ティラノは静かに、力強く16ビートのコードを弾き始めた。演奏者の本気な顔を見て患者たちが笑うのを止めた。
ボク達は言うなれば狭いカゴに閉じ込められた青い鳥 誰かに押し込められた訳でもない 自分で作った透明なカゴ
「え?ちょっと?」いつもとまったく違う曲調と歌詞に三月ちゃんが小さく飛び退く。驚いた顔をしてあつしが俺の方を見る。
俺は嬉し笑いをこらえて鼻の下に手をやった。ティラノ、お前、こんなまともな曲も書けるようになってたのかよ。体の芯が熱くなってきた。
メガネを額の上に置くと指の隙間からティラノの熱演を見守った。
どこにでもいけるはずなのに なににでもなれるはずなのに 自分で作った透明なカゴ 重すぎて開かないよ
ボクらはきっと飛べるはずなのに どんな歌も歌えるはずなのに ぶっ壊して開いてよ 自分で作った透明なカゴ
大声で汗とつばを飛ばしながらそんなフレーズを歌っていたと思う。ふと視線を外すと患者のおっさんが目を拭ってるのが見えた。
おいおいまじかよ。ティラノ、お前ミュージシャンとして凄い段階まで昇ってきてるぞ。最後のフレーズを歌い終え、ギターをかき鳴らすと
ロビーに大きな歓声が巻き上がった。足腰の弱そうなおばあちゃんのスタンディングオベーション。こいつがこの前まで学祭のステージで自慰行為をしていた変態ロッカーだとは思えなかった。
「すごく良かったよー」三月ちゃんが拍手の合間を縫っていうとティラノはいつもの気持ち悪いニヤけ顔を浮かべた。
歓声が鳴り止み、少しの余韻が過ぎるとティラノはマイクを握り締めた。
「えー、今日はボクの曲を聴くために集まっていただいて、本当にありがとうございました」
「アンコール!」
さっきまで泣いてたおっさんが照れ隠しで茶々を入れた。ギターを弾こうとするティラノを小柄な医者が睨む。笑い顔のオーディエンスにティラノは言った。
「えー、あのーそこの、ほら、目線外すなよ。ユキヒロ!今日のボクの歌、どうだった?」
看護師に背中を押され、怪獣のフィギュアを持った少年がティラノに近寄った。マイクを向けられ少年は言った。
「えっと、面白かった」「どこが?高戸先生の身長が低いところ?」「こら!」大柄な看護師がティラノをたしなめる。
「よういちお兄ちゃんのパンツからずっとちんちんが見えてるところ」「え!?」
ティラノが立ち上がって患者服の裾を確認した。くるくる回るティラノを見て少年は言い放った。
「嘘にきまってんだろ!このばーか。入院中ずっとちんこいじってんじゃねーよ!」
患者達が苦笑する。ささくれだった少年の頭にティラノは手を置いてこうなだめた。
「そんなオナニーばっかやってるボクでもこんなにたくさんの人の前で歌うことができるんだ。勇気を出せばきっとうまくいく。
ユキヒロ、手術受けてくれるな?」
少年が小さくうなづくと観衆から温かい拍手が鳴った。映画のワンシーンのように車椅子から立ち上がるとティラノはライブを見に来てくれたみんなに感謝の言葉を述べた。
「今日は本当にありがとう!さっき演った曲はボクの親戚のにぃちゃんが作った曲です!未来の高額納税者のサインが欲しい方は一列に並んでください!」
とんちんかんなことを言うアイツを見てみんなが席を立ち上がった。バードケージ、いい曲だと思ったら他人の曲かよ。俺とおっさんの涙を返せ。
子供のシャツに強引に名前をかこうとするティラノを看護師が止める。「ほら!あんたも明日手術でしょ!さっさと部屋に戻って休みなさい!」
「よーし!おにぃちゃん、部屋に戻ったらたくさんタンパク質、出しちゃうぞー」
「手術前はオナニーは控えろっていったでしょ!!」
口喧嘩をする二人を見て俺たちも立ち上がった。「ティラノ!」看護師に車椅子を押されるティラノにあつしが声をかけた。
「おまえの元気な姿が見れて本当によかったよ!退院したら一緒にさっきの曲、演ろうな!」
あつしはさっきの曲がいたく気に入ったそうだ。「みんな、見に来てくれてありがとな」看護師さんが頭を下げるとティラノはエレベーターの扉の奥に吸い込まれていった。
その後、俺たちは帰り道で今日のティラノのステージングについて話し合った。病人のクセに人を励ますとかおせっかい焼きだよ、お前は。
嫌味を三月ちゃんにたしなめられると俺は分かれ道でアイツに負けないようにベースを練習することを心に決めた。
日の長い夕暮れの空に細い飛行機雲がゆっくり引かれていった。