが珍しいらしく、標準語を話すたびにすげぇすげぇと騒がれた。
「えんがわ、ボルトフライングについてどう思う?」
「すごい」
 おぉ、とクラスから歓声があがる。
 助けてくれ。
 この理解不能のやり取りが一ヶ月ほど続き、ノイローゼで一回自殺を試みた事があったが、山里麻美のおっぱいを揉むことで何とか立ち直る事が出来た。
 どうしてそうなったのかとかそんな話は野暮である。重要なのは俺がこの田舎に来てたった一ヶ月で生まれて初めて女子のおっぱいを揉んだと言う事だ。事件ですよこれは。姉さん事件です。
 牛小屋で揉んだ山里のおっぱい、すごく柔らかかった。まるでマシュマロだ。いまもマシュマロを見るだけで胸がドキドキする。俺はマシュマロに恋してる。
 しばらくマシュマロを山里のおっぱいに見立ててパクモグする日々が続いた。そこからマシュマロにハマって俺は自分でマシュマロを作るようになった。より柔らかいマシュマロをこの手中に収めたいと思ったのだ。
 山里のおっぱいをマシュマロで完全に再現出来るようになる頃には、俺はすっかりこちらの生活に慣れていた。終わったと思っていた青春はいつの間にかまた戻ってきていた。
 友達もたくさん出来た。チセ、シュウちゃん、アツシ、アケミ、他にもたくさん。
 学校で友達と馬鹿をやり、山里と下校する。二人して自転車を押して帰るといつも夕方だった。初めて会った時と同じ茜色の空で、山里の顔が赤いのは太陽のせいなのか俺にはわからない。
 俺にとってこんなに人と距離を縮めるのは生まれて初めてだった。都会では決して味わえなかった事だ。
 ここの人間は心が綺麗だった。陰口とか痴情のもつれとかは一日もあれば全員に知れ渡ってしまうが、それでもみんな純な心を持っていた。

「えんがわ君、学校楽しい?」
 ある日の帰り道、山里がそう言った。いつもみたいに夕景を背に、自転車を押して。
「楽しいよ。ずいぶんこっちの生活にも慣れたし。山里のおかげかな」
「ううん、そんなことないよ。えんがわ君が社交的だから、みんな君の事好きになったんだよ」
「そうかな。そうは思えないけど」
「そうだよ。証拠みせてあげよっか?」
「証拠?」
 その瞬間、山里が俺に顔を寄せた。重なる唇。当たるおっぱい。
 俺達は、キスをしたのだ。一応語弊があるといけないから断っておくがキスとはバキュームフェラのことではない。絶対にだ。
「えへへ、照れるね」
 愛嬌のある訛りで、山里がはにかんだ。俺は何も言う事が出来ず、黙って頷くだけだった。

 次の日学校に行くと、教室の雰囲気がおかしかった。何と言うか、殺気立っておりとげとげしている。何事かと席に座ると、一人の男子生徒が話しかけてきた。
「えんがわ、ちょっち校舎裏来いや」
「たけしゃん」
 たけしゃんはクラスの皆から恐れられている不良で、この学校の首領(ドン)と呼ばれていた。
「どうしたのさ、たけしゃん」
「ええからこい」たけしゃんは俺の手を引く。気のせいか、教室から出るときに他の男子生徒が意味深に笑っていた気がした。
 悪い予感がする。
 たけしゃんは、校舎裏にやってくると俺の胸倉を掴んだ。
「おんめー、オラの麻美に手ぇ出したんだってな。クラスの奴が見てたんだぁ」
「手? 手なんか出してないよ」その代わりナニは出したが。いや、違う。俺は山里にキスされただけであってバキュームフェラはされていない。絶対にだ。
 山里はああ見えてクラスで一番人気があり、皆が皆そのおっぱいを狙って告白しては次々と撃沈したという魔性の女でもあった。とは言え本人にその自覚はないのだが。
 とにかく、山里と言う分厚い壁を余所者である俺が打ち破った。たけしゃんはそれが気に入らなかったのだ。
「とぼけんじゃねぇ! 俺が、俺が十年も前からずっとアプローチし続けてたのに、どうしておめぇみたいな余所者が奪っちまうんだ!」
「たけしゃん……」
 たけしゃんの声は震えていた。
 この学校は、俺が来るまで本当に平和なところだったのだ。たけしゃんは山里と仲が良かった。多分彼はずっと想い続けていたのだ、山里の事を。その仄かな関係を俺がぶち壊した。
「たけしゃん、ごめん。俺、たけしゃんの気持ち何も知らなくて……」
「同情すんじゃねぇ!」
 たけしゃんは叫んだ。搾り出すように、悔しそうに歯を噛みしめる。
「いまさら、いまさら謝られたって遅ぇんだぁ!」
 たけしゃんは俺から手を放す。
「もう、彼女の心のえんがわは、誰もむしゃぶりつけやしねぇ……!」
 彼が一体何を言いたいのか微塵も理解できなかったが、とりあえず俺はたけしゃんの肩をポンポンと叩くと「元気出せよ」と言っておいた。

 その事がきっかけかは分からないが、その日から何となくクラスメイトと距離が出来た気がした。
 山里もそれは感じたみたいで、俺達が話すことも徐々に少なくなっていった。
 そんな折、東京へ戻る事が決定した。
「どうしてまた急に引っ越すのさ?」
 引越し業者の積み込みを眺めながら、俺は裏庭の木の下で父親に尋ねた。
「まぁ、裏庭に眠るジョンも土に還ったからな」
 父親はポンポンと木の根元を叩いた。言葉の意味はわかりかねるが、とりあえず俺は木の下から退いた。
 見送りには誰も来なかった。あれだけ仲の良かった友達も、山里も、誰も姿を見せなかった。
「潮時だったのかもな……」
 電車から外を眺め、俺はそっと溜息をつく。わずかな間、小さな夢が見れた。それだけで良いじゃないか。
 去り行く景色は妙に色あせて見える。稲穂も、もう刈り取りの季節なんだな。
 
 それから一年半が経ち、俺は大学生になった。都内の私立に進学しようかとも思ったが、何となく高校の思い出が忘れられずに地方の公立大学に進学した。
 栄えた街と豊かな自然が両立する所で、俺は駅前の学生アパートで一人暮らしを始めた。
 小奇麗なワンルームマンションにはそこらかしこにお札が貼ってあったがあまり気にしないことにして、窓から景色を眺める。四○四号室だからなかなか視界が良い。
 荷物運びを終える頃にはすっかり陽が傾き、部屋には紅い光が差し込んでいた。俺はベランダに出ると額にかいた汗を風に乾かす。
 すると裏手に見える丘に一本だけ小さな木が生えているのが見えた。
「あんなところに木がある」
 なんだか妙な懐かしさが湧き上がり、俺はそこへ足を運んだ。思ったよりも近く、二分ほどで辿り着く事が出来た。小高い丘で、景色が綺麗だ。
 それは高校時代にすごしたあの田舎町を思い出させた。何となくその場に寝転び、空を見上げる。びっくりするほどの快晴だった。ただ、夕暮れに染まる空には一つだけぽっかりと雲が浮かんでいた。まるでうんこみたいだなぁと眺めているとぬっと誰かが視界に割り込んできた。
「君が私のお隣さんになる、江川君?」
 久々に聞く声には、もう訛りはなかった。


 ──了

       

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