Neetel Inside ニートノベル
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イービル・パッケージ!
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 自分ではそれほど奇特だと思ってはいないのだが、俺は毛布に包まっていないとゲームができない。毛布に包まり、コントローラを握り締め、半目でテレビ画面を眺めるのが俺にとっての至福であり、究極のプレイスタイルなのだ。俺はたとえぶかぶかのダウンジャケットを用意されても、初対面の女の子二人に脇を固められても、毛布には到底及ばないと信じて疑わない。なのでゲームが始まるまでに、花子が毛布を見つけ、さざんかが冷房をガンガンに冷やしきるまでの時間を要した。
 花子の放ったクリーム色の毛布が俺をおばけにした。
「おう、なにも見えない。助けてくれ」
「文句の多いやつ……」
 花子が毛布の端を掴んで引っ張り、俺の頭をすぽんと露出させた。クローゼットから毛布を出すときについたのだろう、白い綿状のほこりが茶色く染められたショートヘアにくっついていた。俺は指でそれをぴんと弾いてやる。花子は当然のような顔をしてソファにどっかと腰かけた。さざんかがその隣に腰かける。俺は毛布の前を合わせながら、両手に花の状態を期待していたのだが、女の子はこういうときに浪漫をわかってくんない。
 俺たちの前には、ガラステーブルと、その上にはディスプレイが乗っている。テーブルの下にはPC本体があり、そこからは配線が伸びてキャプチャーボードを経由し二世代前のゲーム機に接続されている。
「さ、これで準備は整ったわね。始めるわよ」
 花子がヘッドセットのマイクのミュートを解除した。マイクを心持ち三人の声を平等に拾えるようにぐにゃりと曲げる。
「じゃあ、電源入れます」
 さざんかがマウスをひゅっと動かしてPCのスクリーンセーバーを解除。録音・録画をスタンバイ状態にして、あろうことか足の指で名機『パワーステーション』の電源を入れた。十年間、全国のちびっこをびびらせた起動音と共にゲームがPCに出力される。
 その時、音もなく花子とさざんかの『スイッチ』が入った。
「はいこんばんわー! どもども、えー、ゲーム実況プレイヤーの花子です!」
 ちょっと作った声音の花子の音声がマイクに吸い込まれていく。
「相棒の、しゃじゃんかです!」
 出た。
 さざんか恒例のあざといけどかわせない噛み。数日後、一日三万人の男性視聴者がこのエンジェルボイスによって明日も頑張ろうという気持ちを得るのだ。ハレルヤ。
 画面にはメーカークレジット(いーびる・ぱっけぇじ!)が流れている。
「今日はですねー、ヤプオクでもアマゴンでも入手困難と言われてる幻のゲーム『夕闇日和』をやっていこーと思います! いやあ私たちも噂は前から聞いてたんですけど、ほんとに手に入るとはねーいやはやラッキ! って感じですはい」
「花ちゃん花ちゃん、あの、紹介しないと」
「へ? ああ――」花子がものすごく冷めた目で毛布に包まる俺を見てきた。
「今日はですねーみなさんには残念なお知らせがあります。とゆーのも、このソフトの提供者がどーしてもあたしたちの実況に混ぜてもらいたいって言うんでぇ、ほんとはヤなんですけどぉ、まあへそ曲げられても困るし? 参加させちゃえーってことでいまここにいまーす」
 ん、と花子がマイクの先端をぐにゃっとこっちに曲げてきた。俺は急に恥ずかしさを覚えたが、我慢しよう、これが俺の輝かしい人気実況プレイヤーへの第一歩なのだ。さあいけっ。
「ふひっ」
 最低の笑い声の後に、
「け、ケンケンです。知ってる人はお久しぶり、知らない人は初めま――」
「とゆーことでケンケンくんが来てまーす」花子の声が二日酔いに襲われたように淀んだとき、ようやくゲームのスタート画面がPCに表示された。
 夕暮れの公園の滑り台の上で、白いワンピースを着た女の子が背中を向けて座っている。その少女の上には暖かい金色の文字で「夕闇日和」と書いてある。
「おお」花子が感極まったような声を出した。
「いいじゃんいいじゃんこの雰囲気! くはーっ雰囲気ゲー推しとしてはたまんないっすわ!」
「花ちゃんMICOとか好きだもんねー」とさざんかがのんびり合いの手を入れる。彼女のほんわか加減はたいていのホラーを無効化する。
「えっと、ケンケンくん?」
 オプションをいじり始めた花子の向こうからさざんかがひょこっと顔を出した。
「このゲーム、どうやって手に入れたんだっけ?」
 なんという、優しさ。俺は感極まって彼女に合掌しかけたが思いとどまり、彼女の質問に答えるべく、事の発端を思い返した。


