Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 中学校時代の記念品等をまとめたダンボール箱の一番上に、緑の布の表紙に金文字で校名が書かれた卒業アルバムが入っていた。埃を吹き飛ばしながら功二は住所録を開く。アルバムには、卒業後にも級友と連絡が取れるよう、住所録が収録されているのだ。功二は三年C組にいたが、香川がその時同じクラスにいた憶えはない。三年A組の一人一人の氏名をじっくり確認し、ページをめくる。あった。三年B組、出席番号3番、香川貴輝。功二は親指で素早く携帯電話のボタンを押し、受話器を耳に当てる。
 突然香川に電話をかけようと思い立ったのは、圭一と話していたときの自分の発言に偽りがあったからだ。他人事のように淡々と説明したのも、特に理由があった訳ではないと言ったのも、間違っている。
 七回目のベルで、ようやく応答があった。
「はい、香川です」
 高くもなく低くもない、なんの特徴もない声で香川が出た。
「香川、久しぶり。俺、中二の時一緒だった中川だけど」
「おー、中川か。久しぶりー」
 予想に反して、香川は怒りや動揺を見せたり、最悪の場合功二が名乗った瞬間に即座に切ったり、といったことは一切なかった。むしろ、何年ぶりかに教え子から電話があった教師のような口ぶりだ。
「あのさ、中二のあれ、謝りたいんだ」
 功二がそう言うと、香川が苦笑する。
「そんな昔のこと気にしてないよ」
 なんという寛容さ。同世代の人間にしては珍しく、時間が経っただけで許してくれた。こいつは間違いなく大人物になる。そう思いかけたが、よくよく考えると香川は成績も容姿も運動神経も平凡で、大物になれそうな要素は一切ない。大検で東大を目指していると風の便りで聞いたときは率直に言って呆れたくらいだ。
「でも、一つ教えてもらっていいかな」
「あぁ、なんだ」
 香川がなにを訊こうとしているのかは予想がついた。
「なんで、ああなったんだ」
 予想通りだった。無視されていた理由が知りたかったのだ。
「やっぱり、訊かれると思ってたよ。一学期に後輩の兄貴がトラックに跳ねられて死んだんだけどさ」
「うん」
 春子の兄に責任を押し付けるような気がして、功二は言い辛さを感じた。しかし、ここまで話した以上、引き返したりは出来ない。
「……俺の、せいなんだ」
「えっ、マジで!?」
 電話の向こうにいる少年の驚愕の表情が目に浮かぶようだ。
「あぁ。俺と圭一でサッカーボールを蹴って遊んでたんだけど、俺が蹴ったら公園の柵を乗り越えて道路に出ちゃったんだけど、その人がボールを取りにいって、トラックに跳ねられた。俺達の目の前で」
「うわぁ」
「その時あったことをありのまま後輩に話したら、そいつが俺を責めてきたんだよ。当然と言えば当然だけどさ、原因作ったの俺だし。でも、その時はイラッときた。どれだけ罪悪感を背負わせる気なんだよって」
 功二は目を閉じた。怒りで歪む顔、声、大して痛くもないのになぜかダメージを感じる拳が、すぐそこにある気がした。春子に会うのが恐い時期なんてあれっきりないというのに。
「で、そのストレスが俺に向かってくる訳か」
 香川が指摘する。物分かりがいい奴だ。功二は思わず頷いた。
「あぁ。いなくなっても害が無さそうな奴を選んだつもりだった。悪い噂を陰で流しておけば結構信じちゃうんだよな、みんな」
「そうか。分かった」
 その程度の理由でも、その頃の功二には充分だった。中学生という若過ぎる一時代の単純な思考回路は、それだけで自己を正当化出来たのだ。
「最後に」
「なんだ、香川」
「蟻村、って憶えてる?」
 あっ、と言いそう形で功二は口を開いた。実際、声が喉まで出かけた。なぜここでその名前が出るんだ。寝耳に水をかけられたように功二の意識が引き締まる。
「蟻村有。中川、中学ずっと同じクラスだったはずだけど」
 嘘だ。俺はこないだ春子に紹介されて初めて蟻村さんに会った。恋に落ちるくらいの相手だったんだし、中学で一緒だったら憶えてるはず。
 受話器を放り出しだ功二を香川が呼び続ける。卒業アルバムのページをめくり、自分のクラス写真を確認する。
 嘘だ。今度は言葉を抑え切れずに口走った。
 クラス写真の隣に、その写真の構図を模した簡素な挿画があり、それぞれの人型の頭に出席番号が書き込まれている。その下に名簿があって、写真のどの位置に誰が写っているのかが分かるようになっている。
 長めの瞬きをして、まぶたを開ける。確かにそこには、こう書かれていた。

 三年C組 17番 蟻村 有

 写真を確認する。挿画の十七番の位置に写っている生徒。女子中学生としては高い部類に入る身長。長い黒髪。それをまとめるリボン。つり目。全て紛れも無く蟻村有のものだ。
 鼓動につられて手の動きが早まる。
 功二はダンボール箱からもう一冊のアルバムを取り出した。こちらには一年次、二年次のクラス写真と自分で購入した学校行事の写真、自分や友人が個人撮影した写真などが収められている。
 一年次のクラス写真にも、二年次のクラス写真にも、有の姿が認められた。修学旅行や体育祭、文化祭の写真にも、中心に映っているものはなかったが端っこに顔の一部が映っているものは幾つかあった。
 功二は受話器を取り上げ、会話に戻る。
「蟻村さんが、どうした」
「蟻村って今神高?」
「あぁ、そうだよ」
 そっかぁ、と香川が自分に言うのが聞こえる。
「じゃあ、よろしく伝えといて」
「ちょっ、ちょっと待って。お前、蟻村さんと知り合いなの?」
 香川が電話を切りそうな気がしたので呼び止めたが、結局切られてしまった。
 なんだよ、肝心な時に切るなよ。
 脱力感が功二の肩にかかる。
 功二は思わず笑い出した。必死に写真を漁る自分の姿を想像すると滑稽でたまらないし、通話を終わらせようとする香川への無駄な抵抗も格好が悪い。しかし、それ以上に中学校の三年間を同じクラスで過ごしながら、蟻村有の存在に気がつけなかった自分が情けなくてバカバカしい。
 右手に握った受話器が、ツー、ツー、と一定の間隔で耳障りな音を立てる。功二が笑うのをやめて立ち上がるまで、それは延々と鳴り続けた。


       

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