Neetel Inside 文芸新都
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東京スケッチ
カタコトの笑顔

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(あぁ、今日も晴れか‥‥)
 十月も中盤に入った水曜日の昼下がり、Tは窓際に置かれたベットに横たわり、刷毛で塗りつぶしたような単調な水色をした空にぼんやりと目線を向けていた。
 現在大学二年生のTは、九月いっぱい続いていた大学の長い夏休みによって生み出された堕落した生活から抜け切れず、今日も昼の一時過ぎに空腹とともに目を覚ました。
のそのそと身を起こしたTは、食器棚の前に無造作に積んである買い貯めをしておいたカップラーメンの一つを手に取り、包装のビニールを片手で破りながら、もう一方の手で流し台に放置されていたやかんを手に取った。
中に入ったままになっていた水を捨て、少しぬめり気の残るやかんをTは流水で軽くゆすぐ。おそらく今日もこのやかんが洗われることはないだろう。
 火をかけて数分後、けたたましい音でやかんがお湯の沸いたことをTに知らせる。Tはふきんを右手、カップめんを左手に持ち、コンロへと向かう。Tの使っているやかんは取っ手まで金属でできた安物のやかんのため、素手で持つとやけどをしてしまうのだ。これは彼が台所用品の取り扱いに対して有する、数少ない知識の中の一つである。お湯を注いだら、携帯のアラームできっちりと時間を計り、最後にスープを入れて出来上がりだ。
 
 Tはものの数分でラーメンを食べ終え、再びベットの上に戻ってきた。横になったTの視界に広がっているのは、堕落した男子大学生の一人暮らしの部屋に対する一般的なイメージを、さらに少しだけ乱雑にしたような光景だ。
三日前の雨の日に部屋に干した洗濯物が未だに居間とキッチンの間仕切りの上に暖簾のように垂れ下がり、床には脱ぎ散らかした服や、鞄、本、CDなどが所狭しとひしめき合っている。ちゃぶ台の上には先ほど食べたカップラーメンが放置され、その中では表面にびっしりと油膜の張った茶褐色の液体が、蛍光灯の無遠慮な光に晒されている。
 Tはカップラーメンのスープを飲まない。週に10回弱もカップラーメンを食べるTは、健康のことを考えてせめてスープは飲まないようにしよう、というほんの些細な抵抗を試みているのだった。
てらてらと光を反射している液体を見ながらTは、そのスープが食道から胃、腸へと滑っていき、粘ついた油でその内壁をぬるぬると汚していく様を鮮明に思い浮かべた。
Tはそのうちにだんだんと胃がむかつきだし、気分が悪くなって目を瞑る。
昨晩からのゲームのし過ぎで酷使されたTの両目は、再び巡ってきた休息のチャンスを貪欲に追い求め、上下の目蓋を強力に糊付けしてしまう。
Tはそれにさして逆らうこともなく、気持ちのよい秋晴れの昼下がりに、いとも簡単に幕引きをしてしまうのだった。
 
 次にTが目を覚ましたのは、宵闇が東の空に到来し、この季節特有の彩度の高い赤色をした夕日がその輝きの大部分を失い、今にも西の空に沈もうとしている頃だった。再び彼が目を覚ました理由はもちろん、空腹である。夕飯にカップめんを食べることを良しとしないTは(これだけ堕落した生活の中でも、Tはまだ一度も夕飯としてカップめんを食べたことはない)、夕飯を買いに近所のコンビニに出かけていった。
 ジーンズの上によれよれになったTシャツをかぶり、ジャージを羽織っただけの格好をしたTは、さっさと夕飯の買い物を済ませて家に帰ろうと思っていた。しかし、いつもいつも同じコンビニに夕飯を買いにくるTは、いい加減どの弁当にも飽き飽きしてしまっていて、なかなかどれを買うのか決められずにいた。
弁当の置いてある冷蔵棚の前でしばらく悩んでいたTは、棚から流れ出てくる冷気で、季節はずれのサンダルを履いている足元がだんだんと冷えてくるのを感じた。
それと同時に、隣にやってきたOLの目線を足元に感じ、Tは思った。
(絶対、『なんてみすぼらしい格好をした男なの。もうこんなに寒くなってきてるのに、サンダルなんか履いてるわよ』とかそんなこと考えてるんだ!)
途端に恥ずかしさに耐え切れなくなり、Tはいつもの(おそらく今まで買った回数の一番多いであろう)弁当を手にとって、足早にレジへと持っていった。
(あぁ、もう、さっさと家に帰って、飯食って、ゲームの続きしよう。胸糞悪い!)
そんなことを考えながらTはくしゃくしゃと頭を掻き、ふと入り口のガラス戸の方に目を向けた。
すると、ガラス戸には宵闇の中に浮かび上がるようにはっきりと、寝癖だらけのぼさぼさの髪を掻き毟っている、みすぼらしい格好をした哀れな男が映し出されていた。
夕日が沈み、夜の帳が落ちたこの時間では、外界とコンビニの中を隔てる分厚いガラスは、今は光を透過させるというよりむしろ、反射させる役割を果たしているのだった。
(ちくしょう!ひどい。本当に早く帰りたい。何なんだこの恥ずかしいことこの上ない格好は。俺はよくもこんな身なりでのうのうと外に出てこられたもんだ!ほら、見てみろ、店員だってこっちを見て薄ら笑っていやがるに決まってる!!)
そんなことを考えながら、顔を正面に戻すと、満面の笑みで、
「こちらお弁当温めていかれますか?」と、少し不自然なアクセントで店員がのたまう。
「あ、じゃあお願いします。」
店員の話し方に気を取られたTは、ついいつもの調子でそう答えてしまう。
レジを打ち、会計を済ませる間中、彼女は笑顔を絶やさなかった。
合計金額を読み上げる声も、やはり耳慣れないアクセントだ。
(彼女はどこの国の人なんだろう。それにしても、随分と人懐っこい笑顔だな‥‥)
そんなことを考えている間に、お弁当は温め終わり、店員はそれを丁寧にビニール袋にいれる。
変わらない自然な笑顔とともにTに差し出されるビニール袋。
「ありがとうございました!」
Tが袋を受け取る瞬間、やはり微妙に変わったアクセントの元気のよい声が発せられる。
そして、それに呼応するようにTの口から自然と言葉が漏れる。

「いえ、どういたしまして‥‥」

自分の言ったことに気づき、一瞬固まるT。
(え、あ、何言ってんだ、俺。何コンビニの店員に丁寧に返事返してんだよ!)
途端に恥ずかしくなり、Tはすぐに体を翻し足早にコンビニを後にした。

家へと帰る道の途中、Tはしばらくあのコンビニには行かないようにしようと思っている。
しかし、その足取りは心なしか、行きの時より幾分軽い。

       

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