Neetel Inside ニートノベル
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 俺たちは山を下りた。途端にアスファルトから反射された熱気にカウンターを食らってもんどり打って倒れこんだ。
「暑っ!!」
「いやああああああああ」
 横井が焼けたマンホールに腕をぶつけて悶絶している。根性焼きみたいになってる。
「くそっ……早いところ沢村を探し出さないと天ヶ峰に見つかる前にお天道様に焼き殺されちまう」
「あっちを見てもこっちを見ても敵だらけだな……」
「おい横井」俺は茂みに生えている毒草を眼鏡で焼いていぶし、俺たちが残した体臭を消しながら聞いた。
「とっとと沢村に連絡を取ってくれ。帰宅部のあの野郎のことだ、今頃は妹と時化込んでるか新しいフラグでも立てているはずだ」
「わかった」
 横井は携帯電話を取り出して、しばらくいじっていたが、諦めたようにポケットに仕舞いこんだ。
「どうした」
「沢村と俺はまだにじり寄ってる段階なんだ」
 おまえアドレス知らねえのかよ。聞いとけって言ったじゃん。俺のはうっかり壊したままだし……
「仕方ねえ。いくぞ横井!」
「えっ! ちょ、ちょっと待てよ!!」
 いきなり脱兎のごとく駆け出した俺に横井が必死にくっついてくる。
「なんで走るの!? ていうかどこいくんだよ!! アテなんかあるのか!?」
「とりあえずは沢村んちを目指す。そして」
 俺は古びた煙草屋の角を曲がり、
「そこへいくまでのコースを地柱銀座商店街に照準する。そこから駅前を折れて沢村んちだ。やつの行動圏内を押さえつつ最終目的地へと向かう」
「なるほど……」
 我ながら完璧な作戦である。
 途中で二度ほど車に轢かれそうになりながらも、俺たちは地柱銀座商店街のアーチへと辿り着いた。このご時勢にシャッターが下りている店が一件もないという縁起のいい商店街である。しかしその真実は紫電ちゃんちの組の地回りがキチンと仕切ってくれていて、よそからやってくる大型スーパーなどの話を軒並み破壊してくれているおかげでもあったりする。まァ極道と言っても紫電ちゃんちの家は武家の血を引く豪農上がりなので、地域性が強いのも自然の流れだったりするのだ。
「沢村、いる、かなっ!?」
「ぜえっ……ぜえっ……」
 横井の質問に答えるどころではない。俺の体力は尽きた。へろへろとその場に崩れ落ちかける。
「どうした後藤!? おなか痛いのか」
「もうっ……走れなっ……うぷっ」
「夏に無理するもんじゃないな……」
 俺は横井に肩を貸してもらって近くの団子屋の軒先に座りこんだ。
「あんれまあ」中から団子屋のおばあちゃんが出てきて目を丸くした。
「後藤さんつこの、せぇがれじゃねえのお?」
 ちょっと訛りがひどい。昔の方である。俺は軽く会釈した。
 横井がぐっと口説くようにおばあちゃんに身を寄せた。
「おばあちゃん、水もらえる? こいつ熱射病っぽいんだよね」
「ああん? 列車砲?」
 何をどう聞き間違えたらそうなるんだよばあちゃん。そして重要なところはその前のセリフだよ。
「水だよ水! おばあちゃん、後藤死んじゃうよ」
「それも世のことわりなら仕方なかっぺえ」
 物騒なことを言いながらもお水を持ってきてくれるおばあちゃん。ありがとうございます。俺はちびちびと水を飲んだ。一気に飲むと身体に悪い。
「ふうっ……人心地ついたぜ」
「よかったな後藤」
「まァこのまま生きてても天ヶ峰に前衛芸術にされるだけかもしれないがな」
「そんなこと言うなよ! 人生には希望が満ち溢れているんだぜ?」
「そりゃお前みたいに……」泡銭でも手に入ればな、と言おうとして俺は慌ててその言葉を飲み込んだ。
「団子喰ってっくっぺえ?」
 おばあちゃんは言いながらもう盆にみたらし団子を乗せて持ってきてくれている。ちなみに有料なのはもうわかっている。公私混同はよくないからね。
「ありがとうおばあちゃん」俺はお礼を言ってみたらし団子をパクっと食べて、天啓を受けたように目をかっと見開いた。
「しまった! 財布忘れた」
「出ていけぇ!!」
 おばあちゃんのラビットパンチが俺の後頭部を撃ちぬいた。俺はごろごろと表まで転がった。
「痛ぇよばあちゃん! 話は最後まで聞けよ!」
「泥棒さんにかける言葉なんぞねえ! 去(い)ねっ、去ねっ」
 おばあちゃんはもう塩まで撒いている。ひどいよ。
 俺はくっと地面につけた膝を握り締めながら涙を呑んで横井に言った。
「横井……頼むっ……お金……お金おくれ……」
「い、いいよ……だからそんな悲しい顔するなよ後藤……」
「くっ、ありがとう!」
 ふふっ、カモめ。金持ちはこうやって使うに限る。尻ポケットの中の財布の重みを感じながら俺はそう思うのだった。まァ大して入ってないのは本当だけど。
 おばあちゃんと無事に金銭を用いて和解し、長椅子に再び腰を下ろしてしばらく世間話に耽った。
「こうして店から表なんがめてるとお」とおばあちゃんは言った。
「こっころああったまる気がするんだあ」
「わかるよおばあちゃん」と俺。
「この町って基本的には平和だもんな」と横井。
「んだんだ。花組さんとこがあ、わっりいやつら追っ払ってくれるからあ、このへんは静かなんだあ。おめえらも感謝しなきゃだめっどお」
「そうだねばあちゃん」どうでもいいけどその方言、謎すぎるんだけど。どこのだよ。
「じゃあみなさんお手を拝借」横井がどや顔で湯のみ茶碗を掲げた。
「うちの町の平和に、乾杯!」
「乾杯!」
「かんぺえだあ」
 かちん。
 俺たちが茶碗を軽やかに打ち合わせたその時。
 表の通りをけたたましい粉塵を巻き上げながら、何か白と黒っぽいものが物凄い勢いで回転しながら吹っ飛んでいった。鞠のように弾んで地面に叩きつけられたそれを見て、俺と横井の手が空中で止まったまま動かなかった。ばあちゃんは何事もなかったかのように茶を飲んだ。