 ○


 ゲーム実況。
 これは「ほくほく動画」や「LAW-TUBE」でひとつのジャンルとなっている「ゲームを実況しながらプレイした動画」のことだ。中では投稿から一日で10万アクセスに届くものもある。
 無論、違法である。違法ではあるが、黙認されているのが現状だ。それにはさまざまな思惑があるのだろうと思う。下手に締め付けを厳しくして嫌われるのも面白くなかろう。なので、発売されたばかりのゲームや、シナリオが重視されるアドベンチャーゲームなどを除いて、たいていのゲームの実況動画がアップされている。
 俺――灰谷研吾――がゲーム実況動画に出会ったのは、なんてことない、ほくほく動画でたまたま一位になっていた動画を見たら面白くて、そのままいろんな実況を見ているうちに、自分でもやってみたくなった。よくある理由だろうと思う。実況動画には不思議な魔力がある――というとなんだか不思議な物語が始まりそうな気配だが、俺はわりと結構科学的に「なぜ実況動画がこれほど人気なのか?」と考えてみたりする。だって知らないやつがただゲームをしているだけの動画だぜ? そのゲームについて知りたければ公式サイトにいくなり、実況なしのプレイ動画を見るなりすればいい(あればだが)。それでもみんな、比較的一定のプレイヤーに偏って、実況動画を見る。なぜか。
 ――なんか、友達と一緒にゲームしてるような気分になるから。
 俺にも覚えがある。小学校の頃、友達が二人ぐらいでゲームやってるのをうまく会話に入れないまま後ろから眺めてる感じ。
 実況動画は、あれに似てる。そんでもって、子どもの頃の原体験に近いものを、人は無意識に求めている。
 まあ、原理がわかったところで、俺の実況動画は不人気なんだけれども。
「……姉貴、俺の声ってカエルの鳴き声に似てるかな」
 俺はパソコンを睨みつけたまま、俺のベッドでポテチを喰い散らかしながら漫画雑誌を読んでる姉の真戸(マド)に聞いてみた。ぱらり、と雑誌をめくる音。
「ちょっと鳴いてみて」
「――は?」
「カエルの鳴き声。ほら、聞いてみないとわからんし?」
 この姉貴、そのうち三回まわれとか靴下喰えとか言い出すんじゃなかろうか。だがまだ許容範囲内の要求だったので、俺は言うとおりにしてみた。
「……げろげろっ」
 姉貴はばりばりポテチを噛み砕きながらウーンと唸り、
「ハロウェルアマガエル、って感じ」
 ググる気にもなれなかった。
 俺はため息をついて、投稿して三日目の実況動画のコメント欄に目を戻した。見たくも無いが、かといって目をそらせば負けた気がする。
 ディスプレイの中で、俺が操作していた生物兵器に対して果敢に立ち向かう猛者の頭上を「きもwww」とか「つまんね」とか「ハロウェルアマガエル乙」などの心ない視聴者からのコメントが流れ星のように過ぎ去っていく。もうここまできたら絶対にググったりしない。
 椅子の背もたれに体重を預けた。ぎしぎしと椅子が文句を言うが知ったことじゃない。
「あー……なーんで俺の動画人気でねーのかなー。へこむなー」
「まあ生まれとかもあるしね」
 生まれってなんだよ。予想してなかったぞその返し。何? うちなんか呪われてたりすんの?
「でもさ、あんたそれ『アニマ2』でしょ。いまさらそんなみんなやったことあるゲームを男がピンでくっちゃべってるだけの動画なんて需要ないっしょ。受け入れてもらいたかったら、みんなが何を求めてるのか探ればいいだけのこと」
「そんなこと言ったって……え、じゃあなに姉貴が一緒に実況してくれたりすんの?」
 姉貴は「ははっ」と乾いた笑いを返してきた。とても弟にしてやる反応ではない。くそっ、いまのやつは他人だ、あてにはならん。
 それにしても、需要、か……。
 俺の指は無意識に自分の動画から、ランキングに飛んだ。
 5ジャンルくらいに分けられた「ほくほく動画」の人気ランキングのひとつに目をやる。そこの頂点には三日前からずっと同じ動画が鎮座していた。

 花子さんとそのお供がゲームを実況するようです(汗 part34

 ――ゲーム実況プレイヤーで花子とさざんかのコンビと言えば、ラオウと黒竜号くらいの知名度がある。
 なにせ、現役女子高生二人組の実況プレイヤー。しかも声がまたいいんだ。花子は地声だそうだが、さざんかの方は現役の演劇部らしく、ちょっとカタギが聞いたらヒいちゃうくらいのアニメ声でゾンビが出てきたり怨霊に押し倒されりするたびにわあきゃあ言ってくれるんだから男はほいほい引っかかる。無論俺もそんな一人だ。
 だが、同じ実況プレイヤーとして(趣味でやってるだけなのに張り合うのも大人気ないかもしれないが)俺は彼女たちに鬱屈した思いがある。ちょうど俺と花んかコンビは同じごろにほくほく動画にデビューしたのだ。いわば同期。いわばライバル。いわば宿敵。
 いつか俺もランキング入りするような実況プレイヤーになりたい――そう思うのは入れ込みすぎだろうか?
 くそっ、需要だと? 姉貴め、俺のベッドの上でポテカスだらけの手をパンパンするのはやめてくれ。
 花んかコンビがそのキャラクターで攻めてくるなら、俺は、質で勝負してやるぜ。
 がたっと立ち上がった俺を見上げて姉貴は眉をひそめた。
「死ぬの?」
 なんで。ていうか悲しくなるんだけどいきなりそれは。
 俺は脱いだ靴下を履き直し、椅子の背もたれにかけていた制服の上着を羽織った。
「ゲーム買ってくる」


