Neetel Inside 文芸新都
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文芸秋の三題噺企画
お題③/縁側/羊羹

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お題③
ボルトフライング

彼女の心のえんがわは、誰もむしゃぶりつけはしない


 家の椅子が壊れた。室内で使っていたごく普通のもので、座っていたら足が折れ、その拍子で板も割れてしまったのだ。それで仕事帰りに、家の近所のホームセンターで同じ椅子を購入して持ち帰った。壊れたのと同じ椅子、つまり以前妻が買ったものと同じものを選んだのは、慣れない店にまごついたのと、単なる惰性だったかも知れない。
 それは組み立て式で、板とパイプをボルトとナットでつなげる簡素なものだった。これを組み立てないとならないわけだが、しかし一人でやると思うと大変だな、という気がした。以前にこういうことを私の代わりにやっていた妻は、今はもういないからだ。

 妻を亡くしたのは去年のことだ。交通事故だった。悲惨な事故と言えたが、当時はただばたばたしていたことばかり覚えている。葬儀はつつがなく終了したが、仕事と事務的な処理に追われていた。最近やっと落ち着いてきたところで、私が妻の死に対してしたことといえば、単なる後処理ばかりだった。
 妻とは特筆するところのない恋愛結婚だった。私の方は二人の関係を謳歌しているつもりだったが、ただ彼女は不思議な女性だった。どこかふわりふわりとしていて、読めなく、不意に楽しそうにしたり退屈そうにしたりする。何をもとめているのか、どうすれば幸せに思ってもらえるか、本当のところは最後までわからなかったように思う。
 一時は、同じ家に住んでいても、彼女は心の中の別の家に住んでいて、こちらがいくら探しても本当の彼女は見つからないんじゃないかと思ったほどだ。そこにいる気はするのに、彼女は決してたどり着けない縁側に座って、ただ何かを待つようにほほえんでいる。それこそ、むしゃぶりつくようにもとめても、真の彼女にはたどり着くことができないのだ。
 それも含めて私は彼女に惹かれていた。だがとうとう、彼女を完全には理解するに至らなかった気がする。そういうことは結婚してから時間をかけてどうにかなっていくのだろうと思っていた。そのときを待っているうち、彼女は早々と死んでしまったのだ。
 そのせいか、二人で住むための家に私一人でいる今でも、彼女がどこか近くでふわふわと歩いているんじゃないかという気がする。この世にいないのだという実感がなかった。
 その時間がなだらかに続き、今もって、ろくに妻を弔っていない。それを思うと、ふと彼女は幸せだったろうか、と考えることがある。妻と結婚してから長くはなかったが、それを差し引いてもほとんど二人の時間を持てなかった。結婚の前も後も会社が忙しく、それが最優先になってしまって、妻との時間というとそれらしい記憶はついぞない。