 白と黒の正体は制服だった。
「う、うう……」
 制服を着たそいつが呻きながら顔を上げて、通りの向こう側を見る。俺たちからはちょうど舞台の袖のようになっている方を向いているので何を見ているのかはわからないが、そいつが誰かはもうわかった。
 沢村だった。
 沢村は、ふらつきながらも立ち上がった。全身傷だらけである。何があったのか。
「さわむっ」
 叫びかけた横井の口を塞いで長椅子の上に足を引っ張りあげさせた。
「静かにしろ。落ち着け」
「ぐむっ……」
「どうせアイツに決まってる……」
 その通りだった。
 俺たちが腰かけている長椅子、そして店の長いのれんの左側から、こつん、こつん、と革靴の足音を響かせながら、そいつがやってきた。
 白いブラウスにベージュのスクールベスト。紺色のスカートは組み付かれた時のために針金が仕込まれていることを俺は知っている。あらゆる戦闘機動に耐えられるように改良されたGショックの腕時計が拘束具のように白い左手首を包み、その先にある拳はいまにも爆発しそうなほどに固く固く握り締められている。タテガミのようにささくれ立った癖の強い長髪。小動物のようにくりくりとした目玉は内実あらゆるけものが残虐さを秘めていることを見るものに思い出させ、そしてあらゆる抵抗の志を雪ぎ落とす。
 天ヶ峰美里の登場だった。
 ふしゅー、と深い吐息を漏らして、天ヶ峰が一歩、沢村に近づく。
「後藤はどこ?」
 俺の名前を出さないでくださいっ……!!
「後藤に会いたい」
 やめてええええええええええええええ……
 沢村はよろめきながらもファイティングポーズを取った。左構えである。
「知らないっ! 何があったのかわからんが、天ヶ峰、もうやめてくれ! 俺はお前と……闘いたくない!!」
「くすくす」
 やべーあのバケモン笑ってるよ。
「何を甘いことを言っているのかな? ……沢村も後藤の味方なんでしょ。そうなんでしょ。一緒になってなにか企んでるんだ。そうに決まってる」
 天ヶ峰がきゅっと腰を落とし、両拳を顎の前にそろえた。ピーカブースタイルと呼ばれるボクシングの構えである。
「絶対許さない」
 たかがイタ電を気にしすぎだよ。最近世の中からワン切りがなくなったのってこいつのおかげなんじゃないかな。
「だから知らないって!! 天ヶ峰、俺の話を聞け!!」
「…………」
 天ヶ峰はすでに膝を伸縮させて距離を詰める算段に入っている。沢村はそれを見てぐしゃぐしゃと頭をかきむしった。
「あー、もう! わかったよ、やってやる! せっかくだからこの際ハッキリ言っておくけどな――」
 沢村は、ずびしっと天ヶ峰を指差した。
「天ヶ峰、おまえ、ちょっとおかしいよ! なんでも暴力で解決しようなんて、女の子のやることじゃないぜ!!」
「ぐむ――――っ!!」
 興奮して喚き出した横井の首を捻りながらも、俺とて沸々とする熱気を抑えられなかった。
 沢村の野郎、とうとう言いやがった。
 俺たちみんなの素直な気持ちを……っ!!
 天ヶ峰は、……くすくす笑っている。
「処刑決定」
「ひっ……」
 ぎらりと光った天ヶ峰の眼光にさっそくビビった沢村だったが、自分が沢村キネシスの使い手であることを思い出したのだろう。すぐさま右手で燃える火の玉を繰り出した。商店街に現れた小さな太陽はその場の気温をおおよそ四度は上げた。熱っ!!
 燃え盛るミニ沢村玉が天ヶ峰のガードにぶつかって烈しい爆発を起こした。
「馬鹿っ、爆煙で天ヶ峰が見えない!」
 俺の叫びも爆発音に飲み込まれて消えた。
 沈黙――
 黒い霧が晴れる。
 すると――
 天ヶ峰は、変わらずそこにいた。ピーカブーのガードを少し下げて、拳の上から豪華絢爛(ギンギラギン)の視線を沢村に返す。その目元が、ニタリと笑う。
「ひいっ……うわああああああああ!!」
 沢村が左手を右手に添えて、物理法則を乗り越えて産卵に耽る雌鳥のごとく沢村玉を大量に撃ちまくった。天ヶ峰はそれをかわし、受け、さばき、くるくるといなした。そのステップはもはやダンスのそれである。
「はあっはあっ」
「…………」
 明らかに疲労している沢村。だが、天ヶ峰の表情も晴れてはいない。
「どうして……」
 俺の手から口を逃がした横井が呟いた。
「天ヶ峰は一気に距離を詰めないんだ? 接近戦に持ち込めば沢村なんて敵じゃないはずなのに……」
「詰められないんだ」
「え?」
「というか、詰めても攻撃しづらいんだ。……沢村は右手で火弾を撃ってるだろ? あれはボクシングで言うと左構え――サウスポーなんだよ」
 横井はあらためて、二人の姿を見やった。
「どゆこと?」
「天ヶ峰は右構えだ。つまり、左手が前に出ている。だから前進しようとすれば左手が先に相手との間合いに入る。なのに沢村が右手を前にして火弾を撃ってくるものだから、距離を詰めても左のジャブから連携攻撃に入れないんだ」
 天ヶ峰が、きゅきゅっと革靴の底をすり減らしてステップインした。
 だが沢村はどたどたと後退しながら右手で火弾を放つ。爆発。
 天ヶ峰との距離が詰まらない。
「なるほど……でもさ、それなら逆の構えにすればいいんじゃねーの? 天ヶ峰も左構えにするとか」
「できることはできるんだろうが、あいつは元々右構えで練習してたからな。左構えは不得意だし、それにたぶん、カウンターを恐れてるんだ」
「カウンター?」
「沢村はいまは右手で沢村キネシスを使ってるけど、べつに左手だって使えるだろ? とっさに近距離から左手で沢村玉を顎にでももらえば――」
 俺は横井の目を見た。横井も俺の目を見た。
「天ヶ峰が負けることも、ありうる」
 ごくり、と。
 どちらからともなく生唾を飲み込んで。
 俺たちは天ヶ峰と沢村を見やった。祈るような気持ちで。
 頼む、沢村……
 俺たちの悪魔をやっつけてくれ……!!
 ――店先の風鈴がぬるい風を浴びて、ちりりん、と鳴った。