 ○


 春の陽気と黄色い花粉の中をチャリンコで十分ほどぶっ飛ばし、きゅきゅっとカーブ、一見なにもなさげな住宅街に突っ込んでいった突き当たりに『輪廻堂』はある。字面だけだと仏様とか観音様とかが関係ありそうな気配がするが、その実はただの中古屋である。なんの、と聞かれても答えられない。輪廻堂にはなんでもあるから。
 ただの三階建て住宅に見えるが、その一階が輪廻堂だ。いつものように鍵のかかってないドアを開けて中に入ると、ベルがりんりんと鳴って俺の来訪を店主に告げる。店主は今日も雑多な品物の山に囲まれながら眠っていた。透明な鼻ちょうちんがぱちんと割れると目を覚ます。
「――んん? ああ、なんだ君か。いらっしゃい」
「おう」
 店主――卿崎しづるはぼうっとした目を向けてくる。ほつれた長い黒髪が唇に一筋かかっているが襲って欲しいんだろうか。
「ふうん」
 しづるは俺の顔をモノクル越しに見て、にいっと笑った。
「ゲームが欲しいのかい。きみはそればかりだね」
「豊かな時代に一瞬だけ文明化した儚い芸術を探求してんの俺は。それよりおまえ学校来いよ。おれ話し相手いなくて死にそうなんだけど」
 しづるはくすくす笑って、手元の水晶(!)を自分の子どものように優しく撫でた。
「この水晶で見ていたよ、きみ、また便所飯したみたいだね? たまには他の人とご飯を食べたまえ」
 水晶なんぞ見なくても俺がクラスでぼっちなのはご承知のしづるさんであった。まあ別に悔しくない、糞しながら飯を食えるってのは履歴書にも書ける特技だろうし、そもそも制服にお札を百枚くらい貼って登校して輝かしい高校生活にピリオド打った女に何を言われてもノーダメージだ。こいつまだ反省してないらしいな。引っ込みがつかなくなったのか。
「いいから、なんか探してくれよ。みんながやりたがるような、そんでもって手に入りにくいゲームが欲しいんだ。あんだろこんだけゴミがあれば」
「ごっ……」しづるの目が驚愕に見開かれた。
「き、きみ正気か? この珍品稀品のるつぼがゴミに見えるなんて……一度きみとは深く話し合う必要がありそうだ」
「いいからとっとと探してくれよ。ああそうだ、うちの姉貴がまた遊びに来いってさ。ほれ、姉貴が持ってけって」
 俺は手土産にエナジーバーがしこたま詰まったビニール袋を差し出した。
「ありがとう。……ほう、チーズポテト味か……ふむ、いちご?」
「おい」
「わかっているよ、せっかちだな、もう」
 しづるはまたくすくす笑って、ゴミのるつぼに手を突っ込んだ。視線を明後日の方向にやりながらしばらくごそごそやっていたが、あった、と言って一つのCDケースを引きずり出した。
「料金はきみの姉上に免じて忘れてあげよう。そら、受け取りたまえ」
「おう……え、『夕闇日和』っ!? おいしづる、冗談はよせ、ここの店はパチモンを客に売るんか!」
 しづるはにっこり笑ってケースに手を伸ばしてきたが俺は片手拝みに謝ってなんとかそれから逃れた。いや俺が驚くのも無理はない(と思う)。
 夕闇日和とは、十年ほど前に発売されたパワーステーション用ゲームソフトだ。ジャンルはホラー。発売時のキャッチコピーは「いつまでも、待ってる」
 発売してすぐに完売、もともと出荷数がそれほどなかったことに加えて、製造元のイービル・パッケージが倒産したことによってソフトの数が限定されてしまい、現在はどこを探しても絶対に見つからないと言われる幻のゲームだ。ヤプオクだろうがアマゴンだろうが、かつてガセ以外の出品がなされた試しはない。
 普通なら、ある程度流通したゲームなら一本くらいは誰かが持っているものだし、違法コピーだって結局のところあるところにはある。だが、このゲームにはその手の代物が一切ない。皆無、絶無、存在したかどうかさえ、いまなお残る公式ページの残骸から推し量ることしかできない。
 夕闇日和がホラーゲームであったことから、いつしか、このゲームには何かあるんじゃないかと囁かれ始めた。何か、というのが何なのか、それがホラーゲームに興じるものたちが常に意識の一枚裏に潜ませている「それ」なのかどうか、誰にもなんとも言えない。
 俺にわかるのは、このゲームの実況動画は間違いなく「当たる」ということだけ。
 俺はしづるに礼を言って、大急ぎで家に帰った。


