Neetel Inside 文芸新都
表紙

ニッポニア
河童

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 燈心にともる小さな炎がゆらめいて、ぼんやりとあたりを照らしている。御簾の内から平伏している佐々木に声が掛かる。
「刀はどうした。近う寄れ。面を上げよ」
 佐々木は平伏したまま這うよう御簾の前に来て、目を伏せながらゆっくりと顔を上げる。
「刀はまだ見つかっておりませぬが、持っていると思われる男の人相書きを作りました。これを江戸中の高札場にさらせば、労せずして捕らえることができましょう」
 自分の仕事の速さを誇示するように、書写した1000部の人相書きを手渡す。伸びた手がそれを御簾みすの内へ入れる。吟味しているのか、しばらく無音の間が空く。
「無能め。刀を持つ男がまだ江戸にいるものか。男が上洛し刀が長州の手にでも渡ったら、貴様の首だけではすまぬぞ。京にいる壬生浪士隊にすでに通達してある。この人相書きは京で役立ててやる」



 一方そのころ上中下之介はまだ江戸にいた。
 雨に煙る江戸の空に鯉のぼりが泳いでいる。旧暦の端午の節句は梅雨真っ盛りの時期だ。そもそも鯉が滝を登ると龍になるという伝説から鯉のぼりが生まれたのだから、滝のように降る雨の中こそふさわしい。
 下之介はあいかわらず仕事が無い。こればっかりはどうにもならない。西洋文化が入る以前のこの時代、七曜制や安息日は当然無い。しかし、月月火水木金金の太平洋戦争時とは違い、江戸時代にはちゃんと休日があった。雨が降ると商店は休みになるのだ。まるでカメハメハ大王の歌のようなのん気さだ。
 雨が降っているというのに、外からは子供の声がする。芝居がかった口上が聞こえてくるから、歌舞伎役者ごっこをしているのだろう。子供には休みはないようだ。広さ一畳半ほどの土間は台所をかねていて、へっつい(煮炊きするかまど)と木製の流しが備え付けられている。かたかたと釜のふたが音を立て、隙間から漏れる蒸気が部屋の湿度をさらに上げていく。下之介は料理は出来ないが、米のたき方だけは大家の奥さんに教わっていた。米のたき方は当たり前のことすぎて書物にも書かれていなかったから、とても助かっている。米さえたければ江戸では暮らしていける。
 江戸の町は独身男性の比率が高い。また参勤交代によって各藩の武士が江戸藩邸詰めとして集まっている。家族は国許においてくるから単身赴任のようなものだ。その需要に答えるように江戸には惣菜売りが多い。棒手振ぼてふりたちが別々の惣菜を売って歩くから、おかずに事欠くことはなかった。
 下之介は飯が炊けるまで待つ間にこれからのことを考えていた。故郷肥前佐賀に帰るだけでもやっかいなのに、最近さらにやっかいごとが増えた。あの妖刀のことだ。清河との約束とはいえ故人の形見を捨てるのはどうにも気がひけた。昨日ついに決心して長屋の共同便所の脇にあるごみ溜めに捨てることができた。ようやく肩の荷が下りたというか、憑き物が落ちたというか。
 故郷に入るためには佐賀藩を脱藩した江藤新平という男を頼れと清河がいっていた。江藤の所在は京都というから、せっかく打ち解けてきた長屋の皆とも別れなくてはならない。
 この江戸で何かやり残していないか考える。そうだ、まげを結いにいこう。肩に着くほど髪は伸びているから、そろそろ結えるだろう。
 ころあいを見計らってかまどの火を消す。あとは蒸らすだけだ。丁度よくちまき売りの元気な声が外から聞こえてくる。雨がまだ弱いうちに商魂たくましい棒手振ぼてふりが裏長屋にやってきた。これを逃す手は無い。
 米をおかずに米を食うようなものだが、背に腹は変えられない。引き戸を開けて草鞋をひっかける。間口を飛び出すと何かをふんずけたので、足元を見た。漆塗りの黒光りする鞘に収まったあの妖刀がそこにはあった。
 下之介は元気なちまき売りよりもよほど大きな声で悲鳴を上げた。
「捨てたはずの刀が帰ってきた。やはり妖刀か。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
 今度は長屋を隔てる粗壁が向こう側から叩かれたので、下之介はまた悲鳴を上げた。粗壁は薄く、普通に話しても隣の声は筒抜けだ。長屋にプライバシーなどない。すぐさま隣の福郎が怒鳴り込んできた。
「朝っぱらから騒ぎやがって。ごく潰しが。あれだけ大家一家に迷惑かけるなっつったろ。朝は静かにしろ。あと、ごみ溜めにぶっそうなもの捨てるな」
「お前の仕業か。では、刀はどこに捨てればいいのじゃ」
「古道具屋かくず鉄買いにでも売り払えばよかろう」
 江戸時代の日本は高度なリサイクル社会であり、どんなゴミにでも買い手がついた。
「それは捨てたとはいわぬ。拙僧はこの刀を捨てなくてはならぬ」
「ならば隅田川の川下の永代島に捨てにいけ。これ以上面倒ごと起こすなら石川島に叩き込むぞ」
 永代島というのはゴミの埋め立てによって作られた人工島で今で言えば夢の島のようなものだ。ちなみに石川島も人工島で、鬼平犯科帳でおなじみの鬼平こと長谷川平蔵が人足寄場にんそくよせばを建てた場所である。火付盗賊改であった平蔵が作った日本初の犯罪者の更生施設といわれている。
「そういや、奥さんには生き別れの息子さんがいるのだったな。今生きていれば拙僧と近い歳ぐらいかね」
「そんなわけないだろ。奥さんまだ三十路だぜ。四年前の祭りの帰りの夜道でいなくなったのが四歳だからまだ八歳(満年齢で7歳)のはずだ」
「八歳の息子と拙僧が世話焼かれるのにどんな関わりが」
「お前さんがわっぱみたいに手がかかるってことだ」
 福郎の余計な一言にはカチンときたが、これで今日すべきことは決まった。髷を結った後、永代島に刀を捨てに行く。すっかり惣菜を買い逃した下之介は、ご飯だけの慎ましい朝食を済ませた。



