Neetel Inside 文芸新都
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 俺は闇の中で息を殺していた。これから、ルイスの居る部屋まで忍び込まなければならない。これは軽い思い付きのようなものだったが、俺は今になって少し後悔していた。
 想像していたよりも、警備が厳重なのだ。衛兵はそこら中を巡回しているし、要所にはたいまつの灯が設置されている。これを掻い潜るのは、まさに至難である。それに見つかれば、只では済まないだろう。まず、牢獄行きは間違いない。
 当たり前の事だった。忍び込む先は、あのルイスの部屋なのだ。ルイスと言えば、メッサーナの大物である。その部屋に忍び込むという事は、それ相応の障害があって然るべきなのだ。
 本当に忍び込めるのか。自信が無い訳ではないが、とてつもない難度だという気がする。いずれにしろ、遊び半分でやれる事ではないだろう。
 その時だった。急に喉元に冷たい感触が伝わって来た。
「ここで何をしている? 返答次第では殺す」
 女の声だった。すぐ背後である。喉元の冷たい感触の正体は、短剣だった。すでにあてがわれている。
 冷や汗を出す暇もなかった。振り返ろうとすると、刃が皮膚を裂いてきたのだ。妙な動きをするな、という警告なのか。
「冗談だろ」
 言うと同時に、刃の腹で顎を押し上げられた。
「もう一度だけ言う。ここで何をしている? まともに答えなければ、殺す」
 女の口調は冷淡そのものだった。本気なのか。本気で、俺を殺すのか。いや、本気なのだろう。しかし、この女は一体。まさか、ルイスを警護する傭兵か何かなのか。
 そういう思案をしていると、また刃の腹で顎を押し上げられた。短剣で、早く喋れ、と言っている。
「ル、ルイスさんの部屋に忍び込もうとしていた」
 正直に言うしかなかった。嘘を吐けば、即座に殺されるかもしれないのだ。
「理由は?」
「間諜部隊に入るためだよ」
「何故、忍び込む必要がある。面会をすれば良いだろう」
「そうやって衛兵に頼んだけど、相手にしてもらえなかったんだ」
「本当の事を言え。でなければ、死よりも恐ろしい地獄を味わう事になる」
 当たり前だが、この女は俺を疑っている。そして、俺を殺そうともしている。いや、その前に拷問が待っているかもしれない。どの道、現状は非常にまずい。
 俺は一か八かの賭けに出る事にした。このまま危害を加えられるぐらいなら、精一杯の抵抗をしてやる。すなわち、離脱をはかる。
「全部、本当の事だ」
 言うと同時に、俺は短剣を押し退け、しゃがみ込んだ。女が着物の襟首を掴んでくる。上半身を捻りながら、その着物を脱ぎ捨てた。
「無駄なことを」
 女を見る。真っ黒の忍び装束だった。覆面を被っているせいで、顔はよく分からない。
「なぁ、あんた。おかしくないか? ちょっとは弁解させてくれよ。俺はメッサーナの民だぜ」
「メッサーナの民が、こんな真夜中に政庁に忍び込むのか? 昼間に政庁を探るのか?」
「だから、間諜部隊に入るためにルイスさんの」
 俺が言い終える前に、女は駆け出していた。短剣を構えている。
 それを見て、俺は舌打ちした。だが、拘束されていないなら、どうとでもなる。
 短剣。一撃、二撃とかわした。変幻自在の動きである。正規軍の太刀筋とは、ずいぶんと違う。だが、避けにくい。上手く言い表せないが、動きが制限されているような感覚だ。
 一方的な攻撃をかわし続ける。そして、一瞬の隙を衝いて、俺は跳躍した。女の頭上を飛び越える。着地と同時に、そのまま向かいの塀まで突っ走った。女も無言で追ってくる。
 塀。高さはゆうに三メートルはあるか。それを見定め、俺は腰を落とし、跳躍した。くぼみに指先を引っ掛け、身体を回しながら壁を蹴り付ける。その勢いで、塀の上にあがった。ここまでは来れないだろう。そう思った束の間、女も俺と同じ動きをしているのが目に入って来た。
「なんだよ、おい」
 あの女は何なのか。何となく、容貌から間諜部隊に類する者なのか、と思ったが、動きが実戦的過ぎる。もっと言えば、噂で聞いていた闇の軍のそれに近い。
 塀の上を走った。尚も女は追いすがってくる。民家の屋根の上に飛び移り、さらにそこを駆け回る。無数の屋根を飛び越えた。いつの間にか、眼下には歓楽街がある。
 女が追い付いてきた。足が速い。いや、最短距離を走っているのだ。このままでは捕まる。歓楽街。下に逃げるしかない。人ごみに紛れて、撒いてやる。だが、飛び下りれば、無事では済まない。どうする。
 瞬間、のぼり旗が見えた。同時に跳躍。飛び付いた。びりびりと布の破ける音が耳を突く。受け身。飛び起きる。すでに周囲は騒然としていた。
 走り出す直前、急に腕を掴まれた。振り返ると、拳が飛んできた。顔が後方に弾け飛ぶ。
「何すんだっ」
 殴ってきたのは、若い男のようだった。当然、知らない顔である。次いで別の男が寄って来て、俺は二人の男に両脇をがっしりと固められる恰好になった。
 喚き上げたが、二人の男は動揺の様子すら見せなかった。そして、目が冷徹である。この二人、民間人なのか。
「ファラ隊長、捕獲しましたが」
 一人の男が言った。その視線の先には、あの黒装束の女が居た。どうやら、女の名はファラというらしい。
「くそ、仲間が居たのかよ」
「当たり前だ。私一人な訳がないだろう」
 周囲は相変わらず騒然としていて、野次馬も出始めていた。その中から、ダウド、という名前が聞こえてくる。自慢じゃないが、歓楽街では俺もちょっとした有名人なのだ。しかし、こんな形で注目を浴びる事になるというのは、もはや恥でしかない。
 野次馬が増えるに従って、ダウドという声も多くなっていく。
「ダウドだと? お前、まさか」
「知ってるのかよ。俺はレン三兄弟の末弟のダウドだ」
「本当なのだろうな?」
「レン兄かシオン兄に顔を見て貰えば分かる」
 俺がそう言うと、ファラはジッと俺の眼を見つめてきた。覆面のせいで、表情は全く分からない。しかし、両脇の男と同じように、目は冷徹である。
 結局、レンとシオンの名を出した。この二人の力は借りるのは面白くない、と思っていたが、今の状況では仕方が無かった。この女は最初、俺を殺す気だったのだ。しかし、成り行きとは言え、こんな事になるなら、最初から二人の名を衛兵に言っておけば良かったのではないか。
「とりあえず、一緒に来て貰う。本物であろうと、偽物であろうとな」
「え、ちょっと待ってくれ」
「安心しろ。とりあえずだが、危害は加えない」
 ファラがそう言うと、両脇の男が俺を引きずり始めた。野次馬で通路は埋まっているはずなのだが、まるで何も無いようにファラと男達は進んでいく。それが、ひどく妙に感じられた。
「なぁ、あんたらは間諜部隊の人間なのか?」
「違う」
「なら、闇の軍か?」
「違う」
「そもそもで、メッサーナの人間か?」
「そうだ」
「あんたらは」
「特殊部隊、黒豹。国の闇の軍に対抗するべく、作られた部隊だ」
 ファラの口調は、尚も冷淡だった。しかし、その冷淡さの中に、俺は熱を見出していた。生きる場所。俺は、何となくそれを感じていたのだ。

       

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