 ○


 意気揚々と部屋に戻ると姉貴殿がベッドに突っ伏して本格的に眠っておられた。起こすのも忍びないので、俺はPC脇に置いてあるパワステに夕闇日和のディスクをセット、そのまま流れるようにPCの電源を入れた。ゲームのデータをPCに流してくれる頼れる仲介人『キャプチャーボード』は常時接続してある。
 姉貴の友達にPC関係に詳しい人がいて、彼からキャプチャーボードも譲ってもらった。その人が手を突っ込んで怪物になった我が家のデスクトップのHDDは音がしない。姉貴は二十年先の高等技術が応用されているとかぬかしていたが案外本当かもしれない。
 ヘッドセットをかぶり、ソフトウェアを立ち上げて録画・録音体勢を整える。あとはそれぞれオンにするだけ。
 俺は買ってきたばかりのゲームをやり始めた。時計を見る。六時二三分。まあカット含めて20分程度にまとめたいから、プレイ時間は30分というところか。
 結論から言うと、夕闇日和はびっくりするほど普通のホラーゲームだった。当時としてはまだ新しかった3DポリゴンとRLボタンによる視角調整ができるほかは、他のホラーゲームと遜色ない。パワステ1の時代は洋風ホラーが多かったのに対して和風テイストで味付けされているのは個人的に好印象だ。画面の中で、雨が降っている街中で傘も差さずに主人公が空を見上げている。灰色の空の近くには信号機があり、ちゃんと現実に即して時間ごとに青黄赤と変わっていく。ろくすっぽ状況説明もないまま放り出されたが、始めた直後に女の子の泣き声が数秒聞こえてきたので、その子を探しにいけばいいのだろう。確か公式サイトのゲーム紹介にもそんなような説明が載っていたはず。こういう不親切さもレトロゲーならではで、そう悪くない。
 ――というようなことを、ある程度敬語を混ぜたりへらへら笑ったりしながら、俺は実況していく。ただ一向に敵が出てこないので、だんだん言葉に詰まってくる。あれ~おかしいな~やっぱりパチモンだったかな~などと自虐ネタも言ってみる。このゲームがパチモンだったと思われれば、それが本当だろうと虚偽だろうと俺の人気実況プレイヤーへのきざはしは瓦解してしまうので避けなくてはならないのだが、あえて自分に不利な情報を先手を打って言ってみると疑われなくて済むかもしれない。済んで欲しい。
 いまのところ、夕闇日和は雰囲気だけの退屈ゲーだった。BGMも雨の音だけなので、背後で姉貴が「んんん~」と寝苦しそうな声をあげている音が入ってしまわないかと気が気ではない。いまはまだ唸り声だが、そのうち俺の名前とか言い出したらそこだけカットしなくちゃならない。めんどくさい。
 俺はアナログスティックをぐりぐり動かして、雨の街を主人公に探索させていく。自販機や郵便ポストとお話してみようと試みたがテキストは表示されなかった。というか、ほとんど何も調べられない。こだわりが感じられぬ。
 ちらっと時計を見て、そろそろ終わろうかなと思っているときに、無意識に○ボタンを連打していたら主人公がポリバケツを開けた。
 その途端、
 画面いっぱいに、
 目玉のない女の子が真っ黒な口を開けてこっちを、

「おっ」

 ちょっとびっくりした。画面を覆ったイラストはすぐに消えた。主人公は首を振ってバケツにフタをして後ずさり、操作の支配権がコントローラに戻ってきた。わけもなくその場をぐりぐり回ってしまう。心臓がいつもより元気になっていた。
 ゲームオーバーになるかと思ったが、なんだったのだろう、いまのは。ただびっくりさせてみただけ? ――まあそういうのもアリかもしれない。もう一度ポリバケツを調べてみたが何の反応もなかった。小ネタの一つか、なにかのイベントのフラグでも立てたのか。
 まあいい、今日はここまで。
 お疲れ様でした~と朗らかな好青年を装って、俺はゲームを終了した。すぐに録画したゲームのファイルとマイク音声の録音ファイルを統合してほくほく動画にアップロード。

 たったひとりの夕闇日和挑戦隊~ケンケン編~ part1

 よし。
 これで明日の朝には俺も上位実況プレイヤーにランク・インだ。人気が出てきたらブログの訪問者数だって増えるだろうしツブヤイターのフォロワーだってうなぎのぼりだ。そのうちケンケンさんとおしゃべりしながらゲームしたくなってきちゃう女の子が現れてじゃあちょっとうちにおいでよ何もしないからええほんとでも悪いし何も悪くないよおいでよわかったいらっしゃいそれじゃあ先にシャワー浴びて来いようはー!
 これだ。これこそ俺の求めていたもの!
 俺は満足感に包まれたまま、目を閉じてベッドにダイブした。