 翌日、仕事が休みだったので椅子を全部組み立ててしまうことに決めた。庭先に出て、縁側のあたりでやることにしようと思ったのは気まぐれだった。
 庭は家を囲む塀の内側、玄関脇に広がっており、一人になった今は大きく感じる。土があり、囲いがあり、雑草がある。家の方向には縁側があり、縁側は座って庭を眺められるような長さがあった。
 縁側まで椅子の部品を運び出していると、隣家のおばあさんが気づいて、のぞき込んできた。飯谷さんが庭でそんなことをやっているのは珍しいねえ、と笑って言った。私は、そうですね、珍しいですね、と返答した。
 実際、庭の中に来るのは久しいことだった。前までならここにやってくるのも、ここで家具を組み立てるのも全て、妻がやっていた。
 縁側の端に座って、部品を広げた。大きい部品は少ないが、ボルトというのかネジというのか、それにナットのようなこまごましたものが結構ある。説明書と付き合わせて見ていると、難解なことに思えてきた。
 妻はこの庭でよくこんなことをしていた。日曜大工、とは行かないまでも、出来合いの椅子やタンスを組み立てたりするのが好きなようだった。だが上手くはなく、部品をあわせることやボルトを締めることによく苦戦していた。手際は悪く、作業自体が好きだったとも思えなかった。だが楽しそうにしていることが多く、何がよかったんだろうと思っていた。
 そういえばあるとき、そんなことが楽しいのかと、疑問をそのままたずねたことがある。すると妻は、こんなことが楽しいんだよ、一人だと退屈な作業だけどね、と言った。私にはその言わんとするところがよくわからなかった。
 説明書を読んだ後、ようやくドライバーを手に、組み立てを始めようとした。だがスムーズにいかない。木の板に曲がったパイプを当てて、それをボルトで留める、というのが説明書での簡素な説明だった。ボルトにナットもどれを使うのか番号で指定されていたが、一目でわかるほどにはわかりやすくない。少しの間こまごました部品を眺めたり、板とパイプの位置関係に迷ったりして作業が止まってしまった。
 やっとそれらがわかり、いざ始めようとした。だが上手くできない。いつも妻がやるのを横目に見ていたのに、自分でやろうとすると部品は思いの外言うことを聞かず、はめ込むのはもちろん、ボルトが上手く締まらない。こんなに不器用だったか、これじゃあ妻を馬鹿にできないな、と思った。
 ボルトは力をかけていい位置にもってこようとすると、手の中をはじいて飛んでいってしまう。かちっ、かちゃん、と、何度やっても、ボルトはパイプにはめられるのを拒否するように、空を飛んだ。
 まるで、そういう競技であるかのようだ。ボルトを空に飛ばす。円盤を投げるフライングディスクか何かのような……フライングボルト、だ。そしてまたはめようとすると、ボルトはそれを拒否してゆく。袋に入っていたボルトは全部飛んで、どこかへ転がってしまった。
 眺めると、一つが縁側の離れたところに転がっていた。そのために立ち上がり、わざわざそこまで歩いて行って、拾った。
 少し自分の姿が滑稽に思えた。人に見られたらと思うと、少し恥ずかしくなって、苦笑いが出た。
 不意に、久しぶりに笑ったな、と思った。そういえば妻も以前、今の私のように上手くいかなかったとき、失敗しちゃったよ、とあどけない顔で笑っていた。それは思い出せる範囲で、数少ない、心からの笑いだったように思える。
 それは、今の自分の苦笑とどこか、重なるものであるような気がした。
 妻はあの時間が本当に好きだったんじゃないだろうか、と思った。ボルトが空を飛んで、失敗。苦笑いをする。すると心を共有したように、それを見てこちらも笑う。二人が同じように、どこか恥ずかしく、むずがゆい感情になる。
 彼女にとって、この時間は私と心を分かち合う貴重な時間だったのかも知れない。
 彼女は、こんなことが楽しいんだよ、と言った。あのとき、恥ずかしいような苦笑いをするとき、私たち二人はおそらく、幸せだったのだ。前は気づかなかったことだった。
 妻のもとめていた幸せ。私の与えたかった幸せ。それが突然、わかった気がした。こんな単純なことに気づかずに、自分は今まで何をしていたのかと思った。
 一つ、ネジが飛ぶ。それを拾って笑う。そうすると、この今自分がいる縁側が、彼女の心の中にあって届かないと思っていたものと、一つに溶けていくような気がする。そうして彼女と一緒に笑って、気持ちを分け合って、小さくて大きい幸せに満たされる。そのはずだった。本当に今更そんなことがわかった。なぜもっと前に気がつかなかったのだろう、そう思うと少し悔しく、辛くなって、初めて悲しみが潮のように押し寄せてきた。
 今彼女のことがわかって、ようやく彼女と同じ場所に座れたと思った。でも私は一人だった。
 それでも、ここに座って散らかった部品を見て、自分の手際の悪さに笑うと、ほんの少し何か温かいものに満たされるようだった。彼女の残照と一緒に、縁側にいるのだと思った。
 少し声をあげていると、隣家のおばあさんが心配そうにのぞき込んできた。どうしたんですか、と言った。目元をぬぐって、彼女の心の縁側は、誰もむしゃぶりつけはしないって、それは自分も。そう思ってた。今までは。でも違いました。そう言っていた。
 妻は空の、雲の話をしていた。組み立てが終わった時や、小休止の時に、伸びをして、見上げて、いい雲、と言う。クロワッサンみたい、犬みたい、わたしたちみたいね、と。何と反応したものかわからず、退屈な話だったので、そのとき私は聞き流していた。すると妻はどこかつまらなそうな顔をしていた。
 今ならわかる。雲があるからどうしたんだとも思わない。それも一つの瞬間だった。二人が一つの場所に立つ大事な時間だった。ぼやけた空を見上げて、私は、あれはただ空があるだけじゃないんだ、と思うことができた。あの向こうに君がいるのだ。
 私は私だけで空を見上げて、椅子相手に格闘し、一人には広すぎる家で過ごしてゆくのだろう。でもその中で、時折この縁側に座って、きっと暖かい日差しと一緒に、何かの温もりを感じるのだ。
(終)

       

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