Neetel Inside 文芸新都
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5. 授業

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授業




 大学などという場所は学問の殿堂であるというのは建前であり、その実は特に目的意識も無く無益に時間を浪費する阿呆の掃き溜めであるというのが僕の見解だ。勉強、部活動、サークル活動、恋愛、バイト、免許取得、インターンシップ、資格試験、留学。大学生が「している」とされるアクティビティは確かにたくさんあるが、それらを「しなければならない」理由はどこにあるというのだろうか。楽しいから、就職に有利だから、人に勝つため。色んな人が色んな言葉でその理由を述べても、僕にはそれが全て空虚な自己保身に見えた。
 自分がしたいからするというのは勝手だ。そんなところまで立ち入って文句をつけるような嫌な趣味は無い。だがそのアクティビティの有用性を押し付ける理由がわからない。それは恐らく自分の存在価値を位置づけるためなのだ。自分のやっているこれこれは、皆行うべき普遍的価値のあるものであり、これをしている自分は目的意識を持って有益な時間を過ごしているのだと。そうやって自分の生活を価値観に挿げ替えて、人に押し付けてそれを証明しようとしているのだ。そうに違いない。なんと醜いことか。
 と、ここまでテキストエディタに書き込んでから僕はそれを全て消そうと思った。結局これらのことは自分にもしっかりと当てはまる。こうやってそれを文章にして吐き出すことで、僕はまた自分自身の存在価値を形にしようとしているのだ。醜いのは僕だ。そして結局この文章を消していない僕が最も醜いのだ。
 その僕が大学で取っている授業は思想系の授業が多い。
 無とか存在とかそういうどうでもいいことを延々と考え続けるような停滞した授業だ。「考えている」という心地よさはある。だがこれが何のためなのか、何の役に立つのかという素朴な質問がすぐそばに立っていて、僕をネバネバとした粘液のような何かがついた指でつつく。
 ――意味なんてないよ。
 そいつのささやきが聞こえてくる。
 ――誰も君を救いはしないよ。
 僕は心を閉じて授業を聞く。意味も、救いもいらない。そんなもののために勉強に励んでいるわけではないのだ。古人の著したテクストを読み取り、そこから意味を取り出し、現代の人たちに与えていく。それが僕のような学問の徒に与えられた使命なのだ。
 ――でもそれは君じゃなくても、もっと優秀な人がしてくれるよね。どうして君がするの? どうして君がしなければならないの?
 ここまで聞いて腹を立てて僕はそいつの鳩尾を殴った。低い声を漏らしてそいつが床に倒れこんだので、僕はそいつの顔面を左足で踏みつぶしてやった。目的なんてのは結果が出なければ成り立たない議論だ。だとすれば妄想の中で結果を先取りするしかない。そんな不毛な話をすることに興味がわかなかった。
 それから僕は前の黒板を見る。無秩序に書かれた文字が奇妙な図柄のように眼前に迫る。教授にわかりやすく伝えようとする意志は無いのか、話題は無秩序に拡散し、収束するそぶりを見せない。僕はあくびをしながら隣の方の少し離れた席に座っている女の子を眺める。
 その女の子は授業がいくつか同じで、名前も知っている。僕のような偏屈石頭と受講している授業が同じということは、彼女も思想系の議論に興味があるということなのだ。僕は彼女と話してみたかった。彼女なら僕の足元でうめき声をあげている目的論に何と答えるだろうか。それが聞きたかった。
 その子はぴんと背筋を伸ばし、真剣そのものの表情で授業を聞きながら板書を取っている。体は小柄だ。流行を取り入れる気が全くないのか、飾り気のないジーンズとニットを組み合わせた服装をしている。吹き出物ひとつない白い顔は小さく綺麗で、アップにしただけのシンプルな髪型が、顔立ちの端正さを強調している。
 実は彼女と話したことが何回かある。一度は授業前に、一度は行きの電車の中から学校の門を跨ぐくらいまでだ。どちらも何の話をしていたか覚えていないが、最近読んだ本の話だったと思う。あとどこに住んでいるのかとかそういう話をしていたように思う。結局彼女が何を学ぼうとしているのかはわからなかった。
 彼女はどんな生活をしているのだろうか。彼女は僕に興味を持っているのだろうか。彼女は付き合っている人がいるのだろうか。付き合っている人がいるとしたら、彼女は処女なのだろうか。彼女の顔を見ていると色んな下世話なことも脳内を巡ったが、これは恋では無い気がした。
 僕は仲間が欲しいんだ、と心の中で呟くと、足元の奴が気持ち悪い笑い声をあげた。

       

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