Neetel Inside 文芸新都
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 昼夜兼行の進軍だった。休憩は一日に二度だけで、それ以外は全て移動である。
 親父は出動する時に全速で駆ける、と言っていた。その時には、馬を全力で走らせるのだ、と思ったが、それは違っていた。親父の言う全速は、目的地に早く着く、という意味だったのだ。その証拠に、馬は並足で長い距離を移動する事を重視した進軍であり、休憩は馬が限界を迎える頃に取っていた。そして何より、休憩は人ではなく馬が主軸だった。
 睡眠時間は一日に三時間もあれば良い方で、兵糧なども粗末なものだった。しかし、こんな事は苦でも何でもない。ただ、慣れていないだけだ。それに、進軍ひとつを取ってみても、学ぶべき事は多くあった。
 親父は一万もの馬や人を、どうやって把握しているのか。馬の限界を、どう知り得ているのか。そして、進軍時と戦の時では、把握すべき要素は全く違うのではないのか。ならば、それは何なのか。
 休憩時にはそんな事ばかり考えているので、周囲の兵からは不思議がられた。考えている事を話したら、大声で笑われたりもした。言葉で言い表せるような事ではない。そうも言われた。
「しかし、そういう事を考えられるというのは、指揮官として素質があるのかもしれん」
 言ったのは、一千の兵をまとめる隊長だった。
「初陣の兵卒が考える事ではないぞ。普通は、自分が死ぬかもしれん、と頭を悩ますもんだ。まぁ、ウチの場合は違うか」
 そう言って、隊長は笑った。
 自分が死ぬかもしれない、という恐怖は皆無に近かった。何故かは分からない。俺は大して強くもないし、強いとも思っていない。だが、それでも恐怖は無かった。
 昔から、そういう所はあった。ガキの頃、子分がごろつきに絡まれた時などは、反射的に殴り込みに行ったりもしたのだ。その時は、半殺しの目に遭ったが、やはり恐怖というものは感じていなかった。ただ、異常に腹が立った。何も出来ずに半殺しにされた自分が情けなさ過ぎて、腹が立った。それで、俺は偃月刀を持つようになった。師は親父で、それなりに使えるようにはなったが、上には上が居る。武器は違うが、レンがそうだし、シオンもそうだ。そして、おそらくダウドも。認めたくはないが、ダウドは俺よりも武術のセンスがある。
 起床の鉦が鳴っていた。いつの間にか、眠りこけていたらしい。すでに、周りの兵達は馬に跨り始めている。俺もすぐに馬に乗り、進軍の鉦と同時に駆け出した。兵糧を摂るのは、馬で駆けながらだ。
 さらに進軍を続け、やがて国境を越えた。地図上では、もうすぐで敵の砦である。父は、斥候を出したのだろうか。いや、全速で駆けると言っていたから、そんな余裕は無いのかもしれない。そんな事を考えていた時だった。
 不意に両脇から、地鳴りが聞こえた。地が揺れている。さらには人の叫び声。いや、怒号なのか。
「伏兵だ、武器を構えろっ」
 隊長の声。伏兵。敵が隠れていたのか。どこに。両脇に森。
 もう考える暇はなかった。すぐ真横で、怒号と叫喚が交錯しているのだ。金属音が連続でこだましている。気付くと、馬が駆けていた。群で動く習性で、駆けている。それでハッとして、手綱を握り締めた。
 両脇から、騎馬が迫ってくる。それをはっきりと視認した。もう、すぐそこに居る。そして、これは敵だ。敵なのだ。敵の鎧が、血を浴びている。味方の、獅子軍の血なのか。
「迎撃、迎撃っ」
 隊長が叫んでいた。
 敵。目前などというものではない。殺し、殺せる距離。
 かっと目を見開いた。
「なめんじゃねぇっ」