・用語説明

『右構え』
 左手を前に出し、右手を控えておくオーソドックスと呼ばれるスタイル。
 天ヶ峰は顎を守るピーカブースタイルを取っているが、バランスを崩すと本来の型であるオーソードックスの地が出る。

『左構え』
 右手を前に出し、左手を控えておくスタイル。
 基本的に使い手が少ないため右構えの選手は左構えの選手を苦手とすると言われている。
 小学生などが喧嘩する場合、利き腕を思わず前に出してしまうので左構えにしてしまうことが多い(経験談:作者)。

『ジャブ』
 オーソドックスの場合、左手を腕の瞬発力のみを使って相手に当てるパンチ。
 リードブローなどとも呼ばれる。通称、あしたのためにその1。

『カウンター』
 相手のパンチに合わせて返すパンチ。
 自分のパンチに相手が向かってくる力が加わるのでその威力には恐るべきものが宿る。
 ボクシングの魅力とも言われる。

『ラビットパンチ』
 後頭部へのパンチ。ボクシングでは反則とされる。
 おばあちゃんが使う際はこの限りではない。

『顎』
 1.ジョーとも言う。パンチが当たると脳が揺れるためダウンが取れる。
   天ヶ峰はピーカブースタイルを取っているため、顎が弱いと思われる。
   パンチをもらうとすぐにダウンに繋がってしまう顎を『ガラスの顎(グラスジョー』とも言う。
 2.作者

       

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