 髪結いには得意先に訪問して髪を結う髪結いと、店で髪を結う髪結い床と二種類ある。以前語ったが風呂屋が庶民の社交場となっていたように、この髪結い床もさまざまな職業の人々が集まるため一種のサロンと化している。
 髪結いを待っている江戸っ子たちは店の床机に座り、世間話をしている。その中にはちらほらと見知った顔も見受けられた。熊さんと八っつぁんだ。今日は七不思議の話ではなく、10年前にやって来た黒船の話で盛り上がっている。下之介も会話に混ざり順番を待つ。
 江戸の人々は好奇心が強く、停泊地には黒船を見ようと見物人が押し寄せていた。幕府側はこれを取り締まっていたので、現場に役人が駆けつけると潮が引くように逃げていった。庶民にとっては黒船より役人のほうが怖かったようである。西洋人を極端に恐れた江戸幕府と違いいっさい政治に口を挟めなかった庶民は、幕府が黒船をどうやって追い返すのか高みの見物といったところだった。庶民のほうがよほど冷静で客観的な考えを持っていたのかもしれない。
 ようやく番となり、下之介のおかっぱ頭をまじまじと見る髪結いは言い放った。
「てめえ、風呂も入らずにきやがったな」
 職人気質の髪結いには汚い頭で来店した下之介が気に障ったようだ。すでにまげを結って八っつぁんと雑談していた熊さんが見かねて助け舟を出す。
「げのちゃん、風呂入ってこなかったのかい。せっかく今日は菖蒲湯だったのに。髪結いのだんな、次からは必ず湯に入れてから来させるから、わしの顔に免じて許してやってくれねぇかな」
 ここらで顔の利く熊さんのおかげで、まげを結ってもらえることになった。
「しかし大丈夫かねぇ。どうなっても知らねぇぜ」
 月代をそり落としながら髪結いは言う。すっかり頭頂部と額の髪をすべてそり終わる。 今、下之介の頭は落ち武者のような髪型になっている。髷を結っていない子供のような髪型からこの状態のことを大童おおわらわと言い、「おおわらわになる」の本来の意味はいくさでかぶとを脱いで髪を振り乱しながら奮戦することである。
「どんなまげを結うんだい」
 初めてまげを結ってもらう下之介は、まげにも種類があることを知らなかった。
「それでは、あんたにお任せするよ」
 髪結いは強い力で下之介の髪を集めると一本に束ねて元結をしめた。丁度10cmくらいの長さのポニーテールのような状態だ。しかし髷はこれを二つに折り曲げ頭頂部にもってこなくてはならない。いくらなんでもこれでは短すぎる。
 びんのあたりと襟足がきつく引っ張られている。髪結いが一息ついてから一気に形を整える。
「出来たよ」
 手で探ると小ぶりではあるが確かにまげのようなものが頭の上に鎮座している。しかし、りっぱなまげとは言いがたく、かりんとう程の大きさしかない。それでも下之介は一人前の侍になれた気がした。
 気分よく28文(約400円)払い店を出る。会う人、会う人、皆振り返る。下之介の頭を見て噴き出していたから自分のまげがどうなっているのか、うすうす気付いてきた。
 引き絞った弓のように張り詰めた頭で隅田川東岸の土手を上流に向かって遡っていく。川開きで舟遊びをする風流人が歌会を催している。岸には夜の漁のために昼寝をしている鵜飼がいる。やがて目の前に大きな橋が見えてきたので、両国まで歩いてきたようだ。左手には回向院も見えてきた。