 叫ぶ。首を飛ばしていた。さらに次の敵。武器を撥ね上げ、偃月刀の石突きで胸を突いた。敵が馬から落ちる。その敵は、他の騎馬に踏み潰されながら、土煙に消えた。
 良かったのは、ここまでだった。迫りくる攻撃を防ぐので、手一杯となったのだ。敵が多すぎる。俺一人に、何故こうも敵が寄ってくるのだ。違う。味方全員が、俺と同じ気持ちだ。
 槍。戟。連続で来た。偃月刀で弾き返すも、これが限界だった。さらに槍。また槍。刹那、肩に激痛。抉られた。そして、また槍。
「鬱陶しいぞ、てめぇらっ」
 その槍だけは弾き返したが、わき腹を別の槍が掠める。次の瞬間、真横に居た味方が二本の槍に貫かれた。さらに三本目の槍が入ろうとしている。同時に嫌な音。すでに、その味方は俺の背後だった。
 味方が、俺のすぐ傍で死んだ。助けてやれなかった。いや、助けられる訳がない。俺にそんな余裕はなかったのだ。これが、これが戦なのか。
 すぐ傍に居た味方が死んで、俺は生きている。いや、本当に生き残れるのか。
 そこまで考えて、俺はハッとした。親父は、親父は無事なのか。
「親父ぃっ」
 叫んだ。敵の槍を弾く。そこで、急に敵の攻撃が止んだ。何故。その次の瞬間だった。
 悲鳴。同時に、味方が次々に落馬していく。敵が居ないのに。もう訳が分からなかった。瞬間、風切り音。目の前を掠める。
「弓矢だ、駆けろ。駆け抜け」
 隊長の声が途中で消えた。弓矢を受け、落馬したのだ。俺は目を瞑った。もう、どうにでもなれ。身を屈めて、ただひたすらに駆け続ける。腿に、衝撃が二度走った。矢を受けたか。それでも、馬からは落ちなかった。頭上で、矢が飛び交っている。
 敵の追撃は執拗だった。弓矢が終わったかと思えば、次は騎馬で散々に追い回してくる。獅子軍が、逃げ惑っていた。戦う事もせずに、いや、出来ずに逃げ惑う。
 追撃が終わったのは、それから約一時間後だった。獅子軍は、国境の直前で何とか踏みとどまり、そこに陣を敷いた。
「こっぴどく、やられちまった」
 親父は無事だった。だが、肩と腿に一本ずつ矢を受けていた。その反面、槍などの傷は見当たらない。
「損害は千八百だ、シーザー殿」
 一人の隊長が言った。その隊長も、肩に矢を受けていた。千八百というのは、死んだ味方の数だろう。負傷兵を含めれば、その倍以上となるのではないのか。
「敵の指揮が雑だったから、これだけの犠牲で済んだが、伏兵の置き方や位置は完璧だった」
「斥候は出してなかったのか、親父」
 俺は思わず、そう言っていた。
「出してた。しかし、報告を待っている暇は無かった。いや、報告を待つべき距離に達していなかった。進軍しながら、報告を聞く。ギリギリだが、そういう距離だったんだ。だが、敵はそれすらも読んで、絶妙な位置に伏兵を配した」
 親父がそう言ったのを聞いて、俺は黙り込むしなかった。初陣の俺が余計な事を言ったのではないのか、とも思った。
「ひとまず、ここに腰を据える。敵が伏兵を用意してたって事は、俺達の作戦が読まれてたって事だ。とりあえず、後詰で来るクリスを待った方が良いだろう。用意万全の敵砦に攻め込むのに、獅子軍単体、それも手負いでは状況が悪すぎる」
 親父が言い、隊長達は頷いた。
「それと伝令を飛ばしておけ。バロンとクリスにだ」
 すぐに隊長の一人が、伝令兵を呼ぶ。
「俺の旗本の、半数以上が死んじまった。俺を守るために」
 親父は、ただうなだれていた。俺は、自分の傷に手をやっていた。生き残ったのだ。傷の痛みは、生き残った証だ。

       

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