 姉貴が寝てた。
 女の子みたいな声出された。

 ○

 姉貴がいるやつはいいよな、と黛(まゆずみ)は言った。よく鼻に絆創膏貼ったやつを前にしてそういうことが言えるものだと思う。まったく現実ってのがわかってない。
「それにだ、黛、あんた女なのに姉貴を羨ましがるってのはどういうことです?」
「黛先生、だろ?」と校医はため息をついていった。
「いくらあたしが若々しく見えてもな、これでもおまえの姉貴の先輩だったんだぞ」
「だって姉ちゃんが黛がいじめるー黛がなぐるーって昔ずっと言ってたもんだから、うちでのあんたは鬼か悪魔かって扱いなんですよ」
「やあだなあもう、体育会系女子にだってかわいがりくらいあんのよ」
 姉貴も黛も、俺の通う緑音学園帰宅部のOGである。そのはずである。間違ってもインターハイとか朝練とかのある健全な活動はしていなかったはずである。それでいてなぜ姉と黛が知り合いになったのか、いまもって俺には謎だ。
「あたしは長女だからさ」フラスコで沸かしたコーヒーを飲みながら黛は言う。
「最初に先陣切って社会に入っていってくれるヒトが欲しかったんだよね」
「そういうもんですか」
「あんたにはわからんよお」黛はなぜか嬉しそうだ。
 俺は時々授業をふけて保健室に来る。昔かたぎの不良よろしく授業なんか出てらんねえぜ! 俺は東京(まち)に出てビッグになるんだ! ってな具合だったらまだ格好もつくが、慢性の疲労から来る貧血でお世話になっている。とかく身体が弱く、心もそれほど頑丈ではないので、俺はできるものならずっとここにいたいのだが、それも目立つので、結局たまにいなくなる不健康なクラスメイトというポジションからにっちもさっちもいけずに停滞しているというわけだ。
「どう? 四限から出る? それとも昼過ぎまで寝とく? いいよおベッド空いてるし」
 俺は黙って首を振った。黛は柔らかく微笑んで、そ、とだけ言った。俺は丸椅子から立ち上がって、カーテンに囲まれたベッドの中にもぐりこんだ。黛には悪いが誰にも邪魔されずゆっくりと確認したいことがあった。
 俺の動画のコメントのつき具合である。
 携帯を取り出し、黛には聞こえないようにボタンを押して、ほくほく動画にアクセス。俺は息を呑んで接続中を示す矢印の明滅に目を凝らした。
 結論から言おう。
 叩かれまくっていた。
 俺の心が泣きに泣いた。
 コメントのほとんどは「嘘乙www」「よく作ってあるねこれちょっとやってみたい」「相変わらず喋りきっめーんだよ口あけんな生ゴミ」「ハロウェルアマガエル先輩ちーっすwwww」といった感じ。ヒトはここまで誰かに残酷になれる。誰が先輩だよ、こいつひょっとして姉貴じゃねえだろうな?
 俺はため息をついて携帯を閉じた。パタン、と音を立ててしまったが黛は何も言わない。俺はごろんとベッドの上で大の字になってぼそっと呟いた。
 愛されないのってつれー。
 愛したげよっかー、と気のない黛の返事。同情するなら人気くれ。
 もうゲーム実況とかやめよっかなーもっとほかにやりたいこと探そっかなーと俺が人生の岐路について深い洞察を始めてしばらく経って、黛が放送で呼び出されて出て行った。がちゃん、と外から鍵がかけられる。誰かがふざけてがちゃがちゃドアを開けようとして、黛が保健室の外、廊下を歩いていく足音が聞こえる。
 ぶるるっ。
 携帯が震えた。どうせ姉貴であるから無視しようとも思ったが、一応開いてメールボックスを覗いてみる。
 知らないアドレスだった。

 ――このゲームやるとマジでやば
 
 メールを開いてみる。
 そして、
 一発で、
 俺の世界が薔薇色に染まった。
 用件の最後に差出人の連名の署名(?)があった。

 花子とさざんか より



 ――わたしたちといっしょに、ゲームしてみませんか?



 無論、無論、無論。
 わかっている。聡明な俺には、彼女らが俺自身ではなく俺の持っている『夕闇日和』に目をつけたのであろうことぐらい近所のおばちゃんに「けんちゃんは賢いから将来は学者さんか先生ねー」と誉めそやされて育った俺には無論、わかっている。
 それでも。
 それでもだ。
 女の子と一緒にゲーム。
 しかも『あの』花子とさざんか。
 現役女子高生実況プレイヤー。
 据え膳が、
 たとえ腐っていても、
 俺は喰う!
 俺はマッハで花子とさざんかが共同で運営しているブログに飛び、そこに記載されている連絡用メールアドレスと自分に送られてきたアドレスを比較した。一致。これでどこまでもヒトに残酷になれる輩からの許されざる一撃である可能性は消滅した。残っているとしたらそれは花子とさざんかの釣りだが、もういっそそれでも構わない。そんときゃそんときで夢を見せてくれてむしろありがとうだ。