 下之介は両手を合わせて黙祷する。回向院には明暦の大火(明暦三年、すなわち1657年に起きた大火災。江戸の三分の二を焼き尽くし、十万人の死傷者を出した。江戸時代を通して最も被害の大きかった火事)で被災した9600余名が合同葬儀され仏として眠っている万人塚がある。時の大老、保科正之の命によって作られた。実質的な行政機関である老中が4~5名であるのに対し、大老は一人に独裁的な権力が集中する臨時職である。明暦の大火の二年後、保科正之は保守派たちの反対を振り切り今度は200mの巨大な橋を隅田川に架けた。これが両国橋である。 
 当時隅田川には防衛上の理由により橋が一本も架かっていなかった。明暦の大火の折に対岸に避難しようとした人々が隅田川を渡れずに多くの死者を出してしまった。防衛よりも人命を優先して橋を架けた保科正之の存在は、この時代において奇跡としかいいようがない。
 保科正之は二代将軍徳川秀忠の側室の子として生まれた。嫉妬深い正室お江の方を恐れた秀忠は正之を庶子として迎えることができず、高遠藩の保科家に養子に出した。三代将軍徳川家光の片腕として尽くした正之は徳川家の親類にしか許されていない松平の姓を名乗ることを許可され、領地も山形二十万石から二十三万石に加増され会津の初代藩主となった。保科正之については話が尽きないのでこのくらいにしておこう。
 両国橋を渡り対岸へ着いたぐらいで、霧のようだった雨が本降りになってきたので下之介は笠とみのを着用する。雨足はさらに激しくなり、強い風も吹いてきた。顎紐を結んでいなかった笠は風にあおられ、隅田川に合流している鳥越川のさらに上流の新堀川へと飛んでいった。 笠を飛ばした風が遠くの畑の麦の穂を撫でていく。すぐに追いかけたが、あっとい間に笠は見えなくなるほど遠くに飛ばされてしまった。慌てて小川をさかのぼっていくと、両岸がごみで埋め尽くされている場所に出た。不法投棄された琴、琵琶、扇、釜、鍋、鋏、瓢箪、銚子が百鬼夜行のように並んでいる。河原には石を積んだ山もあり、まるで三途の川に迷い込んだ気分だった。新堀川に河童にまつわる言い伝えがあったことを思い出して、だんだん気味が悪くなってくる。早くごみの中に笠が混ざっていないか探して、この場を離れよう。
「おいらの川にごみを捨てるな」
 人気の無いところで急に大声でしゃべりかけられて、恐る恐る振り返る。蕗の葉を傘がわりにして身にはぼろぎれをまとった幼子が鬼のような形相で睨んでいる。
「出た。河童が出た」
 雨の日の河原にいるはずもない子供の姿に、妖怪の類と思った下之介はあまりに驚きすぎてまげを結っていた紐がはじけ飛んで、おおわらわとなった。
「おめぇの頭のほうがよっぽど河童じゃねぇか、河童のおっさん」
 子供は下之介を指差して笑い転げた。恥ずかしくなり懐から出した鎌○ぬガラの手ぬぐいをほっかむりする。子供のほうもようやく笑いが収まって話を聞いてくれた。

       

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