Neetel Inside 文芸新都
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文芸秋の三題噺企画
お題②/崎ヶ谷さんとカラータイマー・ブレイカー/白い犬

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 受付の崎ヶ谷さんは酔っても顔色が変わらないどころか、相変わらずの仏頂面でクールビューティ然とした居ずまいではあるが、口を開くととんでもない空想家だった。
「君は地球だけに知的生命が存在してると思っていやしないだろうな。どれだけ天文学的な確率で私たち人類がこの星に生を授かり、文明を発達させて社会をつくり出し、それぞれがその中で一つの歯車として日常生活しているかなんて、大いなる宇宙の前に特別ではありえない。宇宙単位の物差しで測れば、私たちみたいなのはそこらじゅうにごろごろしていて何もおかしくないんだよ。宇宙が誕生して百何十億年経ったというけど、その中でも人類の歴史は瞬きする間もないほどの時間しか続いていない。人間がものの試しに生まれた惑星の重力圏内を抜け出してみたのも、ここ数十年間の出来事だ。いいか、よく考えてみろ。この宇宙に、ほんの一億年、私たちよりも早く生まれた知的生命があったと想像してみろ。彼らは私たち人類のように、利己的で、視野が狭く、仲違いの絶えないアホらしい生き物であるかもしれない。しかし一億年の間、その歴史を絶やすことなく連綿と紡ぎ続けてきたと考えてみろ。一人一人の背後に一億年の重みのある生命が、私たちと同じ時間平面上に存在していると考えてみるんだ。私たちの一億年先を行く科学文明だぞ? ぴょんと飛び上がってみて地面から足が離れたのを喜んでるような奴らじゃない。星の海を航海し真理の究明に努めんとする偉大なる探求者たちだ。銀河には既に恒星間飛行が可能な知的文明がゴロゴロしているんだ。彼らは科学技術の平和利用と宇宙の保安維持を掲げてお互いを牽制し、いろんな政治的モヤモヤを抱えながら銀河連邦を設立し、圏内の未成熟な文明を監視し、また理解を超えた宇宙的脅威からそれとなく守ってくれているのさ。私たちがこうしているときだって、人類のつくったどんなに高精度の探査機でも反応しない監視船が上空に待機しているんだよ。わかったか」
 この妄想癖が素のままの彼女なのか、あるいは酔った勢いの抑圧された本性の顕れなのかはわからない。日常僕は工場で汗と油にまみれて脇目振らずに馬車馬のごとく働かされているから、素面の彼女ともまともに話したことがなかったからだ。美人と話が出来るまたとない機会を狙って、ようやく辿り着いた崎ヶ谷さんの隣であったが、思いがけず回転の速い舌に面食らい、たじろいでしまう。僕は手近のビール瓶を手にとって、ほとんど空になった彼女のビールグラスを催促した。とりあえず飲ませて丸く収めようとする。
「まあ、そんな難しいことはさておき、明るくぱぁっと呑(や)りましょうよ」
「結構よ、何十分もそこに放ったらかしで温くなったビールなんていらないわ」
 持ち上げたままのビール瓶が哀愁を帯びて重たい。
 営業課の口さがない社員連中の話では、受付の崎ヶ谷さんは『自宅で宇宙人と交信しているらしい』という評判であった。たとえ美人でも人付き合いが下手だと酷い言われようである。そういう陰口を聞く度に彼らのひん曲がった唇を千切りとってやりたい衝動に駆られた。どうしてこう、社会人ってのはひとの悪口を他人と共有したがるのか。自分の胸の内に押し留めといてくれれば、僕だっていやな気分になることもないのに。
 温い、泡立ちの悪いビールを自分のグラスに注いだ。
「崎ヶ谷さんは休みの日とか、何してるんですか?」