 件名:Re:突然すいません
 本文:ぜんぜんいいっすよ!! あ、でもお二人ともどこ住みっすか? 自分は東京の虹ヶ丘ってとこなんですけど。

 なんか一気にリア充になった気がする。いや、気がするんじゃない。もし本当にこの案件が成就するようなことになれば俺は一気に社会に食いつぶされる生贄の羊の群れから一頭抜け出た羊(猛)になるのだ。いまから狼になる準備も怠れない。帰ったら姉貴にいろいろ聞いてみよう。
 返事はすぐに来た。

 件名:Re:Re:突然すいません
 本文:奇遇ですね、私たち虹ヶ丘のすぐそばなんです(*^^) いつも私たちは花ちゃんちでゲームしてるので、今度の日曜日あたりに一緒にやりませんか? あ、花ちゃんちは鳥ノ塚から歩いて五分くらいにあります

 鳥ノ塚。俺の住む虹ヶ丘から二つ離れた駅だ。本当に近い……俺は感動でぶるぶる身を震わせた。神が俺に男になれってゆってる。
 しかもこのメール、どうも送信しているのはさざんからしい。おとなしいさざんかに比べて、花子は実況中でもかなり暴言が目立つからこういう応対には出てこないのだろう。人付き合いも好きじゃないとはっきり動画の中で言っていたくらいだ。なので視聴者がつけたあだ名は屑子さんとかビチ子さんとか総じてマイナスイメージのものが多い。たまにそれを真に受けてへこんでいるとへな子さんと呼ばれるパターンもある。まあそう名づけたのは俺なのだが。
 俺はあらゆるセンテンスに肯定の意味をぶちこんで返事をしたためた。
 三日後。
 俺は、女の子んちで女の子と女の子と怖いゲームをやる。
 幸せである。
 その至福な時間がチャイムによって打ち破られた。昼休みの鐘である。このまま眠っていてもいいが、どうせ昼はリア充たちが大挙して押し寄せて黛を取り囲んでお喋りするのでとてもいられたものではない。俺はドアの鍵を開けて廊下に出た。
 ふと。
 さっき、ドアをがちゃがちゃやっていたのは誰だったのだろう、と思う。
 鍵をかけたときにはまだ、黛が外にいたはずなのだ。
 保健室の中をそおっと覗き込む。少しだけ開いた窓から吹き込む風で、白いカーテンが幻のように揺れている。

 ○

「姉貴っ! この格好ヘンじゃないかなっ!?」
 俺はジーパンに緑のパーカー(ドラゴンの紋章が胸のところに入ってるおかんが三千円で買ってきた「ちゃんとしたやつ」)を着て姉貴の前でくるっと一回転してみせた。姉貴は急につわりを起こしたように口を押さえたまま目に涙を浮かべていたが、いまさらこれ以上の組み合わせを作ることは俺の手持ちでは不可能だ。たとえ手札がブタでも相手を降ろせばいいだけの話。俺は意気揚々と埼玉までいけるほどチャージされたパスモと噂のゲームを持って家を出た。晴れた日曜の朝である。隣の家からは朝飯のにおいが漂い流れ、どこかでまた正義の味方が高々とジャンプしては怪人をやっつけていた。
 まるで俺を待っていたかのような各駅電車に乗ると、あっという間に鳥ノ塚の町並みが窓の外から見えてきた。高層マンションと企業オフィスが詰まったこのあたりでも栄えてる方の街だ。花子とさざんかはお金持ちなのかもしれない。逆玉か……悪くない。むしろいい。
 改札を出る。
 打ち合わせでは、花子とさざんかが迎えに来てくれる手筈になっていた。なんだか有名人に会うようで(実際に何万人もの視聴者を抱えているのだから、ちょっとした地方の芸能人くらいには有名であるのかもしれない)俺は緊張していた。むやみに携帯を覗いては閉じる。
「あの」
 振り返ると、私服の女の子が二人立っていた。
 嘘だろ……?
 マジで美少女じゃん……。
「えっと、ケンケンさん……ですよね?」
 眼鏡をかけた黒髪ストレートの子が言う。この子がさざんかに違いない。
「そうっす。ケンケンっす。ども……」
「ぷっ」
 むっ。
 茶色く染めたクセッ毛の方が、猫目を歪ませて笑っていた。確かに俺の今の言い方は「初カキコ…ども…」みたいなニュアンスが漂っていてちょっとあれだったかもしれないが、信じてほしい、そんなつもりじゃなかった。
 さざんか(?)が花ちゃん! と小声で叱責する。花子(?)は肩をすくめてそっぽを向いた。くちゃくちゃ牛みたいに反芻しているがガムでも噛んでいるのだろう。確かに感じは悪い、だが残念ながら俺はそういうのも結構イケるクチだ。墓穴を掘ったな花子め、いつか踏んでください。
「えーと、もうおわかりだと思いますけど……」さざんかがにへらっと笑って、
「わたしがさざんかです。で、こっちが花子ちゃん」
「…………」くちゃくちゃ。
「ああ、うん、よろしく……」
 その場に突っ立っているのもあれなので、誰からともなく歩き出した。並び順は花子、さざんか、俺。さざんかマジ天使。
「えっと、ケンケンさんはわたしたちの実況、見てくれてました?」
「あ、はい」釣られて敬語になるがとっとと脱却したい。
「いつも見てます。たまにコメントしたりとかもしてるし」よし。
「あ、そうなんだ。嬉しい」さざんかの顔に笑顔の花が咲いた。
「ね、ね、花ちゃん、ケンケンさん実況見てくれてるって」
 花子が着ている皮のジャケットをさざんかがつまんで引っ張る。結構強いらしく花子の身体ががったんがったん揺れていて格好がつかない。花子は観念して、
「あたしも見てるよ」と、俺の目を見て言ってきた。
「え?」
「だから、あたしもあんたの見てる。『メガシュート』と『アニマ2』と、あと何やってたっけ?」
「……『ブリザードエンブレム紋章の盾』」
「ああ、そうそう。なんの縛りもしないでただ喋りながらプレイしてたやつ。あんたさーもうちょっと編集とか凝ったら?」
 おおう、いいねえ、その冷めた瞳。
「いや、パソコンとか実際苦手なんだよ。実況のセッティングとかも姉貴の友達に任せちゃったし」
「ふーん」花子は俺の顔を犯人が残した遺留品のようにしげしげと眺めた。
「そーゆーの詳しそうな顔してるけどねえ。じゃああんた何が得意なの?」
「何ってなんだよ? 広すぎるだろ、どう答えていいかわかんねーぞ」
「なんでもいーよ。実は家事できるとかなんだかんだで数学得意で公式ぜんぶ暗記してるとか、そういうお得な情報」
「跳び箱」
 花子とさざんかがきょとんとした。ええい、ままよ、悪いのは俺じゃねー。
「だから、跳び箱は得意かなっていってんの。十段でも十二段でもいける。そんだけ」
「ぷっ」
 花子が吹き出し、さざんかが「花ちゃん!」と連れの背中をばしばし叩く。
 だが、花子の笑いは最初のときよりは柔らかくなっていた、気がする。

