Neetel Inside 文芸新都
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人と妖怪シリーズ
【神木は静かに浮かぶ】

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 大樹は死んだ。
 もう十年以上前だ。
 潮風が滲む街で僕は育った。海岸に面しているくせに山に囲まれ、それでいて少し栄えた街だった。昔は交通も不便で山を越えるのにもバスで数時間はかかったが、今は電車で簡単に往来出来るようになっている。
 山際にある街なので高低差は非常に激しかった。街は段々畑の様に段落ごとに分かれており、中心を一本の長い坂道が通っている。街の人はその坂を通って海岸へ行ったり、学校に向かったり、量販店に足を運んだりする。僕も小さな頃はよく走り回った。もっとも、今ではただしんどいだけでしかないが。
 電車を降りると、懐かしい街の気配にぐっと伸びをした。栄えているのにどこかひなびた感じがするのは、この街の良さだと思う。田舎っぽくもなく、かと言って都会過ぎてもいない。街の歴史は長いらしく、小学校の頃はよく道徳の時間などで市民博物館に連れられた。
 改札を抜けるとまず目に入るのは海岸線だ。駅前にある広場の向こう側にそれは広がる。とは言え両脇が山に囲まれているので多少狭苦しく思えるのだが。平日の昼間だからだろうか、あまり人は居ない。
 迎えに来てくれているはずの待ち人を探すのに視線を巡らせる。駅に止まっている車の前に、異様に目立つ懐かしい顔があった。サングラスをかけ、アロハシャツを着ている。
「じっちゃん、何? その格好」思わず笑った。
「久しぶりなのに開口一番にそんな言葉が出るんかお前は」
「そんな格好してたら突っ込むでしょ、普通」
「お前は知らんのか? 今ちょい悪親父がはやっていると言う事を」
「ちょい悪親父って言うよりそれファンキージジイだよ」
 僕は苦笑しながら車に荷物を乗せた。小さな軽自動車だ。まだ新しい。
「車新しいね。買ったの? その歳で」
「その歳でとは何じゃい。年寄りでも車の買い替えくらいするわ」
「後何年くらい乗れるかもわかんないのに」
「百年は乗ったる」
「孫より長生きするなよ。車のキーある? 運転するよ」
 じっちゃんを助手席に乗せて僕は車のエンジンをかけた。軽快な稼動音が車内に響く。
「お前、道分かるのか?」助手席に座ってダッシュボードの上に足を乗せるじっちゃん。やっぱりファンキーだ。
「昔と家変わってないでしょ? だったら大体覚えてるよ。それにカーナビもあるし」
「さすがわしの孫」
「いいからカーナビ設定してよ」
 僕は車を発進させた。駅前の広場を抜け、交差点を左折する。真っ直ぐ走ると目の前に坂道が見えてきた。段々畑の様な街を頂上まで突き抜ける道だ。
「うわ、懐かしいなこの道、この景色」
「ケンヤは十年ぶりか」
「うん。もっと様変わりしてるかと思ったけど、そこまでだね」
 僕は坂の頂上に視線を向けた。この街の頂上にあった大きな神木。大きく変わったと言えば、あの木がなくなったことくらいだ。
「じっちゃん、あの木があった場所って今も……?」
 僕の言葉にじっちゃんはサングラスの向こうから気遣うような視線を向けてきた。
「公園のままじゃよ。毎日子供達が賑やかに遊んどる」
「そっか。なら良いや」
 車を走らせていると、じっちゃんが僕のすぐ横でゴソゴソと作業しだした。何事かと視線をやる。思わず目を見張った。
「じっちゃん、ipodまで持ってんの?」
「機械も使いこなせんジジイなどただのボケ老人と変らんわ」
 そう言ってじっちゃんは車内にBGMを流した。歌謡曲でも流れるのかと思いきや、流れてきたのは奥田民生の『さすらい』だ。
「うわぁ、また懐かしいの流すねぇ」
「民生はいつまで経ってもええ曲歌いよる。お前も下らんオリコンの曲なんかより、いいものにちゃんと目を向けんといかんぞ」
「じっちゃんが言うと説得力あるなぁ」
 良い物は良いを体言化しているじっちゃんはいまだに感性が若いと感じる。
「あ、次右折ね」
「はいはい、わかってるよ」
 坂道から脱出して道の一つに入った。右手には家屋に遮られながらも海が広がる。頂上に行くとこれがもっと綺麗に見渡せるのだ。
「ケンヤは何か予定とかあるのか?」
「この街でって事? そうだなぁ。とりあえず頂上の公園に行ってみる」
「そうか……」
 じっちゃんは小刻みに頷くと窓を開けた。
 磯の香りを孕んだ風が車内を駆け抜ける。
 奥田民生の曲が、夏を加速させる気がした。
 十二年前、僕はあいつとこの街を歩いた。その記憶は今でも残っている。

       

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