「そうね、タマゴを温めてるかな。宇宙恐竜の卵」
「は?」
「どうせあなたなんかに話したって、銀河連邦に告げ口される心配もないものね。だから本当のことを教えてあげてるのよ」
 曰く、その恐竜は宇宙怪獣の中でも最凶と類され、成長した完全体は体長六十メートル、重量は三万トンに達する。宇宙規模としては豆粒ほどもない規模であるにもかかわらず、体内の宇宙的機関で精製したセ氏一兆度の超エネルギーZ火球を吐き、存在自体が超自然的な業火でこれまでに三度宇宙を灼(や)き滅ぼした。また、相対性理論を超越した瞬間移動能力を駆使し、亜空間障壁でいかなる攻撃も受け付けず、重力下で一対一の地上格闘もこなす。最も特筆すべき点は胸にきらめくエネルギー対消滅組織の存在である。いかなる素粒子エネルギーをも無効化し、正義の太陽エネルギー、スペシウム粒子さえ吸収してしまう。あのウルトラマンさえ敵わなかったらしい。
「それってゼッ……」
「違うわ」
「いや、ゼ……」
「違うって言ってるでしょう?」
 崎ヶ谷さんが凄む。切れ長の流し目の奥のほうに炎が宿っている。
「特撮好きだったんですねえ、崎ヶ谷さん」
「ふん、私の知ってる宇宙怪獣とよく似てるのが着ぐるみで暴れてるから懐かしくなって見てるだけよ。製作者はきっと銀河連邦の関係者に違いないわ。あれでよく上が黙ってるわよね」
「え? ああ、じゃあ崎ヶ谷さんは本物見たことあるんですか。すごいなあ」
「ええ、肉眼で見るのは連邦対策局の部隊員だけだけど、その手の映像は簡単に手に入るのよ。ちょうど、この星のレンタルショップみたいなお手軽さでね。……でも、じきにあなたも本物を見ることが出来るわよ。私の育ててる卵が孵ればね。そのとき一緒に地球も滅びるけど」
「はっはっは、すぐにゾフィーが助けに来てくれますよ。知ってますか? M87光線は他のウルトラ兄弟のどんな光線エネルギーよりも強力なんです。ゼットンなんか目じゃないッすよ」
「ゼ、……違うって言ってるだろがっ!」
 崎ヶ谷さんは突如眉を吊り上げ、台上のびしょ濡れになっているおしぼりを引っ掴み、それを僕に向かって投げつけようとした。
「おっと、」
 寸でのところでそれをかわすと、案外勢いの強かったおしぼりは弧を描いて飛距離を伸ばし、がやがやと騒ぐ一団のさなかに吸い込まれていった。
 ちょうどアメリカ人のトムが酒に酔った女性社員に囲まれて、そのたくましい肉体を裸に剥かれようとしているところだった。首一個分抜き出ているトムの顔面に突如飛来したおしぼりが強く張り付いたとき、不意の出来事に彼は母国語で叫んだ。「ジーザス!」僕らは知らぬ振りを決め込んだ。二人して首をすくめて畳の目を数えていると、ざわざわと唸る地鳴りのような酒宴の喧騒に紛れて、押し殺すような笑い声がクツクツと聞こえてきた。崎ヶ谷さんが笑っている(!)のだ。やがて肩を震わせはじめたと思ったら、弾かれたように顔を上げて高らかに笑い声を上げた。
「あっはっはっは!」
 崎ヶ谷さんが笑っているのを眺めていると、なんともいえない清々しい気分になっていくのを実感した。雪が解けて春になるというか、流行りの音楽に乗れない少年がジェフ・ベックを聞いて衝撃を受けるというか、そういうなんというか、気付いたら学生の身分を離れて十年経っていたとか、車のエアコンが壊れたとか、そんなことはどうでも良くなってしまうような清々しい気分。
「あーあ、なんだろ。なんだかなあ、もう」
 目尻を拭いながら、崎ヶ谷さんは笑った。
「きみ、名前なんて言うんだっけ?」

〈オワリ〉

       

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