 ○

 そして冒頭へといたる、というわけだ。ちなみに花子の家は十七階建ての高層マンションの最上階だった。しかも一人暮らし。たぶん襲って欲しいんだと思う。
 改めて三人で実況する、ということで、俺の第一回目のセーブデータは消去された。特に思いいれもなかったのでそれは構わない。それよりもちゃんと二人の会話に追いついていけるかどうかが今の俺の最大重要案件だ。
 花子とさざんかは慣れたもので、常に喋りながらもそれが間を持たせるためのつなぎ、という感じがしない。さざんかにいたっては頃合を見計らって俺に振ってくれるのでそのたびに俺はこの子の旦那さんになろうと思った。
「ケンケンさんは、普段どんなゲームやられるんですか?」
 操作は花子が担当しているので俺とさざんかは基本的にはヒマだ。画面の中で灰色の服を着たポリ男(花子命名)がぐりぐり動いて調べられるものを探している。
「あれっすね、あれ、えっとお、あれっす。あのー」
「うるさい」花子の言葉の剣が俺の喉を串刺しにした。
「あはは……えっと、ゆっくりでいいですよ?」
 フォローされるのも辛いときがあるんですよ。俺は深呼吸して体勢を整える。
「雰囲気ゲーが好きっすね。ロープレだとファイナルクエストは9、ドラゴンファンタジーだと、そっすね、7とか」
「あ、そうなんだ! わたしはあんまりRPGやらないんだけど、でもそれって確か花ちゃんもスキって言ってたよね? ね、花ちゃ――」
 そこでポリ男が例のポリバケツのフタを取ってブラクラ画像もどきが画面を覆い、さざんかの心肺が停止した。喉の奥から「きゅうううう」という細い声がこぼれている。花子もさすがに身を強張らせていた。
「うっわーびっくりしたあ……結構いやらしいトラップ仕かけてあんね。これ画面切り替えも唐突すぎない? いきなり切り替わったからなんか怖いってか戸惑った」
「冷静だな花さん」
「誰が花さんだ誰が」
 これ以上の敬称はないだろう。それよりさざんかが死んだままなのをなんとかしてあげてほしい。
「さ、さざんかっ!」花子がぐったりしたさざんかを抱きしめ、そしてきっとPCを睨んだ。
「このクソゲーめ……! よくもさざんかを!」
 こいつノリいいな意外と。
「ほれ、手元がお留守だぞ」毛布から足を出してコントローラをふとももに蹴りつけてやった。
「うっさいばか。あー、ほくほくのみんな、なんかいまあたしケンケンにセクハラされましたっぽいです。こいつのブログ燃やしていいです」
「ちょっ」
 後日談になるが、ほんとに燃えた。いつか彼女には巨人が手を振り回したら山でも崩れるということを教えてやらねばなるまい。
 その後、さざんかが目覚め(ん、んん?)、ゲーム実況はつつがなく進行した。初めての敵キャラも登場したが、これはわかりやすい灰色の顔色をして両腕を突き出して突進してくるタイプの敵で、しかも特段の場面展開でいきなり出てきたりするのではなく普通に横断歩道を渡ってきたのでさざんかはくすりと笑い、花子はウケた。ゲラゲラ笑いながら花子はポリ男を逃がし、灰色の彼はうーうー唸りながら横断歩道を渡り切った。
「あーおかし」花子は涙を指で拭いながら言う。「でも変だね」
「何が?」と俺。
「ゾンビってさ、『アニマ・ハザード』が初出でしょ、少なくともうちらの世代の文化に入ってきた国内ゲーでは。なのに『夕闇日和』より後に出た『アニマ』がパクリだなんだって叩かれてたことってないじゃん」
「そりゃあだって、アニマが出たとか出ないとかって時期は俺らがガキの頃だぜ。一家に一台パソコンがあってググれる時代じゃなかったし、思ったやつはいても意見を発表する場がなかったんだろ。たぶんあの頃に『ピカモン』は『マホテン』のパクリとか言ったら検証する前に周りから袋叩きにされてたぜきっと」
