光陽ライオットは正式名称を「ティーンズバンドバトル サンライトライオット」という。「らい」が二回続いて呼びづらいことから
「光」と「向陽」町をくっつけて「光陽ライオット」と呼ばれることがほとんどである。光陽ライオットの歴史は2002年、日韓ワールドカップで
盛り上がる世情をよそにひっそりと向陽第一体育館で幕を開けた。第一回大会の参加バンドは23組。
観客より演者が多いという事態から出演者投票により優勝が決定した。記念すべき第1回大会優勝バンドは「The smells」(翌年解散)。
その次の年に大手レコード会社、sunny RECODSがスポンサーとして名乗り出、sunnyがスポンサーを降りる2008年まで若手バンドの登竜門として黄金期を築く。
なかでも第3回大会で圧倒的な投票差で優勝した「liner LIGHTS」の快進撃は今もなおオーディエンスから伝説として語り継がれている。
2005年にはバンド部門の他にダンス部門、女性NO1シンガーを決めるディーバ部門も同時に開催されていたが、音楽性の多様化、音楽業界の経済的低迷から
2007年にダンス部門とディーバ部門は廃止。現在のバンド部門を残すのみとなった(ポスターやパンフレットにその名残は残されている)。
昨今の不況から毎年のようにスポットスポンサー探しに奔走しており、2012年大会をもって幕を閉じるのではないか、という声も強いが
町長の馳海舟(はせかいしゅう)は大会続行に強い意欲を見せている。
光陽ライオットが主に輩出したミュージシャンは「THE フィンガーボーラーズ」(2003年大会優勝、2005年に解散)、
「liner LIGHTS」(2004年大会に2位にダブルスコアの投票数を付けて優勝。ボーカルの日野光太郎がメジャーデビューsingleのレコーディング前日に病死。世界が彼の歌声を知ることはなかった)。
「キミガヨズ」(2008年大会準優勝。次世代パンクバンドとして期待されるが未成年売春でメンバーが逮捕)。
他にもディーバー部門で優勝した「MARINA」や2010年大会準優勝の「チョン・ゲーリー」からソロデビューした「金子一郎」がいるが
いづれも鳴かず飛ばずに終わっている。しかし光陽ライオットは全国の音楽ファンを魅了して離さない。あの日、あの大会、あのステージで、感じた「白い革命」を体が覚えているからだ。
伝説のミュージシャン、日野光太郎― ホワイト・ライオット・ボーイの再来を信じて― 10年目のサンライトライオットが幕を開ける。