 ピカモンは言うまでもなく今でもアニメが放送されているちびっこと大きいブリーダーに愛されている伝説級RPG。マホテンはカルトな世界中の宗教ネタを取り込んだせいで外国にいくと肩身が狭くなる古参ゲームの略称だ。
 花子はうーんと唸っていたが、まあいいか、と勝手に納得してアナログスティックをぐりぐりする仕事に戻った。アホ糞ビッチのように見えてたまに結構深い洞察力を見せるのが花子の売りである。少なくともほくほく動画の百科事典にはそう書いてある。それも書いたのは俺なんだが。
「あ、もうそろそろいい時間だね」さざんかが手首を返して腕時計を見た。
「そろそろセーブしてやめよっか?」
「そだね」スタートボタンでポーズして、セーブ画面を呼び出した花子はささっとデータを保存した。口元のマイクをぐりぐりいじって、
「えーそれでは、なんだか新参者がしゃしゃってきてうざかった第一回『夕闇日和』実況ですが、いったん終わりたいと思いまーす」
「思いまーす」さざんかが真似して女子二人がきゃっきゃうふふし始める。俺も何か言おうかなと思ったら花子が録画と録音を停止させた。むごい。
 その後?
 もちろん何事もなくあっさり解散した。次に会うのは一週間後。晩御飯をご馳走になることも急な嵐が来てお泊りになることもなく俺はお外にほっぽり出された。さざんかはまだちょっと残っていくという。
「じゃーね」
 バタン、と花子が閉めたドアの前に俺は立ち尽くす。ふう、とため息をつき、十七階からの夜景を手すりにもたれて眺める。
 どさくさに紛れてディスクを回収できなかったらこのままバックレられるところだったぜ。危ない危ない。


「ただいま」
 家に帰ると姉貴の靴がなかった。おかしい。拉致されたか、コンビニに買い出しにいったか、それとも例の『仕事』か。
 うちの姉、灰谷真戸は基本ヒキニートである。これは高校卒業してから今に至るまで継続しており、滅多なことでは家から出ない。最後に外出したときのサンダルで外に出てみたら冬になっていた、というのは一年前に実際にあった出来事だ。おかげで嫁の貰い手はなく、来る日も来る日も太らない体質にあぐらをかいて優雅な囚人みたいな生活を送っている。
 のだが。
 ごく、ごく稀に姉は外出する。どこへいくのか、何をしにいくのか、まったく不明なのだが、決まってそれは夜で、明け方になると音もなく帰ってきて、そしてテレビのあるリビングのテーブルに無造作に輪ゴムで丸く括られた札束が買ってきたガチャポンのカプセルみたいに転がされているのだった。いったい何をしてきているのかまったく謎だが、母さんも父さんも「まあ、大丈夫だろうまあちゃんなら」と言ってたいして心配していないようだった。うちの両親のお気楽さときたらこれはもう羊の国で育ったとしか思えない。ちなみに母上の手腕によってそのお金は九割が灰谷家の肥やしにされている。
 その姉の外出のことを家族の間で「仕事」と呼んでいるのだが、どうやら今晩もそれらしい。珍しく姉がいないので俺の心は穏やかになる。部屋に戻るなりPCをつけ、ほくほく動画にアクセスすると早速花子とさざんかの二人は実況動画をアップロードしていた。投稿日時を見る。一分前。気が合うこった。
 まだ再生数は2だった。撮ったばかりの花子とさざんかの声が流れ出す。コメントはまだゼロ――俺が見ている最中に1になった。新しいコメントの流れ星が動画を横切る。



 やめておけ



 だ、
 だが断る。
 俺はとりあえずアップロードされたばかりの、俺と花んこコンビの記念すべき第一回目の実況動画を見て、その日はすぐに寝た。


       

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Neetsha